はてなキーワード: 青酸カリとは
馬鹿がうっかりウンコを食うと死に、「ウンコは臭いので食わないようにしよう」と思った、というかウンコを臭いと感じた個体が生き残ってきたからウンコは臭く感じられるわけだろ
ってことは、臭くないウンコはマシで、超臭いウンコはその分食うとヤバかったりするのか?
でも青酸カリとかって無味無臭じゃん 人間の嗅覚は完全無欠ではない、どころかかなりゴミ 致死毒すら判別できないのに毒性の強さなんてわかるわけない はい論破
でもウンコって生活に密接してんじゃん どんな生き方をしようと、ウンコの臭いを嗅がずに暮らすのは難しいよ 海で暮らそうと山で暮らそうとウンコの臭いは嗅ぐ 潮の香りや草の香りは嗅がないことがあるかもしれないけどね ってことは人類がかなり得意とする香りなわけだし、かなりうまく判別できたって不思議はない 翻って、自然界には存在しない青酸カリが分かんないのはある種仕方がないというか、そんなものまで対処しろっていうのは酷でしょ
前回「作者の発言は公式設定なのだろうか」というエントリをアップした。今回の日記はそれの続きというか補足になる。
まず、前回のエントリの内容を一言でいうと「東方Projectで最強議論したけど話が噛み合わなかったよ」という話だ。
すこし前、とある掲示板で「東方Project」で最強は誰かという議論になった。
私は永琳というキャラを最強だと主張した。
お互い譲らず議論は平行線をたどった。それ自体は別にどうでもいい。最強議論なんてそんなものだ。ただ、私にはこのわかりあえなさそのものが興味深かった。
なぜ我々の議論は噛み合わなかったのか。
おぼろげながらその理由がわかったので、ここに書き残しておく。
なお、永琳とかヘカーティアとか何だよ、知らんわ、キモって人もいると思うが、以下の文章にはまったく関係がないので安心してほしい。
結論からいえば、我々がわかりあえない根本的な原因は、世界の捉え方が違ったからである。
議論の土台部分にあたる各々の世界観が異なるために、話が噛み合わないのである。
それでは、彼(もしくは彼女)に見えている世界、私が見ている世界とは、それぞれどのようなものか。
端的にいえば、彼は世界をドラゴンボール的に捉えていたし、私はハンターハンター的に捉えていた。
このように書いても何が何だが意味不明だろうから、以下で詳しく述べる。
さて、話は急に変わるが、全盛期のマイク・タイソンと私が喧嘩したらどちらが勝つだろうか。
「そんなのマイクに決まってるだろジャップボーイ!HAHAHA!」
という意見が圧倒的に多いと思われる。
ところが私はそうは思わない。勝機は充分あると思っている。
もちろん、ボクシングの試合なら私はタイソンに勝てない。1万回やって1万回負けるだろう。
でも、真剣勝負なら話は別だ。例えば「タイソンを車でひく」とか「タイソンの飲んでいるコークに青酸カリ入れる」とか「タイソンが寝たところで家の周りにガソリンをまいて火をつける」とか、やりようはいくらでもある。
ガチの殺し合いなら私でもタイソンに勝てる可能性があるのである。
つまり、これは勝負というものを試合という感覚で捉えているか、サバイバルとして捉えているかという違いだ。前者をドラゴンボール的世界観、後者をハンターハンター的世界観と表現することもできる。
ドラゴンボールの世界では勝負とは殴りっこである。勝負は単純な「殴る、蹴る、手からだしたボールをぶつける」といった手段によって争われる。
ここではパワーこそジャスティスである。よりスピードの早いものが、より強いパワーで相手をぶん殴って破壊する。基本的にはそれがずっと繰り返される。
ここでは格下が格上に勝ったりはしない。戦闘力が低い者は戦闘力の高い者には勝てない。そういうシンプルな世界なのだ。勝ちたければ修行するなり、変身するなりして相手より高い戦闘力を手に入れるしかない。
ここでは能力というものが非常に大事になる。一人ひとりに個性的な能力が与えられていて、それをどう使うかが勝負の分かれ目になる。
能力は一撃必殺のものも多く、ハメさえすれば格下が格上に勝つこともある。
例えば、シャルナークというキャラは針使いだが、針さえさせば相手がどんな強者でもその時点で勝ちである。フクロウというキャラは風呂敷に包めばどんな強い相手でも無力化できる。
だからハンターハンターでは「相手をいかにして罠にはめるか」が非常に重視されている。
クロロという作中で最強クラスのキャラとして描写されている者でも、主人公たちの罠にはめられて無力化されてしまうという場面がある。
そういうシビアな世界だから、相手を罠にはめる発想力と同じくらい重視されているのが用心深さである。実際にハンターハンターでは強者であっても決して油断せずに常に神経を尖らせている。作中人物は自分の能力をペラペラ相手にしゃべったりしない。
要はハンターハンターの世界は、試合ではなくサバイバルなのである。先程、述べた「タイソンに毒薬飲ましたら勝ち」みたいな世界観なのだ。
ドラゴンボールとハンターハンター、それぞれの世界観を簡単にまとめるとこんな感じになる。
パワー、スピード、頑丈さ
パワー、スピード、頑丈さ、能力、発想力、用心深さ、対応力、その日のコンディション、メンタル、知識、相手との相性……などなど
私は後者のハンターハンター的世界観をもって世界を捉えている。
私の考える最強キャラというのはサバイバル勝負して最後に生き残るやつのことである。パワーとか火力が一番のやつ=最強ではない。
最強とは「パワー、スピード、知力、用心深さ、能力の強さ、能力の多彩さ、観察眼……」といった諸要素の総合点が一番高い者と言い換えても良い。
逆にヘカーティア最強説信者には、「最強」という言葉に、ドラゴンボール的なマッチョな世界観を思い描いている方が多いのではないかと思われる。
このような世界観の違いが、永琳派とヘカ派との間に横たわる深い溝の根本原因ではないかと考えた次第。
つまり何が言いたいのかというと東方で最強は永琳だということだ。
私が言いたいのは結局のところその一点である。
永琳最高!永琳最高!イェイ!イェイ!
【補足】
変な勘違いするやつがいたら嫌だからあらかじめ書いておくが、私は「ハンターハンターのほうがドラゴンボールより優れている」みたいなことは一切思っていない。マンガとしてはドラゴンボールは無茶苦茶おもしろい。ハンターハンターより好きなぐらいだ。
HIVに感染したことを日本にいる父親に告白した時、“おまえは一家の恥だ”と言わんばかりにこう言われたのだ。
「本当は青酸カリでも飲んで自殺してもらいたいところなんだぞ……」
父親の一言からスティグマを実感した彼は、エイズ発病後も日本に戻ることなく、アメリカで闘病し、アメリカで生を全うした。
彼が最期の日々を送ったホスピスに、ある日、彼の父親が日本から彼の遺骨を取りに来た。ホスピスで彼の世話をしていた女性は怒りを覚えた。
「闘病している時は会いに来ないで、死んでから来るなんて」
https://news.yahoo.co.jp/byline/iizukamakiko/20191201-00153193/
これが日本人だ
どうだ白人ども
恐ろしかろう
なぜイケメンやスポーツマンや金持ちなど幸運を持って生まれてきた持ち主と同じだけ社会に貢献しなくてはならないのか
あっちは社会から賞賛されているもののこちらは生まれてこの方親類以外から特別に扱われた覚えがない
連中はすでに存在が社会貢献だから例えば仕事や会話をただするだけでも人のためになっているのだ それなら他人を信用できるし色々とやりたくもなるだろうよ
対してそういった優位性を持たない者はそもそも他人を信用できない その時点で割と悲劇だ 人生を損している上に社会貢献につながりにくい
このように優位性を持たない者は社会に不必要とさえ言えるのに、特に青酸カリが国から配布されるわけでもないのだからこの国は甘い