はてなキーワード: 食文化とは
誰が買うの?という問題が解決出来ないんだもん。
特にTPPの場合、日本以外の参加国はいずれも食料輸出国なんだわ。余所に売るくらいに食料に不自由してない。そもそも米が主食の国自体が限られてるし、日本の米が受け入れられる食文化ってわけでもない。随分昔にタイ米が日本で総スカン食らった事あったろ?
もちろんそんな国でも輸入品目はあるけど、それでも日本の農業を潤すほどの規模じゃない。だって、アメリカ以外は日本の1割かそれ以下の経済規模しかない国ばかりだもん。それに、そもそも日本の農業に余所に売るほどの耕作能力が無い。
いわば、自前の畑で自給自足しつつ余った野菜を売って生活してる低所得者に、家庭菜園で採れた米だの野菜だのを相場の数倍の値段で売るようなもんだと思えばいい。
じゃあアメリカが日本産をがっつり買うのかというと、そもそもTPPはアメリカが輸出を増やすために言い出した案件なので、これで日本からの輸入が伸びる望みは絶望的に薄い。
・江戸時代までは完全に下魚扱い。ヅケが発明されてようやく少し見直される
・美味いもの扱いされるのは70年代から。それまではマグロ輸出額>輸入額ってくらい大事にしてなかった
・地中海沿岸では昔からメジャーな食べ物。旧石器時代の洞窟からマグロの骨でできた釣り針が発見されている
・日本人は捨ててしまう卵巣もカラスミにして食べるほどマグロ食文化が発達
・ちなみに戦前の日本ではツナ缶は100%輸出製品。国内で食べられるようになるのは戦後になってから
世界各国
・70年代から世界各国でマグロ消費量が増加するが、増えた分はほぼすべてツナ缶。刺身や寿司などの日本食ブームは誤差程度。ツナ缶だからむしろアメリカ食ブーム
地熱発電の利用拡大に伴い、各地の温泉地付近に地熱発電所が建設されるが、その結果として温泉の枯渇が取り沙汰されるようになる。
そんなある日、山岡夫妻行きつけの温泉付近に、大規模地熱発電所の建設計画が持ち上がる。現地の反対運動に参加している山岡夫妻たちの前に、経産省の官僚と電力会社の幹部が現れて、説得を始める。
電力不足の時代には地熱発電所が必要であること、温泉資源が枯渇する可能性はあくまで仮説であり、因果関係は実証されていないこと、たとえ仮に因果関係があるとしても経済価値を考えれば地熱発電所の生み出す経済効果の方が遥かに大きい事を説く。
山岡「ふざけるんじゃない、経済効果とやらの為に、日本の温泉文化が失われてもいいってのか」
で、山岡さんが経産省官僚と電力会社幹部を別府鉄輪温泉に連れてって(陶山陶人辺りに誘いを掛けさせて、二人を呼び込むとかなら、まあ自然な流れだろう)、地鶏の地獄蒸しやらプリンやら地獄釜フルコースを食わせる。で、昔からの長逗留文化があることを解説する。
山岡「経済成長を追い求めた結果が福島原発の事故だ。あの事故で福島の貴重な食文化や農業が大打撃を受けた」
理屈バカの俺がまったくの初心者がとっつきやすい本を紹介するぞ。
調理に入る前に気分を高める本
現存する料理の原型から考察することで、個々の調理工程の化学的な本質が見えてくる。
たとえばシチューやカレーの"ルー"とはどういう必要性で、どういう技術革新によって、どういう世界で生まれどう発展したのか、という感じの書き方。
これは文化論的なエッセイ。日本人にとって、という視点が強い。
右手に包丁はほとんど読み物だが、これはずいぶんと理屈っぽい。
・大使閣下の料理人 (モーニングKC)西村 ミツル, かわすみ ひろし
技術編
家庭科の実習書あたり。
食品成分表をあわせて読むこと。
応用編
・割合で覚える和の基本 村田 吉弘
割合で味付けを決めてしまうからかなり乱暴だが、味見しなくともそこそこ美味しい味付けになる。
・大好きな炒めもの ウー ウェン
http://umiurimasu.exblog.jp/12210453
多神教がどうとか、食文化がどうとか、本当にくっだらないと思う。ちゃんとラヴクラフト嫁と思ったのでつらつらと書いてみる。
ラヴクラフトのクトゥルー神話が「ホラー」であるのは、「おれたちの信じているキリスト教の神さまの他にも神様がいるなんて!」ということではない。
ラヴクラフトのクトゥルー神話が「ホラー」であるのは、「自分の信じていた世界観はじつは嘘っぱちだ」ということにある。
例えば、俺は生きてメシをくって仕事をしてSEXをして子どもを育てるわけだ。
俺は日本という国に生まれて、その文化や自然や人々の共同体を愛しているわけだ。
そんな平凡な俺っちが、クトゥルーという存在を知ってしまうと、その全ては無価値なものだということに気付く。
日本という国も、そこで千年だか二千年だかの間にはぐくまれてきた文化というやつも世界全体から見た場合には実は無価値なのだ。
俺たちの人生や世界というものは、いってみれば犬の毛の中に住むダニたちが作り上げた世界と同じようなものだ。
それらは、クトゥルーがちょっと身じろぎしただけでも崩れ去るわけだし、今自分たちの所属している世界観が崩れ去ることは予め決まっている。
自分が生きていることも、生きて何か仕事を残したとしても、子孫を作ることも育てることも、それはすべてクトゥルーの前では無価値なのだ。
そういう認識に立った場合、俺は自分の存在することの意味が見いだせなくなる。
じぶんがここに存在することも、自分の子どもが存在することも、自分の親が存在することも、自分がなにかに努力していたとしても、何かに幸福を感じたとしても、それは全て意味がないのだ。
自分が拠って立っていた世界観が崩壊して、たったひとり、自分が何者かもわからなくなって虚空に落ちていく感覚。
おれ、大学のときラヴクラフト全集3冊読んだぐらいだから間違ってたらすまん。
それは魚介類だとか、自分の信仰だとか、そういうのとは本当にまったく無関係に「怖い」とおもったし、救いようのないアンハッピーエンドで終わる「セカイ系」のラノベ短編集みたいな感覚で結構面白かったよ。
http://anond.hatelabo.jp/20090530044416
http://anond.hatelabo.jp/20101005213121
自炊好きなので、日常生活での不便は感じていないのですが、菜食対応可能な場所はわずかなので、外国からの旅行者の方は苦労されていると思います。最近、自発的に外食するなら、菜食用レストラン(偶然近所に…)か、本格インド料理(人口の60%が菜食主義)の2択ですね。誰かご一緒する場合は、、、相手の食べたい物を食べてもらって、自分は横でお茶を飲みながら枝豆をつまんだりしています。
http://anond.hatelabo.jp/20101005213121
ご質問ありがとうございます。
8.栄養面で気をつけていることはあるか?
菜食で不足しがちな栄養素として代表的なものは、ビタミンB12とDHA/EPAがあるのですが、 前者は、海苔またはビール酵母。後者は、えごま油や亜麻仁油から摂ることができると聞き、海苔とえごま油は小まめに摂取してみています。タンパク質は、普通に生活する分には豆類ナッツ類からの摂取で1日の必要摂取量(成人女子50g)はまかなえますが、アスリートの方はむつかしいかもしれません。。
自分は今のところとくに問題がないのですが、食事と体調の関係は個人差も大きいので、一概には言えないんです。。私自身は、母方の祖父母が山深い村の出身で、母も子供時代は肉どころか魚すらめったに口にすることはなかったそうです。(その後、都市部に出てきてはじめて肉を食べたとの事。)そういう事も、自分の“肉なし魚なしで問題が起こらない”状態に関係している気がします。
9.肉風味(かつおぶしの香やコンソメやブイヨン)も苦手なの?
2年目までは、固形物抜きのおだしやコンソメ、大丈夫だったのですが、3年目あたりから“におい”の感じ方が変わって、受け付けなくなりました。
10.ぶっちゃけ外で食えるもの(外食もコンビニも含め)ってなくない?
お弁当を作れなかった日は、野菜ジュース+アーモンドなどのナッツ類にしています。満腹になると眠気で午後の能率も落ちるので、もともとお昼は"軽め”が好きなので。外食は、上述の通り、自発的に行くなら“菜食レストラン”か“本格インド料理”…つきあいでだったらどこへでも行き、お茶を飲んだり、枝豆を食べたり。
朝晩ちゃんとご飯をつくれる時期は、健康的な食生活を遅れていると思うのですが、忙しい時は結構ひどいです。
純粋に健康のためなら、100%菜食にするよりも、85~90%菜食+15~10%魚介類+0~5%肉類ぐらいが、日本人の体質にはあっている気がします。1度食べなくなると“匂い”の感覚が変わって体が受け付けなくなるし、そうなってくると(日本では特に)社交上の支障が出てくる場合もあるので…、家族や友人には勧めたいとは思いません。
http://anond.hatelabo.jp/20101005213121
“ベジ=本当は「肉食ってる奴らバカじゃないの?」って態度”とするのは、過度の一般化ではないでしょうか。
同じ東アジア圏内でも、『台湾の、人口の3割が菜食主義の素食文化』と、『韓国の、あらゆる部位を堪能する焼肉文化』…非常に対照的ですが、それぞれ歴史があり、優劣などなく、どちらも文化として尊重されるべきだと思っています。
多様な食文化に寛容な社会で『菜食主義』と名乗ることは、<ごはんorパン>程度の嗜好の表明にすぎないのですが、“郷に入れば郷に従え”の根強い日本で『菜食』を言うと、…-喫煙ルームに入ってきて黒ずんだ肺の断面図を掲げるような無神経な態度ー…、相手の気分を害する態度…と受け取られることがあるので、言い方や断り方にはすごく神経質になっています。
ベジタリアンなど許せない!と感じる方もいらっしゃるし、理解を示してくださる方も、もちろんいます。
これから日本の食に対する価値観がどのように変わっていくのか、それとも保守性を貫いていくのか、…見守っていきたいと思っています。
自分はホメオパシーは信じないし、「水疱瘡パーティー」には否定的だし、
恐らく科学リテラシーの高い「はてなー」から猛反発を受けるだろうが、それは承知の上の投稿。
水疱瘡に罹患した場合、学校保健法により出席停止の措置が取られる。
勿論、これは「強力な感染力を有する水痘の感染防止」のための措置であるが、
「感染による損害リスク」と「出席停止措置による損害リスク」を両天秤にかけてみた場合、
「出席停止による損害リスク」の方が高いのではないか?
勿論、水疱瘡患者が登校した結果、感染を拡げてしまい、その結果
重篤化、あるいは死亡する児童が発生する確率があることは否定しない。
理想論で「水疱瘡感染拡大リスクは極小化すべき」ということになるのだろう。
しかし、他方で、「出席停止措置」によって、
「一人に置いておけない児童の『チャイルドシッター』役として、親が付きっ切りになる」必要がある。
水疱瘡の場合、「発疹が出ている以外は、熱も無く登校する元気がある」という児童も少なくない。
ありていに言えば、
「学校保健法がなければ、こういう児童は登校できるので、保護者が付きっ切りになる必要はない」のである。
我が家は妻が専業主婦だから、まあ付きっ切りになることはそんなに負担ではない。
しかし共働きの家庭の場合、「かさぶたが取れて登校許可が出るまでの一週間、付きっ切りになる」
ことは即ち「仕事を休む」ことと同義である。
(病児保育が普及していればいいのだが・・・)
つまり、学校保健法により、共働き世帯には過重負担、コストが掛かっているのである。
「出席停止措置によって保護者が抱え込む付き添いコスト」を冷静に比較すれば、
「付き添いコスト」の方が大きいのではないか?
生命にかかわることを、経済評価で切り捨てるべきじゃない、という反論もあるだろう。
しかし、例えば「餅」が高齢者の窒息を招くことは確率論的に確かめられているのに、
「餅」の販売はそのまま継続されている。
生命にかかわるコスト評価より、経済的コスト、あるいは「餅という食文化の維持」を
優先させているのである。
思ってしまう。
まあ、感染させたくない保護者にとっては、感染児が登校してくることは
なかなか容認しがたいことかもしれないが、
おええええええええ。
観覧注意って書いてたけど、なんか見ないといけないと思って見ちゃった。
『え?なんでこんなことするのー・・(´;ω;`)』って、とっさに思ったのだけど、
私たちも牛鶏豚とか命を毎日おいしく頂いてるのだし、
人間なんてなんでも食べるのだし、食文化なんか国によって違うのだし、
まして何を食べるかどうかもその人の価値観によって違うのだから
私自身は基本的にとやかく言うもんでないと思ってる。
こうやって動画として見てしまうと正直良い気分はしない。
それでも、私たちは何かの命を犠牲に食べて生きていかないといけないわけで。
実際お肉はおいしいものだ。(植物も生きてるけどね。ま、それは置いといて。)
パックに入って綺麗に包装されたお肉を頂く前には、必ずこういう現場があるわけで。
グロテスクな作業を省いて我々日本人はお肉を頂けてるのは幸せなのかもしれない。
(個人的には幸せ・・。)
やはり、毎日おいしく食べることができることは幸せなんだし、
感謝は忘れてはならぬのだなと改めて思った。
というか、(自分が生きてる限り)そうとしか結論付けできない。
ご注意を。
外国人が日本の食文化に感じるカルチャーショックを紹介したアメーバニュースの記事を二次紹介した記事で、白子、いなごの佃煮、馬刺し、納豆、河豚などが挙がっています。
そのブログでは更にもう一つ
と言う記事が紹介されています。
http://www.loneleeplanet.com/blogs/loneleeplanet/wp-content/uploads/2010/02/shirako1.jpg
やはり盛り付けと言うのは大事なのでしょう。
ここで、あれ、どこかで似た構図を?と気になり、思い出したのが昨晩の夜のオカズ探し。
昨晩は「中田氏」画像とか良いな、と思いGoogleの画像検索でセーフサーチをオフにして「中出し」と検索をしていたのです。
その過程で、ふと洋物が見たくなり「Internal Cumshot」や「cream pie」と早速検索。
すると・・・グロイ。
英米欧の連中は、盛り付け方ってのを知らんのじゃないかな。
と思ったこととリンクしました。
ばばーん、と出せば良いってもんじゃ無いのだよ。
食も。エロも!
仕事の関係で海外で暮らしている。現地では数少ない日本人駐在員という立場で、社員の数は日本人より現地人のほうが多い。当然、現地で暮らすわけだから現地の文化を受け入れてやっていくしかないということはわかっている。腹が立つこともたくさんあるけれど、日本人が几帳面すぎるんだと思ってある程度は我慢している。そんな中でただ一つ納得いかないことがある。
それは、ご飯をよく食べるかどうかで現地の文化を受け入れられているかを判断されること。俺は基本的に日本食以外のご飯が好きじゃない。そりゃあ接待とかだったら「美味しいです」なんてにっこり笑顔で言えるぐらいの常識は備わっているが、こっちに来てそこそこ経つのに同僚の前でまで我慢して現地食を食べたいとは思わない。できれば飯抜きでいいくらいだ。俺がちょっとでもご飯を残すと、現地の社員は「またおまえは食えないのか?いい加減慣れろよ」なんて言ってくる。
俺と反対にもう一人の日本人駐在員はなんでも食べる。ばくばく食べる。だから現地社員も俺とそいつを比べて「ほら、こいつはちゃんと食べてるだろ」って言う。しるか。まあ、納得いかないにしろそいつがご飯をしっかり食べてるのはすごいと思う。でも俺は食べたくてもダメなんだよ。別に努力しなかったわけじゃない。
いや、ここまではいいんだよ。俺はご飯が食べれない。あいつはご飯が食べられる。どっちが現地の文化を受け入れているかって、この時点ではそりゃあ俺じゃない。だが、そいつはご飯以外の文化を受け入れているとは言い難い。だから俺は納得いかない訳だ。具体的に例を出すと、交通機関の使い方。俺はなんでも使う。電車でもバスでもタクシーでも、経費と相談して効率のいい乗り物を選択している。ところが飯はばくばく食べるそいつは通勤にすらタクシーを使ってる。しかも経費でだ。理由を聞くと「地下鉄は混んでるし、バスは乗り方がわからん」と言う。他にもたくさんある。
とまあ、ここでどれだけ言おうが、文化といえば一番わかりやすいのが食文化だ。それに順応しているかどうかで判断されるのは仕方無いのかもしれない。これからも俺は文化を受け入れられていない人間で、あいつは文化を受け入れている人間という評価になるのだろう。本当にくだらない悩みだ。でも、ただ悲しかったから書いた。
あ、うん、だから元増田が書いている自由ってのは、一般的には社会的抑圧からの自由行為なのであって、それを知らずに自然法則からみたら全く自由ではない、というのは議論のための議論でしかない、ということ。
渡辺昇一が「日本では自由と民主主義がセットのような感覚でいるけど、欧米では別個のものとして認知されている。民主主義がガチガチの“しきたり”を選択するのはよくあること」と書いていた。
社会にある諸々の「解放運動」も、社会的抑圧からの解放を謳っているのであって、捕鯨反対運動は別に「鯨食文化からの解放(自由)」を謳っているわけではない。
女性解放運動だって社会の男女差別や、裁判なんかで女性に我慢を強いる文化からの解放運動であって、自然法則をやり玉に挙げている団体はほとんど相手にされずに泡沫運動となっている。
コメに代表される炭水化物中心の食生活とアルコールが好まれる食文化のせいで、
ビタミンB群が過剰に摂取される炭水化物とアルコールの代謝に使われて
脳の代謝にまで栄養分が回らず、脳がセロトニン不足に陥るからではないかとの仮説を私は持っている。
参考リンク
http://orthomolecule.jugem.jp/?eid=73
http://www.karadakara.com/col/vitaminB1.html
http://www.kinnikuguide.com/eiyouso/carbohydrate/
http://allabout.co.jp/gs/medicalfood/closeup/CU20070621A/
http://allabout.co.jp/health/healthfood/closeup/CU20080225A/index2.htm
『30代がいますぐ自殺するべきいくつかの理由』なるエントリを見たのだが、
この記事(というか、リンク集か)を書いた人は酒と炭水化物中心の食生活を改めて鶏肉豚肉大豆製品をもっと意識して摂取してみてはどうだろうか。
思ったより効果があるかもしれない。
かつてあれほど横暴を極めたはてサも今はもはや見るも哀れな姿となっており、
一方ではてなのネトウヨは量産型のつまらない奴でヲチする価値すらない。
放置しておけばはてな総合スレ同様、そのうちに自然消滅するはず。
ところが、誰かのお陰でこのスレは、スレ番だけは非常に速く進行している。
その結果、いつまで経ってもdat落ちすることがない。
荒らされた住人も意地があるから、このスレを荒らしに乗っ取られないためだけにでも
何が何でもこのスレを存続させようとする。
わかるかな。このスレの存続に一番貢献しているのは君なんだよ。
君らはシー・シェパードみたいなもんだ。
放置しておけば一部沿岸地域の郷土料理として僅かに命脈を保つだけに成り果てるはずの
日本の鯨食文化に絶えず油を注ぎ続けていつまでも生きながらえさせているのは、
普通の人間は、ああいう連中に屈服させられるくらいなら多少のことはするからね。
そういう人間心理というものを考えてもう少し賢く振る舞おうということを考えないのかね。
他国の食文化に口出すな!『ザ・コーヴ』 の波紋 「アンカー」より
ttp://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid798.html#sequel
「アングロ・サクソン民族は自らを地球の最上位に据える。次に彼等以外の白人がくる。その次には彼等が自分たちと同じ権利を認めたい動物がランクされる。類人猿、犬、鯨類であろう。その下に有色人種を置く。日本人が1ランク上位の鯨類に手をかけることは倫理に反する、ということになる」
〈中略。以下、1978年6月のロンドンにおけるIWC年次会議での出来事〉
会議の最終日の6月30日午後、会場のマウント・ロイヤル・ホテルに反捕鯨団体の活動家約30人が乱入、会議場の中央のスペースに座り込んで集会を開いた。
日本、ロシアなどの捕鯨国に対して弾劾文を読み上げ、それに対してもっとも反捕鯨の行動をとったフランスに表彰状を手渡す。集会が終了して退場する際に、信じられないことが起こった。反捕鯨団体のメンバーたちが、瓶につめて持っていた赤い染料水を日本代表団に向かって振りかけたのである。
「マーダー(クジラ殺し)」「バーバーリアン(野蛮人め)!」「これはオマエたちが殺したクジラの血だ!」
こんな罵声とともに振ってきた赤い水は日本代表団員の頭、肩、膝に、あたかも本物の血痕のように染み付いた。
日本経済新聞社の論説委員長を務めたこともある、当時社会評論家の故大和勇三はオブザーバーとして取材をかねて会場にいたが、帰国後、講演のたびに次のように語っていた。
「彼らはロシア、ノルウェー、アイスランド、スペインなどの白人捕鯨国の席には目もくれず、唯一の有色捕鯨国である日本代表団にだけ向かって赤い水をぶっかけた。人種差別に他ならない。アメリカが第二次大戦中、日系人だけを収容所に入れ、原爆を交戦国の中でイタリア、ドイツではなく日本に落としたのと通ずるところがある」
the cove
ttp://tamesue.cocolog-nifty.com/samurai/2010/03/the-cove.html
愚行権という言葉を以前聞いて、これはなるほど世界に広げたい言葉だと思った事があります。言い換えれば寛容です。人が自分にとって愚かな行為をしているとしたとしても、自分に危害が加えられない以上、それを許容するという考えです。
アメリカは比較的、愚行権の範囲が広い国です。どこで誰が何をしていても、そして主張していても基本的には許されます。グラウンドキャニオンにも柵がほとんどありません。死ぬのも生きるのも、自分でどうぞ。基本姿勢はこれであります。
転じて日本は、愚行権の範囲が狭い国です。どこで誰が何かをするのは、人々に取って他人事ではありません。人は人前でどう振る舞うべきかを意識します。人々はなるべく全体として統一感を大切にしようとします。和をもって尊しとなすであります。
しかし、国の中で起きている事と、外で起きている事は大きく違います。
アメリカはひとたび海を跨げば、愚行権の狭い国に転じます。許せないものは許せない。正義は世界で只一つ。大げさに言うとそういう姿勢で外交を行っている国です。というより、国の原則的なあり方は暴力装置あってこそだと固く意識している国です。
日本はひとたび海を跨げば、愚行権の範囲のきわめて広い国になります。大方の事は許し、寛容の精神をもって接します。まあまあ、そんなに力まなくても。みんな違ってみんないい。基本的な外交姿勢はこうでしょう。切れるといくとこまでいってしまいますが、そうなるまでは寛容の国であります。
文化と正義の狭間です。例えば人食文化をもつ民族を世界は許すのか。女性蔑視、部族間で女性、子供を売り買いする文化を愚行権の範囲とするのか。幼い頃から首に輪っかをつけて首を伸ばす文化は、人権侵害に値しないのか。global warmingは?
文化は時に、他の文化の琴線に触れます。どうしても許せないものに触れた時、人はそこに介入し争いが起きます。
アメリカは人々に自分自身を持ちなさいと教育します。そして主張し、自分らしく生きなさいと教えます。正しい事は自らが決めるのです。
人生は豊かになります。独立自尊の精神が育まれます。しかし、何か信じ込んだものがあるとそこに暴走する癖もあります。他人の声や、客観的な視点は欠けがちなのが西洋文化です。そしていったん何かを信じると、愚行権の一切合切は正義の名の下に遠くに消し飛びます。
人様が何を食べるかなんて、ほっておけばいい事。私はそう思いますが、アメリカ人の一部はそう思っていないのでしょう。イルカは食べちゃいけません。そう、おっしゃった神様がアメリカのどこかにいるのかもしれません。
食わずには生きておられぬのが生き物です。そしてまた、生き物に順列はなく、万物は今一瞬姿をこの形にしているだけで、所詮はDNAの只の運び舟です。生きとし生けるものの業であります。
グラウンドで時々、肩に力が入って前に進んでいないアメリカ人を見ます。
肩や脚を気にせずにぼんやりと全体を眺める。そうすれば全ては繋がっていて、どこが大事でもどこが不必要でも無い事に気付きます。動きとはそういうもの、肝心なのは大きな流れに逆らって歪めてしまわぬ事です。
ttp://nihon9999.blog77.fc2.com/blog-entry-4287.html
1 名前: ◆SCHearTCPU @胸のときめき▲φ ★[tokimeki2ch@gmail.com] 投稿日:2010/02/12(金) 07:36:36 ID:???0 ?PLT(12556)
和歌山、高知、千葉、東北地方など国内各地の沿岸地域には、古くからクジラ漁の歴史がある。
長崎県新上五島(しんかみごとう)町の有川地区も伝統的にクジラ漁が盛んだった。
今でも冠婚葬祭などの地域の行事にはクジラの刺し身は欠かせない料理。
クジラでだしを取ったうどんは、どこの家庭でも親しまれている。
有川町漁業協同組合(中山弘光組合長)の浜崎永吉参事は「昔から鯨食文化があり、今も当然のように食べている」と強調。環境保護を標榜(ひょうぼう)する米団体シー・シェパード(SS)の抗議活動については、「受け入れられない主張だ。
クジラを食べるのは、欧米人が牛肉を食べているのと同様に文化だ」と話す。
「クジラなどの哺乳(ほにゅう)類保護、動物愛護という意見はあってもよいが、暴力的な抗議活動を行うことは許されない」と批判する。
SSに対し、政府はいまでこそ対策を積極的に検討している。
「予算がかかっても海上保安庁の巡視艇を警備に派遣すべきだ」という声も高まりつつある。
しかし、数年前までは妨害を受けても、政府は「とにかく逃げろ」と指示するばかりだった。
背景にあったのは捕鯨の是非が議論され続けている国際捕鯨委員会(IWC)。
賛成派と反捕鯨国の勢力が拮抗(きっこう)しており、水産庁を中心に「SSに対抗すれば、逆に反捕鯨派を刺激し、勢いづかせる」という考えが根強かった。
そうした考え方が変わったターニングポイントは平成20年だった。
その前年、南極海で捕鯨船にSS活動家が乗り込んでくる“事件”が発生し、船員らは活動家の身柄を拘束した。
しかし、政府は反捕鯨国オーストラリアへの引き渡しを決め、実質的に釈放した。
「トラブルを拡大しない」。
そんな考え方があったが、SSはその後も妨害を繰り返している。
トラブルを拡大しているのはSSの方だった。
(»2へ)
+*+ 産経ニュース 2010/02/12[07:36:36] +*+*
ttp://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100212/crm1002120008000-n1.htm
2 名前: ◆SCHearTCPU @胸のときめき▲φ ★[sage tokimeki2ch@gmail.com] 投稿日:2010/02/12(金) 07:37:06 ID:???0 ?PLT(12556)
「なぜ、あのとき逮捕しなかったのか」。
公海上でも日本船への不法侵入者は日本の法律が適用されるため、逮捕もできた。
批判は高まり、日本側は少しずつ対SS強硬策にかじを切り始めた。
政権交代を果たした民主党は昨年末になって、捕鯨や船舶関係者からSS問題などについて意見を聴く議員協議会を開いた。
その場で、全日本海員組合の近英男(こん・ひでお)水産部長が、大きな声を張り上げた。
「国民がテロに近い暴力にさらされ、生命の危機を感じているのに、助けようとしない政府がどこにあるのか」
「政治に、なんとかしてもらいたい」。
多くの出席者から不満が漏れた。
SSの公海上での暴力行為に対して、日本の現行法制は逮捕など取り締まりを認めていない。
国連海洋法条約は、海賊ならば公海上でも逮捕を認めているが、政府は「海賊とはいえない」との外務省の見解を採用している。
環境保護を主張するSSは、略奪目的の「海賊」ではないという解釈だ。
昨年3月には石破茂前農水相が「SSは海賊と同じだ」として、ソマリア沖の海賊を取り締まる海賊対処法を適用するよう求め、それが拒否されるとSSを対象にした新たな新法制定を求め、水面下で法案の骨子まで作成した。
しかし、それも政権交代によって、握りつぶされた形になっている。
今の政府の大勢は法整備に冷ややかだ。
「ただ、船員の安全を守ってほしい、それだけなのに…」
近部長はそう話す。
SSの暴力を野放しにすることで、重大な人的被害を受ける可能性は強まる。
そのときまで問題を放置していいのか。
日本の調査捕鯨船団はいまもSSの脅威にさらされながら、南極海で航海を続けている。
21 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2010/02/12(金) 07:49:15 ID:vlGJ4gNxO
59 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2010/02/12(金) 08:14:15 ID:bpkYjug+0
»21
異の地を守りたい
(自身の政治生)命を守りたい
55 名前:名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2010/02/12(金) 08:11:37 ID:h0KDSErH0
みんしゅとうって、なんのおしごとやってるの?
63 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2010/02/12(金) 08:17:43 ID:bpkYjug+0
»55
ttp://www.asahi.com/politics/update/0211/TKY201002110253.html
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100211-00000068-mai-pol
岡田外相、外国人参政権で明言避ける 韓国外相「普天間問題に関心」
ttp://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100212/plc1002120021000-n1.htm
65 名前:名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2010/02/12(金) 08:21:04 ID:IPbYoRr+0
あれ?
「命を守る政治!」とか言ってなかったっけ?
69 名前:名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2010/02/12(金) 08:24:28 ID:IT0EaFLM0
»65
鯨の命を守ります。
214 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2010/02/12(金) 11:20:30 ID:c7QceIa80
この様子は、米CS放送局のアニマル・プラネットのカメラマンが撮影。
映像は、今年夏から同局で放送されるシー・シェパードのドキュメンタリー番組「鯨戦争」シーズン3に反映されるものと思われる。
ttp://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100212/crm1002120935007-n1.htm
なんせ迫力のある狩りの映像を撮らなきゃならんからな。
近頃、日本のイルカ狩りに対する批判の記事、また批判の批判に関する記事ををよく目にする。
いつも決まって出てくる意見は二つあって、一つは「他国の食文化に非寛容なのはアホウ」というもので、もう一つは「だったらお前らブタもウシも食うな」というものだ。
一つ目の「他国の食文化に非寛容なのはアホウ」という意見に関してだが、これは日本人がダブルスタンダードを嫌うというか、しっかりしているというか、韓国国内でも批判の多い「イヌ食い」に対して日本人はとても寛容だ。普段、「韓国人よ、地球上からいなくなれ」とか言ってる人たちも、イヌ食いに関しては、「まあ文化だから俺たちがとやかくいうことではない」という意見がほとんどで、いろんな意味でびっくりしてしまう。
でも個人的には、「文化」という概念に疑問を感じる。例えば少し前も、割礼に関する議論が沸き起こったが、女性の陰核だの小陰唇だのを切除するというと、いくら文化だといっても問題を感じる人も多いし、もっと言えば、人柱だとか、人身御供だとか、人間の命にかかわることだって、「文化」であったわけで、仮にどこかの少数民族が文化として人柱の風習を残していたとして、それでも寛容に振舞うべきなのだろうか。
結局文化といっても、近代的な目で見たときに、近代の法に触れているわけではないし、という理由で「文化」として認められるだけで、文化か蛮行かという区別なんて、判断する時期によって異なっていくものだと思える。
もう一つの「じゃあブタもウシも食うな」とか「お前はベジタリアンなのか」とか、切り札のように言う人に聞きたいのだが、自分の友人がブタを家族のように可愛がっていて、その友人の前で、「ブタって食うと美味い」と言ってしまうのだろうか。ブタが美味いと考えていても、ブタを生き物として愛している人の前でブタを食料として扱うことを躊躇うだけの配慮は持っていないのだろうか。たしかに豚肉は美味いけど、ブタを肉として考えていない人の前では、それを認めるのが友人だし、人間の優しさなのではないだろうか。
ネットの議論を見ていると、「論理的な意見」というのが「感情的な主張」より正しく尊いものとされているようだが、そもそも論理の元となる法だの規則だのは、人の感情の最大公約数をとって作られたもののはずだし、感情は論理に先立ってあるものなのではないだろうか。だって、「人殺しは禁止」という法律があるから、「人殺しが罪」になるのではなく、「自分や大事な人がむやみに殺されちゃたまんない」という気持ちが先にあって、「じゃ、人殺しは禁止にしましょう」となったわけでしょう?
だから豪州を中心に、西洋人が「イルカが可愛そう、クジラが可愛そう」と感情的に言っているとしても、クールに「でもあんたらウシ食うよね」と言ってもそれは通じないと思う。また友人が大切にしているものを貶めないという、人間の高度な感情をどんどん拡大していくと、「俺、豚肉好きだけど、お前のことはもっと大事だから、ブタ食うのやめるよ」とならないだろうか。
僕は韓国でイヌが肉として売られているのを見たことがある。そこにはペットとして飼われていたイヌが病気になったとか、不要になったとか、そういう理由で売られていたし、また食用として最初から飼われていたイヌは、病気にならないように薬漬けにされていて、苦痛を与えないように殺すとかそういう配慮は全くなく、痛みも感情もない物として扱われていた。こういうのを見ると僕は、感情的に「これは間違っている」と感じるし、文化だとはとても思えない。
「ブタ、ウシはよくて、イヌ、イルカはだめ」という意見を感情的な意見と切り捨てるのは簡単だけど、日の丸を燃やされてむかつく人がいるように、イヌ、イルカが食料にされてむかつく人が確かにいるわけで、それについて何らかの配慮をしていく、もしくは配慮することができるのが、高度な感情をもった人間の姿なのではないか、と思う。
もちろん、「だが、食う」という選択をしてもいいと思う。しかし「文化だから」「人は動物の命を奪って生きていくものだ」で思考を止めないで、「人の嫌がることはなるべくしないほうがいい」という視点にもう一度立ち返って欲しいとおもう。
横だけど。
現実問題として屠殺では動物の苦痛を最小化するよう努力が払われている。
そう言った努力を全否定するわけ?
屠殺される動物の苦痛の最小化が倫理的な努力として評価されるべきだ、というのは、それほど自明かな?
人権思想がカバーできる範囲ではないから、宗教やら道徳やらの領域になる。全否定でも間違いとは思えない。
個人的には、牛とかはあんまり痛くないように殺してやったほうが気分いいけど、それが「善」かどうかは微妙。
白魚の踊り食いには倫理感情は刺激されないし、食文化として擁護したい。
でもあなたの書き方だとそれで論破できたみたいだね。よくそれで相手が納得したと思う。
相手の立ち位置や価値観によってはこれで納得というか、返答に窮する可能性は十分にあるよ。
そいつはベジタリアンではなく、人道的屠殺論に欺瞞を指摘されて何か感じ入るような感性の持ち主だったんだろ。
人道的屠殺論は理論というよりは主観・感情の領域だと思うから、論破というのは少し違うかもだけどな。
君の言うとおりそうじゃない人もいるだろうが、俺は、その部分は別に作り話だとは感じなかったな。