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2009-07-04

国営マンガ喫茶賛成

まず漫画だが、古い作品では原稿がすでに失われている物もあり、そういう事態を避けるためにもちゃんとした公立のアーカイヴが欲しい。

それと漫画は例えば手塚治虫楳図かずおなど、単行本を出す度に頻繁に描き変えを行うような漫画家もいるし、過去作品が復刻される際はかなりぞんざいにセリフの改変などが行われている(そもそも漫画セリフを表現に問題があるとして改変するのは(たとえ作者が了解してやったとしても)ミケランジェロダビデ像に後から他人が勝手に割礼を施すような行為だし、ほとんどの場合改変箇所の記述すら無い事からどれだけ漫画が軽く扱われているか分かる)。そういう版の研究管理もきちんと系統立てて行ってほしい。国会図書館に全て保存されているわけでもないし、そういう研究管理大学や在野の研究者が細々と行っているものに任せっきりになってるのが現状だ。

次に映像メディアだが、我が国では黒澤明内田吐夢のようなドメジャーの超巨匠作品ですらフィルムが失われた事により(一部、または全部)観ることができない作品が存在するのはよく知られている。映画フィルム現在国立フィルムセンターという機関が保存、研究を行っているが、予算が少なくとても苦しいらしい。

テレビ番組の場合、例えばNHKアーカイブスが知られているが、フィルムビデオ端境期ビデオで収録された作品は、放映後多くの場合ビデオテープが別の作品で上書きされており(当時のビデオテープは高価だったので受信料を取っている手前再利用した)、視聴者や出演者が家庭用ビデオテープに録画した物などを少しずつ収集・複製・修復してアーカイヴしているのが現状だ。

以上のような原稿フィルムビデオなどの収集、修復、バージョン管理等々は高度な専門知識と膨大な手間がかかるわけだが、専門の職員を大学専門学科教育するといったような事から考え始めると莫大な予算がかかる事が予想される。

私は現状でも文化事業(美術館や上述のフィルムセンターや各種公立図書館等々)にいくら税金がかかっているかが国民に詳しく知られたら大反発(こんなに苦しいのに漫画映画なんかに金をかけるとは何事だ!)を食らうだろうと思っている。その上にさらに金をかけて上述のような機関を作ることが許されるのかどうか分からない。そのような機関は必要だが公立で税金をかけてやることは無いという意見もあるだろう。

2009-06-27

勉強嫌いなのでデザイナーになったら、今法律勉強をしてる

意味がわからない。初めて増田になります。

あまり自分自身のことを振り返らないので、たまには振り返ってみようと増田なりすまします。

では簡単に、現在の私のことを書いておきます。

とにかく勉強というのが嫌いで、中でも宿題などの復習は、苦痛でした。

私の最初の、人生の選択というものは高校受験でした。

少し自慢のようになるのかも知れないですが、頭の出来じたいはそれほど悪いわけでもなかったらしく、

当時は勉強をせずとも全教科平均が大体中の下ぐらいでした。

まあ、中学程度なのでそのような方はたくさんおられたと思います。

頭は悪すぎることはない、実際のレベルよりも少し下の偏差値学校に入ると

更にあまり勉強せずとも留年はしないのではないか、といった考えのもと高校を探しました。

探しているうちに、商業科、工業科などの専門学科があることを知り、

それらは普通科の授業が、普通科よりも大幅に少ないという情報に辿りつきました。

 

商業科が少なく、頭が足りないか、余裕でいけるところの2択ぐらいしかありませんでした。

かっこいいから、という理由で、数少ない友人と一緒に工業科のデザイン系の学科の受験を受けました。

当時は、第一次と第二次とわかれて受験がありました。倍率が4倍と2倍ぐらいだったと思います。

この学校に入ると勉強しなくていいと、何故か当時は本当に思っていて、人生で一番勉強しました。

第一次はあっけなく2人とも落ち、友人は別の進路を選びました。

受験前日に、地元同人誌即売会イベントがあり、残念ながら2人で参加してしまいましたが、

それは小学生からのオタク歴を考えると、仕方のないことに思えます。

第二次で、運良く、受験合格を果たしました。

 

結局、甘くはなくデザインにも色々と勉強しなくてはならないことが多かったです。

カメラビデオなどの授業もあり、露出計算や、言葉を覚えることの量、

行ったことがないのでわかりませんが、普通科の方が種類の多さが少ないため勉強しやすかったと思いました。

また、勉強で追いつかない技術の面でのテストなど、留年の危機を3度ほど乗り越えての、ぎりぎりの卒業でした。

デザイン系だったこともあってか、オタクな友人も増えました。(今でも数名とはやりとりが続いてます))

卒業が近づくに連れて二度目の、人生の選択に迫られました。

その時点で卒業が危うかったのですが、私は専門学校に通うことにしました。

それもカメラビデオからは遠い、マンガを描く専門学校です。

オタク全開で、あまり大きな声でまわりの友人に進路は言えませんでしたが、

先行入学の権利のある受験の方を受けてしまい、少し早く進路が決定しました。

 

それからオタクばかりのクラスに身を置きます。

高校で生き別れた友人とも、同じクラスになり、オタクという強い絆を感じました。

まわりはオタクばかりで、ぬるま湯でした。

マンガという単語が履歴書に載ってしまうことを承諾したような、強いオタクなのだから

さぞかし同人活動東京には年に4回行くような猛者が集まるのだと思ってましたが、

実際はそうではありませんでした。私の、オタクとしての視野の狭さを突きつけられました。

当たり前ですが、少女漫画家少年漫画家純粋に目指す、キラキラの瞳の方がたくさんです。

同人誌日本の歴史にはあまり詳しくなくって、などと返されることもしばしば。

漫画家を目指す上で、今では知識として持っていないのは勉強不足にも感じましたが、

そこは勉強嫌いな私が突っ込めることでもないので、オタク知識を分け与えました。

当の私も、同人活動はしたことがなく、漫画も描いたことないので、全くのど素人でした。

それはまわりも余りかわらず、マンガという単語を履歴書に残すには、浅い覚悟の人が集まったと思いました。

歴史は繰り返されました。

マンガを描くにも沢山の知識、それを上回る技術が必要でした。早々に後悔だけがつもりました。

唯一できたのは、高校時代に触ったおかげのフォトショップイラストレーターの授業でした。

 

二年にあがり、進路の話しにだけのために私は学校にいき、たまに絵を描いて帰り、バイトをしました。

クラスじたいはクラス変えもなく、二年目の怠惰空気の中、オタクの話しをだらだらとする、

高校などにあるマンガ部のような感じでした。

私の通う学校学校法人ではなかったため、早々に進路が決まると、

学校ではなく就職先にバイトとして入るなどといったシステムがあることを知りました。

勉強から遠ざかりたい、そんな思いで、思いつきのままに選んだデザイン会社10月からバイトしながら、

やはりマンガもろくに描くこともなく、国への借金だけをこさえて卒業しました。

今でも、専門学校で得たものは、数名の友人と、私の駄目さの理解であったと思っています。

  

匿名だから安心したのか、普段よりも長くなってしまいました。

次書くとしたら、法律の話しまでいきたいです。

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