はてなキーワード: サンタとは
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人は他人から何らかの施しを受けた場合に、お返しをしなければならないという感情を抱く心理をいうのだけど。
だから、「親」がプレゼントを与えてしまうと、子供は常に「親」にお返しをしないといけないと無意識に思ってしまう。
十分なお返しができない子供にとって、それはストレスになりかねない。
サンタは来るかどうかわからない、プレゼントも期待通りかわからない(期待以上かもしれない)から面白いのだ
俺は小さい時からサンタが実在してるなんて思ったことは一度もなかった。
アニメや特撮のキャラクターも、架空の存在だと認識していてどこかに本当にいるなんて思っていたことは一度もないし、サンタも同じように架空の存在だと最初から分かっていた。
友達もクリスマスのプレゼントの話をしても、サンタがどうこう言ってるようなやつは一人もいなかったし。
ときどき「サンタさん、いくつまで信じてた?」みたいな質問あるけど、返答に窮す。ゼロ年っていうか、信じてた期間、ゼロ。「目覚めたら枕元にプレゼントが!!(≧▽≦)」みたいな経験、ゼロ。
先日「サンタクロースを信じさせようとする日本の親が気持ち悪い http://anond.hatelabo.jp/20151223141239」っていう増田がホッテントリしてて、信じてた歴がある人のなかにもいろんな考えがあるんだなーって思った。
その増田に「敢えて気づかないふりをしていた子は結構いるんじゃなかろうか。親は子どもに子どもでいて欲しくて嘘をつく。子どもはその期待に応えるために嘘をつく。」(id:Re-KAmさん)みたいなブコメがついてたりして、なんか、長い髪を切って売って男に時計の鎖をプレゼントに買ったら男は時計を売って長い髪に似合うべっ甲の櫛をプレz…(ry みたいな賢者のにおい感じてしまった。
その親御さんからは、なんていうか、「子どものよろこぶ顔が見たい」っていってケーキ作りとかしてて、子どもがもうお母さんの手作りケーキを喜ぶような年齢ではなくなったらパッタリお菓子づくりやめちゃう…みたいな本当の意味での”思いやり”のにおいがして。
ホッテントリしてた元増田の親御さんのほうは、もしかしたらだけど、子どもがチョコレートケーキが好きでも、自分がつくりたい見栄えのする苺ケーキつくって、「お母さん、ありがとう!おいしい!うれしい!」って反応しないと不機嫌になっちゃう感じの人だったりするのかな??推測だけど。
それでね。
サンタさん信じてた歴ゼロ年人間として、個人的に、「サンタさんをわくわくして待つ」みたいな経験を通じてしか育まれない心の一部分、みたいなのがある気がしてて。
いや、サンタさんの例は一例ね。”子どもが子どもでいられる”っていうことの象徴事例として。
まあ、サンタさんを信じてた歴がある人たちが、庇護者の元を離れて少しずつ世間の厳しさや現実を知っていくように、わたしたちサンタさん信じてた歴ゼロ組も、世間の荒波の縮図みたいな生家を離れて少しずつ愛のあたたかさを知っていけばいいだけなんだよね。
で、それには”共助”みたいなものが必要だなって、しみじみ思うわけ。
まあ、必ずしも”共助”じゃなくてもいいのかもしれないけども。
ただ、サンタカラーが似合いそうな某三倍速の人をみても、マザコンだのバブみだのと、何かと偏見に晒されてんじゃん?
そもそもさ、某赤い人は、バブバブなんて知らないわけじゃん? 彼の子ども時代にバブバブなかったわけでしょう? あなたの人生、世間の多くの人の人生にはあったのかもしれないけどさ。
シャアはマザコンだのなんだのっていわれてるけど、ララァがシャアの母である前に、シャアはララァの”母”だったわけじゃない? 庇護者じゃん。完全に。ララァ自身も「救ってくれた」っていってるし。
ララァとシャアは(一方的に)求め合うカップルではなくて、(互いに)与え合うカップルだったんだよ。
いろんなとこでサンタ役ばっかやってる(プレゼントは金塊だ☆ミ)シャアの、サンタさんになってくれたのがララァなんだよね。
まあ、何がいいたいかというと、「サンタさん信じてた歴ゼロ組同士で助け合って与え合って、子どものころに得られなかった愛やあたたかさを少しずつ知っていこうよ」という話。
「人生って思っているよりずっと良いものだ」なんて言い切れはしないけど、世の中にはわたしがまだまだ知らないあたたかいものや素晴らしいものがたくさんありそうな、そんな気はしてる。
それは確か小学6年生だった。
母親のジュエリーボックスという女児にとって魅惑的なとこに、サンタへの純情な私の手紙を入れていたのが母親の間違いである。
それがサンタを信じなくなった日だと思っていたが、思い出してみればそれを見たのは、確か小学校低学年ごろだった。
いつからサンタを信じてなかったんだろう…と考えれば、小学校に上がる前の時点で「やったー!来年から小学生だから筆箱もらったんだ!」と演技をしたときには確かにサンタを信じていなかった。
そう、演技をし続けたのだ。少なくとも6年。
保育所のサンタも、私は誰がサンタになるのか一生懸命覗き見ようとしていた覚えがある。もしくは7年。
7年の演技が、たった一言「サンタなんか居ない」で打ち砕かれた。
小学6年生のクリスマスの日、母親の文字でプレゼントと手紙が届いた。
「サンタを信じない子には、もうサンタは来ません」みたなことが書いてあった。一度しか読んでないが覚えている。
一度しか読んでいないのには理由があって、最初から最後まで見た瞬間、私は手紙を破りさりゴミ箱に捨てたからだ。
今思えば、誕生日とクリスマス以外に母親から何かを与えてもらえることは少なかった。
だから、必死で演技してたんだと思う。それをたった一言で、無情な手紙が終了を知らせたのが、悔しかったんだと思う。
ああ、なんだろう。書いてて今でも涙が出てくる。よっぽど悔しかったのだ。
その日の朝、私は母に言った。「見てお母さん!サンタからプレゼントが来たよ!」
また演技をした。手紙をスルーした私を、母はどう思ったんだろう。
ずっと気になっている。24日の4時までこんな文章を書いてしまった。
小さいときは良い子にしてたらサンタさんが来るよ〜って言ってプレゼントを枕元に置いてあげてさ、何年か騙し続けてさ、ある程度大きくなったらサンタさんは実は親でしたーってネタばらししてさ。
最初から親がクリスマスプレゼントあげりゃいいじゃん。
だいたいクリスマスの何がめでたいのかもよく分かんないんだけど。
(追記)
私は今年出産した子持ちです。来年から騙さなきゃいけないの納得いかないなと思いまして。
前に夫に同様のことを言ったら賛同は得られず、彼はむしろ積極的に信じさせたい派です。理由はやりたいから!だったかな。まぁやりたいなら付き合うけどさ。
クリスマス中止とかバレンタイン中止とか、予定調和な騒ぎにはうんざりする。
昨日も明日も独りなのに、ことさらそんなパフォーマンスしなくてもいいじゃない。
きれいな夜景を見たり、気合い入りすぎてる個人宅に噴き出したり、ケーキカタログ眺めながらニヤついたりすればいいじゃない。アプリの特別仕様にほっこりすればいいじゃない。サンタの追跡を見守ればいいじゃない。街行く人たちがイラついてないだけでも、心が荒まなくていいじゃない。
まあケーキについては、ホールケーキを1人でいくかどうかは悩みどころだよね。でも2人用ならいけるよね。それなら血中脂質に警告が出ている私でも大丈夫だし。
では晩ごはんを食べ終えたので、これからお風呂に入って、布団乾燥機でほかほかに暖めたベッドでぐっすり寝るよ。おやすみなさい!
世界はいろいろ悲惨かもしれないが、それを子供に教えることが適切かどうかはまた別の問題。
離乳食が必要な時期に、フルコースを食べさせるのは馬鹿だし、煙草を吸わせたらそれは虐待。
泣き叫ぶくらいしかできない子に大人と同じ分別を親が強いれば、無気力無感動な子供に育つ。
要は、発達段階の子供には身の丈に合わせた「手加減」というものが必要だという話なんだよ。
「猿の手」というイギリスのお話では、願い事の成就には高い代償が伴いました。
200ドル欲しいという願いが叶う代わりに、息子が事故で死ぬといった具合にね。。。
さて、サンタに願いを叶えてもらったら、どんな代償が求められるのでしょうか?
うちの娘だけかと思ったら、
結構周りのお子さまもそうみたい。
「んー。特に欲しい物ないから、今年はサンタさん来なくていいや」
と返事。正直、お父さん困るなぁと思って、
隣の同僚に話したら、そこの家の子も同じらしい。
とりあえず、娘は文房具好きなので
72色の色鉛筆を買ってきたのだけど
喜んでくれるといいなあ…。
(追伸)
朝、めっちゃ喜んでくれてました。
早速その色鉛筆で描いてました。