私は左利きだ、そしてボールペンで文字を書くのがほんとうに辛いのだ
左利きの私がボールペンを持つと、うまく説明できないが先端のボールが無駄に押されてしまい回りづらくなってしまう
右利きの皆さんは是非ペンを左手に持って1本直線を(左から右に!)引いてみて欲しい
買った直後はちゃんと書けていても、すぐにかすれてしまう
比較的太い線のものや加圧式のものなど、書ける確率が高いボールペンは確かにある
パパ活(パパ活動)とは経済的な支援を得たい女性が経済的な援助を施したい裕福な男性を探す活動のこと。
決して男性の主夫(しゅふ)活動や積極的な妊娠活動という意味ではない。
身体の関係を持つものを愛人、身体の関係を持たないものをパパ活と呼ぶ。
http://xn--odka2157b.com/%E3%83%91%E3%83%91%E6%B4%BB%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/post-1.html
自分から「パパ活中です」という風に出会い系サイトやアプリの掲示板に書き込みをしている女性はお金さえ払えば出会えるし、
かなり仲良くなれるということです。
ですが、中には体の関係無しでお金だけをサポートしてくれる本当のパパみたいな男性が欲しくて書き込みをしている女性もいるので
注意が必要です。
もし成人男性が現役の女子高生(JK)だと知らなくてもやれることをやってしまえば犯罪になります。
http://app.seekingss.com/word72.html
異常なパワハラ(仕事できないやつには、大食い並みの量の飯を食わせるとかで虐める)
上司は定時帰りするけど、部下は23時まで。上司は遅刻してくるけど、部下は始業1時間前に雑務を押し付け。
そういうのを説明した。
実際、会社は労働問題で新聞沙汰になっていることも説明。そのときは労基の指導が1か月だけ入り、その1月だけは正常だったらしいが、次の月から即元の体制にもどった。
母としては、せっかくの仕事なので、やめないでほしい。同期がつぶれるのはチャンスなどわけのわからない精神論を放つ。
変なことせずに、リスクを考えろ、やめるのもダメージだぞと父は説得。
俺がおかしいんだろうか。
311のときもそうだったけど、
デカイ自然災害が発生すると、どうしてもオカルトや陰謀論の類が気になってしまう。
いつもは全く気にならないのに、自分から自分に都合のいい情報を探すようになってしまう。
不安になると神を信じたくなる気持ちがDNAに刻まれるような気がした。
これが、藁をもつかむ思いって感じなのかな。
山手線も残すところあと2駅くらい。
僕「(ピコーン!)なんだここは!改札かと思ったら西武線乗り換え口じゃねえかババア!」
個人的に縁も思い入れもあるし知人もたくさんいるから心が痛い。
そんでまあ、こんな時にもTwitterをダラダラ眺めてんだけど。
もう原発憎い奴はなんなんだよ。
すでに熊本に震度7なんて、想像だにしない状況になっちゃってる。
でもさあ。
俺今、愛媛にいるんだよね。
今は感じる地震もほとんどないけど、明日はわが身なんじゃないかって、
正直気が気じゃないとこもあるんだよ。
家も、丈夫だけどかなり古い。
もし今回このまま収まっても、
今後いつ近場の断層で同じことがあるのかわからないって気持ちを
抱えてかなきゃならないって覚悟はしてる。
冷静なつもりでいるけど、怖いのは怖いんだよ。
Twitter見てると、原発止めろって話がTLに流れてくるし、
川内原発の震度が報道されないって、原発守るのに必死すぎだみたいな論調とか、
ここぞとばかりに叫ぶアカウントもいる。
それを見ながら思うよ。
この人達は、口を揃えて、
伊方原発の話をするんだろうなって。
伊方の稼働予定をあきらめろって話をしまくって、
忙しい人達にキレられて、
そのことに不平不満を言ったりするのかな、
くらいのことは考える。
俺だって伊方のことは怖いよ。
でも県内の人間として、正直、やれることはやってるように思える。
できることはないと思ってるよ。
あと、そういうのをたしなめてくれる人たちもいるけど、
それはそれで辛いとこもある。
知ってる街並みなんだよマジでキツいわ。
あの時の揺れの恐怖がだんだん蘇ってくる感じもあってしんどいわ。
しばらく余震が続くのは辛いんだよな。
fgjgfhj
上段ナメクジ「あら?あたしをおぶって鯖のいる海まで行けるなんて減らず愚痴を叩いたのに、もうへばってらっしゃるの?」
上段ナメクジ「へろへろくんなのはボンボンの漫画だけで十分ですわよ?」
下段ナメクジ「むきゅー!っと頑張りますわ!むきゅー!ですわ!」
上段ナメクジ「あまり疲れてるようなのであれば二段JUMPからあげ入りのおにぎりをさしあげてもよろしくてよ?」
下段ナメクジ「はっ!それは!食べただけで手からからあげが二段JUMPしていくという幻のおにぎり!」
日記はここで途切れている
2037年、音痴が障害であることが社会に一般化した。音痴という言葉は差別的な表現であるとされ、音声障害者と呼称されるようになった。
また音痴の人を影で笑うことは、四肢が欠落している人、目が見えない人を嘲笑することと同じように、差別的な振る舞いとされた。
音痴を矯正するリハビリ・発声練習には保険が付き、程度の差こそあれ安価で音痴が治る時代になった。リズム音痴・音声音痴はそれぞれ音声障害A型・B型と定められ、病状に応じたリハビリが行なわれた。
コミュニケーションツールとして数十年の歴史のあるカラオケ業界は、岐路に立たされることになった。
カラオケに行けば必ずや数人の音痴が現れる。音痴が障害になったことでカラオケから人が遠のいた。
カラオケ業界は対応策として、高性能のキー同調機能をカラオケに付与した。
カラオケで発せられるべき正しい音声に、自然と矯正して音が響くようにしたのだ。
この技術はそもそもテレビ業界が、歌の決してうまくないアイドルや歌手に対して施していた技術だ。
これがカラオケでも流用され、一般人も正しい音声で歌が聞こえるようになった。
この善後策によりカラオケボックスには一瞬だけ人が入ったが、すぐにまた誰もカラオケに行かなくなった。
誰が何を歌おうと同じだからだ。
こうして、旧石器時代から続いていた営みである歌舞の文化、歌って踊って楽しむ文化は打ち捨てられた。
2106年の現在、音声障害法の制定が、カラオケ文化の衰退を生んだとされているが、これは語ってきたとおり正確ではない。