弟さんは人肉を食ってたかもしれない、弟さんの死体が食われたかもしれない、傷病で仲間に殺されたのかもしれない、そんな戦場で幸せに死ねるかどうか
何故なら、ディーラーの収入は『カジノから支払われる給料』と『勝った客が渡してくれるチップ』によって成り立っているから。
もしも狙った場所に確実に投げ入れる凄腕ディーラーがいたとしても、決して客が賭けていないところを狙ったりはしない。
ディーラーには「カジノに損させよう」というインセンティブが働く。
たとえば狙ったとこに玉を投げ入れられるディーラーは、必ず客に勝たせるわけだ。
もはやカジノにとってルーレット台は金が出て行くだけの設備になり
ルーレットディーラーは客とグルになってカジノから金を剥ぎ取るだけの従業員になる。
ルーレットで必ず勝たせてもらえるんだから他の台は閑古鳥が鳴き客はルーレットに殺到。
ディーラーは収支の記録を付けられていて、
(もっと言えば、総合収支は安定させたままインチキをする手段とかもいくらでもあるから
ディーラーの監視方法はそれなりに複雑で密着したものになっているはず。
それか機械の方を改良してディーラーを出目に関与させないようにしていくか。)
まあくどくど説明するほどのことじゃないけどさ。
お前はもうちょっと頭使って生きた方がよいと思う。
「胴元が負けるような仕組みなんかないはずだ」という頭をつかえない人がいるから
「官僚が悪い」という言葉は、いわゆる「清く明るくほがらかに」などという言葉と同様に、いかにも間が抜けて陳腐で、馬鹿らしくさえ感ぜられて、私には「官僚」という種属の正体はどんなものなのか、また、それが、どんな具合いに悪いのか、どうも、色あざやかには実感せられなかったのである。問題外、関心無し、そんな気持に近かった。つまり、役人は威張る、それだけの事なのではなかろうかとさえ思っていた。しかし、民衆だって、ずるくて汚くて慾が深くて、裏切って、ろくでも無いのが多いのだから、いわばアイコとでも申すべきで、むしろ役人のほうは、その大半、幼にして学を好み、長ずるに及んで立志出郷、もっぱら六法全書のクソ暗記に努め、質素倹約、友人にケチと言われても馬耳東風、祖先を敬するの念厚く、亡父の命日にはお墓の掃除などして、大学の卒業証書は金色の額縁にいれて母の寝間の壁に飾り、まことにこれ父母に孝、兄弟には友ならず、朋友は相信ぜず、お役所に勤めても、ただもうわが身分の大過無きを期し、ひとを憎まず愛さず、にこりともせず、ひたすら公平、紳士の亀鑑、立派、立派、すこしは威張ったって、かまわない、と私は世の所謂お役人に同情さえしていたのである。
by おさむ
あぁ、まぁされない国もあるし 普通に 金で売られて 年取った白人の嫁に12歳ぐらいの女の子がなって問題になってる国もあるなぁ。
もっとも、それをやめさせると 女の子とその家族は 餓死という道が待ってる可能性があるので だれもどうにもできないんだけどというオチ付きで。
これが時に「我が国最高学府」とか言われるとこ出た人間の書く文章なのか…。
あんたのこの文は椅子とかに座ってそれなりに落ち着いて書いたものなんだろう?
それでこれか。
訓練出来ることはもっと訓練したらどうだい。
神話・民話などに登場する、いたずら者。秩序と混沌、文化と自然、善と悪など対立する二世界の間を行き来し、知恵と策略をもって新しい状況を生みだす媒介者。
明鏡国語辞典 (C) Taishukan, 2002-2008
(1)詐欺師。ぺてん師。
(2)神話や民間伝承などで、社会の道徳・秩序を乱す一方、文化の活性化の役割を担うような存在。
別に社会で動いてなくても引きこもって読書しながら唸っとけば書けるような記事じゃないすか すべてね。 突っ込んだ話じゃない。実はどれもこれも。
んで、実は「単に文章が書けるだけで実際たいしたことない人」って仮説を思いつきました、!!
さて、誰がこの仮説を反証できるのか?
情報を発信することで、状況が変わる。混沌と。それを それ自体を見つめて下品な笑みを浮かべてるはずだ!!11
僕はそう思っています。彼は信用できない! 信用するに足る何かがない!!11 みんなアイツに踊らされるな!!!111
「俺と結婚するような気狂い女はたぶん指輪よりもMBPのほうを欲しがる」
的な話のつもりだったんですがわかりにくくてごめんなさい。
元コメの17インチMBP貢ぎ野郎ですが、カノジョがもしコメと同じこと考えてるような人だったら、たぶん話あわなくて付き合ってすらいないと思います。
ゆとりっていうか、ケータイ世代にありがちな略し方な気がする。
それも、予測変換がまだおバカだった頃からケータイ使ってる世代。
テンキーだと長い単語を打つのも小文字を打つのも面倒なので、自然とこういう不気味な略し方になるのではないだろうか。
同じ世代の特徴として、「文章に句読点や改行をほとんど入れない」というのも挙げられると思う。
俺もゆとりだしケータイ世代だけど、テンキーを否定して中学の頃から今で言うネットブックみたいなものを持ち歩いてた(プロセッサは200MHzのMIPSだった)当時としては珍しいガキでした。
○解雇規制緩和に反対している人は、以下の事実をはっきりと認識していないという人が多い。
それは、正社員と非正規雇用者では給与以上の断然たる格差があるということ。 言い換えると、正社員という既得権★42に対しては手厚く保護されているが、非正規雇用者に対するセーフティネット等があまりにも貧弱、というかないに等しい。
正社員の視点からすると,これを認識しているからこそ,解雇規制緩和に反対するのでは.
解雇規制推進とセーフティネットが同時に実現されることが保証されない限り,
現実に「非正規雇用者に対するセーフティネット等があまりにも貧弱」なのだから,
ということで,
○反対してる人は殆どが正社員なんだろうけど
まぁそれはわかるとして、今、非正規で雇われてる人で反対してる人っているの?正社員の人が解雇規制緩和に反対というのは心情的にはわかるけど、結局正社員の人が反対することによって格差を助長させるだけ★1-10じゃないの? 仮に今後ずっと反対したとしても一緒に潰れるだけ★2-12なんじゃないの?
非正規で雇われてる人で反対している人がどれくらいなのかはわからないけど,
例えば正規雇用の期待を抱いている人は反対する可能性があるかもねぇ.
解雇規制に守られる一員になることを目指す方がイメージしやすい.
あと一歩で正規雇用になれると思っている人からすると(現実になれるかどうかはさておき),
解雇規制緩和というのは自分の夢を奪われる話ということになるので.
うーん,これは重要な問題な気がする.解雇規制緩和派が強くなれない最大の理由では.
それはさておき,「結局正社員の人が反対することによって格差を助長させるだけ★1-10じゃないの?」と言われたところで,
「はい,そうですね.そして格差助長されればされるほど,その格差される側への移行リスクが高まる
解雇規制緩和なんてやりたくないと思うわけですけど,それって当り前の判断では?」と返答がくるだけでは.
あなたも言うとおり「正社員の人が解雇規制緩和に反対というのは心情的にはわかる」わけです.
「仮に今後ずっと反対したとしても一緒に潰れるだけ★2-12なんじゃないの?」を説明して,
そのうえでさらに彼らが納得できる方法で実現しないとだめなわけですよね.
もしくは彼らの声になど耳を貸さず強制的に実現してしまう.
ということで,
日本的雇用 -終身雇用・年功序列・新卒採用- を撤廃させるには、つまり雇用が流動化されるには少なからず混乱が起きるだろし、 落ち着きを取り戻したとしても決して全員の給料が良かった時代には戻れないだろう。 雇用流動化によって損をするのは既得権をもった人★29だ。誰も損をしない革命★30なんかありえない。 彼ら、いやあなた自身が血を流さなければ状況は全く変わらない★1-10。
「彼ら,いやあなた自身が」というのは誰なんでしょ?
解雇規制により恩恵を受けている人(既得権を持った人)ということなんですかね.
そして「誰も損をしない革命なんてありえない」のは了解.
「損をするのは既得権をもった人」というのも了解.
で,その損をする人に向かって革命を起こせというのは無理がないですか.
だとしたらおそらく大政奉還でもしたように,「改革の重要性」と同時に
「徳川家(既得権益層)の安全の保証」を提示しないと無理ですよね.
要するに前述の(3)と同じ話ですが.
自分の意見をまとめると,革命を起こす方法として,大政奉還と倒幕があって,
倒幕の場合には,
あなたの話で「革命の意義」はよくわかるんですが,次は「革命の方法」について話しませんか.
もちろん(a)(c)(e)を補強する点から「革命の意義」を練り上げていくことは大事なのですが,
「革命が大事だ!」と叫ぶだけではなかなか革命は起きないのでは.
大事だと叫び続けることでその機運が高まって・・・ということもありえるだろうけど,
少なくともネット上ではその手の言葉はよく聞かれる気がするので,叫ぶなら実世界の方で叫んだ方が良いかと.
「建設的な議論をしましょうよ。」ということですが,ネット上での議論は,
そろそろ革命の意義ではなく方法についての議論へ移って良い気がします.いかがでしょう.
ちなみに http://anond.hatelabo.jp/20110130114254 のつっこみによると,
解雇規制や法の問題ではなく,企業と労働者のルールの問題らしいですね.
その辺の「具体的に何を変えるべきか」も明らかにしていかないといけないですよね.
「正社員の既得権ってまだタブー視されてるの?」というタイトルだけど,
個人的には別にタブー視なんてされていないけど,それでメリットを受けている人がたくさんいるのでつっこまない,
つっこみを入れる人は意見を言うだけにとどまって具体的なアクションにつながっていないので変化が見えない,
ただそれだけだと思います.
俺がもしあなただったら、彼に学内で精力的に活動することの面白さを説いて活動に引っ張り込もうと思うけどな。
好きなことを好きな人と一緒にやる、って確かにコストやリスクが高い行動なんだけど、「板挟み」みたいな状況にはならなくて済みます。
なによりも、好きな人と四六時中一緒にいることができる。
好きな人と一緒に価値を創造できる、って素晴らしいことだと思いませんか。
東大卒。自分はギリギリで東大理Iに受かったぐらいの大したことのない頭の持ち主だが、東大に入ったおかげで、色々な東大生を見ることが出来た。その結果、論理操作能力というのは極めて遺伝的なものであるという事実を知ることが出来た。東大の中でも頭がイイ奴は、特に、時間あたりに操作できる論理操作の数が常人の数倍は速く、常人より1桁正確だと思う。この事実を知ることが出来たことが、東大に入って最も良かったことの一つだと思っている。
お勉強が出来るだけでは社会に出ても役に立たないというのは、その通りだと思うのだが、論理操作能力が速くて正確なことは社会に出る上で非常に役に立つ。特に、議論で圧倒的に有利になる。議論って言うのは、実は、試験よりも速くて正確な論理操作能力が要求される。その場で返答しなければいけないからだ。試験だったら、その場でとっさに答えを思いつかなくても、「とりあえず置いておいて、試験時間終了間際にもう一度見なおしてみるか」といった戦略が取れるが、議論の場では、相手は何十分も返答を待ってくれない。その場で返答しないと意味が無い。
論理操作能力は遺伝的なものだから、訓練しても高くはならない。だから、論理操作能力が低い(才能がない)我々のような人間が彼らに勝つためには、「論理操作能力が高いヤツとは最初からマトモに議論しない」ということが重要だ。例えば、相手が持っていない情報に基づいて反論する。いくら論理操作能力が高くても、知らないものを知ることは出来ない。それから、論理操作能力が高いヤツの前では、自分のやっている仕事を面白そうに見せない。論理操作能力が高いヤツが自分の仕事を持って行くからだ。
こういう勝つ技術の中でも一番多く使うのは「自分の仕事に関係ないことは黙っておく」という技術だ。会議の中で自分より論理操作能力が高そうな人間がいて、その会議が自分の仕事に直接関係なく、意見することで何か自分に利益がもたらされるのでなければ、黙っておく。論理操作能力が高い人間の意見は高い確率で正論なので、しばらく放っておけば、そういう人間が会議を引っ張っていくようになる。
論理操作能力が低い自分でも、論理操作能力が高い人間が多く集まる東大という環境にいられたおかげで、こういう論理操作能力が高い人間の中で立ち回る技術を身につけることが出来た。人類の大半は、論理操作能力が低い人間だ。みんなで、共闘して奴らを追い落とそう。
追記:最後の文の「奴ら」は、論理操作能力が高い人達の事です。時間がたってから校正しないと、こういう曖昧性に気がつかないのが、僕の論理操作能力が低い証拠です。論理操作能力が高い人達は、即興で曖昧性の低い文章を書くことが出来ます。
また、「情報処理能力」の方が適当ではないかという意見がありましたので、「論理」「操作」能力とした理由を説明します。「論理操作能力」というのは、平たく言えば、「頭の回転の速さ」だと思ってください。
まず、「情報」ではなく「論理」という言葉を使ったのは、「情報」では、人に上手く質問して情報を引き出す能力や、ネットや本で調べる調査能力を含むような誤解を与えると思ったからです。そういう調べ物が得意な人は居ますが、その人の専門にもよりますし、信頼できる情報源をどの程度「知っているか」という知識の問題でもあります。例えば、法学部卒の人が法律に関することについて情報入手能力が高いのは当たり前です。一方、「論理」なら、こういった調査能力を含むかのような誤解は与えません。ですから、「情報」より「論理」の方が適切であると思いました。
次に「処理」ではなく「操作」という言葉を使った理由は、「処理」では、処理した結果何をアウトプットとすれば良いのかが明確に決まっている、という誤解を与えるからです。例えば、漠然と「何かいいアイデアない?」と聞かれた場合は、欲しいアウトプットは定まっていません。このような得たいアウトプットが明確に決まっていない状況でも、与えられた条件から「この条件とこの条件をこう組み合わせれば、こういうことが言えて(=こういうアウトプットが得られて)、嬉しい!」ということを即興で考えつくことが出来る人がいます。僕は、「論理操作能力の高い人」という言葉で、こういう人たちのことを指したかったのです。
例えば、車を操作する、とは言いますが、車を処理する、とは言いません。「操作」という言葉が、どの方向に進みたいかを決めることをも含んでいるからです。一方、「車をA地点からB地点まで移動するという仕事を処理する」ということは出来ます。処理するためには、アウトプット(目的)が最初から決まっていないといけないのに対し、操作することは、アウトプットを定めることも含んでいます。ですから、「処理」よりも「操作」の方が適当であると思いました。
ところで、この文章では、遺伝的と先天的を同じ意味で使ってしまっています。僕が言いたかったのは「先天的」の方です。先天的だからといって遺伝的であるとは限りません。また、論理操作能力が先天的であるということは、実際に東大にいて、多くの東大生を見てきて、僕が経験的に(帰納的に)知ったことです。また、僕は、論理操作能力の高い人が東大だけに存在するとは思っていません。どの大学でも、名前が知られている大学なら、上位何%かは論理操作能力が先天的に高い人だと思います。東大は、その「何%」が、1~2割程度になっているぐらいです。東大は、一般教養の代わりに、シンフリ制度(最初は全員教養学部に属し、1年~2年前期までの成績で、他の学部学科に転籍する進学振り分け制度)を取っているので、学部・学科によって、論理操作能力の高い人の全体に占める比率は大きく異なります。シンフリ点数の高い学科は、やっぱり、論理操作能力の高い人が多いと思います。シンフリとかシケプリ・シケタイ・シケ長とかいった言葉を知っていることは、僕が実際に東大卒である傍証にはなると思います。
追記2:
言いたいことが伝わってこない、という人が何人かいるのですが、そういう方は、どこが悪いか教えていただけると幸いです。理系出身なので、各段落の1文目をキーセンテンスにして書く点や、曖昧性がないように書く点だけは気をつけて書いているつもりです。文章が長い(冗長性が無駄に高い)のは、校正してないのでしょうがないと思っています。
追記3:
何で「論理操作能力」っていう言葉を定義しただけで、こんなに反論が多いのだろう。とりあえず、「論理操作能力が高い」=「与えられた前提から、単位時間あたりに論理的な推論を用いて導き出せる有意義な結論の数が多く、また、その推論が精確なこと」と定義しておく。単に論理的な推論がたくさん出来るだけ(=論理演算能力が高い)では、コンピューターの方が人間より優秀だということになってしまう。論理的な推論を重ねて、「有意義な結論」を見出さなければならないから、「操作」という言葉を使った。また、人間は推論を間違えることも多々あるので(例えば、A→Bが、議論を進めていくうちに、B→Aも成り立つことになっていたり)、推論が精確であることも重要なので、「推論が精確なこと」を定義に含めなければならない。
「コミュニケーション能力」とか「国語力」とか「人間力」とかよりも、ずっと精確に定義できていると思うのだけど、何でこんなに反発を食らうのか分からない。
追記4:
英語を使うと冗長すぎるって言われそうなのでやめておいたのだが、やっぱり、書くことにしてみた。操作は、"operation"の意味で使っています。"operations"のように複数形に出来ることが大事。まぁ、"manipulation"の意味でもよいかもしれない…これも、"manipulations"にできるからね。"control", "exploit"の意味では使っていません。
追記5: