詳らかに書くと万一加害者にこの増田を見られた時に身バレの危険があるからざっくりとしか書けないのが残念だ。
俺はその部活内で虐めに遭っていて、加害者はその虐めの主犯格の一人だった。
性被害に遭った時はたまたま俺と加害者だけが部室に居合わせてしまったんだよね。
俺が着替えてたら加害者が勃起したペニスを露出しながら近づいてきて俺にそれに触るように促した。
俺は当時苛烈な虐めに遭っていたせいで無気力状態だったので嫌々ながらも特段抵抗もせず加害者のペニスの先に触れた。
ヌメっとした感触がとてつもなく気色悪かったのをよく覚えてる。ダラダラに濡れてたんだよな。今でも思い出せるよ。
それで加害者は満足したのか、それとも発覚を恐れたのか、あるいは両方かもしれないけど俺に強く口止めして行為は終わった。
俺は校舎の玄関口の脇にある水道で何遍も何遍も繰り返し加害者の性器に触れた手を洗ったよ。
それから俺に不思議な現象が起こったんだよね。後遺症と言ってもいいかもしれない。
増田の場合は男性に対する恐怖心と女性に対する性的モノ化が強迫的に発現したみたいだけど、俺はそれとは全く違う現象に見舞われた。
俺は自分が同性愛者なんじゃないか?っていう疑念に苛まれたんだよね。
もちろん俺は同性愛者ではないはずなんだけど、同性からの性被害体験を経て以降の俺は、事あるごとに自分が実は同性愛者なんじゃないか?という疑念を覚え苦しめられた。
こういうことを書くと同性愛者に対する差別感情を疑われるかもしれないけど、そんなものは抱いたことはない。
ただ異性愛者だと思って、というかナチュラルに異性愛者の世界観に馴染んで生きていた自分が暴力的で未知の同性愛的行為を受けて懊悩し、苦しんだってことだと思う。
実は俺は自分が同性愛者なんじゃないかという疑念に一時期屈服して女性ホルモンを服用していた時期さえあった。
それは10代後半の一時期のことだったけど、某個人輸入代行業者を利用して女性ホルモンを服用していた。あまつさえ母親に「俺はゲイだと思う」とカミングアウトすらしてしまった。
でもさ、この時期もそうだし、なんなら今に至るまで俺は一度も”男で抜いたことがない”んだよな。当時の俺がどれだけ倒錯していたかわかるよな。女に興奮して女でオナニーしてる癖に自分はゲイだと確信して女性ホルモン服用して母親にもカミングアウトしてたんだよ。完全にどうかしてた。
そんな俺の妄信を解いてくれたのが意外なことにWikipedia先生だったんだよね。
ゲイになっても(便宜的にこう表現するけど後天的にゲイになるということはあり得ない、はず)なお過去の性被害に苦しめられていた俺はGoogle検索で「少年 性被害」とかそんな感じの検索ワードで検索を試みた。たぶん。正直ここら辺は記憶が曖昧。「少年時代 同性 性被害」とかだったかもしれん。
それで検索結果に表示されたこの記事を読んで俺のゲイという性自認は倒錯だって気が付けたんだよね。
具体的にはこの部分だね
加害者が男性の場合は男児が同性愛であれ異性愛であれ自分自身の性的指向や性的同一性に危機をもたらしやすい。
この疑問が激しくなりやすいのはどちらかというと異性愛の男性である。さらに、虐待時どれだけ自分の性的指向と性自認について自己認識がはっきりしていたかを考慮すると、この問題に関する議論はさらにややこしくなる。かなり低年齢の場合性自認に疑問を持つことが多いが、ある程度年齢が上がり性自認の自己認識がはっきりしてきたときであっても、今度は性役割のほうに不安を持ったりもする。たとえ性自認が安定していても、自分が主に同性愛か主に異性愛かがよく分からないときに虐待を受けた場合には自分が本来的に同性愛か異性愛か両性愛かとか様々に疑問を持ちやすい。
性的虐待を受けた男児が必ず同性愛者ではないかという誤解は本人と社会に共通のものだが、これは誤解である。だが性的虐待を受けた男児は異性愛であっても、被害を受動にし、同性愛に結びつけた結果として自分自身の性的指向の認識に著しい混乱をきたす。虐待の最中に勃起や射精が起こった場合、この混乱はより激しいものとなる。ペニスを挿入され前立腺を刺激されれば本人がどんなに嫌だと思おうと勃起する事が多いのであるが、こうした常識が日本に浸透しているとは言いがたい。
こういった性的虐待の場合には性的指向のセクシュアリティが揺らぐことが多いが、これは本人に激しい苦痛を与える。だが、性的指向を二分法で捉えがちな社会の常識に反し、実際には性的指向のセクシュアリィは複雑で多層的であるとアルフレッド・キンゼイは主張した。
俺は被害当時13歳で、かなりの低年齢ではないにしろ、自分が異性愛者である、という確固たる自覚みたいなものは持ち合わせていなかったし、オナニーだってしたことがなかったくらいに性の知識に疎く、言うなれば性自認が未分化な状況だった。
その様な状況下で鮮烈な同性愛的性被害を受けてしまったことで、俺はその後何年間も自分が同性愛者なのではないか?という疑念に苛まれる羽目になったわけだ。
ということで今では女性ホルモンも服用してないし完全に異性愛者っていう自覚を持ててるし母親にも気の迷いだったって説明することで解決を得てる。
俺は増田みたいに男性に対する恐怖心はあまり抱かなかった。幸いなことだったのかもしれない。でもその代わりに性自認が揺らぐっていう特殊な体験をした。
こうして増田の投稿にかこつける様な形で自分の性被害体験を語るのは本来あまり快いことではないかもしれないけど、もしかしたら俺みたいに同性から性被害を受けたことがきっかけで「自分が同性愛者なんじゃないか?」と悩んでる人の一助になるかもしれない、と思って書いてみた。
これを幅広く「幼少期の性的被害」の題材として扱ってほしくない。
「セックスしてないけどエロい妄想が頭から離れない」これがセックス依存症(笑)なら、その辺を歩いてる若い男の9割はセックス依存症(笑)だよ。
んまーそんな時は中島みゆきでも聞こうか
なんつーか、誰が首相でもやってただろうなって内容
我が家、家にいるときや、ときどきドライブする時に気が向いたら音楽流すんですよ。流行歌。全面的に流行歌が良いとは思ってないんだけど、ある程度流行歌を聞き流すくらいの社交性がある方が、幸せに生きられそうじゃないですか。子供の教育のためにとそこまで深く確信しているわけじゃないけど、なんとなく流しているわけですよ。
そこで、あいみょんですよ。別の増田でも誰かが書いてたけど、セックスやら、死ねやら、子供に聞かれたくない単語がワンサカ出てくる。でも、規制しろ!とかじゃないんだな。ツイフェミとは違うんです!ただのお気持ち表明。
そこそこのキャリアを築いて、20代半ばだけど女性の平均年収の倍は稼いでる。これからも増えると思う。
性欲はそこまで強くない。行為が嫌いってわけじゃないけど、無くても全然生きていける。
だから、もし生活のために結婚するんだったら、下方婚する必要は正直ない。周りの女性もみんな上昇婚か独身だし、多分下方婚するなんてなったら反対される。
でも私は、今の彼氏と結婚したい。プロポーズは私からして、来年には籍を入れる。年収こそ私の半分くらいだけど、他にいいことが沢山ある人。私がおばあちゃんになった時に背中にサロンパス貼ってくれる人はこの人がいい。
世の女性の社会進出が進んで、1人でも生活出来る稼得力を身につけたら、そりゃあ今のままじゃ独身が増える一方なのはわかる。結婚適齢期の女性は男性に比べて性欲が低い傾向にあるし、これは性別関係ないとは思うけど、前の世代を見て結婚のデメリットも沢山知ってる。
女性の年収を上げないようにするのは国際的潮流的には難しいだろう。でも独身者ばかりじゃ国力的にはまずいわけで。
じゃあどうすりゃいいんだろうな。女性の平均年収をもっともっと上げて、人を養えるくらいに上げて、逆に男性の家事能力をもっと向上させる……くらいしか今は思いつかない。
SAOじゃねえの?
金融政策の政策以外の側面からの評価は?評価点って金融だけなら金融だけではなくて100も200もの観点からみて、調整しているから、あれだけの閣僚、あれだけの人数がいるんだよね?