はてなキーワード: 国歌とは
1974年に開館した「船の科学館」が、今年9月末で本館展示を休止する。
近くの日本科学未来館には3回ほど行ったことがあるし、お台場メディアージュの中にあるソニーエクスプローラサイエンスにも1回行ったのだが(どちらもオススメ)、船の科学館は一度も行ったことが無かった。
ので昨日行ってきた。
「原子力の平和利用」という言葉の意味が変わってしまった今となっては複雑な思いで見る、原子力船むつの1/50模型。
スクリュープロペラを持たない(!)超電導電磁推進船なんて研究があった(日本が完成させ、そして消えていった)という驚きの事実。
「バルバスバウ」といえば某バーチャロンを思い出すけど、本当はそれは船首構造の名前だったということ(http://p.tl/mNmu)。
ラジコン模型でしか知らない水陸両用ホバークラフトの実物が、人を乗せて航行/走行している映像。
駆け足で見たのだけど、船に詳しくない私でも色々と興味を持って知識を得ることができて、とても面白かった。
休止前の特別料金で、ふつう700円のところ200円なので、興味と時間がある方はぜひ行くといいと思う。
それはともかく。
いったん本館から出て南極観測船「宗谷」を見学しようとすると、道路側にとんでもない数の(何百人単位の!)人が集まっていた。
ぽつぽつと日の丸を持っている。
そう、噂の「フジテレビ抗議デモ」が、今まさに出発しようとしていたのである。
あまりの人の多さに呆気にとられて、私は宗谷の甲板からデモの列を最後尾まで見届けてしまった。5人1列に並んで、最前列がスタートしてから最後尾がスタート地点を通るまで、30分以上。どう少なく見積もっても1000は下らない人数だ。
主催者発表では参加者は6000人、デモに好意的でないスポニチの報道
でも4000人が参加したとされている。
とにかくそれだけの人数の人たちが、
「私達はK-POPなんて聞きたくないぞー!」『聞きたくないぞー!』
この光景は衝撃的だった。
どんなデモにせよ、多くの大人が団結して主張をしながら行進するのはそれだけでインパクトがあるのかもしれない。でもその主張が
「冤罪を許すなー!」とか
「原発を止めろー!」とか
そういうものならまあ、そういう主張の人が頑張っているのだな、と理解できる。でも今回は違う。
もちろん、一般に偏向報道はよくない。私もアナログ停波以降はフジテレビを(テレビを)見てないし、フジテレビが善良なテレビ局だとも思わないし、『HEY!HEY!HEY!』をたまに見ると必ず韓流か懐メロの特集をやっていてつまらないなあとは思っていた。それに、普段から「韓国製」の買い物は避け、できるだけ国産を買うようにしている。特に韓国製のCD-RやDVD-Rは非常に質が低いのだ。韓流スターの名前はペヨンジュンしか知らない(KARAのメンバーに石川梨華のパロディみたいな顔の子がいるのは知ってる)。言うまでもないけど、竹島は日本の領土である。
それに反対するために、何千人もの人がお台場でデモ行進をしてるのか?
ネットの情報を「テレビでは報道されない真実なんだ!私たちが立ち上がらなくちゃいけないんだ!」と盲信した中高生が集まっちゃうならまだ分かる。でも私が見た限りでは、参加者は本当に老若男女で、300人に1人くらいは、私と同じくらいの年齢(20代)の、おしゃれな今時の女性もいた。おじさん・おばさん・お兄さん・お姉さん・そして親に連れられてきた子供も。
そのデモでの主張が、「フジテレビ韓流ゴリ押し反対」でいいのか?
…これが、私の第一印象である。
しかし第一印象はそれが正当なものであるか吟味されねばならない。
(1)「もっと重要な問題があるだろう」
彼らへの評判をネットで探してみた。よくあるのが、「テレビがどうこう言う前に、主張すべきもっと重要なことがあるだろうよ」というものだ。
でも、この批判って、既に他の「もっと重要なこと」のためにアクションしている人にしか、言う資格はないはずだ。
自分はtwitterとかネットで勝手なこと言ってるだけなのに、実際に体で活動してる人を言葉だけで「それをやるならこっちをやれ」というのは、単なるネット弁慶じゃないか。
というのも、正直、民放の放送内容がどうこうよりも、領土問題だとか、人権侵害救済法案や外国人参政権という、それこそ韓国とも関係大ありな政治問題のほうがずっと重要だと思うからだ。
ただ、思うに、そういう政治的重要事案じゃないからこそ、これだけ多くの人が集まったのかな、とも思う。
「韓流ゴリ押し反対」というのは、政治的なようでそれ自体は政治問題ではなく、「公共的な性格をもつ国内民間企業への批判」にすぎない。だからこそ、特定の政党に関与したり変に利用されることなく、これだけの人を動員できたということはあるだろう。日本人の多くが「政治」より「テレビ」に関心を持っているという事実も、今回の動員に味方した。
「もっと重要なことがある」と言っても、「もっと重要なこと」にはどうしてもキナ臭い政治が絡んできて、ネット上でさえこんな大きな潮流を作れないだろう。その意味では、対韓国の政治問題のとっかかりとして大きなデモを行うには、むしろ今回のテーマがベストだったとすら言えるのかもしれない。
(2)「嫌なら見なきゃいい」
これに対する再反論は、もうすでに定式化されているようだ。
作家・深水黎一郎さんが簡潔に整理しているが、簡単に言うと、
「テレビ局は<公共の>電波を独占して使っているのだから、勝手な偏向放送をしておいて『嫌なら見るな』は通用しない」
ということ。
嫌なら見なきゃいい、と言われる前から私は確かに見てないのだけど、見てもらってる側がそれを言っちゃいけない。放送法という後ろ盾もあるのだから、テレビ局にはそれに基づいた良心的な経営が求められるのは当然だろう。ただし、ただでさえテレビ不遇の時代に、自局グループの商売を有利に進めようとするのは営利企業としては当然で、そのへんは線引きが難しいところではある。
(3)陰謀論
「フジテレビ抗議デモは、原発から目をそらすための陰謀だ!」。
こういうツイートやmixi日記は複数あった。どんなところにでも陰謀論はあるものだ。面白い。
(結論)
デモを批判する理由は私にはない。
しかし「韓流ごり押し」に対しては、私はどう考えるべきなのか?
政治的問題に関しては比較的冷静な狼板をのぞくと、「ブームってそういうもんだろ」という書き込みを目にした。
確かにそうだと思う。
韓流ブーム捏造、なんていうけど、ブームなんてたいがい作られるものだ。
結局今回の問題は、それが誰の目にも「行き過ぎ」「ごり押し」と捉えられるほどのものになってしまったという所にあるのだろう。
私としては、前に書いたように、「竹島は守るべき」「人権侵害救済法案は危険」と思っているし、他にも例えば、「在日外国人犯罪者の偽名報道は反対!!!」である。その点だけについて言えば右翼的であるのかもしれない。
ただ「反フジテレビ」については、何とも言えないのだ。
だって、フジテレビから韓流を引いたからと言って、番組が面白くなるとも企業体質が良くなるとも全然思えないのだもの。
それに私は、そもそもフジテレビがあっても無くても、まったく困らない。
とりあえず現段階では、「フジテレビがこんなにバカなことをやってるよ~」とネット上に確かな情報を拡散させておけば、それで十分という気もする。
デモに参加する気には、とてもなれないのだ。
追伸
Sound Horizon Gathering(サンホラファンの集い)がシンガポールで7月16日に行われました。そのレポートが海外サンホラファンのポータルサイトにあがってましたので、翻訳します。(意訳等含む本当に適当な訳なので、その点ご注意ください。)
http://sh-whitecrow.com/2011/08/brief-report-on-the-sound-horizon-gathering/
↑写真含むので、そちらを先に見てからがいいかもしれません。とても楽しそうです。
----------------------------------------------
Brief report on the Sound Horizon Gathering!
シンガポールでの初めてのファンの集いがヨー・チュー・カン・コミュニティセンターで行われましたが、イベントは大成功だったようです!以下に短いレポートを紹介します。
全部で8つのMarchenのキャラクターを主題としたミニゲームをクリアし、8つのローマ字を集めることが目標のゲームです。そして、参加者は集めたローマ字を組み替えて解読し、メインブースで賞品と交換します。最終的に8つの文字はgu-ro-ri-a-sa-n-ho-ra(Gloria Sanhora)となり、賞品はファンアートとバッジでした。
ゲームをクリアした人たちは、続いて歌に挑戦です。スターダストコスの人が即興でパフォーマンスをしたり、エリザベスコスの人が雪白の女王様のまねをしたりと、楽しかったです!
最後に、Marchenキャラクターのコスプレイヤーたちによる、ものまねをしての聖戦のイベリア合唱などもありました。
- らくがきウォール
らくがき用のゾーンが用意されていて、Tettere oujiのいたずら書きがたくさんありました。
それと、写真を見てもわかるように、たくさんの参加者たちがサンホラキャラのコスプレをしてました!
Sound Horizonへ送るためのプレゼントが集められました。
- SHK国歌
英語版の歌詞(the 100 Laurant Chorusのために、Elica de Laurantがつくった歌詞を使用しました)でみんなで歌い、ファンの集いを終えました。
見てわかるとおり、とても楽しかったようです!きっと世界中の皆さんも、ローランのみんなと同じ時間を分かち合えば楽しいですよね!
イベントの主催者のKanaunaraさんに感謝します!参加者の皆さんの協力で集められた、Sound Horizonへ送るプレゼントはもうすぐ日本へ送付されますので、それと同じように、ファンの集いとしては世界で初めてのイベントの様子が、日本にまで伝わるように広めたいです。
----------------------------------------------
俺は国旗国歌は日本国の象徴と認めてるけど偶像としての国旗国歌にそこまでの感情移入はないなぁ。国旗国歌を通して日本国を見るものだと思ってる。
それはそれとして、澤穂希の年俸が360万とか、プロ選手の月給10万とか、食えないので昼間はスーパーでレジとかいう話を聞いて、日本代表はそんな逆境の中で良く頑張った日本の誇りだみたいに言ってる奴が結構いて嫌な気分になった。いや、頑張った選手は偉いんだ。でもね、でもさ、その逆境作ったのは「俺ら」だってこと分かってんのかな。勝った時だけニワカに騒いで数日でさよーなら、グッズが売れるわけでもなくリーグの客が増えるわけでもなくCMのオファーが来るわけでもなくスポンサーが付くわけでもなく、そうやって誰も金落とさない結果の有様だろ。W杯最優秀選手が年俸360万とかどういうことなの。まずごめんなさいやろが!俺たちのなんて言いたいならせめて次の戦いに備えて十分な兵站をしてやらなきゃくらい思ってからにしろよ!
西側主要国に限れば、日本より国旗国歌できつい国はイギリスだけだよ。国旗国歌を奉ぜよと公的に罰則のある命令が行われる国が日本とイギリスくらいしかないしね。
他の国は、例えばアメリカだと公的に(偶像としての)星条旗を強要してはならぬと判例が出てるし(それはまさに自由を重んずる星条旗の精神に反するではないかという考え方)、フランスなんかだと(歌の内容がアレすぎるんだが)W杯で選手が国歌斉唱を拒否ったりしてる。イタリアに至っては自国の国歌を知らない奴の方が多いというさすがのイタリア人クオリティ。そもそも義務教育で国旗国歌をやらない国の方が多いくらいだ。それでもちゃんと成り立ってるのは掲げたい奴歌いたい奴が自由意思でやってそれで成り立ってるからだね。
そもそも最初に日の丸・君が代が制定されたのは明治時代なわけで、反対派がいるかいないかに関係なく最初から強制でスタートしてるはずだよ。
で、現代で公的強制を行おうとしている人々は当時制定した人々の後を継いでいると(少なくとも主観的には)自認している人々が多いのではないかな。逆に考えてそうじゃなかったら何者だよって感じだし。そういう意味では強要側は連続性を保っていると考えて良いと思う(強要する当人が連続性を保っていると思っているだろう)
あとまあ、当時も従わない奴はいただろうけど、日の丸は元々船舶の識別用の旗なのでうちは昔から別のを使ってんだとか、他にも当然明治体制に対する抵抗派はいただろうし、どちらにしてもこちらは「今の」反対派とは連続性を保ってないと思うよ。今の反対派は(戦前・戦中から続く)強制があることを踏まえた上での反対なわけだし。逆に言うと、国旗国歌は定めておくけど個々人が勝手に尊重して下さいみたいな欧米的な普通の自由主義国状態になった場合、反対派ってどうなっちゃうんだろうって気はするけどね。満足して解散するのか先鋭化するのか。
個人的には「日の丸クラスタうざい」に尽きる
セレモニーなんかでことさら尊重させられるような場面になると、「あいつら」がちらついて不快
スポーツの国際大会なんかで他国の国歌国旗に混ざって登場する限りは、主にチーム国籍を弁別する記号としてだけ働くので、あまり何も感じない
個人的に日の丸も君が代もそれ自体はどちらかというと好きな方だけど強要するのは反対派な俺参上。
日の丸や君が代を強要する人が少なからずいる以上、「自由の敵の象徴」だからじゃないかな。逆に考えて、強要したいって人は何故強要したいのかって考えてみるといい。それがまさしく自由を尊重したい人々にとっては反対したくなる理由だろう。俺も強要のコンテキストで日の丸が出てくると(日の丸自体は好きだけど)日の丸が穢されていることに反吐が出るよ。
ただまあ、あくまで個人的にはだけど、日の丸は元々「日出る国~」の故事にちなんだものでこれは別に全体主義とか軍国主義とか自由への敵対なんかとは関係なく単純に「極東にあってますます繁栄する国」くらいの意味でしかなく、意匠的なシンプルさとも相まって非常に良いものだと思ってる。君が代も、まあそりゃ戦前までは帝政の継続みたいな意味合いでやってたんだろうけど、今でも天皇は日本国憲法下の日本国の象徴であるわけだから「今の日本国」が末永く繁栄しますようにって意味でもちゃんと通るわけで、ものすごく良いとは思わない(正直メロディの方はいけてないと思う)が積極的に反対するほどとは思わない。
でも、強要したい人々は、そういうのとは違う意味合いで国旗国歌ととらえているだろうし、だから強硬に反対する人々も反対しているんだろう。ぶっちゃけ、強要する側も反対する側も国旗国歌は正直全体主義の象徴だよね。
フランスについては微妙だなぁ。国旗毀損については結構罰則ある国多いよ。これは外国旗毀損との兼ね合いでまとめて法制化してあるという事情もある。そもそも国旗を無理矢理拝ませるのと、積極的に壊しに行くことを許容するのとは、意味合いが違うからね。フランスでは国旗を拝めと強要されたりしないし、フランス国歌に至っては物議を醸すこと先進国随一だ。
アメリカなんかだと国旗を焼くのも表現の自由ってことにはなるけど、「他人が信仰しているものに対してわざわざ嫌がらせしに行く自由」(これはある種の自由を侵害する自由と言える)はどの程度守られるべきかってのは国によってやっぱり尺度が違う。欧州は「わざわざ嫌がらせをしに行く」のは「やめとけ」という考え方が強い。
まあ個人的にはフランスの制度は恣意の入る余地が多々あるし、アメリカの方がその辺に関して一貫したルールだよなとは思うけどね。いかにも弁護士の国らしい。
これらと比べると日本はかなりかけ離れていて、日本では国旗を「拝む義務」「拝ませる義務」が存在する(公権力が罰則付きの命令を行うことが許容されている)。これはいわゆる西側先進国というか例えばG7で見ると日本とイギリスにしかない。イギリスには自由を尊重しますなんて憲法がそもそも(コモンローだから)無いんで、日本よりもっとかけ離れてるというか斜め上にいるけどね。
神奈川訴訟も原告敗訴確定 起立、斉唱の義務なし確認
神奈川県立学校の教職員ら130人が県を相手に、学校行事で日の丸に向かって起立し、君が代を斉唱する義務がないことの確認を求めた訴訟で、最高裁第3小法廷(那須弘平裁判長)は22日までに、教職員らの上告を退ける決定をした。「具体的な権利、義務に関する争いではない」として訴えを却下した二審東京高裁判決が確定した。
一審横浜地裁判決は、訴えそのものは適法としたが、入学式や卒業式で国旗を掲げ、起立して国歌を斉唱するよう教職員への指導徹底を求めた県教育長の通知に基づく校長の職務命令は「思想、良心の自由を侵害せず、教職員は従う義務がある」と請求を棄却。
しかし二審東京高裁は、この訴訟は事実上、教育長通知の無効確認を求めるものだとし、「通知は教職員との間で具体的な権利義務を定めたものではなく訴えは不適法」と判断。一審判決を取り消して訴えを却下した。
一、二審判決によると、教育長は2004年11月、各校長に通知を出し、「教職員が従わない場合、厳正に対処する」とした。
(共同)
もう読んでないかもしれないが。
敬意の表しかたを習ってない、というけど、国旗に対してこう(起立とか礼とか)やらされた、という経験が大事なんだと思うよ。
これを『やったことのない』こどもが、例えばはじめてそういう場に出て正しく振舞えるかというとそのチャンスはない。
だけど、一度小学校でやってれば、わからないなりにまわりにあわせて何とか恥をかかずに済む。
逆に言うと、学校で教える『国旗に対する敬意』なんてその程度でいいと思うよ。
マナー講座みたいなもので、洋食器は外側から使いましょう、とか、犬食いはやめましょう、とかそういう話と、本質的な差はない。
ちなみに、先生が生徒に国旗国歌に対する敬意を強制することは稀だと思うよ。
問題になってるのは校長(あるいは教育委員会ないしは公権力)が「教師」に敬意を強制するのがおかしい! とさわいでる頭のかわいそうな人であって、生徒はそういう大人共を冷めた目で見てたっていいんだよ。見てれば「何だかわからないけどそういうものがある」というところまでは辿りついてくれる。
横だけどさー。
卒業式どころか運動会なんかでも国旗掲揚国歌斉唱がある学校だったけど、
「敬意の示し方」なんて全く教わってないよ。
国旗は「とりあえず国旗の方向いて立ってろ」と言うだけ(それが「敬意を示す」って事なのかね?未だに分からんが)
国歌はただ曲として歌詞とメロディを教わっただけ(勿論歌詞の意味なんて一切教わっていない。小1で分かるとも思えないが)
中学生になったら誰も国歌を歌わなくなった(校歌も)けど、教師も誰も強制しなかったなー。
今だったらマスコミが出てくる大問題だっただろうなw
いい時代だった。
たぶんいろんな側面の話がまじりあっててこの話は面倒。
あと、初詣に行っても信仰心は芽生えない、ってのは必ずしも正しくないと思うよ。日本人の宗教観は柔軟だけど、信仰心がユビキタス(宗教用語としての)に存在するため見えづらいだけだと思う。内心どうでもいいと思ってるなら、初詣なんかいかないよ。
「立って歌う=敬意」じゃなくて「立たない=不敬意」を問題にしてるの。
別の言い方をすると国旗国歌=愛国心であるかどうかはここでは問題でなく、国旗国歌を否定=反日の象徴だから問題になってるの。
国旗国歌への敬意の示し方ってどういう方法があるんだろう。国旗国歌の前で立って歌うのは本当に敬意を示しているんだろうか。個人の心の中を覗くことはできないのに、どうして敬意を示していると解釈できるんだろうか。
「立って歌わないと先生になんか言われるし、そういうことにうるさい人がいるし、とりあえず立って歌っておこうか」という子どもがいてもおかしくない。最近の判例をみて、「いやどうやら立って歌わないと大変なことになりそうだ」と思って立って歌う子どももいるかもしれない。はたまた「いやみんな立って歌ってるからやらないと」っていう子どももいるかもしれない。どこにも「敬意」は存在しない。
まぁこれは僕の勝手な想像だから、当てはまらないのかもしれない。でも、この国ってそういうところが寛大というか、むちゃくちゃな気がする。
ベタで申し訳ないけど、初詣に神社に行っても、そこの神様を信じてるわけじゃないし、クリスマスを祝ってもキリストを信じてるわけじゃないし、葬式を仏式でやっても仏を信じてるわけじゃない。日本って行動=内心を表すわけじゃない、ってことが社会的合意を得ている国だ。
立って歌ううちに敬意が芽生える、というのなら、毎年初詣を神社に行く人はそこに祀られている神への信仰心が芽生える、というのと一緒だと思う。で、現実は信仰心なんてこれっぽっちも生まれていない。
ほとんどの子どもたちは敬意だの何だのって、そんなこと考えていないんじゃないだろうか。僕らが初詣の神社の神のことを考えないのと同じように。
もちろん敬意を示す一番の(追記:方法は)立って歌うことだ。でも今まで述べてきたように、立って歌う=敬意を示しているとも限らない。
だから、(追記:教員に)立って歌わせることを強制することが子どものためになるという理屈がいまいちわからない。だれか理屈を教えてください。