豪華客船「酒鬼薔薇王国」号は氷山にぶっかって沈没した。乗客が次々とボートで逃げ出すなか、くそ餓鬼はこの船と運命をともにしようと思った。
もともとくそ餓鬼はこの客船で世界をまわりながら元少年Aを探すつもりだった。旅行会社によってさまざまなツアーが組まれたが、すべては徒労に終わった。ツアー客が元少年Aに会うことよりも船内で酒を飲んで騒ぎたいだけと知ったときの怒りは大きかった。
上海に寄港したとき、お土産に鶴の掛け軸を買った。鑑定書を見せようとする店主に落書きして捨てるつもりだからそんなものはいらないと言うと殴打された。店主の怒りは激しく、何をしにきたか白状するまで日本には帰さないと言う。
「元少年Aを探している」と言うと、元少年Aの屋敷は海底にあるので船旅では見つけられないという。おそらく旅行会社に騙されたのだろう、軍に頼んで潜水艦を用意してもらうといい、とりあえず二度と来るなと言われた。さっそく自衛隊に連絡を取り、潜水艦を手配してもらうことになった。「酒鬼薔薇王国」号の船旅は今回で最後、そう思った矢先の出来事だった。
救命ボートの奪いあいなどは起こらなかった。かといって整然としていたわけではない。泥酔したまま海に落ちる乗客が多数いた。ひどいのになるとドラッグをキメて「鶴に襲われている」とうめきながら海に落ちるのもいた。これが二十余年にわたって行われてきたツアーの最後か、と思った。
柊は潜水服を着て「元少年Aに会いに行ってくる」と言って海に飛び込んだ。愛子は「海のなかにも都はございます」と言って夫と一緒に飛び込んだ。くそ餓鬼は金庫のある部屋で最後を迎えようと思った。金庫のなかには元少年Aに送ったラブレターが入っている。
金庫のある部屋に行くと、天野がいた。天野は金庫から元少年Aからのラブレターを取り出し、一枚一枚丁寧に燃やしていた。天野は金庫破りのプロだった。くそ餓鬼はなんでこんなことをするんだと怒鳴った。天野は柊に対する嫌がらせだという。くそ餓鬼は柊が燃やせと言ったらしいということは理解できたが、それが柊に対する嫌がらせになるという理屈がさっぱり分からない。
【田中圭一連載:ゼビウス編】ゲーム界に多大な影響をもたらした作品の創造者・遠藤雅伸は、友の死を契機に研究者となった。すべては、日本のゲームのために──【若ゲのいたり】
http://news.denfaminicogamer.jp/manga/180913
ゼビウスの人の記事なんだけど、「日本人のゲームのやり方は禅に通じる」的なところから一気に胡散臭くなる。
こういう現代の事象を過去の日本文化と結びつけて語るのってたまにあるけどなんか名前つかないの?
似ているってだけで因果関係がまるでないし、「日本人の遺伝子には……」とか言い出すと明らかにトンデモ。
しかも言っている人には「すごい発見をした」みたいな興奮が感じられてうんざり。
こういう疑似科学でもない、何ていうの? 疑似人文科学? にズバリな名前をつけてほしい。
「それ○○だよ」って言っておけば終わりみたいなの。
けっこう安易に「そうだったのかー!」と受け入れる人いるのが怖いのよ。
いやいや、似ているだけだから、っていう。「英語のRoadは道路が起源でつまり日本語と英語は同祖」って言っているのと変わんないから。
どうにかしてくれ。
https://anond.hatelabo.jp/20180912084444
ナルホド、Evernoteで仕事感出すのは面白いな。感謝です。
それでよく文章になるね。一旦アタマに書く内容をイメージして一気に書き込むみたいな感じか。フミコフミオかよ
いやしかし、遅かれ早かれ、サンタクロースが実は架空の存在だってことに、クリスマスプレゼントに喜んでる子ども達も、そう遠くない未来に気づくんだけど、その正体に自然と気づくまでは、真実は隠され続ける。よい子にしてないとサンタクロース来てくれないかもよ「いやー!」じゃあちゃんと宿題できるね「できるー!」。無垢な子ども達は大人の都合のよいファンタジーに振り回されてることに気づくことがない。しかし欺瞞が暴かれる時期にもまだ彼らは大人の支配下にある年齢なので、どうしてウソついてたの! などと怒るべきだなどと思いつくこともない。その時を迎えた子どもは、クリスマス前夜にクローゼットの奥に隠されたプレゼントの箱をみてすべてを察する。あっなんだそういう事だったんだ。お兄ちゃんどうかしたの? ううん何でもないそれよりはやく寝ないとサンタクロース来てくれないぞ。「はーい」妹に弟に、そして大人になって次の世代に、イタズラの習慣を受け継いでいく。親にされたんだから、子どもに同じことをする権利があるはず。大切にすべき子どもたちを手の上で転がし、欺き、挙句そのことを「微笑ましい」などと嘯く。この態度はあろうことか社会全体で共有されている。逸脱してバラしてしまおうとするヤツの口を無理やり塞いで向こうに引っ張っていく、などというシーンはフィクションで現実で枚挙にいとまがない。しかしこうした目下の人間を軽くあしらうような習慣が、なんら疑問を持たれずに、一年で最も楽しいイベントの中枢に組み込まれているわけだが、そんなことで人間を大切にするモラルが養われるわけがないであろうが。でもだったらどうする。幼いころにサンタクロースさんはグリーンランドにいるから、お父さんお母さんがその役をやるね? などと言えとでもいうの? それはそれでいいような、面白くないような。 ーー『サンタクロース・ハラスメント』
ほらね? 勢いで書くとイマイチ結論の弱い、だったらどうした的な文章になってしまうよ。それにディティールが弱いんだよ。途中になんか寓話的な会話シーンあるけど、説得のための捏造にすぎないし。こういうのは日々の生活でリアルな体験を貯めていってパズルのピースが揃うのを待つ必要があると思うんだけど。そうして初めて心に響く増田が生まれる。生まれ得る、そういう可能性が発生しうる、もんだと思うんだけど違うかしらん(所要時間1時間15分)
🐣今度豚丼にするもん。
そんなサービスあるんだ
「男性も男らしくに拘る必要はありません」なんてもっともらしいこと言ってたエマ・ワトソンが結局自分は男らしさの象徴みたいなハンサムばっかと恋愛してて反フェミに叩かれてたみたいな。
結局そのポリコレ率い手だってあんなしょーもないエロラノベに頼ってるキモヲタを恋愛対象として見れるかって言ったらそりゃそんなわけないわけで、
そういう薄く伸ばしたポリコレにも問題視されないレベルの差別で性愛や生殖から完全排除されてる性的弱者がああいうもんに頼ってる背景があんだろうに、
で、結局ポリコレ的な優先度で言えばエロ本であれやこれや妄想せざるを得ない弱者よりも架空の女性が性的消費されることによる性差別()が優先されちゃうんやろ?
なーんか歪な形だなぁって。