はてなキーワード: セカチューとは
何だかんだで毎週楽しみにしていたアニメ、プラメモが終わってちょっと悲しい
振り返って見ると、脚本家が締切間際に「もうどうにでもなれえ~」と言いながら滅茶苦茶にして書いたような脚本だったな
プラメモのストーリーは「難病美少女の闘病と死(アンドロイド版)」というテンプレ以上でも以下でも無いというのが残念
脚本の構想10年なんて言うことも言われていたらしいが、これって丁度セカチューくらいの時代だったな
内容もどことなくその時代の雰囲気を醸し出しているし、もしかしたら、セカチュー辺りに触発されて書いた脚本なのかもしれないと思う
企画段階では、バトルものだったらしい。だったらそっちを見たかったよ。序盤の雰囲気から期待して、徐々に裏切られていく感じはここから来てたんだなと納得
話数が進むごとにゴリゴリと俺の中の期待値(と満足度)が下がって行ったわけだが、ここでその理由を振り返ってみる
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こんな条件を満たすSFって言うのはなかなか貴重なワケで、おまけに前評判として「シュタゲの林直孝が脚本」というのを全面に出して宣伝してたから期待していた
だった
シュタゲは面白かった。シュタゲに有ったもので、プラメモに無かったものは何だろう?
そう、
というワクワク感だろう
プラメモのなかでシュタゲの「改変した過去を戻せ」に匹敵するような問題解決の姿勢は見られない
つまり、シュタゲの名前を出して煽っていた割に、出てきたものは全然違うものだったわけだ
例えるなら、「銀座有名寿司屋の板前が作る創作料理」という謳い文句でトンカツやフレンチが出てくるような期待はずれだったのだ
なんか、いっそのこと、怒りに燃えるソウタ君vsアイラちゃんの方がよっぽど見たかった。プラメモガンとかプラメモソードを活用してガシガシバトルしてほしい
あるいは、アイラの寿命が近いことを知った主人公が東奔西走して、解決方法を探るというようなアクティブな話が見たかったんですけお!!!!
多くの婦女子諸兄には処女というのは特別意味のこもったワードらしくこのことについて書かれたブログやら何やらというのはまま見かける。
そしてそこに頻出するのが処女厨という言葉。もしこの単語が出てきたならば大体のところどんな主張を仰っているのかその想像はつく。
往々にしてこんな感じだろう。「処女を勝手に神聖視するな、処女をモノ扱いするな、処女厨こわい、きもい」
いつもならば眉を仰角30度くらいに吊り上げ一文字に結んだ口許からぐぬぬとでも漏らして終わりなのだが、今日ははっきりと言いたい。相手に処女を望むことの何がそんなにどうじてなにゆえ問題なのだ?
花も恥じらうご処女様と宮沢賢治よろしく欲にまみえむ童貞様が心も体も心身ともに結ばれ幸せそのものセカチューばりのプラトニックラブIT'S A BEAUTIFUL WORLD。
実に美しいじゃないか。
しかして正すべきのなにものもないこの世界に土足で押し入り踏み荒らしていくのが勝手に処女厨などとカテゴライズしたあげく遥かお天道様をも下す高みから見下ろしたもうたる輩だ。
彼等彼女等によれば女性に対して処女性を求める人物というのは分類学上の処女厨という範疇に収まり、それはもうおもわず目ン玉ひん向いてしまうくらいにリンカーンもビックリなご高配を賜る栄誉に預かるわけなのだ。
曰く、処女厨とは女性に対してワガママな妄想を抱いたあげくその自分本意な欲望を押し付けてくる怖くてキモい存在なのだそうな。
で、この処女厨ってなんなんだ?
ネット上には確かに非処女は肉便器とのご高説を垂れる手合いがいるが、ああいった連中のことだろうか。
ならば話が早い、あれは処女厨ではなくただ全方位に対してヘイトを撒き散らすのが目的の集団か、処女厨を隠れ蓑にした膜厨のどちらか、もしくはその両方を兼ね備えた人達だ。
まずヘイト集団は便所の落書きそのものだ、まともに相手をするのはバカと暇人だけでいい。
問題は自称処女厨の処女にあらずんば人にあらずなどとのたまう膜厨共だ。
まあこいつらの主張はごくシンプルで膜が有るか無いかの一点にのみことの是非が集約されている。膜があればよし、膜がなければわるし。
この単純明快な理論だがどう見てもおかしい。普通におかしい。ちょっとあたまおかしい。
突っ込むまでもなくこいつらはただの膜好きだ、論ずるに値しない。
まあ実際にはおお真面目に膜が云々と書き立ててる奴などそうはいないのだが、こいつらの言う所を噛み砕いてやればそういうことなのだ。
とここで対になるのが精神的処女厨という言葉なのだが、これこそが言いたかったことの一つだったりする。
精神的処女厨とは女性に対して膜の有無ではなく、それが初恋であることを求める人間のことだ。というか俺のことだ。
断言するが肉体的処女厨なんてのは2chを中心としたネタに過ぎない。
あえて矛盾点をしこたま抱え、通る道理のない所を無理やり通してしまう。
無茶な理論だと分かっているからこそムキになって反論してくる相手の存在が心地よく、横暴に振る舞えば振る舞うほど快感を覚えることのできる、そんな趣味の悪いお遊びだ。
そして冒頭に戻るが大抵の場合が処女厨と言われればこの肉体的処女厨のことを指している。いいかこんな奴はいない、存在しないんだ。
確かに処女膜という記号に萌えて燃えるやつはいるだろう、しかしそいつらは非処女を忌避しているわけではない。
ましてや肉便器肉便器などと呪文を唱え据え膳食わぬどころか膳には唾棄するべしというような信条をもったやつらでは決してないのだ。
詰まるところ相手が処女だと聞いて喜ぶような輩はいても膜がないからといって、それのみを理由にボールをストライクゾーンから一つも二つも外してしまうような輩はいないのである。
肉体的処女厨というのはたけのこ厨、きのこ厨と同じお遊びの産物に過ぎない。
では熱意と情熱をもって処女に対しそのほとばしるリビとーを思うがままに開放している彼等の言は全てがお遊戯なのかと言われればそうではない、
一分に真実の叫びが混じっており、それを担っているのが精神的処女厨というわけだ。
異性への好意、その最初の相手が自分であることを求める、つまり初恋でなければ許せないというのが精神的処女厨であることは先程述べたが、
逆に肉体的には無理矢理にレイプされていようが知らぬ内にネットペニスとやらに貫かれていようがそこに心理的な同意がなければ全くの無問題である。
なんのことはない運命の赤い糸とは言わないが好きになるのならそれが最初の恋であってほしいという叶わぬ夢であること間違いなしの想いなのだがただそれだけのことである。
で、これのどこにカースト制度ばりの侮蔑を投げかけられる要素があるというのだろうか?
例えば特定の相手ができたとすればその相手には精神的な処女性を求めたいとただそれだけだ。俺はでかい乳にそそられるだとか、貧乳こそ正義だとかそんな好みの話である。
別に精神的"非"処女の方々を蔑んでいるだとか嘲っているだとかそんなことは一切ない。
けれど、にも関わらず、しかるにだ、なぜだか勝手に虚空の存在である処女厨とやらにカテゴライズされた挙句、ご丁寧に被害者面して散々ディスられ、いつのまにやら上下が逆転しもうちょっと大人になられたら如何でしょうかと諭されるのである。
被害妄想?そうであればよいのだが彼等彼女等が指すところの処女厨というのには確かに俺が含まれている、実際にはそれがいもしない肉体的処女厨に向けられた言であってもだ。
大体個人の好みの問題になぜ割って入ってくるんだ?そんなに憎いのか?否定も肯定もされていないというのが嫌なのか?そこに有るというただそれだけがそんなに許しがたいことなのか?処女厨という架空の藁人形を編みあげてひたすら釘で打ち据えるのがそんなに楽しいのか?
物心ついてから先日祖父が亡くなるまで、人死にと縁のない人生だった。
自分は今20なので、わりと幸運なほうなんではないかと思う。
生き物というものは、どうやらいつか死ぬものらしい、と知ったのは幼稚園のときだった。
しかしニュースで死ぬのはいつも知らない人で、
「○○氏が亡くなりました」
というのも現実味の薄い話だった。
死んだ人ではじめて生前から知っていた人は、
小渕恵三だったか鈴木その子だったか…今調べたら、小渕さんだな。
しかしもちろん面識はない。
死んだ人ではじめて身近な人は、
中2の時に死んだ姉の小学校の同級生の父親だった。
しかしやはり面識のない人だったから、あの子のお父さんが…とは思ったけれど、実感は薄かった。
当たり前だけど、ああ、ほんとうに、避けてはくれないものなんだな、と感じた。
それからテレビで知っている人も身近な人の大切な人も、たくさん死んだけれど、
いつもそれは遠いはなしだった。自分の直接知っている人ではなかった。
本物の死体を見たこともなかった。
死はいつも伝聞だったし、フィクションだったし、イマジナルな何かで、
所詮形のあるものではなかった。
自分は本が好きなんだが、物語というのはやっぱり死をテーマにした話が多い。
セカチューのような話は好きではなかったけれど、
人が死ぬことで感動を煽ろうとするような話が多いというのは、
やっぱり死が言いようもなく重いことだからだと思っていた。
とりかえしがつかない。ひたすら暗くて、最悪のことのように感じた。
死に直面しないまま思春期を過ごしたから、想像ばかり膨らんで、死を過度に恐れていた。
父は開業医で、自分に跡を継いでほしかったようだが、医学部への進学は断固として拒否した。
単純に学力も足りていなかったのだけれど、人の死に触れ、責任を持つ仕事なんて考えられなかった。
両親は時々「ステる」という言葉を口にした。医療者の業界用語で「死ぬ」という意味だが、
あまりに軽くに口にするので、「もう慣れてしまって、普通のことなんだろうな」と思えて、その感覚も恐ろしかった。
死ぬことも、死なれることも、怖いことだった。
(8/9 追記)
最近処女の話題がブームなので、時流に乗ってなんで自分が処女を守るに至ったか経緯を書くか。
色々ばれるとやばいので大分ウソも混ぜてるからネタ半分で読めばいいよ。
私が処女に対して考えるようになったのは、祖母の存在が大きい。祖母は三人兄弟の長女で、大学に通っていたようなお嬢様だった。けど、祖母の妹が結構奔放な(当時としては)人間で、彼女は海外に留学してみたり、人の男を寝取ってみたり、なんか散々だったらしくって(祖母自身はこの話を断じて口にしなかった。聞いたのは祖母の弟からちょこっと)いつも祖母が尻拭いをさせられていたみたいだった。
それで、まあ妹にコンプを感じていたらしき祖母は時代の流れで祖父と結婚、そのまま一人息子の父を生み、育てて、父を母と結婚させた。
多分ここから始まった。母が私を産んだ時、祖母が言ったのは「○○さん(母の名前)、この子の世話は私がやるから」。母は勿論大反対したし、私を抱きしめて「何考えてるんですか、私の子供よ!」っていったらしいけど、祖母は頑なに聞かなかった。祖母と母は一緒に暮らしていたし、祖母は本当に私の世話をするようになった。母が私を抱いていたら怒り出す始末。
それで祖母が私を育てることになった。なんていうか、もう時代錯誤も甚だしいようなお嬢様教育の嵐。お茶とかお花とか着付け、踊りとか、浴衣縫えるように教えられたりとかさ。
乗馬はやってたけど、一つ上の女の子が落馬して肋骨折ったって話を聞いたら速攻やめさせられた。まあそれは自分の教養になったし、まあ経験して悪くは無いなって思ったけど、祖母が念仏のように呟いていたのは「処女でいなさい」だった。こんな直接じゃなかったな。なんか「清くいなさい」みたいな。あのババア。
なんというか、祖母は私を三島の「女神」の女みたいにしたてあげたいようだった。残念ながら、中身を持つ人間はそこまでお人形さんにないんだけど。
ほんでもって話は戻る。私が高校に上がる前に祖母は死んだけど、小学校中学校(私が通っていたのは小中高一環の女子校だった)までの六年間、まるで意味のわかっていなかったころから、ようやく意味がわかるようになるころまで、ずーっと「処女でいなさい」って言われた。まるでそれだけが私の価値みたいに言われた。
まあそれで私も処女であることはスペックであると考え出した。というか、トレードできる価値、財産みたいなものって考え出した。でもどこかでねじまがっちゃった気がする。
祖母が死んで、高校に入ってから結構私はモテた。学校は清楚とお嬢様と上の下偏差値でまかり通ってる女子校だったんだけど、中身はガリ勉かキモオタか派手か普通の子って感じの区分だった。それで私は普通の子と派手な子の中間層だったから、派手グループによく合コンにつれていかされた(医者とか、弁護士とか)し、普通に人気があった。道ばたでもナンパもよくされたし、まあ自分の顔立ちは悪くは無いなと思っている。まあ派手だしな。ていうか外見には自信があんだよ(毛深いのがコンプだったけど)。
そんなこんなで高校に入って速攻彼氏も出来た。高校一年のとき。ワセケイのお坊ちゃん。イケメン。そこそこチャラい。キスもしたし、まあ車もってたからデートは楽しかった。湘南行ったり。そんなこんなで、家に誘われた。家はでかい。ていうか、山の手の内側でここだけの土地かよ、と思った。家には普通にお坊ちゃんの両親がいたけど、部屋に通されて、あー、セックスするのか、と思ったとき、はたと気付いた。
「こんな男に私の処女、やっちゃっていいの?」
はっきり言っておくけど、私みたいな美女の処女は安くない。ぶっちゃけ5億円ぐらいの価値があるって思った。非処女はタダってわけじゃない。こんなチャラ男にタダマンさせるほど安くはねぇよ。って思った。
その後即効その男を振って、大学に入って、また何人か彼氏が出来た。でもいっぺんもやらせなかった。なぜなら私は価値がある女だから。処女=絶対無比の価値。なんか変な価値観が凝り固まっていた。その価値に見合う男が出るまでやらせねぇよ、と思った。サークルも飲みサーみたいな感じで、一時期穴なし女みたいにうわさされたけどニヤニヤしてた。
男は私にとって見せびらかすアクセサリーでしか感じられなくなった。本当に好きな男ができない。セックスして愛を確かめる行為も出来ない。男はすぐにセックスを求めてくる。
それに答えられないから嫌がる。分かれて新しいアクセサリーを探す。
セックスを求めてくる男がいる限り、女に処女であれって言うのはなんてナンセンスなことなんだろうね。だってあんたら付き合った女とセックスしたいって言い出すじゃん。結婚するまで我慢しろって女に言う前になんで男が我慢できないの。
大学を卒業した私は商社に勤め始めた。そんで、親友の紹介で来週結婚する医者と会った。
医者、イケメンだった。しかも、ものすごくいいやつ。誠実。親友の紹介だけあって、信頼できる。話も合う。なんでこんな奴に彼女がいないのか、と考えて回りに聞いたら、彼女は事故で死んでた。漫画だろ、セカチューかよ、と思ったけど、まあ、付き合った。楽しい。
それで医者と三ヶ月ほど付き合って(会ったのはそのうち6回ぐらい)くるまのなかで、今からホテル行ってセックスしようかみたいな雰囲気になったとき、私はいつも通りいやだ、って言った。「なんで?」って聞かれたから「結婚するまでセックスしない」って返した。そしたらしばらく考えて、「今日はしないから、結婚しましょう」みたいに言われた。ああ、うん、って答えて、それでなんかとんとん拍子で結婚が決まった。
でもここで一つ怖い話がある。はっきり言ってセックスを結婚してもしたくない自分がいる。私の価値が結婚した瞬間に損なわれてしまう気がする。こんなにいい男でさえ、処女を惜しいと思っている自分が馬鹿だとは思うけど、できれば一生セックスするのが怖いんだ。
処女が好きな男は処女を頑なに守る処女を、まるでユニコーンかなんかみたいに思ってるみたいだけど、ぶっちゃけ、処女は5億円の価値があると見込んだ男にしか処女はやらないと思ったほうがいいよ。だから、美しい処女がほしいと思う男はそれに見合う男でいるの? って思う。私は来週ダンナになる男にさえ、処女をあげるのを惜しんでいる。
私が一番今恐れているのは、自分に娘が出来たらということ。
「処女でいなさい」って発狂しそうなほどいやな祖母の言葉を私も言うかもしれない。
なんか結婚特有の雑務から帰還したらブクマ数が凄くてびっくりした。ある種マリッジブルー的な吐き出し文だからすぐ流れるかと思ってた。
言いたいことを吐き出してレスポンスがいっぱい返ってきて、矮小な自己顕示欲がちょっとだけ満たされて嬉しかったです。コメント? をちらって見て、おっさん扱いされていてなんか不思議な気分になったり、ネタだろ、という言葉に、私自信読み返したらこの文章がネタにしか見えなかったので、ああ、ごめんね、ってなりました。まあここで真実です!なんていったところで何の価値にもならん。だいたい内面の価値などどうでもいい(と教えられてきたしね)。
ただタイトルだけは真実です。まあ信じる信じないにしてもさ。私は処女で、まあ美人で(自分で書いていて結構笑える)、お嬢様だと思います。お嬢様っていう定義が、いわゆる、金持ちテンプレート的な習い事を受けていた経験があり、実家が裕福で、お嬢様学校に通っていたっていう条件ならね。
でも、この三つを満たしていても、私は醜いです。歪んでます。肉体的や経験的には処女で、きっと男性の幻想的な理想であるでしょうよ。私は経験からも「男の理想まんまだなあ」と感じています。正直、チヤホヤされなかったことなんてない。オッサンは特に優しかったし、誰に対しても私はしっとりしたお嬢様を完璧に演じることが出来ます。自慢だけどね。
「清く・正しく・美しく」こんな旧態然とした教育の中(それが悪いとは言わないし言えない)、私は「清くあること」を多大に押し付けられたせいで、内面がその抑圧で歪みきってしまった。
全くもって「みにくいおんな」になってしまったんじゃねーの、と思っています。古い思想は美しい。日本の心は好きだよ。大事だし、守るべきもの。でもさあ、それを現代に無理やり当てはめようとすると、絶対上手くやってけない。それを教育っていって子供に押し付けると、心がどっか変なふうになっちゃうよ。上手く適用するように柔らかくしなきゃ。
たかが処女膜。穴にあるもの。よくわかんない。それをここまで守ってこれても、私は祖母が理想とした幻想の処女でいられなかった。お人形さんになれなかった。
私は処女性を持つことと処女であることは、似て非なることすぎるんじゃないかと思う。マンコをいくら使わせても心の清い女がいる一方(罪と罰すぎて笑える)、こんなに醜くなってしまった私がいる。
「あなたはもう幻想の女しか抱けない 」じゃないけどさ、もう処女を幻想視されて押し付けられて、それを価値観で心の中でガチガチに塗り固めて、それで「私は清らかなんです」なんて外面さげてヘラヘラするのにいい加減疲れてしまった。大事にしていたものが今では重過ぎる。
本当の最後に私が大好きな本の一部を引用する
生きる時間がずっと長くなったおかげで古い価値観がもう使えなくなった。セックスの事を15歳で知り35歳で死んでいたときは明らかに問題は少なかったはずだよね。今は8歳とかそれぐらいで知り、たいがい80歳まで生きる。その間を1つの考えでやっていくのはちょっと長すぎるよ。
しかも同じ退屈な考えで。
「ぼくの哲学」アンディ・ウォーホル
:/_ノ ー、\:
:/:::::: r(__人__) 、::::\: 恋人が死ぬ、レイプ、妊娠ネタはもうあきたおw
:|キモ { l/⌒ヽオタ|: こんなので感動出来る単純な馬鹿女がうらやましいおw
:\ / / /:
____
/ \
/ _ノ ヽ、_ \
/ o゚⌒ ⌒゚o \ 恋人がレイプされて死ぬなんて悲しいお 泣けるお・・・
|キモ (__人__) オタ | 大切なものがなんなのか教えられたお・・・
\ ` ⌒´ / efは名作だお
:____:
:/_ノ ー、\:
:/:::::: r(__人__) 、::::\: 恋人が死ぬ死ぬネタはもうあきたおw
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| (__人__) | 大切なものがなんなのか教えられたお・・・
\ ` ⌒´ / CLANNADは人生だお・・
どうして「自分の理解できないこと」を「チキン」「卑怯」と口汚く罵ることにより、自分はそうでないからお前たちより偉いんだって人間が消えないんだぜ?ですぅ
もちろん、俺もこのエントリでその仲間入りなんだぜ?ですぅ
車は移動手段なんだから、目的もなくドライブしちゃいけません!排ガス出して騒音撒き散らして、何が「ドライブは楽しいからwww」ですか!って意見と一緒なんだぜ?ですぅ
むしろ、はてブはお前が見なければいいだけじゃん、結局「しべないいのに」とかタグつけてる奴見ながら「うわっ、キモッ、頭悪い」とか感じて「自分はそうじゃない」っていう優越感がどこかにあるんだよ。だぜ?ですぅ
それとも「死ねばいいのに」タグをつけられた本人が反論できずに顔真赤にして増田に出張ですか?ですぅ
俺はPS3で焼肉やるし、はてブにネガコメつけるし、エアダスターは扇風機代わりだし女は肉便器だ。ですぅ
どうして他人のやることにイチイチ理屈つけて文句つけるんだ、要は不快なだけだろ?ネガコメは不愉快、そう書けばいいだけなのに、ご丁寧に何千字も書きやがってセカチューですかコノヤロー。
元増田です。
思った以上に読まれたみたいで嬉しい。
いくつか反論つーかコメントさせてもらうわ。
あと、俺が探してた本結構面白かったんで発表しようと思ったけどやめた。これは別のところでレビューでも書いてくる。
セカチューとか美しい国へとかてきとうに例として取り上げただけなのに、その本はどうこうとかいちいち細かい点つっつく奴いるくらいだから、具体的な書名書くとバカがつまらんところにこだわって、「その本はなくて当然」「ウチの近くの本屋にはあった」「ウチの近くのブックオフにはなかった」「マイナーな作家だからなくて当然」とか本題に関係ないこと一生懸命取り上げだして話がブレるし。
問題は具体的に個別の本のタイトルの店頭在庫のあるなしじゃなくて、「一般の文芸書で、そこそこ有名な作家の本だがベストセラーとまではいかず発売は2年ほど前。まだ文庫化はされていない。」という感じの本が、新品で買おうと思っても殆どの本屋になくって、ブックオフならありそうって事なんだから。
でも俺が買った本のヒントはどっかにあるんで特定したい暇な人はどうぞ。
>、商売というのは利益を生む為にやってる。
>文化じゃ飯を食えない
>いやだから新刊書店もブックオフも文化のためにやってるわけじゃないスから
>まぁ、ここ10年、5年でもいいや、に出た本を全て置いてある書店、というものを想像するとそれがどれだけ非現実的かは分かると思うんだが。
そりゃそうなんだろうよ。
でも、同じく商売でやってるブックオフは、商売でも成功してるし文化にも貢献してるよ、このままじゃ商売でも負けて潰れるよって話をしてるの。
しかも新刊書店業界(?)の連中はブックオフが文化を破壊とか偉そうにいってるのに、ブックオフに劣るって恥ずかしすぎるからなんとかしてくれと。
でもその状況の中で努力しようよ。
>チラシの片隅に「地域文化を守る○○書店」とか書いてあると、「文化を守るんだろ?△△おいてなくて、何が文化だよ」と、バイト店員締め上げたりするのだろうか。
実際に締め上げると犯罪なのでネットで鬱憤を晴らしているのですがなにか?
>2年で消える「文芸」もダメなんですよね。『人間失格』や『こころ』みたいな本は今後現れるんだろうか?
新しい文芸をそういう作品レベルに育てあげていくのも本屋のレゾンデートルの一つなんじゃないの?
ちょっと「ファミコンのゲームは良かった」っていう懐古厨っぽさを感じなくも無い。
「スーパーマリオ」を今やっても楽しいかもしれないけど、それより新作の方が普通におもしろいよ?
>追記も読んだ。「守り伝えたい」のは誰かといえばそれは市民の総意であって、夏目漱石や芥川龍之介や太宰治が未だに新刊として売られている点についても考慮する必要があるのでは?
下手するとそれらの本ですら街の本屋よりブックオフの方においてなくね?
「市民の総意」に答えないところは淘汰されていく、という気がするんだ。
>ここまで、新刊と古書の併売の話題がまったく出てきていないのだが、一体どういうわけだ?
おまえが書けばいいんじゃね?
>ブックオフに期待して新刊を買い控えるのは最大の愚行。欲しい時に買うのが一番。
俺は発売後2年たってから欲しくなったの!
それで欲しい時に置いてないってどういうことなのと。
ブックオフで新しい本と出合うことは結構多い。
本屋の方が少ない。
>専門書
僕なんかがほしがるのはバカな一般大衆とは違って、まともな文芸本(笑)が多いから、どうしてもブックオフメイン。
とくに古いまともな文芸本(笑)なんて街の本屋さんにはほぼ置いてないし、あっても捜すのが大変すぎる。
こうですか!?わかりません!
>映画館
もう映画見るときは大都市とかシネコンまで行って見るので小さな映画館事情はあまりよくわからん。
昔、新聞屋に映画の招待券貰って一回だけ「街の映画館」的なところに行ったことあるけど非常にしょっぱい状況だったのは印象に残ってる。
>その店に増田さんの求める「文化」がなかった、ってだけの話なのではないかなあ。学参やお料理の本はあったんじゃない?
ブックオフには「学参やお料理の本」もあったし、俺の求めた「文化」もあったんですよね。
> 同じ事象についてのそれぞれ感じること思う事は違うので「理解されてない」というのはお門違いだと思う
いや、俺は文学(笑)を書いたわけじゃないから、読み手の解釈に任せるとかそういうつもりは…
事象を書いただけじゃないし。
>ふられた腹いせですね、わかります
限りなく正解に近い。
というか最初のエントリーで俺がツンデレであることをさりげなくアピールしてたのに、「この増田は本気で本屋さんを潰そうと画策している本屋業界の敵だ!戦わなくては」的に受け取った人がいそうでちょこっと悲しい。
べ、別に街の本屋さんがなくなったら寂しいなんて全然これっぽっちも思ってないんだからね!!コンビニで新刊本買えればあとはブックオフで十分なんだからっ!
(……バカバカ!あんなこといって本当に街から本屋さんがなくなっちゃったらどうしよう!)
なんか面倒になってきた。
まあ最後のがまとめってことで一つ。
『ベストセラーでもない2年前の文芸書』、なんて、そりゃそこらの『町の本屋さん』に置いてあるわけない。
そもそも『町の本屋さん』は、コミックス・雑誌・文庫に比べて文芸書の占める割合自体が少ないんだから。
しかもその本、2年経っても文庫落ちにもなっていないんでしょう?
つまり、売れなかった本、なんだよ。
売れない本をいつまでも棚に置いておいたら、背表紙が焼けたりなんかしてますます売れなくなるし、返品だって受けてもらえなくなるじゃない。
元増田が買いに出かけた本だって、2年前の新刊時には1冊くらい入荷したのかもしれない。
でも、毎日どんどん新しい本は出版されていて、どんどん新しい本が入荷する。
「ああ、これ置いてるけど売れないなぁ」って言う本は返品するに決まってるじゃない。
HDDにだって容量があるでしょ?
容量がいっぱいになってきたら、新しくまっさらなHDDを取り付けるか、中に入ってるファイルのどれかを削除していくしかないわけで。
だけど本屋さんにとって新しいHDDを取り付けること(=棚を増やす、店舗スペースを広げる)は難しいわけだから、中の不要ファイル(=売れない本)を削除していくんだよ。
その『不要ファイル』の中に、元増田が読みたかった『ベストセラーでもない2年前の文芸書』も入ってただけの話。
セカチューだって文庫くらいは置いてる書店多いだろうけど(実際、スーパー内にある本屋だってセカチューの文庫は置いてる)、四六判のほうは置いてない。
文庫落ちしてれば、よほどの変わり者以外はだいたい文庫を買うからだよ。
美しい国、は、そもそもが文春新書なんだから『町の本屋さん』に期待しちゃ駄目。新書関係は、町の本屋さんは数置きたくない(あんまり売れないから)し、場所を取るだけもったいないんだから。
『町の本屋さん』の良さって、「この本が欲しい」って心に決めて買いに行くことじゃなく、ふらふらと店内を巡りながら読んだことのない作家の本をぱら見して「あ、面白そう。買ってみよう」って出会いがあることじゃないのかな。
大きいチェーン系の書店は落ち着かないし・・・。
元増田なんだけどさ、微妙にズレた理解されて悔しいから追記しとくわ。
まずはてダで言及してくれた人、あんたは読解力無さ杉。
さすがにこういう人は少ないと思うけど、いくらなんでも酷いからはてダにコメントさせてもらった。
次、図書館行けって言ってる奴。
俺は所有して読みたいの。
そもそも、新刊で欲しい本が本屋さんで買えなくてブックオフとかにあるのはどうなのよって言ってるのに、「図書館に行け」っておかしいだろ。
「彼女が欲しい」って言ってるのに「ソープに行け」って言うのは違うだろjk
次、「ブックオフにあったのは運が良かっただけ」って言ってる奴。
あんたらもちょっとズレてる。たしかに、俺の探してた本があったのはラッキーの要素はあったと思う。
ただ、一番問題なのは「本屋になかったのは運が悪かっただけ」ではなく、ほぼそれが必然であったこと。
「本屋になかったのは運が悪かっただけ」なら問題ないんだよ。ブックオフはそもそもあんまり期待されてない筈なんだから。
「本屋にはほぼ確実にない。でもブックオフならあるかもしれない。」
これって恥ずかしくないの?ってことよ。
仮に今回俺が欲しかった本が無かったとしても、今後俺が欲しがったようなタイプの本を探そうと思えば、街の本屋にいくよりブックオフにある可能性の方が高いってことが判明しちゃったわけなんですよ。
だいたいね、セカチュー(笑)とか美しい国へ(笑)みたいな過去のベストセラー(爆笑)ですら、もう街の本屋さんにはあるかどうか怪しいですぜ。
この辺ならブックオフには99%ある。
これってやっぱり、ブックオフの方が文化とやらを守り伝えてることになるんじゃないか?
もちろん、ブックオフは利益追求しかしていないよ。amazonだってそうだろう。
まあ、街の本屋さんだってそうなんだろうけど。
でも、利益追求しかしていないのに、文化をしっかり伝えているシステムとそうでないシステムがあるなら淘汰されるべきはどっちなのかってのはもはや明白。
正直、新刊本はもうコンビニ販売で十分だと思うよ。
さようなら、街の本屋さん。
…と言われて付き合ったら途端にスイーツ(笑)っぽい趣味と言葉遣いと服装をその彼氏に強要された女は私の他にどれだけいますか?
流行りの服を着ろ、ピアスを空けろ、ネイルも決めろ、美容院に通え、ファッション雑誌購読しろ、しょこたんを目指せ(笑)、常にダイエットに励め、女の子なら家事全般喜んでやれ(こっちは当然フルタイムで働いてる)etc…
一緒にセカチューを見た時なんぞ、「○○、泣かないんだもんなぁ」という理不尽な文句までつけられた(笑)
これら全てを「女として社会を生き抜くには当然のこと」として執拗に押し付けてくる。だから本人には露ほどにも「強要」してるという自覚が無い。
今の付き合いは惰性以外の何ものでもない。正直疲れ果てた。
何ていうか自分には極めて甘く、無茶苦茶押し付けてくるくせに、都合良くリアリストぶってるのが凄く嫌だ。
タイトルの彼の言葉は、言葉通りの意味じゃなくて「俺好みのスイーツ(笑)を上から目線で育成できるから」って意味だったんだね。
※追記
「何故今まで別れなかった?」を自問しますと
「惰性とか情とか慣れとかいうやっかいな感情:先立つものが無い:彼よりましな他の異性と付き合える機会が持てるか自信無い」が「5:1:4」かなぁ…
いや、「自分の意志力が弱かった」10割なのかも知れませんが…orz
そもそも人並みの恋愛自体自分にこなせる気しないです。
これまで三人の男性と付き合った事がありますが、みな口では非スイーツでも無問題といいつつ結局そういうのを自分の許容範囲で求めてくるから「男性はこういうものだ」と思っちゃってて。
なんというか、ハルキに限らず「ちょー流行って売れてる物」がなんとなく胡散臭く見えて、「嫌い」なんよ。
典型的な厨二病の症状と言えばそれまでなんだけど。
「みんな映画館にならんでまーす」
「けっ、誰が観にいくかよ」
みたいにひねくれちゃう。
でも後日、金曜ロードショーあたりで放送されてるのをダラダラ観て
「なんだ結構面白いじゃん。話題になるだけのことはあるんだなー」
とか思っちゃう。
自分でも底の浅い、くだらない意地だとわかってるんだけど、なんか、アレだ。止まらない。
だから、ハルキもハルヒ本編もセカチューもパフュームも一ミリも見たことなくても「けっ」ってなるんだ。
十センチくらい体験したら多分どれもハマると思う。同時に、だから観たくないとも。