MMT派の「経済学の主流は緊縮派」とか「リフレ派は財政出動を無視してる」みたいな「あいつらは自分たちとは違う(から間違っている)」という藁人形論法は信用できんのよなあ。MMT登場以前から経済学者は反緊縮を唱えとったし、リフレには普通に財政出動も組み込まれてるやろ。
何故か人が許可したと感じる時にしか喜びや嬉しみを表せられない
おかしいな?変だな?って思って
昔を思い出していたら
そういや自分が嬉しいと思って喜んだら親にいつも嫌な事されてた
具体的にどんな感じかっていうと
回覧板を回した優しいお婆さんからお菓子もらった!→良かったね、でも捨てなさい。危ない何かがはいってるかもしれないからもう二度と貰わないで
ただいま!今日学校で先生に褒められたよ!→良かったね、でも他のことは出来てるの?家では何もしてないじゃない。勉強全然出来てないのにどんな事褒められたの?お前は優しいもんね。いい子だし、人の役に立ったの?
あ、明日参観日なんだけどお母さん来てくれる?いっぱい練習したんだ!→へー頑張ったねー!でもごめんね、お母さんは行けない→どうして?→ちょっと忙しいから(ゲームをしながら)
こんなことが沢山あって嬉しい報告するのが嫌になった
ニヤニヤしながら意地悪な事を言われたり、何かを思い出して物に八つ当たりしまくった
次第に自分が嬉しくても人が興味が無い事で喜びを共有するのは悪い事だと思い始めた
そのせいか変に悲しい気持ちや怒りの気持ちは表に出すようになってしまった
大人になって普通の人は自分とは逆の人ばかりで頑張って治す努力をしてもなかなか治らない
自分の喜びは人が許可したと感じる時しか出せないこんな自分が惨めで嫌になる
喜んだら一緒に喜んで、悲しい時は一緒に悲しんで、怒ったら理由を聞いて受け止めて叱ってあげて
子供を無視した親の一方的な感情は自分みたいに心に制限を付けてしまう
本当はそうしたいのに本当の気持ちを出せない人になる
ゴールデンウィークですね。
クソ零細企業勤めの私は今日まで仕事ですが、明日からは4連休です。
ゴールデンウィークの予定は何もないけど、
AVとオナホを買ったので、それを試してみるぐらいが楽しみですね。
私は弱者男性でしょうか?
そりゃ金があるなら使わないと意味がないもんな
ワイは1万円貰ってこっそり遊びにいくやで
今年もコロナ影響で外出しにくい。もうリモートワークも1年以上やってると自宅の業務環境を
「もうちょっとこうしたいな」がムクムクとでてくるわけです。当方IT系企画職、おっさん、管理職。
去年は会社支給のMBP13に自宅の24インチモニタに接続してたけど設置位置の問題からか非常に使いにくい。
自宅環境は
・24インチ2枚デュアルディスプレイ、Dellの古いやつ
・メインmac mini2018/サブmac mini2011/サブ2win自作PC
・マウスはMX Master複数台愛用、キーボードはメカニカルでショートサイズのやつ。4枚ある。
なんだけど、職場環境を快適に、ということで以下の設備を追加した。
もちろん自腹ね。
・上記に加えて、27インチ2Kモニタ追加(EIZOいいぞ!)
・10インチサブモニタ追加、Slack専用、以前は出張多かったのでモバイルモニタ買った。
・イトーキの椅子追加(10万位した、もう清水の舞台からダイブ)
・iMac27インチ追加、会社で使ってない端末を奪ってきた。もちろん会社の承認もらって。
これらをセットアップしたら、業務は5K+2Kモニタですいすい、手元のSlack用モニタでメンション来たら気づく。
テーブルをL字配置にしてるので、プライベート(株とか動画、音楽)はそのまま使える。
もうめっちゃ快適。ただし、目に入る情報量が圧倒的に増えたので首の移動が増えたのと、ワーカホリック感が
俺、日常の諸々がだいたい全部すげー嫌なんだよ
たとえば、いま家に食うものがないから買い物に行かないといけないんだけど、それが嫌で朝からずっと何もしてない
つか、昨日の晩風呂に入ってないから入らないといけない それも結構嫌
スーパーマーケット自体は結構好きだし、そう遠くないし、それなりに快適な気候のなかを自転車でピャッと走るわけだから、全体としては快い体験なはずなんだ 買い物
でも嫌なんだ
万事こういう調子で、ホントに何もしたくない
その極致が労働
仕事の内容自体がムチャクチャきついってことはないんだけど、8時〜19,20時くらいまで週5で働かないといけないっていうのがキツすぎる
残業多い部署に配属されたのが運の尽きで、転職なりなんなりすりゃいいんだろうけど、転職活動なんてする元気ないし、今よりいいとこにいける気もしない
ライフイベント、今後もうない
親がボケる、死ぬ そのくらいしかない マジで
俺自身もどんどん不健康になっていくだろうなと思う
運動やってたって老いるんだし、運動なんてやってる元気ない俺はすごい勢いで劣化するだろうな
そんで趣味もいまいち楽しくねえ
ゲームはそこそこやる
楽しみにしてたゲームが出たら、寝食を惜しんで没頭することがまだある
でも、それだけじゃ生きる活力になんねえよお
3年待ってたゲームが明日発売です、ってタイミングでも、「押したら即座に安楽死できるボタン」みたいなのを渡されたら押しちゃうよ
なんかもう、嫌なんだよな
そんで、みなさんですよ
みなさんもしかして、人生、楽しんでらっしゃる?
なんかこう、みんな、あんまり悩んでないように見えるっていうか、そりゃ実際は悩んでんだろうけど、死にたいとまでは思ってなさそうなんだよな
いや、そうでもないのかなあ
みんな死にたいと思ってんのに今みたいな感じで社会が維持されてるとしたら怖すぎる!っていう俺の内心が、みんな人生楽しんでるに違いないっていう思い込みを生んでるのかな
いやー、でもなんか、楽しそうだよなあ
なんでなんだ?
俺はなんでこんなに楽しくないんだ
どうしたらいいんでしょうねえ
(追記)
みなさんありがとう
働きすぎかあ
それはそうかもしれないんだけど、問題はすげー暇だった大学生のときもほとんどおんなじ感じで生きてたってことなんだよな
週2コマしかなくて、バイトもせず、ほとんどずっと夏休みみたいな暮らしをしてても、全部めんどくさかったし、死にたかった
積極的死にたさじゃなくて消極的死にたさで、なかなか取り除き難い
メンタルクリニックに行って薬飲んだら超元気になる、っていう妄想はときどきするんだけど、ならなかった/そもそも薬をもらえなかったときが怖いのと、シンプルに予約する元気がないのとでなかなか実行にうつせない
まあでも、俺みたいにつらいっス派がそこそこいて、一方でホントに楽しくてしゃあないって人もいるっていうのがわかったのは収穫だあ
人生、運なんじゃねえかな
脳の報酬系がすべてを決めるんじゃねえか
俺はハズレを引いてしまったアワレな子羊なのかも?
男性(父)と女性(母)と子供で構成される、お年寄り(祖父母)も居るかもしれない
代わりに男性は様々な力や特権を持ち、家族を守る立場にある……というのが男尊がまだあった時代の話でもちろん今は違う
そういう話は門外漢だけど、多分1970年代あたりで終わったんじゃないだろうか?それからは家庭によってパワーバランスは異なると思う
それでも「お父さんは家族を守るもの」「お父さんは守られる存在ではなく守る存在」「プリンが足りなかったら我慢するのはお父さん」のような、最も優先度の低い存在なのは変わらないと思う
まずは次の話を読んでもらいたい。
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若い頃に大学の図書館で、昭和の頃(ハッキリと記憶していないが、昭和40年代以前だと思う)に書かれた古い法医学文献を漁っていた時のことである。その文献が書かれた当時「変態性欲」と呼ばれていた、現在で言うところの「性的マイノリティ」に関する記述に突き当たったことがある。法医学文献の中で、ストレートの男女性愛行動に関しては特段の記述が無いのにも関わらず、わざわざ性的マイノリティについての記述を設けること自体、その著者が「性的マイノリティ=犯罪者予備軍」という偏見の持ち主であったことを示唆するものであるが、ひとまずそれは横に置く。その箇所では「同性愛」について、概ね次のような内容の説明がなされていた。
曰く「同性愛行為は、異性との性的関係を結ぶのが困難な環境(例:服役中の刑務所の中など)において『代償行為』として観察される」と。つまり、この著者は「人間が同性愛に走るのは、単に異性にモテない/なかったから」と考えていたと推察される。
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さて、上の話を読まれた貴方は、何と思っただろうか?「なるほど、同性愛行為は後天的なものなのだな」と納得しただろうか?
アメコミ原作の映画『X-MEN』の中では、登場人物の一人が「自分はミュータントである」と両親に告白する場面が有る。その場面で、両親は「でも、それ(=ミュータント)って治るんでしょ?」と言う。同作品の監督ブライアン・シンガーや、マグニートー役のイアン・マッケランなどは、現実に同性愛者である。同性愛者の人たちは「親兄弟にカミングアウトしたら『それ(=同性愛)は治せるんだろう?』と言われた」という実体験を持つ場合が少なくない。上記の場面描写は、そのような同性愛者のカミングアウト体験を反映していると言われている。
これまでに同性愛者を苦しめてきた、あるいは現在進行形で苦しめ続けている考え方の一つが「人間の性愛行動は『後天的』に決定される。したがって、仮に同性愛行為に走る人間でも『治療』することができる」というものである。アラン・チューリングが『治療』された話を知っている人もいることだろう。その結果は余りにも残酷であった。
貴方は「酷い考え方だ」と思っただろうか?私は「酷い」と思う。現在の日本社会で暮らしている人間で、且つ余程の馬鹿でない限りは、同性愛者に対して「同性愛を『治療』してストレートになれば、苦しまなくても済むのに」などという言葉を投げ掛ける人間や場面に出くわしたならば、十中八九「酷い考え方」だと思うことだろう。
では何故、仮にそれが「冗談」や「皮肉」だとしても「ハッテンのすすめ」「モテない男同士で性行為を行えばよい」などと言うことを座視するのだろうか?「ストレートに対しては『後天的に同性愛者になればいいのに』と言っても、それは暴言にならない」とでも言うのだろうか?たとえ「冗談」や「皮肉」であろうとも、このような事を言う/書く人間は、心の中に「同性愛なんて『後天的』なものだから、簡単に『治る』」という愚かな差別思想を抱いていることの裏返しであろうと私は推察している。
恥を知れと言いたい。