桑子アナで思い出した。
当時彼女はまだ新人で、お世辞にもアナウンスが上手とはいえなかった。むしろ下手だった。
だが、一緒にニュース見ていたうちの会社の会長が彼女を見るなり真剣な顔をして「彼女はきっとビッグになる。」と言い始めたのだ。
それを聞いていた私を含む周囲の社員は軽く聞き流していた。
確かにビッグになった。
うちの会長が彼女のどこから将来性を感じたのかは今はもうわからない。
たぶん聞いても覚えていないだろう。
前に付き合っていた彼女も音楽やら映画やら漫画の好みが似ていたけど、最終的には「合わない」って言われて別れたのを思い出した。
この記憶を思い出すたびに、自分と似た人を好きになるってことは、他人を通して自分を好きになっているってことなのかなと考える。
なら自分と全然違う人を好きになるかというと、そうはならないんだよね。付き合っても長続きもしないし。
そんなことを思うと、なんか自分なんて人を好きになる資格はないのかな、いやいや人を好きになるのに資格とかねーから、なんてぐるぐるする。
補足:
誰も求めていないだろうけど読み返していて言いたいことが表現しきれていなかったので。
言いたかったのは、好みが同じだと最初はそれが嬉しくて、これも同じ、これも同じ、好みが合うね!たくさん同じものが好きで嬉しいやった!なんてなるんだけど、
その分だけ好みが合わないものが出てくるとそれが通常より著しく合わないように見えてしまうんだよね。
そしてそれが少しずつ多くなってくると、なんか合わない方が強調されてしまうようだった。
まるで好みが同じであるということの完璧度を求めているようになってしまっていて、それで最終的に「合わない」ということになってしまったようだ。
それが結局は自分を好きになっているのと同じなんじゃないかなと。
なんだか理不尽な別れ方だったな。冷静に考えれば合っている方が断然多かったと思うのだけれども。
まあそれが全てではないということなんだろう。
これ以来合うとか合わないとかは割とどうでもよくなって、合っていればそれもいいし合っていなくてもそれはそれでいいかな、
と思えるようになったいうことが彼女が俺に教えてくれたことだと思うようにしている。
「皆さんが静かになるまで○分かかりました」の
僕は集会ではぼっちだったので全く喋ったことはありません
「皆さんが静かになるまで○分かかりました」と言わしめる原因を作った自覚のある方
なぜ喋ってしまったのか教えてください
あ~、世の中にできるグラフィックデザイナーはたくさんいるのだろうけど
と前置きしておく。
紙モノデザイナーが同じだと思ってwebサイトデザインするのやめてほしい。
文字のサイズとかリンク動線とか文書構成とかそんなのお構いなしで
昭和なの?
戦ってるシーン、かっこいいじゃん?
じゃあ、全シーンかっこよくしようぜ!
戦ってるシーンを何も考えずにヒャッハー!と楽しめるマス層にウケてるだけ。
リア充実ってさあ。テレビがさも価値がある、友達大事だぜー!恋人大事だぜー!人生楽しいの大事だぜー!みたいな感じじゃん。
でもさ、これ本当なんかな。そういう風にしておくってか、商品としてリア充ってのを見せてるだけやろ??
って思うんだけど。どうだろう。
親しい友人がいる。同僚である。かなり狭いたった数人だけの会社(のような場所)で、経営を軌道に乗せようと尽力している。
私は基本的に彼の言いなりである。彼は自分の非を認めたがらないし、認めさせるのにかなりの労力を使うので、彼の言い分をすべて聞くのが最も効率が良い。
しかし私にも気に入らないことはある。その反論をすべて彼は「正論に対する拒否反応」として、取り合ってくれない。私が理屈を立てても、「屁理屈」とちゃぶ台を返し取り合わない。
それでも私たちは友人である。そんな関係が続いてくると、仲が良いのか悪いのか分からなくなってくる。彼は仕事の話をプライベートの機嫌に反映させることがよくあるので困る。
「彼が正論と称するものに問題があり、私がその問題の解決を提案すると、彼の機嫌(と物言い)が悪くなる」これに尽きるのである。
私はそういう仕事の仕方が嫌いである。彼が間違っている場合に、軌道修正にすさまじい労力が生じるのである。それがプロジェクトに悪影響を及ぼしたことが、過去幾度もあった。
彼に対してそういう問題の改善を求めると、もはや人間性に対する非難になる。そこまで踏み込まずに、言い方を考えて来たが、最近限界を迎えてきた。
私にはうまく言えそうもないので、某氏の定義を置いときますね。
(教養とは)「自分の持っている知識」は、「どのような知識であり、どのような知識でないか」についての認識、自分自身の「知っていること」と「知らないこと」をざっと一望俯瞰するような視点、「自分の知識についての知識」なのである。
「教養」とは、「生(ナマ)」の知識や情報のことではない。知識や情報を整序したり、統御したり、操作したりする「仕方」のことである。
「教養」とは、「古今東西すべての知識」を網羅した巨大な図書館があった場合、自分の持っている知識や情報が、その巨大な図書館の、どの棟の、どの階の、どの書棚に、どんな分類項目名をつけられて、どんな本と並んで置いてあるのかを想像できる能力のことである。……自分の書籍が「どこに何冊配架されているか」を正確に把握できる人間は、その図書館の全蔵書を使いこなす潜在的な能力を持っているということができる。
実家のリフォームにあたり、両親の希望で屋根瓦も新調することになった。
「何色が良いと思う?」と聞かれたので「青」と答えたら「もっと真面目に考えて」と文句を言われた。
充分真面目だっつーの。青瓦とか青いタイルとか好きなんだよ。綺麗じゃんか。
曰く、青瓦なんてダサイ、いかにも昭和臭い、いまどき新たに青瓦を葺く家なんてある訳ない、と。
そうか?青瓦ってそんなダサイもの?
ちょっとレトロな印象が漂うのは認めるが、なんだか可愛い色じゃんよ。
納得できなくてネットで「青瓦」とか「青い屋根」とかで検索してたら「青い瓦と景観」という宝塚造形芸術大学の教授が書いた論文に行き当たった。そこでは、
いつのまにか相当の良質の邸宅に堂々と青瓦を葺く人が現れてきた。建築家でこんなことをする人はまずいないので、たぶん建築主の好みであろうがセンスのないことである。
とまで書かれていた。
まじか。
別に自分のことをハイセンスなお洒落人間だとは思っていなかったけど、そんなに青瓦を選ぶのってアホなことなのか。
なんかショックだ。
まあ、努力はした。その努力が、何のためになるのかは分からないが。一応自分がワンランク上に行くために勉強した。
しかし、どこまで行っても別にたいしたもんでもなさそうなので、意味なんか無いと思うんだけど。
無為に一日を送ったではなく、一応将来のやらなきゃいけない負担を減らした。
多分、あんまり良くない精神状態だし、あんまり未来も明るくないし。だけど、まあその内自分のターンも来るから、職場と自宅の往復を細くてもつなげておく。
はたして、意味なんか無いんだろうけどさ。
死んでもいいとは思うけど、家族もいるし、一応寿命まで生きるっていう選択でいいと思ってるなあ、と帰り道に思った。特に暗くも無い。
この世はあとは耐えゲーで、お勤めを終えたら何もかもこの世に返して裸で死んでいくんだけど。裸で生まれたし、そんなもんだと思ってるけど。
とりあえず、そういう無意味なんだよな、っていう心持ちで、心にストレスをかけないように、とりあえず作業的に、今日生きる意味を刻んだ。
週間目標や、月間目標もあるし、年間目標もあるし、だいたいそれに準じて生きている。
そういう意味を刻んでるってのは、どこの企業や個人でもあるだろうし、その歴史にはたして意味があるのかも了解できないんだけどさ。
あまりにも自分の人生は無意味なんだけど、こんなもんかなって寂寥感っていうか、寂寥感から寂しさが抜けて、ただ化石ってか、植物が現実を見てるみたいってか。
解離障害ではないけど、多重人格みたいな。統合失調症でもない。
つい最近、知り合いの精神科の先生に相談しても、なんも問題なしだった。
今日生きる意味を刻んだし、明日も刻むし、そこには進歩っていうか、まあ、生きてる中でのデューティーっていうかな。
やらなきゃいけないものを責任もってやるっていうそういう感覚があって。それをコツコツこなすって感覚がある。
知識が増えるので、まあ今後の人生はそういう知識を持ったまた新たな人生になるのかなって。知識があれば見える世界も違うし、優秀な成績で資格をとれば、また世界が違うのかなってのも思うし。
だけど、過去はもう取り返しがつかなし、自分のたかっていうか、その限界みたいなところはもう自動的に決まっているし。
そういう中で、モルモットが檻から出られないように、一生を過ごすのかなっていう寂寥感から寂しさぬいた、そういう気持ちがいっぱい。
高学歴ってのがどのくらいを指してるのかわからんけど、経験から言うと高学歴の間でもポンポン子供作りまくるタイプとそうじゃないタイプにかなりはっきり分かれる。
感覚でしかないけど、それらの夫婦の間の違いは社会性の高さであるように思う。そもそもの性格として社会性が高い夫婦ほど子供を産んでいる。
低学歴の場合は社会性の高さと子供の数の相関傾向は変わってくるような気がするが、これはあまりサンプルが無いので分からない。
元増田です。
やっぱりKindle for PC じゃ拡大率保持は無理?ってことでhontoとやらに行く。
なんか面倒になったのでよく調べずにこちらでも同じ電子書籍を購入。
こちらは「表示」メニューの中に「表示倍率の維持」がある!
‥‥でも表示メニューは他に「目次・一覧」「見開き表示」の2つしかない‥、えぇ‥
目次を表示させるとなぜか項目ごとにサムネイルがついていて目次の行数が少ない。
サムネイルとか、いwwwwらwwwwなwwwwwいwwwwwwよwwwwwwww
4行くらい表示させられそうなスペースにサムネイルと1行表示。
あと、目次を表示させたままページ送りが出来ない。(Kindleはできる)
なwwwwwんwwwwwwでwwwwwwwなwwwwwwwのwwwwwwwwwww
ただ本文にテキストデータはなくても目次の項目のテキスト検索はできる。
なんなのも~
・拡大率維持、目次は文字のみ表示でテキスト検索可能、目次を表示させたままページ送り、
これらができるビューワってないのでしょうか?