はてなキーワード: ガリ勉とは
目にするたびにむしょうにイライラしてたんだけどなんでかわかんなくってモヤモヤしてた。
さっき思いついた。
あれって、小中学校のころガリ勉秀才だった私のテスト答案をテスト返却のたびにわざわざ見に来て
「わーーさすがだねー増田ちゃんマジ天才^^やっぱ天才は脳みそ違うわ~^^」
とか意味もなく茶化してきてたあほみたいなクラスメイトたちの反応に似てる。
私天才でもなんでもないしただの凡才が泥くせえ努力で100点取ってるだけだよ。
おまえらとたいして違わない脳みそだけど、ガリ勉してるからいい点とれてんの。
あたしは凡人だから勉強してもイイ点取れない、だから勉強しな~い
って思いたかっただけだろ?
って言ってやってもよかったな。
正月に久々に会う親戚に挨拶がわりに学業や職業を聞かれてニートが答えに詰まるというアレである。
いっそ自室に籠城して小便すらペットボトルで済ませるぞとかいう笑い話まである。
まあ、あくまで笑い話なんだが。
諸兄姉にも経験がおありかもしれない。
挨拶がわりに学業や職業を聞かれて答えると、場の空気を冷却してしまう、あの感じ。
大学入学の年には「うちの家系からそんな天才が出るなんてホンマに誰に似たんかしら」と言われ
4年間あるいは6年間たっぷり天才(笑)呼ばわりされて歯がゆい思いをし
就活の年には「そんな大企業へ決まらはったん!?超一流やないの~やっぱりええ大学は違うんやね」と大げさに祝われ
勤め始めてからは「天下の○○の社員さんと貧乏人のウチが同じ鍋つついとるなんておかしいなァw」と意味不明なジョークを言われる。
そしてお決まりのように、卑屈な笑いを浮かべて、しなくていいのにわざわざ対比して我が子をこき下ろす親戚。
「うちのバカなんてカス高校のくせにロクに通いもせんと・・あいついっぺんタカシ君の爪の垢飲ましたってくれ」
「タカシ君が立派にお勤めしとるいうのにあーの馬鹿息子はまーだフラフラしよってからにしょーもない・・」
そしてタカシ君は居心地の悪い謙遜を強いられ、
ついでにクズでカスのしょーもない従兄弟をやんわりと擁護させられるのである。
「いやぁ僕なんてガリ勉なだけがとりえで・・・カズオ君は昔から活発な人でしたから」
とかなんとか言って。
心にもない賞賛と心にもない謙遜。
いい加減めんどくさいのでやめたい。
「そうですね僕は着々と努力してきましたから、今のところお陰様で目標通り人生が進んでますね。
でもこれからどうなるかはわかりませんけどね、このご時世だれだって先行きはわからないものですもんね。
カズオ君もカズオ君なりの考えがあるんでしょうし、彼の人生ですから、フリーターもいいんじゃないですか、ある意味では。
今の時代はフリーターだからといって世間様に恥ずかしいってことはないでしょうし。」
とか言ってみたい。
向こうだって本当に思ってること言えばいいのに。
ハックルさんみたいなタイプはネット上にけっこう多く存在している。
アフィブロガーは儲ければ満足だし、ネタブロガーは注目を集められれば満足だが、
過激な見出しで読者を釣ったり、断定的な口調で極論を述べてツッコミを誘ったりするような、
「PV乞食」「ブクマ乞食」的な行動を、平気な顔をして堂々と行う。
「ブログを踏み台に単著を出して成り上がろう」といった野望を隠さない。
それを馬鹿にされても苦にしない。
馬鹿な同級生に「あいつはガリ勉だぜ」と嘲笑されているような気分だろう。
高校時代半分死にそうになりながらも勉強して、どうにか大学に入って、ようやく前期も終了しました。で、前期を振り返って、やっぱり大学に入ってよかったなーと思いました。
自分自身、高校時代はホントに勉強が嫌いでした。何のために勉強するのか理解できなかったんですね。けれど、半ば無理やり頭に詰め込んでおりました。じゃないと赤点とって大変なことになってしまいますからねw一度取りそうになりましたがどうにかこうにか云々。
で、どうにか興味のある分野の勉強ができそうな大学を見つけたので、まあ少しは勉強に対するモチベーションが上がって、結構涙目になりながらも合格して、晴れて大学に入学することになりました。
大学の勉強は、高校とは比べ物になるものじゃなかったです。レベルとか、内容とか、速さとか、量とか、いろいろ。
けれど、私の勉強に対する考えは大学に入ってから結構変わりました。勉強って面白いじゃないの、学問って結構楽しいんじゃないの?って。
講義中に謎いところがあって、どうしようもなくモヤモヤしてしまったので、担当の教授に突撃してみることにしました。緊張しながらも、講義が終わった後教授の所に行って、質問してみました。が、ハッキリとした答えがもらえませんでした。けれど、そのまま放置してみるとモヤモヤが増すばかりだったので、まあ仕方ないやと思い、教授からもらったヒントと、図書館やネットで調べたことと、講義中に知ったことを組み合わせて考えをまとめてみようとしました。最初はホントに難しかったです。けれど、すごい楽しかったです。ああでもないこうでもない、と悩んでいるのがすごく楽しいし、自分なりに答えを見つけたときの快感は、一度体験したらなかなか離れられないものですw(これをやっていたお陰でレポートには困らなかった、というのはヒミツw けれど、考えすぎて仕上げるのに結構時間かかったなぁ)
で、ホントにそれでいいのか疑問だったので、自分の考えを教授にぶつけてみたら、その後、すごく興味深い話を沢山聞くことができました。そこでもやっぱり分からないことがあったので、モヤモヤしならも調べたり考えたりすることにしました。今もちょっとモヤっとしてることがあるのですが、夏休みが終わったら全部ぶつけに行こうかと思っております。ぶつけられるように準備しないとなー。
あー、でもまずはテスト終わってからだー、単位落としたくないー。
まあ、こういう動きを見てると周りの方々に引かれるわけですよ。ガリ勉乙、と。でも、私は別にいいんです、それで。だって面白いんだもん!!!!仕方ないんだもん。かっぱえびせんと一緒ですよ。やめられないし、止まらない。それに、楽しい。大学に入ってよかったなーと思っておりますよ、今は。
え、それだけだったらただのガリ勉じゃないかって?問題ないです。サークルとか恋とか友人ズとカラオケ大会とか学祭とかゼミ会とか、いろいろ楽しいですよ。これだけみるとリア充っぽいですが、たぶん、リア充じゃないですw彼氏いないもん!w
ああ話ずれた。
学ぶということってなんなんでしょうね。っていうのが目下の疑問です。大学に入った以上、学んで、3年生の後期くらいからは卒業研究もしないといけない。
私のやっていることは「学問」の真似事になってしまってはいないだろうか、とふと思うのです。もちろん、そうやって巨人の肩の上に立たないことには何も始まらないのでしょうけれども。
真似事じゃ、面白くないじゃないですか。やるなら、ガチで、本気で、学問とぶつかってみたいのです。友人たちには言えませんが。こんな事言うとホントに引かれかねないw
まずは、自分がやりたいことを洗い出すと、前提となる知識を付けて脚力をつけることから、始めたほうがいいのかもしれないですね。まだ、分からないことがたくさんあって、手探り状態ですし。
ガチでぶつかりつつも、楽しめれば一番最高なのですが、そううまくいくのかしら・・・w
こんなgdgdなモノをここまで読んで下さりありがとうございました。考えをまとめずに書き始めるとやっぱりうまくいかないwww
先生が「外で遊びなさい」と言ったから「外で遊ぶ」のが正義だった。
だから「教室でおとなしく本を読んでいる子」をいじめてもよかった。
先生が「雨の日は読書をしなさい」と言っても「本を読んでいる奴」は悪だった。
自分だけガリ勉してて、なんだかおもしろくなかった。本は読まなかった。
それなりに大きくなった。
相変わらず本を読む奴は敵でスポーツをしない奴も敵だった。
テストは一夜漬けが基本、休みの日は元気に外で遊びほうけていた。
勉強する奴は「ずるい奴」だと思っていた。
仲間のために一緒に遊ぶ奴が「いい奴」だと思っていた。
ところが大人になってみれば、そんな友情はいらなかった。
どれだけ相手を出し抜くか、自分がどれだけ賢いかが大切だった。
「仲間のために」なんていらなかった。「ずるい奴」ほど正義だった。
あの日一人で本を読んでいた奴は何をしているんだろうか。
一杯勉強して偉いさんになったんだろうか。
それともまだ一人で閉じこもって本を読み続けているのだろうか。
自分ではそのつもりなくても、パワハラしてるんじゃね?ってことだろいわせんな。
その話を聞いた私は反射的に、
「そんな魅力的なキーホルダーを付けていたのも悪いよ。」
脊椎反射で、間違ったことをしていない家族が悪しざまに言い、それを問題視していない。
しかし、私にしてみれば、他の子の目を引かないような子どもだましのキーホルダーでお茶を濁しておけばいいとしか思えません。カワイイことにそれほどこだわる必要性を感じないのです。
妻が怒りを感じている原因を理解しておらず、問題収束にのみ注視している。
「主流派女子のものさし」と「ガリ勉の人達のものさし」とで両親がチャンバラしていれば、子どもも安心して自分のものさしを振りかざせますから。
物差しのすり合わせをする必要がなく、物差しの差の吸収を子供にさせようと考えている。
自分の疑問を解決しただけで終わっている。
4歳の娘の通園バッグに付けていたキーホルダーの一部がお友達によってむしり取られるという事件が起きました。
それはそれはカワイイキーホルダーで、リボンから宝石みたいな飾りがいくつもぶら下がっています。その飾りの一つをお友達がポケットに入れて持って帰ってしまい、おうちでお母さんに見とがめられて次の日に返してくれたというのが事実関係の模様。
子ども同士の間では落ちていたのを拾っておいてあげたという話になっていたものの、母親同士が顔を合わせたときに謝罪されて真相が発覚したのだそうです。
その話を聞いた私は反射的に、妻と二人の時間にそんな報告を聞いた私は反射的に、
「そんな魅力的なキーホルダーを付けていたのも悪いよ。」
と言いました。良識派のありがちな見解を何気なく言ったつもりでした。
すると、妻が思いの外、強い調子で反論してきました。
幼稚園ではキーホルダーを一つだけ付けていいことになっていること。
そのきまりを守らずに複数付けている子もいること。
そもそも我が家は長いこと付けさせていなかったが、幼稚園でまわりを見渡すとみんなが付けていて娘がかわいそうだから一つだけ厳選して付けたこと。
上履きは白無地のきまりを我が家は厳格に守っているが、キャラクターがプリントされたものをかなりの子が履いていて、それは参観日に私も見ているはずだということ。
しかし、私にしてみれば、他の子の目を引かないような子どもだましのキーホルダーでお茶を濁しておけばいいとしか思えません。カワイイことにそれほどこだわる必要性を感じないのです。
しばらく平行線の口論が続いた末、妻が放った一言に私は衝撃を受けました。
「みんながうらやむカワイイモノを誰がいち早く持っているかが、女子の力関係を決めるんだからね!」
この一言で私の好奇心のスイッチが入ってしまい、妻もぼんやりしていた考えがシンプルに表現できたことに満足してしまい、口論はどこかへいってしまいました。代わりに、この説を深めていく会話が始まります。
「でもさ、それって俺が東大で出会った同級生の女の子達は、また別だよね?」
久しぶりにガリ勉という言葉を聞きました。東大ではまず聞かない言葉です。でも、このカワイイモノをめぐる女子の力学を語るには、「ガリ勉の人達」という表現は絶妙です。
男子校育ちの私にとって長年の謎だった「女子の力学」の秘密が、やっと見えてきたように思いました。
言われてみれば、ごくごく単純な話で、
なわけです。でも、何だかんだで腕力が権力の源泉となる男子の力学からすると、ファッションなんて取るに足らない(ように思える)ものが権力の源泉になるなんて、なかなか実感が湧かない価値観なのです。
もちろん、このファッションの表す意味の範囲やカワイイの基準はグループごとに違うわけですが、そこに学校の試験の点数がほぼ無関係なのは間違いありません。
ということで、家庭には価値観の振れ幅が出来るだけ大きくあった方がいいと改めて思ったのでした。
「主流派女子のものさし」と「ガリ勉の人達のものさし」とで両親がチャンバラしていれば、子どもも安心して自分のものさしを振りかざせますから。
元増田だけど、その辺はデマなのは常識的に考えて分かるだろと思って素でスルーしてた。
すまん。
なーんか元togetterのブクマが100近くになっててびびったんだけど。
全体的になんかズレてる人が多いような。
旦那の稼ぎが良いと働く必要が無いのだ。
じゃなくて、根本的な要因は「稼ぎが良い旦那&それと結婚するような妻は子供の教育に熱心」
→「子供に良い教育を受けさせるには母親が専業主婦である必要がある」でしょ。
それ以前の幼児の時点で名門幼稚園通わせるか保育園通わせるかで教育内容に差が付くわけで。
特に医学部入れるような女性は、自分も金持ちの父親&専業主婦の母親の元で高等教育を受けたお嬢様が多いだろうから
自分の子供にも同じ事をするのは当たり前、と考える人は多いだろうね。
しかし、こういう人は金持ちだから「卒後●年間奉公しなければ金払え」方式にしても金払っちゃうんじゃないかなー。
逆にその金が払えない、普通のサラリーマン&パート主婦の元に生まれて公立高校から必死でガリ勉して医学部行った娘、とかだったら
元々主婦なんてそう簡単にならんよ。
都内まで30分とかそのくらいのところなので、それほど田舎でもない。
都内では公立の小学校。1学年100人くらいだからみんな顔見知り。
その中で、飛びぬけて上でも下でもない、ごく普通の人だった。
それがあたりまえだったから、実は違うって知らなかった。
テストの難易度のせいかとも思ったけれども、逆に東京のほうが難しかったと思う。
で、できなくてもぜんぜん平気。30点のテストを平気で人に見せる。
毎日めちゃくちゃ走らされる。午前中の中休みに2km+その他の休み時間に1kmがノルマ。
未消化分は累積していく。たくさん走る奴=カッコイイ。毎日7kmとかどこの野生児だよ。
都内の高校へ行った子が言っていた。
「私は下から1割くらいの成績だったけど、クラスメイトの東京の子は学年ビリだったって。
それで同じ高校に入ったってことは、私も東京にいたら底辺だったんだね……」
ある程度実家に入れて残りは貯金したり好きな物を買ったりしています。
友人は少数、たまーに外に出たり、家に来てもらったりして会います。
ひきこもりと言ってもときには散歩もするし、インドアな趣味もあります。
ですが、定期的に欝というか、ぼんやりとした不安が来るというか、
そもそも平常時、他の人なら何も無い普通の時間というべき時に、
正直、ぬるい生活だと思います。
でもいつまで続けられるしかわからないし、若いのは今だけなので
外に出て一生懸命働いて、もっと多くの人と関われば、
もしここまで読んでくださった方で、
性格が明るくなった、暗くなったという話があれば、
よかったら書いて頂けないでしょうか。
最近そんな内容多いよね
この意見の問題点は「達成者は未達成者より必ず経験値が高い」と言いきってしまっている点で、まずそれがおかしい
大体「真面目に勉強する奴キモイ」等の意見はもともと聞くに値しない感情論なのにもかかわらずそれに対して
自分を勝手に評価する側に置いて自己肯定を繰り返すプログラム文にしちゃってるんだからホント気持ち悪いわ
多分さ
こういう人が成功するんだろうし正論だとは思うんだけど
なんだかなーと思う
いや言ってることは正しい、って言うか、観察は正しいと思うんだけどね
あー
と思う
人生の一発逆転という悲しい夢 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20101128 のエントリを見て。
自分は発展途上国の生まれではなく普通の日本人だが、スラム街からほぼ自宅勉強だけで有名大学に行って、
誰もが知っているような有名企業ではないがホワイトカラー的な仕事にありつけた経歴を持っている。
努力してたまたま上手くいったから悠長にこんな文章を書けるのだが、努力しなければ逆転の可能性は皆無なのは言うまでもない。
もちろん自分の能力だけではなく運による所が大きかった事まで否定する気はない。
逆転といっても大きな逆転ではなく、マイナス50からプラス10くらいになれた程度の事で最初からプラス30-50の立場にいる人に追いつけた訳じゃない。
前置きが長くなった。
スラム街っていうのはざっくりし過ぎた表現だけど、自分が育ったのは元記事の言葉を引用するなら「貧しくて学のない者たち」しかいない地域だった。
工場、零細土建屋、零細不動産屋、運送屋、場末のスナック、パチンコ屋、個人商店が地域の主力産業で、
地域住民は中卒高卒、たまにFランク大卒がいて作業服着用がデフォな人々で構成されていた。
そういう地域というのは宝くじもそうだが、酒、タバコ、漫画やゲームがよく売れて、サラ金、ギャンブル、外食、風俗、新興宗教、中古車屋、改造パーツ屋が儲かる。
ワークライフバランスが取れていて、ゆとりのある生活を送っている人は金を計画的に使うことができる。
しかし「学のない」「愚かで貧しく、現実に絶望している人」は精神的にも肉体的にも相当追い込まれるキツイ仕事をして少ない収入を得ているため、
出費の歯止めが利かない。わずかな収入を使ってでも現実逃避手段を確保しないと気が狂ってしまう。
例を挙げるなら、現実逃避手段を食事に設定している人は過食症気味になってブクブク太る。貧乏人ほど太るというのはこれである。
酒に設定している人はアル中になり、新興宗教に設定している人はそのままカルトな信者さんになる。
現実逃避手段の確保がうまくいかなかった人が家族殺し、一家心中、幼児虐待に走るのだろう。
そういうのが身近な世界にかつて身を置いていたためよく見える。
じゃあ、そういう世界から、抜けだしてまともな世界に行くにはどうしたらいいのか。
大学に行ったから将来の成功が約束される訳じゃないが、行かないとスタートラインに立てない。
大学に行くまでは自分と似たタイプと付き合うべし。多様な人間がいるから中学高校はいろんな人間がいる学校のがいいとか言い出す人がいるが、
中学高校の多様な人付き合いなんて社会人目線で見たら全然多様じゃない。
自分と似たタイプ、似た境遇の人間が集まる環境のほうが一生ものの友人が出来る。
生まれ育った環境がクソな場合、まわりにいる低学歴者や貧乏人が
「真面目に勉強する奴キモイ」「ガリ勉カッコ悪い」「勉強頑張ってもいい事無い」「金持ちが幸せになれるとは限らない」
と色々言ってくるが、大半は自分の境遇を正当化したいだけの言い訳なので聞くに値しない。ウザイなら付き合いを切ること。
実際、成功者を僻んだり成功者の人格批判をするくせに、成功者が足を踏み外して落ちぶれたら卑屈な笑顔を浮かべて喜ぶ輩が
「学のない」「愚かで貧しく、現実に絶望している人」のコミュニティにはかなり存在する。付き合うほど損だ。
どこの学校か、どこの地域に住んでいるか、どんな仕事をしているかでコミュニティのレベルは全く変わる。馬鹿しかいないコミュニティにいて賢くはなれない。
福沢諭吉を批判する訳じゃないが、実際問題、天は人の上にも人の下にも人を造っている。人間皆平等とほざくのは安全圏に身を置いている金持ちのみ。
自分の生まれ育った環境がクソすぎると思っているなら、その環境を捨てる事を前提に考える。家族がクソなら出来るだけ自宅から距離を置くこと。
感情を殺せとは言わないけど、逆境というのは不愉快な思いのオンパレードなので、日々一喜一憂せずに淡々と成すべき仕事に専念しましょう。
「学問のすゝめ」ってそういう内容だったのね。
俺みたいな成り上がり系キャラは特定の分野を重点強化してきた奴が多いからカバーしてこなかった分野(文化的教養とか)は弱いんだ。
余裕が出来てから苦手分野を補強します。
人は見た目で判断される。
それを確信した。
中学生くらいから、自分のことをものすっごいブサイクだと思っていた。
肌は汚いし、目は小さいし、全体がのっぺりして、丸顔で太って見えるし、髪の毛はゴワゴワ。
理由はいろいろある。
実妹が某モデルにそっくりの美人で、ずっと比較されていたこと。
化粧が濃いだけなブスでビッチな同級生に、好きな人を奪われたこと二回。
自分の中ではスキンケアやメイクも努力していたつもりだけど、いいことなんて一つもなかった。
コンプレックスが根強すぎて、ふとした瞬間に、なんで自分はこんなにブスなんだと一晩中泣いていた事もしばしば。
彼氏は事実、私の性格が好きで付き合っていると言ってくれている。
そんな私だけど、無事就活が終わったので、バーテンダーとして働き始めた。
夜の商売ということで化粧を濃くしろと言われた。
つけまつげをしたら、まぁ一応ギャルっぽくはなったけど、当然のっぺりのまま。
化粧カウンターでBAさんに化粧してもらってものっぺりなのだ。
と、上の流れを簡単にアハハハなんて笑いながら話してたら、常連の水商売のお姉さんが、
「いや、●●ちゃんの顔はすごい化ける」
と、真剣な顔で言い出し、その場で手持ちのメイク道具で化粧を始めた。
アイプチをして、今までにない太さでアイラインを引いて、濃い色のアイシャドウを厚めに塗って、眉の形を変えた。
私の顔は、別人の顔になった。
まぁそれでも土台が土台だから、改善って程度だろwwwと思うようにして、調子に乗らないようにしてた。
けど、化粧変えてから、明らかに周りの反応が変わった。
客に口説かれまくる。
一ヶ月程度の間に、五回ナンパされる。
久々に会った友人に、なんか大人っぽい!と絶賛される。
小さい頃から、美人に生まれていたらリア充生活で人生薔薇色なんだろうなーと妄想していた。
うまく化粧をすると、元が童顔で暗い髪色なのも相まって、清楚系美人になった。
リア充も、今までガリ勉扱いでpgrしてたくせに、馴れ馴れしく話しかけてきやがって。
特に男が嫌いになっていく。
なんであいつら体裁とプライドとセックスのことしか考えてないんだ。
相手が可愛いと、あからさまに優しくなる。
顔でもてはやされても、くっだらねぇーとしか思えないしね。
顔で得るものは、益より損のほうが多い。
今まで顔の分、性格と頭と根性を磨いてきたけど、その評価の方が気持ちがいい。
で、信頼感がどんどん増しているのが彼氏だ。
化粧が上手くなってから「可愛くなったね」と言ってくれるけど、今も変わらず、性格が一番好きだと言ってくれている。
人間は、見た目で判断される。
だけど、今までコツコツと築いてきた能力の方が、大事だって事に気づいた。
調査】草食系男子が増加 男性20代「恋愛をするのが面倒」58%、「SEXが面倒」24%★2
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1282622588/
上記スレに文句ばっかり書いてる奴とか、女を叩いて喜んでる厨とか、男は独身に限るとか言ってる増田とかの心理って、http://2chcopipe.com/archives/51521166.html に書いてあるニートと同じなんだと思う。
毎日のように漫画・アニメ・ドラマ・ゲーム といった架空の人物・世界に感情移入して育ち、
『勉強だけが人生ではない』 『勉強だけ出来ても駄目だ』 『ガリ勉は社会で通用しない』
などとゆとり教育の甘い言葉に流されて勉学に対する努力を怠り、
その一方、ネット上では大企業・国家の方針を連日批判して悦に浸り、
ゲームやドラマで育んだ “特別でありたい” という願望を満足させ続ける毎日。
そうやって過ごしてきた人間が、就職活動という『現実』 を突きつけられてパニクる。
毎日大企業や国家の方針に提言してきたこの俺が上場もしていない企業に…
──ここで、この“現実と理想のギャップ” を受け入れることの出来なかった人間が、ニートと化す。
これは高学歴でも低学歴でも同様。持つ理想、置かれた境遇が違いはするが、
自己評価・現実に対する認識が甘過ぎた人間である事に変わりはない。
そんな彼らは口をそろえてこう言う。
『社会が悪い。政治が悪い。俺達が働 “け” ないのは俺達のせいではない』
身奇麗にする努力も、ステータスを上げる努力も、人を思いやれる気持ちを育むことも、何もしないで「かわいくて料理の上手な嫁」を誰かが「与えてくれる」のを待ってるだけ。
(8/9 追記)
最近処女の話題がブームなので、時流に乗ってなんで自分が処女を守るに至ったか経緯を書くか。
色々ばれるとやばいので大分ウソも混ぜてるからネタ半分で読めばいいよ。
私が処女に対して考えるようになったのは、祖母の存在が大きい。祖母は三人兄弟の長女で、大学に通っていたようなお嬢様だった。けど、祖母の妹が結構奔放な(当時としては)人間で、彼女は海外に留学してみたり、人の男を寝取ってみたり、なんか散々だったらしくって(祖母自身はこの話を断じて口にしなかった。聞いたのは祖母の弟からちょこっと)いつも祖母が尻拭いをさせられていたみたいだった。
それで、まあ妹にコンプを感じていたらしき祖母は時代の流れで祖父と結婚、そのまま一人息子の父を生み、育てて、父を母と結婚させた。
多分ここから始まった。母が私を産んだ時、祖母が言ったのは「○○さん(母の名前)、この子の世話は私がやるから」。母は勿論大反対したし、私を抱きしめて「何考えてるんですか、私の子供よ!」っていったらしいけど、祖母は頑なに聞かなかった。祖母と母は一緒に暮らしていたし、祖母は本当に私の世話をするようになった。母が私を抱いていたら怒り出す始末。
それで祖母が私を育てることになった。なんていうか、もう時代錯誤も甚だしいようなお嬢様教育の嵐。お茶とかお花とか着付け、踊りとか、浴衣縫えるように教えられたりとかさ。
乗馬はやってたけど、一つ上の女の子が落馬して肋骨折ったって話を聞いたら速攻やめさせられた。まあそれは自分の教養になったし、まあ経験して悪くは無いなって思ったけど、祖母が念仏のように呟いていたのは「処女でいなさい」だった。こんな直接じゃなかったな。なんか「清くいなさい」みたいな。あのババア。
なんというか、祖母は私を三島の「女神」の女みたいにしたてあげたいようだった。残念ながら、中身を持つ人間はそこまでお人形さんにないんだけど。
ほんでもって話は戻る。私が高校に上がる前に祖母は死んだけど、小学校中学校(私が通っていたのは小中高一環の女子校だった)までの六年間、まるで意味のわかっていなかったころから、ようやく意味がわかるようになるころまで、ずーっと「処女でいなさい」って言われた。まるでそれだけが私の価値みたいに言われた。
まあそれで私も処女であることはスペックであると考え出した。というか、トレードできる価値、財産みたいなものって考え出した。でもどこかでねじまがっちゃった気がする。
祖母が死んで、高校に入ってから結構私はモテた。学校は清楚とお嬢様と上の下偏差値でまかり通ってる女子校だったんだけど、中身はガリ勉かキモオタか派手か普通の子って感じの区分だった。それで私は普通の子と派手な子の中間層だったから、派手グループによく合コンにつれていかされた(医者とか、弁護士とか)し、普通に人気があった。道ばたでもナンパもよくされたし、まあ自分の顔立ちは悪くは無いなと思っている。まあ派手だしな。ていうか外見には自信があんだよ(毛深いのがコンプだったけど)。
そんなこんなで高校に入って速攻彼氏も出来た。高校一年のとき。ワセケイのお坊ちゃん。イケメン。そこそこチャラい。キスもしたし、まあ車もってたからデートは楽しかった。湘南行ったり。そんなこんなで、家に誘われた。家はでかい。ていうか、山の手の内側でここだけの土地かよ、と思った。家には普通にお坊ちゃんの両親がいたけど、部屋に通されて、あー、セックスするのか、と思ったとき、はたと気付いた。
「こんな男に私の処女、やっちゃっていいの?」
はっきり言っておくけど、私みたいな美女の処女は安くない。ぶっちゃけ5億円ぐらいの価値があるって思った。非処女はタダってわけじゃない。こんなチャラ男にタダマンさせるほど安くはねぇよ。って思った。
その後即効その男を振って、大学に入って、また何人か彼氏が出来た。でもいっぺんもやらせなかった。なぜなら私は価値がある女だから。処女=絶対無比の価値。なんか変な価値観が凝り固まっていた。その価値に見合う男が出るまでやらせねぇよ、と思った。サークルも飲みサーみたいな感じで、一時期穴なし女みたいにうわさされたけどニヤニヤしてた。
男は私にとって見せびらかすアクセサリーでしか感じられなくなった。本当に好きな男ができない。セックスして愛を確かめる行為も出来ない。男はすぐにセックスを求めてくる。
それに答えられないから嫌がる。分かれて新しいアクセサリーを探す。
セックスを求めてくる男がいる限り、女に処女であれって言うのはなんてナンセンスなことなんだろうね。だってあんたら付き合った女とセックスしたいって言い出すじゃん。結婚するまで我慢しろって女に言う前になんで男が我慢できないの。
大学を卒業した私は商社に勤め始めた。そんで、親友の紹介で来週結婚する医者と会った。
医者、イケメンだった。しかも、ものすごくいいやつ。誠実。親友の紹介だけあって、信頼できる。話も合う。なんでこんな奴に彼女がいないのか、と考えて回りに聞いたら、彼女は事故で死んでた。漫画だろ、セカチューかよ、と思ったけど、まあ、付き合った。楽しい。
それで医者と三ヶ月ほど付き合って(会ったのはそのうち6回ぐらい)くるまのなかで、今からホテル行ってセックスしようかみたいな雰囲気になったとき、私はいつも通りいやだ、って言った。「なんで?」って聞かれたから「結婚するまでセックスしない」って返した。そしたらしばらく考えて、「今日はしないから、結婚しましょう」みたいに言われた。ああ、うん、って答えて、それでなんかとんとん拍子で結婚が決まった。
でもここで一つ怖い話がある。はっきり言ってセックスを結婚してもしたくない自分がいる。私の価値が結婚した瞬間に損なわれてしまう気がする。こんなにいい男でさえ、処女を惜しいと思っている自分が馬鹿だとは思うけど、できれば一生セックスするのが怖いんだ。
処女が好きな男は処女を頑なに守る処女を、まるでユニコーンかなんかみたいに思ってるみたいだけど、ぶっちゃけ、処女は5億円の価値があると見込んだ男にしか処女はやらないと思ったほうがいいよ。だから、美しい処女がほしいと思う男はそれに見合う男でいるの? って思う。私は来週ダンナになる男にさえ、処女をあげるのを惜しんでいる。
私が一番今恐れているのは、自分に娘が出来たらということ。
「処女でいなさい」って発狂しそうなほどいやな祖母の言葉を私も言うかもしれない。
なんか結婚特有の雑務から帰還したらブクマ数が凄くてびっくりした。ある種マリッジブルー的な吐き出し文だからすぐ流れるかと思ってた。
言いたいことを吐き出してレスポンスがいっぱい返ってきて、矮小な自己顕示欲がちょっとだけ満たされて嬉しかったです。コメント? をちらって見て、おっさん扱いされていてなんか不思議な気分になったり、ネタだろ、という言葉に、私自信読み返したらこの文章がネタにしか見えなかったので、ああ、ごめんね、ってなりました。まあここで真実です!なんていったところで何の価値にもならん。だいたい内面の価値などどうでもいい(と教えられてきたしね)。
ただタイトルだけは真実です。まあ信じる信じないにしてもさ。私は処女で、まあ美人で(自分で書いていて結構笑える)、お嬢様だと思います。お嬢様っていう定義が、いわゆる、金持ちテンプレート的な習い事を受けていた経験があり、実家が裕福で、お嬢様学校に通っていたっていう条件ならね。
でも、この三つを満たしていても、私は醜いです。歪んでます。肉体的や経験的には処女で、きっと男性の幻想的な理想であるでしょうよ。私は経験からも「男の理想まんまだなあ」と感じています。正直、チヤホヤされなかったことなんてない。オッサンは特に優しかったし、誰に対しても私はしっとりしたお嬢様を完璧に演じることが出来ます。自慢だけどね。
「清く・正しく・美しく」こんな旧態然とした教育の中(それが悪いとは言わないし言えない)、私は「清くあること」を多大に押し付けられたせいで、内面がその抑圧で歪みきってしまった。
全くもって「みにくいおんな」になってしまったんじゃねーの、と思っています。古い思想は美しい。日本の心は好きだよ。大事だし、守るべきもの。でもさあ、それを現代に無理やり当てはめようとすると、絶対上手くやってけない。それを教育っていって子供に押し付けると、心がどっか変なふうになっちゃうよ。上手く適用するように柔らかくしなきゃ。
たかが処女膜。穴にあるもの。よくわかんない。それをここまで守ってこれても、私は祖母が理想とした幻想の処女でいられなかった。お人形さんになれなかった。
私は処女性を持つことと処女であることは、似て非なることすぎるんじゃないかと思う。マンコをいくら使わせても心の清い女がいる一方(罪と罰すぎて笑える)、こんなに醜くなってしまった私がいる。
「あなたはもう幻想の女しか抱けない 」じゃないけどさ、もう処女を幻想視されて押し付けられて、それを価値観で心の中でガチガチに塗り固めて、それで「私は清らかなんです」なんて外面さげてヘラヘラするのにいい加減疲れてしまった。大事にしていたものが今では重過ぎる。
本当の最後に私が大好きな本の一部を引用する
生きる時間がずっと長くなったおかげで古い価値観がもう使えなくなった。セックスの事を15歳で知り35歳で死んでいたときは明らかに問題は少なかったはずだよね。今は8歳とかそれぐらいで知り、たいがい80歳まで生きる。その間を1つの考えでやっていくのはちょっと長すぎるよ。
しかも同じ退屈な考えで。
「ぼくの哲学」アンディ・ウォーホル