意識を失った人はどうするん?
また再登校増田か
いや今の政治家すべて社会保障費を大幅に減らして改善しますなんて公約掲げてませんけど?
政権取られてって何の話?
旧民主党も現・民進党も社会保障バッチリするから安心してねってホムペに書いてありますけど?共産党はどうだったっけ?
まあ、とにかく今の国内の情勢って医療関係者>役人>>>>>>政治家って構図なので日本崩壊するまではこのまんまです
サイナラ
日本さあ、増税の嵐と将来の保証減額の嵐で国民に未来なさすぎだろ。
これも全て税金で薬とか上限なく処方しまくったり、無駄に延命しまくって国を老人で埋め尽くそうとしている政府がゴミすぎるからだろ。
日本破壊したいやつに政権を乗っ取られてしまってまじで終わっている。
そこから先は自己都合による延命だ。だから長生きしたいなら自分で金を貯めておけ。
そんなことを子供の未来より優先する日本の社会は国家として破綻している。
こんな日本みたいな自転車操業している国なんかもう何年も続かない。社会に持続可能性がないんだぞ、意味わかるかな?馬鹿だから持続可能性って言っても理解できなさそう。
暴動がおきるレベルまで増税して終わるか、老人と若者のバランスが崩壊しきったタイミングで国家として継続できないんですけど?
破綻してない今だから老人はどうするんだって言えるけど、時間の問題だろ。
未来のために尊厳ある死を選ぶ価値観が日本にないから世界一老人率の高い負担だけを強いられる国になったんだな。短絡的な馬鹿ばっかりでまじで終わっている
自分が死んだら君のせいだぞ
友達に話したら「そんな奴とは今すぐ別れろ」って全員が言うような人と付き合っていた。
「そんなこと言われてよく怒らないね、許せるね」とも言われていた。
自尊感情が低いせいなのか、相手の巧みな言動にコントロールされていた。モラハラ的な。
モラハラ男だけあって外面がものすごく良くて、共通の知人からの評判はとてもいい男だった。
会うと楽しいし、彼の笑顔がとても好きだったし、わたしのアイデンティティでもある趣味について理解してくれる唯一の人でもあったし、
抱きついて大好き!って言うとうれしそうな顔をするところが好きだったし、身体の相性がとても良かったからなかなか離れられなかった。
でももういい加減これで会うのは最後にしようと心に決めて会った。
会ったらやっぱり楽しくて、別れたくないって思った。
会う直前にもメールで酷い言葉を投げつけられたのに、会ったら楽しくてわたしを見て笑う顔が本当に好きで、
会うたびに離れられないって引き戻されて、その日わたしは何度も「ずるい」って言った。
相手が何度好きだよって言ってもわたしのことを好きじゃないのはわかってた。
相手の言動に振り回されて(しかも振り回されるわたしを見て相手は笑ってた)、心も体も病んだ時もあった。
それでも好きだった。
わたしのこと大好きだよって書いてあった。
やっぱりこの人ずるいって思った。
特に別れ話をしたわけでもなく、とても楽しくて幸せな気持ちでバイバイした。
わたしがこれで最後にしようって密かに決意してたのが伝わったのかな。
結局未練が残ったのはわたしの方だった。
ほんとうは今でも好きだよ。
数学も普遍の真理を扱うが、あくまで集団の見る幻想だとも言われることがあるしね
家でTwitterを見ていた
私はつい変なノリで「不参加かな~w」のような文を空リプに書いてしまった
傷ついた。
でもその合作に一時でもいつも出せていない技量を注ぎ込もうと考えた上でのツイートだった。
そして、自分が唯一自信をもっていたところを否定されて今何をしていいかわからなくなっている。
「私には何にもない何にも」
しかし、私は客席で思った。
「あれ、なんでここにいるんだろう」って。
普段から専門学校での授業はうまくいかず、で座学実習共にうまくいかない。
もうどうすればいいのだろうか
でもその合作にやりたいことがあって、
力を注ぎ込もうと一瞬でも思ったから一応書いたつもりだった。
私には何にもない
そう思った。
キャラクターではなく作者に入れ込んで共感性羞恥を感じるわけか
確かに劇を見てて「練習したんだろうな、これ面白いと思って脚本とか書いたんだろうな、あれが自分だったら視線に耐えられないわ」とか思うと見てるのがつらくなってくるしな
本多勝一の「中学生からの作文技術」に載っていたけど、手垢の付いた表現や、書いている側が笑っているような文体は、読み手が面白くなくなる原因になるという。
手垢の付いた表現っていうのは、はてなの記事では「ラノベアニメは寒い描写を入れろという暗黙の制約でもあるのかと思うほどテンプレ展開が多い。」の指摘が当てはまっていると思う。
書いている側が笑っているような文体は、恐らくだが「女子のツッコミの過剰な暴力、寒いギャグやノリ」が当てはまっているのでは無いだろうか?つまり、脚本を書いている側が「これ面白いでしょ」というメッセージがあるように感じられるのでは無いだろうか。
もう少し分かりやすい例を挙げると、アンサイクロペディアが気持ち悪いとか面白くないと指摘されているのに通じる気がする。また、「w」を多用している文章を面白くないと感じるのに近いかもしれない。
本多勝一は面白い文章の条件として、「自然さ」とか、ギャグとのギャップとしての「真面目な文体」とか、「手垢の付いていない表現」を挙げていた。元記事で、不自然さを嫌っているのにも共通する気がする。