スペースダンディはそんなこと気にしないじゃんよ?
そうか。というかこの増田が女ってのよくわかったね。俺はさっき知ったけど
0100に、pixel6を満充電済み。
君と同じさ
あえて疑問を持ってみただけだ
そうしたら出てきたのは、目的と手段を履き違えた感情だった、というだけの話
結局は「自分は子供なんてつくらないけど、馬鹿な人は作るんでしょ???どうして???」ってマウント取りたいだけに思える
探究心とかは全部後付
なぜなら探究心あるならもっと深く掘り下げられるし、自分で「完璧」とか言わない
正直、君のようにこうやって他人にわかりきっていることを聞くことは俺もある。だけどそれは別の感情から来ていることがほとんどだ。知識マウントとかね。
ネットには承認目当ての地鶏おっぱいはありふれていてほとんど価値がないが、
俺も怖かったよ
だが別にそんな怖さばかりで何もしないなら、最初から誰かに知識を尋ねる事自体がリスキーだと思う
産んだからには責任を持って育てるべきだし、責任を持てないなら安易に産むべきではないと思う。そして、堕胎可能期間で後悔して堕ろすとしても、肉体的にも精神的にも堪えると思うよ。
責任を持つかどうかを今判断できないならそれでいい。子猫を飼いたいという人がペット禁止のアパートで極貧生活をしているなら止めるだろう。
子供を産める体力や経済力がなかったり、パートナーが育児に無理解なままで子供を作るのは危険だ。
じゃーなぜその判断力をもっているのに他人に「子供をなぜつくるのか」と問うわけだ。
責任とは本人が自分でとるものだ。子供を作った人は多かれ少なかれその責任を取らざるを得ない。しかしその責任はあなたが判断するわけではない。最終的には本人だ。本人のことは誰にもわからない。
なぜ子供を作るのかと問われても論理的な回答はなかなか出ないだろうさ。責任感なんて結局あとづけがほとんどだからね。
「なぜお金がないのにクルマを買ったの」「なぜ生涯年収を考えずに転職したいの」「なぜガンプラをそんなに積んでるのにまた買ったの」
全部その人の責任なんだし論理的なことを全部理解するなんて無理でしょ
私の実家がある地域では、成人の日の前日、日曜に成人式が開かれる。それなりにこだわって選んだ振袖と、それなりに調べて決めたヘアスタイルで、成人式に出た。コロナ禍とはいえ、それなりに盛り上がったように思う。二次会の飲み会は“自粛”の名の下に日付が変わるくらいまでで終わった。友達同士で三次会に繰り出すグループもあったけれど、私は優等生、つまり「クソつまらない真面目グループ」の人間だったので、二次会で帰ってきた。
「クソつまらない真面目グループ」の面々は、都会暮らしをして垢抜けてる子も、高校デビューか大学デビューを済ませ少し派手になっている子もいたけれど、「地元」の中ではまったくかたなしで、おしゃれにしているはずの着物姿の向こうに、当時の地味な彼女等の姿がオーバーラップしてみえた。たぶん、「それなり」のよそおいはできていたはずの私の向こうにも、耳の下で馬鹿みたいに量の多い髪を箒みたいに括っていたダサい芋女が映っていただろう。
いじめられるほどの哀れさも、いじられキャラに躍り出るような強さもなかった私は、同じ中学出身者が誰も受けない高校を受けた。真面目グループのひっそりしたマウントの取り合いにも疲れたから、誰にも相談しなかった。高校ではそこそこのポジションで、なんとか過ごし切ることができた。でも、何か満たされなかった。都内に住むためだけに受けた滑り止めの滑り止めの大学に進学しても、やっぱり満たされない。
満たされなさの理由に気がついたのは、オンライン塾講師の面接を受けていたときのことだ。面接官とは名ばかりのヘラヘラした先輩講師からかけられた「ところで◯◯大ってことは、◯◯サークルあるでしょ?俺、そこのOBなんだよ〜、立ち上げからやってさ〜。楽しいから入りなよ笑」という言葉がきっかけだった。面接だしニコニコしておくか、と思った私は、ひたすら「そうですか、いやあ私どうにも出不精で」と断る方法に話を進めつつ相槌を打った。その後しばらく話してようやく、私を「アルバイト志望の学生」ではなく「ヤれそうな女」として話している、と気がついた。「てか結構おっぱい大きいよね笑 やべ、セクハラだよね笑」とまで言われてからだったが。
私はそこで、目の覚める思いがした。そうか、私がかけられたかった言葉はこれなのか、と。電車通学をしていた高校生の頃は、何度か痴漢にあい電車を変えたりしていた。痴漢にあうのはムカつく以上に怖いので、ひたすら恐怖と戦っていた。「性的な目で見られる」ことは不快なことで、恐ろしいこと、だったはずだ。それなのに、私はどこかでカースト上位のちやほやされるために生きているような同級生には憧れていた。服装検査で引っ掛かる以上のメイクと、校則で禁止されたリュックを背負って、彼氏の話ばかりしている子たち。私はといえば、高二の冬に一度彼氏ができたけど、たった一度キスしただけで別れてしまった。それからは、ダサい人間に落ちないように過ごしただけだ。
私はそれまで、満たされなさの理由を、「彼氏が欲しいから」だと思っていた。周りに自慢できる、顔が良くて優しい素敵な彼氏がいたら、それはそれで満たされるだろう。でも、現実問題そこまで高望みできない。だから、青天の霹靂だった。「てか結構おっぱい大きいよね笑」そうだ、私は、おっぱいが、大きいんだ。そして、おっぱいは、手っ取り早いセックスの代替だ。そこにあるだけで、(そこそこの数の男性は)ニヤニヤした目つきを私だけに向けてくれる。
アンダー75のGカップ。Gカップなんて、ネットの世界では、有象無象に近い、どうでもいいサイズだと思う。それに加えて、アンダー75は正直デブだ。運動部に入ろうと思ったことすらない私は、我ながら締まりのない体をしている。でも、自撮りならおっぱいだけ写せばいい。もっとびっくりするほど大きいおっぱいの女の子や、アニメキャラみたいなスタイルのいい女の子も自撮りをアップしているけれど、おっぱいだけを撮影している限り、それでも私(のおっぱい)を褒めてくれるのだ。ダルダルにふにゃけた体だって、ぽっちゃりです、と言ってネットにあげれば、「ぽっちゃり好きです」なんて褒め言葉が飛んでくる。みんな私を承認欲求を満たすために気軽に乳を晒すバカな女、としてちやほやしてくれる。
私はおっぱいを晒しながら、今も(リアル男性を対象とした)処女であり続けている。私の膣に挿入されたことがあるのは、ひとり暮らしを始めてからAmazonで取り寄せたピンクローターとスティックローター、そして無数のポスカくらいのものだ。別に大事に取っておきたいわけなんかではなくて、小心者なだけだ。根っこは今も、「クソつまらない真面目グループ」の半端者だ。死ぬ程セックスはしたいけれど、危険を冒す勇気はない。ネットで知り合った男性は、みんな私をナマで犯し、中出しして、要らない子供を産ませようとしていると思う。それか、ホテルで私に薬を飲ませ、刺し殺すかも。
だから、私はネットにおっぱいを晒す。成人式でさもそれなりの大学生活を送っているかのような話をした飲み屋のトイレで撮影したおっぱいを、晒す。オナニーだってそこそこ気持ちいいし、何より安全だ。これまで「それなり」で生きてきた私にとっては、いろんな人におっぱいを褒められて、ローターを挿れて、AVで喘ぎ声を聴きながらイくことができているだけでほぼほぼセックスだ。
顔を晒して叩かれたら立ち直れないから、晒すのはおっぱいだけ。でも、みなさん私をちやほやしてくれる。いつかちやほやされなくなる日までに、処女を捨ててめくるめくセックスライフを享受できるようになればいいんだけど。そうは言っても、そのための努力より、手軽に得られる「えっちだね」「ペロペロしたい」なんて言葉の方が、やっぱり手軽だ。安全なセックスが手軽に得られるようになればいいのに、そんなことを思いながら、成人式の夜を終えようとしている。名前も朧げなかつてのクラスメイトのおちんちんには、やっぱりとうとう縁がなかったみたいだ。
さっき味噌ラーメンを作ったが食べてくか?
全然わかっていないじゃないか。誰も君の心配なんてしていないのに
君が掴んでいるのは「死んでしまうよ」の部分だけだ
(君がいう)知識を得ようとすることは手段であり目的ではない。君の目的は子供を作るかどうかの選択を自ら決めることにあって、手段として他人が子供をつくることへの心情を完璧に理解したいんでしょ?
手段が永遠に手に入らないなら目的は達成できないよね?なぜなら君は不可能と断言したんだから
けれど知識欲という目的と子供を得るかどうかの選択肢は別に存在する。そうでなければどちらも得られない。
永遠に知識欲を持っていようとかいう子供っぽい夢は嫌いじゃないけど、目的の1つを達成するならそれは手段にはなりえない。子供をもつことの判断は他人の心情を完璧に論理的に理解しないとつかないものなの?