はてなキーワード: 公共心とは
前段と後段どっちのどこを読んで「権利がない云々」って指摘をしてますか?
前段かな。そしたらあなたの読み間違いです。
そもそも、社会に参加する人はみんな、受け入れることを強く求められている側ですおすし。
前段は「トラバ先の言い分」と「トラバ先のトラバ先の言い分」が噛みあってないように読めたから問うてみたんですよ。
今続きを読んだら、「トラバ先のトラバ先」さんが美しく罵倒してるので、なるほど噛みあってなかったんだなぁ。と納得した次第。
前段後段、混ぜて読んだんだとしても読み間違いです。
後段のみに言ってるんだったら・・・まあつまり・・・その・・・あなたみたいな人と乗り合わせたとしても、
私に決定的に危害を加えない限りはスルーするのが一般社会における公共心の体現だと思うんですけどどうでしょう。程度の意味合いです。
全体に予断に満ちていて散漫で読みづらいです。
1.Politician
2.Expert
4.Entreprenuer
5.Missionary
1は(社内)政治家。新卒で入った会社の中で政治力を持って可能な限り権力に近づく。
根っからのエリート思考の人に向いていると思う。ただ、社長になれるかは100%運だろうし、たとえ運よく社長に成れたとしても経済的には普通のサラリーマンとそれほど変わらない。ま、住宅ローンとか子供の教育費には困らないだろうが。最も気持ちいいのは人を支配し、世の中に影響を及ぼす快感だろう。上り詰めれば財界の実力者として、政治家と対等に話すことも夢ではない。
2は職人的専門家。財務とかプログラミングとか法務とかアラビア語とか何でもいいから独り立ちできるような専門知識、難関資格を身につける。
人脈を築いて好条件でヘッドハンティングされるもよし、独立して事務所を持つもよし。会社のだるい柵(しがらみ)が嫌いな自由人タイプの人に向いていると思う。好きなことだけ出来る。ただ、自営業者になったり、会社のレールからは外れるからサラリーマン的な安定度は低くなる。経済面では税金とか報酬の面で有利です、少なくとも普通のリーマンよりかは。
3は国際人。何かしらの武器をぶら下げて海外に打って出る。2の亜種とも見れる。
絶対海外に行きたい、むしろ住みたいって人のタイプ。日本の将来に危機感を持っていたり、嫌悪感を抱いてる人、より広い世界を知りたい人、金髪が好きな人・・・など理由はどうあれ海外にあこがれている人が進むべき道。リスクもリターンも無限大!簡単に国を捨てることが出来る人なんていない。専門知識だけじゃなくて、文化適応能力や対人能力も試される。最悪の場合は寿司職人としてへいらっしゃい!ってやってるかもしれないけど、外人の配偶者と別荘と大型犬をゲット、たまに日本に帰ってかつての友人に死ぬほど妬まれる幸せをつかむかもしれない。
月給なんてくそ食らえ!自分でやって大金持ちって人。あるいは、より大きく社会に貢献する、という庶民からすれば胡散臭いセリフを真顔で言う人がなる。これも無限大のリスクとリターンと背中合わせ。松涛に家を建てることも可能です。専門家と違う部分は実務家ではなくなる、つまり、自分はプレーヤーとしてではなく仕組みを作ったり、資金を供給したりする役にまわるということ。そうなると自分の好きなことばかりやってられない。厭な役回りも柵もサラリーマン以上に多い。人を動かす力ほど難しいスキルはないのではないでしょうか。あ、IPOに掛かる税金は安いです。
5は伝道師。会社で得たことや経験から学んだことを講演、出版などで社会に提供する。
純粋に教えるのが好きで、その行為によって優越感に浸りたい人に向いている。もっと言えば、自己顕示欲が強くて、公共心が強い、名誉欲が強い、金は別にそこまでって人。資本は体のみのゼロ円ビジネスなので、リスクは非常に低い、別に会社をやめなくてもいいし。うまくいけばテレビや雑誌に連載をもったり、バラエティ番組でさんまさんと競演することも。
たらたらと書いたが、これらはお互いに重複する部分が多々ある。
なぜなら現代人が根本的に求める欲<権力欲、自由欲、変化欲、金銭欲、伝道欲>を無限大のベクトルで突き詰めた役割を書いただけだから。
つまり、欲は欲で型にはまってどれかを取捨選択する必要などまったくないのである。
俺だって自分の確固たる専門分野を持って好きなことだけしたい、海外にも住んでヨットを乗り回したい、会社も興して大金を稼ぎたい、大企業の社長として議員をあごで使いたい、ドラッカーも驚くような本も書きたい。
・若者、氷河期、ワープア叩き、マスコミの弱者蔑視が蔓延する理由
団塊どもは数が多かったので、激しい競争にさらされる人生を歩んできました。
従って、他人を蹴落としてはい上がることが至上の価値という価値観を持っています。
本来であれば社会において必要とされるスキルは「協力」ですが、彼らは「他人を陥れる」という、それに相反する価値を蔓延させた自己中世代です。
ワープアなどの弱者の問題は本来、社会全体で少しずつ我慢しあって分かち合うという方法が有効なのですが、強欲な団塊は絶対に自分の既得権を手放そうとしません。
そして、今や様々な分野のトップになってふんぞり返っています。
そう、おわかりの通り、マスコミの偏った自己責任論などの「弱者叩き言説」は、こうした自己中団塊の立場を正当化するために消費されているのです。
=これは団塊のせい。
要するに、多数派であり選挙に大きな影響がある既得権世代の雇用や保障を優先し、若年世代を犠牲にした結果が、良くない実態以上にさらに閉塞感をもたらしている格差問題なのです。
政治も選挙のことを考え団塊に媚びたために、被害が若年世代に集中した結果、経済の悪化、社会の閉塞感と言った問題を拡大してきましたが、マスコミも多数派である団塊に媚び、実態をゆがめて報道してきました。
この点、自民や経済界は当然責められるべきですが、では、はたしてマスコミや民主党、その支持母体の労組がこの問題を取り上げてきたか?と言うことを考えれば、彼らも共犯関係にあると言えます。
今までは公共心を持った世代の高い投票率で、まだ抑制されていましたが、これからさらに影響力を強める団塊世代は公共心など無い、私欲にまみれた徹底的なエゴイズムの世代です。
自分の利益を追求することを至上の価値と考え、他人を思いやる心に欠ける野獣のような世代が彼らであり、そのことは「日本という国家全体のことを考える」という左右を問わずに当たり前のことを、あたかも悪であるかのように主張してきた前科からも証明されます。
=もちろん団塊のせいw
数が多く、競争の中で生きてきた彼らは、他人を陥れるためならなんでもするという、禽獣にも劣る卑しい精神構造を持っています。
ですから、組織を円滑に運営するための人間関係構築の重要性が理解できません。
今やトップとなった彼らの価値観が現在の社会に蔓延していることが職場の閉塞感を高めています。そして、団塊どもは相変わらず「協力し合えない職場」の問題点を全く理解せずデタラメな対応を現場に強いているのです。
自分たちの無能を棚に上げ、現場に無理なコストカットなどの要求を繰り返してきた結果がブラック企業なのです。
=やっぱり団塊のせい。
しかし、いくら自民を叩いたところで民主が良い政党だと証明できるわけではないし、支持する要素にもならないと考えるのが常識。
しかも政権取ったとたんに内政も外交もダメ。景気無策、財政危機で結局国の借金は増え、そして増税という体たらく。
が、団塊どもの性質として、「とにかく負け組になりたくない、叩く立場になるのが最高」という腐った価値観があります。
だから、マスコミのメディアスクラムが起きると一斉にそっちに流されるわけです。
普段は「個性」「主体性」と喚き、また、協力し合うと言うことを知らない連中ですが、こういうときは結託して叩きに走ります。
それがこういう状況の原因の一つにもなっているのですね。
そして、注目したいのが世代問題。団塊とは一般に「1947年から1949年までのベビーブームに生まれた世代」を指しますが…
安倍(1954年)
福田(1936年)
麻生(1940年)
…
鳩山(1947年)
菅(1946年)
平和主義者は言う。
「暴力では何も解決しない。」「右の頬を差し出せ。」
独裁者に従っていれば、やがて彼やその一族が公共心に芽生え、国民の意見を尊重する指導者となるのだろうか?
自分を犠牲にして、数世代とかかる時を耐え忍べば。
平和主義者は言う。
「暴力では何も解決しない。」「右の頬を差し出せ。」
独裁者に従っていれば、やがて彼やその一族が公共心に芽生え、社員の意見を尊重する指導者となるのだろうか?
自分を犠牲にして、自分の世代を耐え忍べば。
国民の労働力、生産力にばかり目を向け、独裁者に取って有益でないものは認めないどころか切り捨てる。独裁者の過ちは国民が拭うが、国民の失敗を独裁者は拭わない。多様は害悪だ。独裁者は自分の権力を守りたがる。
そんな彼等がいずれ、初めは気まぐれに、やがては自発的に国民の責任を担って指導者たる人物になっていくというのだろうか?外部から何のきっかけもなしに?
従うことがいずれ平和をもたらすという考えは、従うことで良い結果が得られた者にしか生まれない考えである。
従属は組織活動において大きな力を産み出すが、あくまで組織活動に掛かる力であり、人格を従属にすることは本能的に正しいことではない。もし正しいならば独裁者も何らかに従属しなければならないはずだ。
人々はなぜ革命を起こすのか。剣を取り、銃を取り、筆を取り、離脱を宣言し。
数人でも革命が起こせる時代になった。数人でも組織が組める時代になった。血も流す必要は無くなった。誰も死なないならば、革命を起こしてはいけない理由はどこにある?
組織を知ろう。組織を作れない指導者には耳を貸すな。自分が守りたい人たちのためにも、同じ過ちを繰り返すな。もし革命を起こしたら、付き従ってくれた人たちの思いを救うことを忘れるな。
田中角栄以来の、無学無教養でも地元に公共事業や補助金を持ってくれば当選を重ねられるという日本の政治風土を象徴する議員が、また一人減った。喜ばしいことである。
国政を論じる為の国会議員でありながら、地元の為だけに働くという利益誘導型議員がのさばるのは、いずこの民主主義国家でも同じであるが、モノには限度がある。
こういった利益誘導型政治家の地盤となっている地域は、他の地域からは民度が低い部落・在日スラムと同じような地域と見られ、余計に、補助金や公共事業にすがりつかなければならなくなる。
負のスパイラルは、一度始まってしまうと、どんな説得も届かなくなる。福祉や年金や補助金や公共事業に依存する人々が多数派を占めてしまえば、それらの生産性がマイナスの支出をいくら増やしても国家は豊かにならないという正論は、少数派の意見として黙殺される。正しい意見であるが故に、不快な主張であり、言い方が気に食わないとか、大衆の支持を得ていない少数派の意見であるからと、無視できるようになる。
人間は、全体の利益を個の利益よりも優先する公共心や、私利私欲よりも道理や理性を優先する道徳に従うとは、限らない。むしろ、それらをいかにしてごまかして個の利益・私利私欲を充足させるかに、時間と労力を費やす傾向が強い。
人を一番怒らせるのは事実を指摘する事である以上、理性に訴えかけても通じるとは限らない。むしろ、指摘が正しければ正しいほど、反感は募り、権力の行使を正当化したり、多数を恃んで多数決による正当化を計るようになる。
暴力や権力によって間違いを正さなければ、いつまでたっても間違いから抜け出せない人が必ず発生してしまうというのが、階層型権力構造や多数決原理の欠陥である。
内政においては、暴力や権力が必要の無い状態が平和な状態であり、正しい状態である。間違いを正当化する為に権力にすがりつくのであれば、それをやめさせる為に、権力や暴力を行使しなければならなくなる。自分の為に使う権力や暴力は正しく、それを邪魔する権力や暴力の使い方は間違っているという主張は、最初の権力や暴力に依存しなければならない時点で間違っているのだ。
そうだね、欲望の問題と、論理的ないいわけor価値の問題はわけたほうがいいかもね。とすると
欲望
1.自己顕示欲から
2.啓蒙したい欲望から
理由
3.公共心:専門でなくても、公共的に、重要なことには、発言することに一定の政治的価値があると考えるから
4.時評:新しいことについての記述は、専門外/内であるに関わらず、「だれもまだきちんと考えてない話」として話す価値があると思うから
5.異分野交流:自分の専門をある程度ふまえたうえで、「あえて」自分の知らない分野について発言することで、異分野交流がはかれるから
6.なんか思わず…:思いついちゃったから、メモった。
でよろしいか。
http://anond.hatelabo.jp/20081223125003
なぜ、ブロガーは専門外のことを書くのか。
叩かれるリスクを考えるならば書かないほうが無難なのに、なぜ書くのか。
たとえば、以下のような動機・理由が考えられる。
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1.自己顕示欲から
2.啓蒙したい欲望から
3.公共心:専門でなくても、公共的に、重要なことには、発言することに一定の政治的価値があると考えるから
4.時評:新しいことについての記述は、専門外/内であるに関わらず、「だれもまだきちんと考えてない話」として話す価値があると思うから
5.異分野交流:自分の専門をある程度ふまえたうえで、「あえて」自分の知らない分野について発言することで、異分野交流がはかれるから
6.失敗してもいい場所だから
7.なんか思わず…:思いついちゃったから、メモった。
----
#2008/12/23 16:42 6つの理由から7つの理由に修正
正直ね
自己中で
極論に飛躍して
中身が支離滅裂な女性
一緒に動いてると
常識の壁を越える事に挑戦。
結構普通に居る。
マジ勘弁。
超疲れる。
ブサメンでも
クレバーとはいえなくても
現実が見えてて
賢く動くにはどうあるべきかを考えてて
人に対する思いやりとか分かってる男
結構普通にいる。
なんていうか
恋とか起きないけど、
友情ていうか
一緒にいて
まだ安心というか。
そんな女もいるのだから
国家を分けないで、というか。
なんもしてないのに女性専用車両出来てすぐの頃、女専車につっ立ってたら全然見知らぬ酔っ払いに肘鉄暴行受けた事ありますよ。わざわざ寄って来られた。多分体格が小さいから狙われたのかもしれないけど、5回肘食らった。次の日左わき腹痣になる程度。ちょっと痛すぎ。何をイライラしてたのか知らないけど。生理?でも頭大丈夫?トレーニングに比べたら大した事ないからシカトしてけど、降り際なんかいやぁな雰囲気があって後ろ振り向いたら長傘を構えてて刺されそうになった。大人気なく傘で傘跳ね返したら、相手のすねに当たって動けなくなってた。あんまりにも頭に来たんで髪の毛掴んで引きずり降ろせばよかったのかとか考えたけど、ほら、成人したらクレバーでありたいし、未成年の頃だってそんな可笑しな事した事ないし。ていうか面識が本当にないし、身の回りも清廉潔白。男女関係や仕事や学校関係で怨みを買うようなことも特に思い至らない。
何度か女性専用車両乗ってるけれど、マジKITTYが多いというか強気で周りに気を使おうとかしない、公共心の欠けた女が多いので出来るだけ普通の車両にのってます☆痴漢?小学校の頃から電車通学でかなり追い回されて相当怖い目みてますが、高校入る前からどういう目つきの奴がやるのか大体わかるので近寄らないしたまに捕まえちゃったりとか(ちゃんと捕まえて引き渡すと色々時間取られて面倒なので手を捻ってその場で罵倒するだけっていうか、罵倒して涙目になっててそれが快感っていうか。)
まあもう痴漢に遭う年でもなくなりました。でも未だにやる奴は分かるし、そこに居た女の子が不自然な勢いで逃げてたりすると、どうやって助けようかとか考える。冤罪だったらかわいそうだからやらないけど。
クソ寒い夜道を自転車で走ってきてようやく自分の部屋に帰り着いて、トイレに入った。そしたら股間の一物がすごく縮みあがってた。特に玉の方、いつもは雑巾みたいにだらしなく垂れ下がってるのが、猫に睨まれたネズミみたいに小さく固くなっている。竿の方もすごい縮小率で、小学生にかえったようだ。なんだかかわいらしかった。それが妙に面白かったんで思わずwebにこのことを書こうと思ったけど、知人が見ているtwitterやはてダに書くと自分の人格を疑われてしまいそうだ。そこで増田に書こうとブラウザを開いたんだが、なんだかキーボードを打つ手にためらいがある。どうしたんだ俺、と自分に問いかけると、だって増田は他のみんなも書いてるんだろう? こんなどうでもいいシモの話題を増田に書くなんて、他の人に良くないんじゃないか? そう訴える声が胸の奥でする。そうか、俺は増田の名誉ってことを考えてるのか。増田の言説の質を自分の衝動で落としていいのか、とためらってるんだな。これって公共心の芽生えってやつかなあ、俺の中の小さな増田の良心……そんなことを考えて、ちょっと感動したのだった。まあ書いちゃったけど。
ほぼ記事タイトル通りの出来事があったので思わず匿名ダイアリー。
(厳密には、八木氏はかつてはつくる会の会長だったが、今はつくる会とは無関係)
書くの初めてなので、読み難ければ申し訳ない。
先に書いておきますと、私は公立校勤務です。
で、私が勤務する地域では、「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書を採択しています。
この教育講演会(教職員一斉研修会)は、教委が主催したもので、基本的に地区内の全職員(学校事務職員も含む)が参加しました。
恥ずかしながら、誰だか知らなかったんですが。
開会前、もらったレジュメを読んでいると、最初に出てきたトピックが
“「不当な支配」の主体の転換”
という内容。
旧教育基本法の、
「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである(旧第十条)」
という規定が、
「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない(改正第十六条)」
と改められたことによって、服してはならない「不当な支配」の主体が、
before:政府の圧力
↓
after:日教組などの職員団体
と変化しており、政府首脳部からもそのような見解に立った発言が相次いでいる……という鋭い指摘。
私としては、
「なるほどそうか……。これは大変だな」
と思ったわけなのですが、その先を読んだら
「……なんか違う?」
なにしろ、いざ講演が始まったら、この
「政府=正当な支配」
「職員組合=不当な支配」
という立場を全面的に賞賛する論調でして。
日教組に参加してる職員が1%切ってる本地区でそんなこと言われてもな……。
(うちの地元には、「教職員協議会」という、日教組とは別の組織があり、これが97%の組織率を誇っています。
方針としては、行政との対話路線。
私もそっちに入っています。
新採の時、勧誘パンフが送られてきて。
「教え子を戦場に送るな!」
って書いてある。
言いたいことはわかるがちょっと引いた。)
内容は、なんというか、ツッコミどころ満載だったんですが、まず特に違和感を感じた点。
講演の中で、エルトゥルル号の遭難とか、有名な“美談”がいくつも紹介されるわけですが、その中に真岡郵便電信局事件の話も出てきました。
第二次大戦末期、樺太にソ連軍が攻め寄せてきた時、最後まで電話交換所に残った女性達が、青酸カリを飲んで自決した事件です。
事件名とか知らなくても、
「みなさん、これが最後です。さようなら……さようなら……」
とかいう台詞は聞いたことある人は多いのでは。
とか褒め称えるわけです。
このエピソードを教育にどう生かせと?
「彼女たちの行動こそ、日本人の鑑、責任に殉じる素晴らしい態度である。
お前達も、もし同じような状況に置かれたら……」
置かれたら?
自分の子どもになんと教えて欲しいかは、人によるかも知れませんが。
私としては、子どもたちには
「なんとしても生き残れ。命を大事にしろ」
……って、教えるべきなんじゃないかと思ったり。
ちなみに、八木氏は全然触れなかったことですけど、その時当直だった女性交換手は、全部で12人いたんです。
で、死ななかった3人は、最初は押し入れとかに隠れててですね。
そのままソ連統治下で職員として再雇用され、日本にも無事に帰ってくるんですけど。
彼女ら3人は、「責任に殉じ」て死ななかった駄目な日本人なんでしょうかね?
少なくとも、八木氏の言う
「ソ連軍は、刑務所から出てきたゴロツキみたいなのを最前線の兵士として送り込むわけですよ。だから、女性は陵辱されたり恐ろしい目に遭わされるわけです」
……というのは、この場合は事実に即してないと思います。
……まあ、ソ連軍がひどかったのはわりとかなり事実だと思うんですけど。
「沖縄というのは、長らく琉球王国という日本とは違う国で、その後は島津の統治下になり、近代化されたのが他の地域よりも遅れた土地なんです。
だからこそ、日本人的であろう、という責任感が逆に強くなって、それでああいう事件が起きたのではないかと思います」
という、目の覚めるような主張を展開します。
なんで目が覚めるかというと、すごいアクロバットだから。論理の。
危険なのでよい子はまねしないでください。
もし沖縄県民があの場にいたらかなり血圧が上がったんじゃないか、と思うんですが、あれはたぶん、戦わずして論敵を脳溢血で葬ろうという高度な戦術なんだと思います。
危険なのでよい子はまねしないでください。
ていうか、「集団自決」と「責任感」がどうつながるのかそもそも良くわからんのですが。
なんか、とにかく死ねば責任感がある、みたいな話で、日本文化の奥深さを感じました。
「命どぅ宝」のお婆さんは、やっぱり駄目な日本人なんじゃろうかね。
近代化が遅れた地域だからな。
あとまあ全般に言いたいことは山ほどあるんですが、重箱の隅つつきは後回しにします。
とにかく、こういう歴史観のリビジョンを促すような講演会に、公務として参加させられるのが、本地区の実態なわけですね。
開会が14:00でしたから、どの学校も特別日課で対応したと思います。
本校でも、当日は授業を午前中で切り上げて参加したわけですよ。
もちろん、講演聞いてる間にも給料が出てます。勤務時間内ですから。
内容に疑問を感じたのは何も私だけではなくて、翌日の職員室では批判大会。
「終わった後、あの先生と偉い人達とで飲み会があったらしいから、八木先生は急いでいたわけじゃないらしい。なのに質疑応答の時間を設けなかったのは、意図的なものに違いない」
……ええーっとですね。
つまり、「つくる会」の教科書を採用した地域の学校だからといって、教員が唯々諾々と「つくる会」史観に染まるわけではない、ということですよ。
このことは、左右どちらの論者にも覚えておいて欲しい、と思います。
我々はロボットではない。
その一存で採択が決まったようなもので。
しかし、「つくる会」教科書を採択した、というだけで、かなり外部からの批判にもさらされてるし、学校現場にも不満があるのが実態です。
なので、教育委員会の方針に疑問を持っている教員を「啓蒙」しよう、というのが、この講演会の趣旨だったんだと思います。
くらいのこと、10分もかけずにわかっちゃうわけですよ。
授業で、“公共心ある日本人”の美談を得々と語って聞かせたら、生徒から史実に基づいたツッコミが入る可能性くらい容易に予想されるじゃないですか?
そういう意味では、都合のいいことだけ書いた教科書というのは、発行する側は気分がいいかもしれないけど、現場の人間にとっては迷惑そのものなわけですよ。
……ああ、そうか、授業で質問の時間を設けなきゃいいわけですね。
率先垂範を地で行っておられる。
で、その他、「作る会」教科書を使ってると高校受験に対応できないとかいう現場の苦悩をよそに、首長とか教育長とか、講演会場の最前列に座っていてですね。
で、講演会が終わった時なんか、立ち上がって喝采してるわけです。
スタンディングオベーションかよ偉い人。
とりあえず絶望した。
現場がなんとかしないとならん。
以下、こまごまとしたこと。
八木氏は、聴衆に「日本の建国はいつか?」と問うて、「それは西暦600から700年前後である」とします。
なぜなら、「日本」という国号が成立し、「公」の意識が誕生したのがその時代だからだ、というのです。
ちなみに、ここで言う「公の意識」とは、天皇を中心とした中央集権体制の確立のことを指します。
天皇は独裁者ではなく、「国家の公的統治を究極において体現すべき地位」だというのですね。
八木氏は、「皇室はニッチ産業」だ、という、寛仁親王の言葉を引用します。
「政府や行政の足りないところを補う。それが、皇室の果たす役割なんです」
「このような皇室の在り方は、古代からずっとそうだったわけです」
いや……そうなの?
「平安時代、貴族は贅沢な生活をしていた一方、庶民は貧しく、奴婢は売買の対象だった」
……とかいう記述を「闘争的だ」と評します。
これらが、マルクスの階級闘争史観に子どもたちを導くものだ、というのです。
君の教科書もまっ赤っか! これはレッドベアーの陰謀だ! 愛國戦隊を呼べ!
……別に教科書の記述は、富裕層の打倒とかを呼びかけるものじゃないし、そもそも平安朝だって、階級闘争によって打倒されたわけじゃないんですが。
なんでマルクス?
明治維新を含めて、日本には「階級闘争」とか「市民革命」とかいうものはないんじゃないですかね。古い見解でしょうか?
「明治維新は、公のために働くことを自己の使命と考えていた武士たちによって実現した改革だった」(「新しい歴史教科書」。レジュメの孫引き)
そんなに昔から日本人の自覚とか公共の意識とかがあったなら、もう少し早く戦国時代が終わりそうなものですが。
武田信玄「こうして同じ日本人同士が争っていても仕方がないじゃないか!」
上杉謙信「そうだとも! 天皇陛下の元にはせ参じ、一つの国を作ろう!」
……みたいに。
八木氏によると、現在の学校教育では、歴史教育で闘争的姿勢を学び、公民教育で具体的な闘争目標を与えられている、というのです。
「公民教科書には、夫婦別姓など、まだ法的に定められてもいないトピックが取り上げられている」
とかいうのが「闘争目標の提示」だと。
……ずいぶんせこいマルクス主義ですね。
仮に、八木氏の言うとおり、飛鳥時代や平安時代がそんなに素晴らしい時代だったとしたら、逆に言って、日本社会は1400年の長きにわたって大して進歩していないことになるんですが、それでいいんでしょうか。
奴婢の話とかって、私は
「私たちの社会は、昔より良くなっているのです」
って趣旨の話だと理解していたんですが。
「人類の歴史は進歩と改良の歴史なのです。私たちも、もっともっと素晴らしい世の中を作っていきましょう。明日が今日より良い日であるように」
的な。
八木氏に言わせるとこれも「闘争的」なのかも知れませんが。
私としては、貴族と平民に大きな差があったとか、事実なんだから仕方ないんじゃないか、と思うんですがどうでしょう。
都合の悪い歴史的事実は教えない、という態度の方が、むしろ我が国を危機に追いやる気がします。
それこそ、遺伝学におけるソビエトのルイセンコ学説みたいに、学問をイデオロギーに従わせようとした挙げ句、研究開発で西側に後れを取るような。
まあ、「歴史は科学ではない」が、「つくる会」の立場なんだそうですが。
でも、望ましい思想を注入するために、歴史的事実の方を改変する、っていうのは、それこそ共産国の十八番なんじゃ。
基本的に「公共の意識」だけで日本の歴史・文化を語ろう、というのは、無理だと思うんです。
「恥の意識」とか「武士道」とかと同様、一言で語りきれるほど、日本人の精神というのは浅薄なものじゃないんじゃないでしょうか。
そもそも、「公共の意識」が飛鳥時代から日本にあった、という主張自体いかがなものか。
確かに「公」という漢字自体は大昔からありますが、古文に出てくる、「公家」とかいうときの「公」と、「public」の訳語としての「公」を同一視するのは誤りだと思うんですが。
八木氏は、「公共」の意識が近代になって成立した、というのは誤りで、日本人の日本人としての自覚はずっと以前から存在した、と言うんですが、それは逆に言って、国民国家建設のために尽力した明治の人々を愚弄するものではないでしょうか。
ちなみに八木氏は、中教審が、縄文時代の記述を重視するよう議論しているのに不満を表明しています。
から、というわけですが、これは循環論法ではないですかね。
逆に、明治憲法や現行憲法の発布、あるいは江戸幕府なり鎌倉幕府なりを「日本」の成立、と見なす立場だってあり得るわけで。
縄文人だって一生懸命に生きていたのだし、彼らが苦労して稲作技術を会得していったからこそ、現代の日本があるわけで。
「縄文人は日本人じゃない」という言いぐさは、縄文人に失礼だと思いますが。
八木氏は、チェスタトンの「伝統とは選挙権の時間的拡大」「死者には墓石で投票してもらわねばならない」なんかを引用して、伝統の大切さ、先祖の意思を尊ぶべきことを訴えるわけですが、縄文人は先祖じゃないらしいです。
……天孫降臨?
ちなみに、八木氏が引用した中には、相田みつをの「自分の番 いのちのバトン」とかまで含まれるんですが、相田さんってそういう主義の人だったのか。
ところで、八木氏は「死者の民主主義」(チェスタトン)がお気に入りのようですが、私はむしろ、「地球は子孫からの預かり物」(ケニアのことわざ)の方が好きです。
死んだ世代の意思よりも、次の世代の幸せの方が重要だ、と、私は信じます(これでも学校関係者のはしくれですから)。
……ケニアのことわざの割に「地球」とか、かなり超訳の気配ですが。
八木氏、「屋久島の灯台守り」という、これまた美談を紹介してくれたんですが。
「顔は土気色」を「どきいろ」ってあんた。
自分で持ち込んだ資料が正しく読めないって、早稲田大学法学部卒が泣くぞ。
日本の文化がどうとか言う前に、八木氏はまず日本語くらいちゃんと読めるようにすべきだと思います。
なんかあれこれコメントをもらってるようなのでここへ部分的に返信。
>教育委員会主催の講演会とかに行って何かを得たことがあるの?
ありますよ。
まあ、教育関係者の講演、というのは、聞いてすぐに教室で使える内容が多い一方、似たような話も多い……というか、教育界の通念を上手にまとめただけの、刺激に乏しい講演も多い、とは思います。
……ちょっと今回は刺激的すぎましたが。
>その場でぶつけてくれたら面白かったのに。
まあ、チキンなので。
偉い人が「つくる会」支持者で、しかも同席してるわけですから。
そこでこれだけのことを言ってしまうと、後々どんな処遇を受けることか。
それはもう、陵辱されたり恐ろしい目に遭わされるわけです。(流言)
それに、ここに書いた内容は、これでも推敲した内容です。
これをとっさに思いつける程度には賢くありたいのですが。
っていうか、偉そうなことを書いておいて恥ずかしいのですが、「女性交換手が12人いた」ということもその時は知らず、家に帰って調べてわかった次第。
でも、何か質問はしてやろう、とは思っていて、講演の間中必死で考えていたのも事実。
「古代以来、皇室はニッチ産業としての役割を果たしてきた、とのお話でしたが、私、不勉強でそういったことを存じませんでした。
そこで、例えば平安時代の朝廷が、そういった役割を果たしていた、という実例を2・3ご教示願えるとありがたいのですが……」
くらいのことを聞いてみよう、と思っていたのですが、本文で書いたとおり、質疑応答の時間がなかったので不発に終わりました。
>自分のはてなダイアリーで書いたら?
少しでも匿名性の高いところで、と思ったのです。
何か使い方として問題がありましたら申し訳ない。
(ていうか、そもそもこの内容自体トラックバックで返すべきなのかも知れませんが、匿名ダイアリーに慣れてないので、返信があちこちにばらけるのが落ち着かないのです。なんでコメント欄がないんだろう)
こんなにブックマークをもらうとは思ってなかったのでちょっと動揺しています。
偉い人にばれたらどうしよう。
>「教職員協議会」つーのは要するに「全日教http://www.ntfj.net/tanidantai/」系団体だよね。共産党系の。
右寄りではないかも知れませんが共産党系とも思ってなかったのですが。「美しい日本人」がどうとかこうとか。どうなんでしょうか。
会員でありながら組織の背後関係とかは知らないのです、申し訳ないです。(でもたぶんみんなそう)
>教師という連中が本当に馬鹿ばっかりでイデオロギーの固まりだということが良くわかった。
ククク、その通り。だが、気付くのが遅すぎたようダな……(ロシア訛り)
今や日本の教育は、我がレッドベアーの(不当な)支配下にあル!
あと10年もすれば、この国はコミンテルンの軍門に降るだろウ……!(遅すぎる)
>大学になるまで歴史教えるのやめちゃえば?自分で判断して学ぶまで教師の馬鹿どもから余計なノイズを入れないで欲しい
難しいところですね。
おっしゃるとおり、批判精神の薄い子どもに、イデオロギー教育をするのは禁忌だと思います。
その一方で、基本的な歴史知識は、全国民が持っているべき教養だとも思うのです。
そして、大学は専門教育の場であるべきで、そういうことに時間を費やすべきではないと考えます。
だから、結局は義務教育に基礎的な歴史教育を盛り込まざるを得ないのではないかと。
その内容としては、重要な歴史的事実を教えるにとどめ、それをどう解釈するか、という思想的側面は、個々人に任されるべきだと思います。
……もっとも、「歴史的事実」というのは現実にはほとんど無限に存在するわけで、その中から何を「重要」として採り上げるかに、思想的問題が絡んで来ざるを得ないのも事実ですが。
エルトゥールル号を採り上げて奴婢は省くのか、その逆をやるのか。
でも、できる限り中立であろうとする姿勢は必要だと思います。
あの時、政府は閣僚以下ブーたれながらもやるべき事はやってたんじゃないの。
よくは知らんけど、裏では色々やってるから不満も出てきてるんだろう…と思っていたけど。
違うのかな?
あれが不可解だったのは、ボランティア達を率先して責め立てたのが
政府以上に、自分たちの足を引っ張ると思われる連中に対しては容赦ない。
個人的には、ああそんなところで皆ヒートアップするんだなあ、て不思議だったけど、
でもそれがやりきれないのは、あれにヒートアップする感性って、日本人のデフォルトの
一種の正義感とか公共心のなせるわざで、けっこう大人の常識の範囲内なんだよなあ。
今、韓国ではどうなんだろう?
NHK問題(asin:4480063366)の冒頭から抜粋
好きになれない人間のタイプが二通りある。「公共性」を口癖のように軽々しく言葉にする手合いと、「ジャーナリズムかくあるべし」と説教する輩だ。
公共性を口にする連中が好きになれないのは、ひとつに、その定義があまりにゆるく、だらしないことがある。「最近の若者には公共心が足りない」云々という言い方など、もはや言いがかりに近い。そこで「公共」の語は、若者以外の「われわれ」を指して使われているにすぎない。最近の若者は気に食わないと言うべきところを、公共性という言葉を持ち出して、あたかも普遍的な議論のように語る。その狡猾さ----しかも底が浅い---が、公共性を口にする人を嫌う理由のひとつになる。
ジャーナリズムかくあるべし論にも同じような欺瞞の匂いがする。ジャーナリズムは、「不偏不党」「客観報道」を心がけ、「権力の監視」を怠ってはならない、---彼らは、そう主張する。
しかし、メディアの歴史を調べることを仕事のひとつにしている筆者の立場からいうと、「かくあるべし論者」が述べるように、ジャーナリズムが中立公正で、客観的かつ科学的で、しかも市民の見方であったためしなど過去に一度もなかった。ジャーナリズムは常に偏り、常に主観的で、非合理的であった。市民の見方になったように見えた時期があったとしても、それは市民社会とジャーナリズム組織の利害がたまたま一致した偶然の結果にすぎない。「お行儀よくできるのにできなかった」のではなく、はじめから「お行儀よくなどできない」ものとして生まれ育ったのがジャーナリズムだということを、その歴史は如実に物語っている。
そんなジャーナリズムに「もっとお行儀よくあれ」というのは無い物ねだりに近い。特に現役ジャーナリストやジャーナリズム出身の大学教授などに、そう主張し、ジャーナリズムの現状を憂いて説教をたれる人が多いのだが、それは歴史に対する無知とご都合主義が加算された産物である。厳しい言い方になるが、彼らにとってジャーナリズムを美化するのは自分を美化するにひとしいのだ。
(略)
そうした批判が、「報道の公共性」について確かな考えをもっているわけではなく、あるいは実りのある議論を重ねてゆこうという強い意志をもっているわけでもなく、ただ「公共性かくあるべし」「ジャーナリストかくあるべし」と、ご都合主義的な理解をし、わかったような気になって、NHKに唾をはきかけるに等しい拙速な行為だからだろう。
google:ジャーナリズム 公共性 site:d.hatena.ne.jpをみると、はてなにもその手の輩がいるようだ。特に「ご都合主義な理解をし、わかった気」になっているところには注意。
http://www.youtube.com/watch?v=bMiNqXPlAro
いいね、この政策
http://www.shimpu.jp/hombu/seisaku/shucho/shucho_03.htm
正統なる国家主権意識の回復による堂々とした外交と力強い政治の実現を!!
○ 自衛隊を正規の軍隊に/イラクへの自衛隊派兵政府方針の無責任追及/保護国条約・日米安保条約体制からの脱却/非核三原則撤廃
○ 北方領土・竹島・尖閣列島に対する露・韓・中国の侵略企図に実力をもって断固たる対応
○ 北朝鮮の国家犯罪である拉致完全解決に武力行使を辞さず/北朝鮮船舶入港全面禁止、強度の経済制裁実行、政府の不作為追及、国内協力者の追及
○ 自虐史観からの脱却を/国旗国歌教育の正常化/反日教育の是正
○ 教育基本法改正/公共心教育の実施/”ゆとり“教育反対/学校の週六日制復活
社会秩序の回復を!!
○ 夫婦別姓反対/家制度再評価/行きすぎた男女共同参画法廃止
○ 農は国の大本・伝統的食文化を見直そう/安易な食糧輸入を排し安全性と自給率及び備蓄向上の食糧政策確立/農家への安易な補助金行政から所得保障制度へ
○ 不法滞在外国人への断固たる対処/入国管理体制強化
○ 間接税から直接税主体の税制に/相続税・贈与税廃止/税金の無駄使い・対中国ODA中止
○ 年金・健保制度を一元化し、基礎部分の税負担化と自助努力保険の並行システム化
○ 首相公選制反対
○ 厳格な政党法制定