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はてなキーワード: ファミコンロッキーとは

2023-02-08

Eスポーツってファミコンロッキー方式のほうが良くね?

対戦格闘とかFPSにこだわる必要ないと思うの

シューティングゲームで先に全面クリアーするのを競うとか

カンストまで耐久レースとか

昔のアーケードゲームとかファミコンゲームとかでも善いと思うのよ

精密作業ミスもなく延々とやってくほうがスポーツっぽいし

昔のアーケードシューティングとかなら

グラディウスとかゼビウスとか観てても楽しいし 懐かしいし

若い世代には珍しいだろう

2015-12-13

あ?おれがファミコン警察だと?

なに言ってんだあたりめーじゃねーか

おれらの世代がどんな小学生時代を過ごしてきたと思ってんだ。

詳しくは押切蓮介先生の「ピコピコ少年シリーズもしくは「ハイスコアガール」をご覧ください。

たいしてファミコン詳しくもなく熱中した形跡もない、普通に友達と一緒にやってた」程度のヤツが、当時の小学生でも知ってた様な知識を分かってないまま極めてヌルブログなんか書かれたら、もう歯痒すぎておれはファミコンロッキーの名にかけて必殺五十連打で摘発せざるを得ないのだ。

そう、おれはファミコン警察(ポリス)だ。

言っとくけどな、当時は「クソゲー」なんて概念存在しなかった。おれら子供たちがソフト1本手に入れるためには、誕生日クリスマスなどの

「好きなものを買ってもらえるイベント」という子供にとって命よりも貴重なチケットを費やし手に入れるしかなく、そんなふうにゲットした大切な大切なソフトは、面白いかそうでないかにかかわらずそこから数ヶ月のあいだ向き合わなくてはならない課題であり、問答無用で消化しなくてはならない「カルマ」のようなものだった。

たとえオバQが呆れるほど思い通りに動かず左手の親指の関節あたりが真っ赤に腫れ上がろうとも、スーパーモンキー三蔵法師ご一行が耐えられないほどの歩きの遅さであろうとも、「明日こそきっともっと先のステージへ進めるはず」と、ヒリヒリする親指をフーフーしながら眠りにつくしかなかったのだ。

あの頃、あれをクソゲーなどと呼ぶ者はいなかった。あくまでそれは「難しいゲームなのだ。我々にはそれをクソゲーと呼ぶという発想自体がなかった。

その理由は、あの時代ファミコンに命を燃やしていた子供たち全員が、「新作ソフトの中からおもしろソフトを選びだすことの難しさ」を知っていたからだ。

過去に出た、誰かが既に持っているソフトそいつの家でやらせてもらえばいい。それは反対に「誰も持っていないソフト」を自分が持つことで友達にもやらせてあげることができることも意味する。

「誰も持っていないソフトを買い、みんなで楽しむこと」

コミュニティーの一員としてのそういう責務を当時の子供たちは皆が理解し、皆が抱えていたのだ。

少しファミコン雑誌を読んだ程度では到底そのゲーム実態なんか把握できない、そんな状況で「誰も持っていないソフト」を選ぶというのは、

それはつまり、先行きの分から投資をするということに他ならずある種の冒険チャレンジであった。その投資成功して皆が面白いと感じるソフト持つこと、皆にそのゲームやらせてあげることによっておもしろゲームを掘り当てた「成功者」として称えられるだけでなく、そのおもしろゲームを皆にやらせてあげることによる皆から感謝プロップスの上昇を勝ち得る、おもしろソフトを持つことそれはすなわち「資産を持つこと」と同義だったのである

新作ソフトをゲットしたはずの友人が翌日教室左手の親指を真っ赤に腫らしながら「昨日買ってもらったソフトがすごく難しいやつだった」と言ったらそれはつまり、「クソゲーを掴んでしまった」という意味だ。

しかし我々は、彼がそのソフトを選ぶまでにどれだけ吟味し熟考を重ねたか知っている。だからこそ「難しすぎるゲーム」を掴んでしまった時の彼の気持ちを思うといたたまれない気持ちになると同時に、明日は我が身であることを噛み締めるのだ。 そんな状況で誰が彼を貶せようか。彼はれっきとした戦士なのであり我々はお疲れ様という労いの意味を込めて彼に静かに「でもおもしろそうだね、今度やらせてね」と言葉をかけるので精一杯なのだ

我々は皆そういう悲しい過去を乗り越え、そしていまファミコン警察として生きている。たまに厳しいことも言うかもしれない。しかしそれはより深くファミコンを愛して欲しいという一心から言葉だ。

2コンのマイクを使うのは有名どころではバンゲリングベイスターラスターたけしの挑戦状ゼルダの伝説などがあり他にもまだたくさんある。どうか覚えておいて欲しい。

 
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