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2019-07-13

おすすめ虐待関連本

ママにもいえなかった… ミカエルルンドグレン、ウルフグスタフソン

虐待気づくべきこと、できること 全国養護教諭サークル協議会

子ども虐待 西澤 哲 ★オススメ

子どもへの性的虐待 森田 ゆり ★オススメ

性的虐待を受けた子ども性的問題行動を示す子どもへの支援 児童福祉施設における生活支援心理医療ケア

虐待非行臨床 橋本和明 ★オススメ

児童相談所における性的虐待対応ガイドライン ★オススメ

心的外傷と回復 ★オススメ

白雪姫コンプレックス コロサレヤ・チャイルドの心の中は 佐藤紀子 ★オススメ

甦る魂 性暴力後遺症を生き抜いて 穂積純 ★オススメ

広がりゆく魂 虐待後遺症からの「回復」とはなにか 穂積純 ★オススメ

子供虐待を考える 玉井邦夫 ★オススメ

心的外傷を受けた子ども治療 愛着を巡って ★オススメ

身体トラウマ記憶する 脳・心・体のつながりと回復のための手法 ★オススメ

性犯罪被害者対応ハンドブック 性犯罪捜査研究会

ドメスティック・バイオレンスや性暴力における援助のあり方 研究会報告 女性被害者に対して、援助者はとくに何を留意すべきか 女性のためのアジア平和国民基金 ★オススメ

レイプ二次被害を防ぐために 被害者回復を助ける7つのポイント 女性のためのアジア平和国民基金 ★オススメ

花々の墓標 佐藤 亜有子 ★オススメ

トラウマから回復するために 諸沢英道 ★オススメ

暴力 読売新聞大阪本社社会部

境界パーソナリティアダルトチルドレン共依存愛着障害虐待によって高確率発症する)

境界パーソナリティ障害 (幻冬舎新書) 岡田尊司 ★オススメ

境界性人格障害(BPD)のすべて クライスマン,ジェロルド・J ★オススメ

境界パーソナリティ障害 疾患の全体像精神療法の基礎知識1 ★オススメ

境界パーソナリティ障害 疾患の全体像精神療法の基礎知識2 ★オススメ

境界性人格障害=BPD実践ワークブック はれものにさわるような毎日をすごしている方々のための具体的対処法 R.クリーガー

ボーダーライン 自己を見失う日本青年たち 町沢 静夫 ★オススメ

絆の病 境界パーソナリティ障害の克服 岡田尊司、咲セリ ★オススメ

死にたいままで生きています。 咲セリ ★オススメ

こころ科学 185(特集パーソナリティ障害現実スキーマ療法) ★オススメ

思春期病棟少女たち スザンナ ケイセン

戦争ストレス神経症 中井久夫加藤寛

あなた家族が心の病になったとき まわりの人はどう接したら良いのか? 久保田正春

愛着崩壊 岡田尊司 ★オススメ

愛着障害 岡田尊司 ★オススメ

アダルト・チルドレンの子どもたち もう一つの共依存世代 アン・W.スミス

アダルトチルドレン 愛されたい、愛せない 秋月 菜央

恋愛依存症 伊東 明 ★オススメ

「母と子」という病 高橋和巳 ★オススメ

共依存症 心のレッスン ★オススメ

共依存自己喪失の病 吉岡

依存症家族 斎藤学

人を信じられない病 信頼障害としてのアディクション 小林桜児 ★オススメ

黙りこくる少女たち 教室中の「性」と「聖」

自分を傷つけずにはいられないー自傷から回復するためのヒント 松本俊彦

自分でできるスキーマ療法ワークブック Book 1 生きづらさを理解し、こころ回復力を取り戻そう 伊藤絵美 ★オススメ

自分でできるスキーマ療法ワークブック Book 2 生きづらさを理解し、こころ回復力を取り戻そう 伊藤絵美 ★オススメ

つらいと言えない人がマインドフルネススキーマ療法をやってみた。 伊藤絵美

マインドフルネス人間関係」の教科書アサーション・傾聴・マインドフルネス

過敏性腸症候群認知行動療法 脳腸相関の視点から ブレンダ・B・トナー ★オススメ

ケースワークの原則 F・P・バイステック ★オススメ

ケースワークの臨床技法―「援助関係」と「逆転移」の活用 尾崎新 ★オススメ

2018-07-29

アダルトチルドレンなんだろうなあ

相手飲み会だったりご家族ごはんだったりで会えないことが分かると異常に落ち込む。

それは普段寂しい会いたいと言ってくる相手が、実際は「自分なしでは生きられないような無力な人物」ではないって分かって裏切られた気分になるからなんだろうなあ。

自分いらないじゃんwみたいな。

斎藤学さんの本、今さらと思わずに読んでよかった。

2018-04-17

anond:20180417113503

元増田です。

オーストラリアは、今まで通りの「自分たちのサッカー」では限界がある、ということを自覚した上で、痛みを伴う形でこれに取り組んでいる。

それをこうして、日本から観点だけで切り捨てて、「相手が自滅したから大した価値はない」というのは、リスペクトに欠けすぎではないだろうか。

同じことはハリルホジッチ日本もずっとやっていたわけで、つまり、このオーストラリアに対する敬意のなさとハリルホジッチに対する敬意のなさは同根だよね。

ハリルホジッチ日本も、オーストラリアも「今のままではダメだ」という視点からの取り組みで、そしてどちらも、その改革に取り組みながらW杯出場の継続を果たしたのだから、結果だけではなく、その取り組みの過程自体も双方ともに評価されるべきだと思う。

改革しようとして、その中で最低限の成果(W杯予選突破)を出したことまで否定するものではない。

ただそれとは別に、『改革しようとしたサッカーの内容』を評価するのであれば、『上手く出来ていてある程度強いチーム』との対戦で評価するべきであって、『試行錯誤の途上のチーム』が相手では不適切だろうというのがオーストラリアに関するくだり。

以下は俺個人の感想になるが、こういう意見が出てくるその更に元として、あまりにも「型」にこだわりすぎなのではないか、と思う。

もちろん世阿弥が「型破り」と「型なし」の違いについて述べたように、「型」は大事だ。

けど、「ハリルホジッチの型」というのは、アルジェリア代表やそれ以前のクラブで、日本人にとっても検証可能な形で残っている。

そこへの分析なしに「サッカーの形が見えない」とか「メンバーが固定されない」という意味での「型」に、「元名選手」のサッカー解説者や、一部のサッカーファンはあまりに拘泥していたように思うんだよな。

このオーストラリアに対する切り捨ても、そういうことなのかなあという気はする。

高原直泰が「他の選手との連携は、“最初から合う相手”“最初は合わないけど練習すれば合う相手”“練習を重ねても合わない相手”の3種類がいる」という旨のことを言っていたし、実際にいくら時間をかけても合わない組み合わせはある(例:ジラルディーノインザーギ

メンバーを固定しないというのはつまり最初から合う相手”だけを組み合わせてチームを作ろうとしているわけで、これが『センターバック2人の組み合わせ』レベルならば選択肢は多くても、『SBCB長谷部サイドハーフCFの全てと合うMF』くらいになるとジグソーパズル化する。

もちろん、その組み合わせが見つかって強くなるチームもあるが、ハリルがその組み合わせを『発見して、上手く隠していた』とは考えづらい。あくまで俺は一人のファンから詳しくは知らないが、選手協会内部の人から見ても『実は上手く組み合わせる策はある』ようには見えなかったのだろう。

記事名前を挙げ…なかったが、歴代日本代表監督で言うとオシム相手に合わせるサッカーが上手かった。

相手が1or3トップなら4バック2トップなら3バックにして、逆に相手4バックなら2トップ3バックなら1トップで、中盤も相手対策した構成にするサッカーをしていた。

ただ、そういう『相手に合わせた』サッカーをするにせよ、オシムにとっては『走れる選手でないと全てが始まらない』というサッカー観だったわけで、だから走れない小野伸二などは切り捨てられた。

相手に合わせたサッカーをする、そのためのチーム作りというのはそういうものだろうというサッカー観が15年ほどサッカーを見てきた俺にはある。

あと、これは本論とは関係ないが。

シティグループマリノスにおいて、中村俊輔を切り、齋藤学を切って、モンバエルツに3年間クラブを預け、さらに(上のオーストラリア代表を率いていた)ポステコグルーの下でそれを発展させていこうとする、そういうものが「型を作る」ってことだと個人的には思ってるので。

俊輔監督戦術と合わなかったからだけど、斎藤学は単に契約を延長せずに出ていっただけじゃなかったか

2012-06-08

http://anond.hatelabo.jp/20120607092350

俺もひどい鬱で会社辞めたんだ。

鬱だったのは前からだけど頑張って大学院行って就職したけど辞めた。

んで病院行ってから薬貰ってるだけじゃ治らないって思って、色々調べてから初めて、

臨床心理学とか、心理療法っていうのを知った。

多分増田もそういう領域の人じゃないかな。

要はしっかりしたカウンセラーに、君の全てを肯定的に、安全に受容してくれる人に、

じっくり話を聞いてもらう機会が必要なんだよ。で、そういう人は探すの大変なんだけど、確実にいる。

出来ればそういう臨床心理の人を見つけて欲しい。言っとくけど医者は心理の人じゃないから色々

話を聞いて貰おうとするのはやめときな。そういうのができるのは所謂カウンセラーなんだ。


まあ、増田客観的にいくら恵まれていようと、幸せを感じられるかどうかっていうのは

増田主観が全てなんだ。特にこの国は、個人の主観伝統的に重視されない社会から

色々言われるのは無理もないけど、自分立場的に幸せだとか、甘えてるんじゃないかとか思い込むのはやめときな。

寧ろ後述するけど、増田には安全安心して甘えられる存在必要だと思うよ。


「~は甘え」ってのは俺の嫌いな言葉なんだが、あれは正常な甘えを受けてきた人間が言える言葉なんだ。

増田はここまで主観的な言葉をため込んでいるってことは、不特定多数人間に甘えざるをえないほど、

身近に弱音を吐いたり、思った通りのことを言っても否定せずに聞いてくれる人がいないってことなんじゃないかな。

一番端的に言えば親だね。正味な話親くらいしか子供に本当の意味で甘えさせてやることができない存在なんだが、

どうもそうじゃないんじゃないだろうか。


河合隼雄とか、斎藤学とか、精神分析の関連の本とか色々読んだけど、

増田みたいなケースは珍しくない。「死にたい」ということでしか

生きたいという気持ちを表せられなかったっていうケースも読んだな。

そういう本を読んで、増田みたいに答えが無いけど考えてしまうような問いをもってしまう人にたいして、

真剣に向き合っている人がいるってことを知った。出来るなら諦めずにそういう問いを突き付けても

一緒にかんがえてくれる人を探してほしい。



あと、なんか好きなことやれよってコメントあるけど、

そんな簡単にすむ話かよって俺なら思うね(笑)

勿論それでリフレッシュ出来ればいいけど、それは正常な心理の場合だ。

社会に対して恐れを抱いたり、他人の言動が気になったりする人間

純粋自分の好きなことをして開放的で自由な気分になれるとは思えない。そこも繋がっている。

そういうのを少しずつ改善していけるのは人とホント意味で繋がりを持ててからなんだが、

そこまで重くて深い問いをもってしまって抜け出せないなら、それに耐えられるだけ

訓練された人に当たった方がいい。多少お金がかかっても。精神科に常駐している心理士とかね。

お金を払うことで、そういう問いに真剣に向き合ってくれるっていうこともある。

2009-12-17

2chソース

2 名前: >1 投稿日: 2000/02/02(水) 23:53

ジャーナリストの与那覇恵さんが、レイプ多発の記事について

情報源を深く取材してみると、フェミニズム女性運動家の作り話

だったとか。

もちろん、全く起きなかったと言ってるわけじゃないですけど。

18 名前: >2 投稿日: 2000/04/05(水) 21:49

精神科医の斎藤学はそのジャーナリストについて非常に憤慨していた。

なんでも十分な調査をした取材とはとても言えず、それでいて

その件に関したもので賞などとったらしいし(何の賞か忘れた)、

被害者の立場や気持ちをまったく配慮していないその女性の取材の

やり方に非常に怒っていた。公にしずらい問題だから明らかになって

ないが、実際の被害者は多いらしい。

http://yasai.2ch.net/uwasa/kako/949/949435358.html

真相は闇の中だな。

追記

はてなキーワードに出ていた

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%CD%BF%C6%E1%B8%B6%B7%C3

諸君!」96年8月号「被災地神戸レイプ多発』伝説の作られ方」で雑誌ジャーナリズム賞を受賞し、さらに同作所収の単行本物語の海、揺れる島』が各紙誌で絶賛され、脚光を浴びる。

2007-06-13

今夜の増田

一連の書き込みを見て、本棚の奥から村上龍の『オーディション』の文庫版(幻冬舎文庫)を手に取った。

斎藤学が解説を書いているんだが、当時読んで印象的だった言葉を思い出して、それを読もうと思ったから。

彼女たちは頼りなげで、神秘的で、弱々しくて、それでいて愛に飢えていることを全身で訴える力を備えている。こうした女性に弱い一群の男たちがいるところから、この恐怖劇が始まる。彼らは本質的なところで自己評価の低い、だからこそ人に頼られることを生きがいにしているような男たちである。彼らは、彼女たちに魅かれ、彼女たちの苦境を救い、その一部は結婚にまで至る。こうした男たちは、実はナルシシスト(自己愛人格者)である。彼らの一見したところ利他的に見える行動は、他人を用いて自己評価を高めたいという、自閉的で自己愛的な動機に発しているからである。

(中略)

考えてみると、夫婦関係とは子供返り競争のようなものである。居酒屋アル中二人の関係に良く似ていて、先に酔い潰れた方が勝ちである。負けた方が金を払ったり、酔った者を家まで運んだりする。

(中略)

最も稀なのは、親密でありながら対等な男女関係が、結婚後も維持されているという場合である。成熟した大人どうしの関係が、長年にわたって続くためには、一方が他方の子どもになろうという野心が、意識的、意志的に排除されていなければならない。だから、こうした二人は、二人ともどこか寂しい。それで良いのであって、大人とは、寂しさと共存して生きられる人のことである。

俺はかつてやはりそういう女性に振り回されることを自ら選び、共依存関係となって、二人で手首の同じところに傷を作ったりしたことがあって、けど、ちょっとしたきっかけから俺が彼女に振られ、そしてその二週間後に彼女が泣きながら俺に電話してきたときに、何か憑きものがすっと落ちたかのように冷静になって、「こういう繰り返しはもうやめにしよう」と言って彼女との関係を本当に終わりにして、それ以来、誰かを救うことなどは不可能なことであって、倒れている人に手を差し伸べることはできても、立ち上がるのはその人自身の力であり、俺の手によって立ち上がらせようとしても一緒に倒れるだけだということを悟り、そして、そうした誰かを救いたいという思い(引用部にあるように、まさにそれは俺の弱さが為すものでしかない自己愛なのだが)を捨て、自分の手の短さを知り、共依存として誰かを好きになるのではなく、お互いに独立した一個人として尊敬と愛情を持って一生を共に過ごすような関係をいつか持てればいいと生きてきた。

が、そんな字面だけの理想を体現するのはほんと難しいものだなと、最近プライベートが上手く行かないことで思い知らされている。いっそ憎めればいいのにと好きな人のことを考えたのはいつ以来だろうと過ごす日々。自分の弱さを認めて受け入れて、その上でそれに甘えることも開き直ることも自己否定して強がることもなく、ただ全てをあるがままのものとして自然生きるというのはつくづく難しいものよ。

 
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