そうそう
一人で寝なければならないと悟れば、自然と一人で寝る方法を試行錯誤するようになる
みんな寝かしつけが超大変!とか言ってるけど、ぶっちゃけ寝かしつけなんてしなくてよくね?っていつも思う。
http://www.asahi.com/articles/ASH1G01DPH1FUHBI03J.html
「表現の自由があるからってどんな表現しても良い訳じゃないだろ!あんなの表現の自由を盾にした侮辱だ!」というような内容のコメントが多かった。
しかし、それは間違いである。誰かを侮辱するような内容のものを表現することも、担保されるべき自由である。その結果どれだけ呆れられようが、世間から疎まれようが、特定の人たちに嫌われようが、殺されて良い理由にはならない。「殺した方が圧倒的に悪いのはそうだけど、〜」という枕詞はあくまでも感情的な話である。その考えを正当化したければ法を立てれば良い。それが無理なのであれば侮辱罪などで訴えれば良い。もしくはデモを行えば良い。
http://anond.hatelabo.jp/20150114202809
他にも乗っかってくれる人がいるといいなってのと、トラックバックでブログ主に通知行くだろうから、汚い言葉と炎上系を少しは控えてくれないかなって思いから書いてみたよ
主語はなんなんだよっつー話だw
元増田の話は、「恐るべし帝都新宿の小学生低学年男子。」の話だ。
紀伊国屋本店でエロカレンダーを物色していたのが恐ろしいという話ではない。
何食わぬ顔で親に向かって平気で嘘をつけるすがたが恐ろしいという話だ。
だから、
http://anond.hatelabo.jp/20150114201014
海外のアナルもの、少しググってみましたが、やはり私はアナル破壊系苦手ですね…
チンコ入れられてぽっかり広がったアナルや、うんこ中の脱肛気味のアナルなどは素敵ですが。
あと、内視鏡を使った直腸内観察は好きだったりします。見てはいけないものが見えてしまうのではないかというドキドキ感がたまらない。
あと、そんなところを観察されているという女優の羞恥心とか、想像するのもヤバいです。
高校から人とコミュニケーションを積極的に取るようになって大学生でも社会人でもなんとなく人付き合いができていたのに、SNSの発達のせいか年のせいかわからないけれど、また一人でいる時間が増えた。
増えたというか、孤独というか、もともとの自分にやっぱり戻ってしまったような気がする。
同僚と飲みにも行かない。
帰宅してからは何度も読んだ漫画を読んで、一人部屋にじっとしている。
とても危ない。
気づかないうちに太っているのと近い感覚。
”親には受け入れ難い事実だろうな”
って言いたかったんじゃないの
英語で言うと
The fact will be unacceptable for his mother.
”親としては受け入れ難い事実なんだろう”
だと
The fact seems to be unacceptable for his mother.
っぽいね
責任の所在はどこにあるのか、と言えば、全てにある。女を自分のお遊びとしてしか考えていないオッさんたちにも、それについていってしまう女の子たちにも、そして彼女たちを救えない若い男性たちにも。
岡田斗司夫のような男性に女性が引っかかってしまうことについて「彼女たちを救えない若い男性たちにも」「責任の所在」があるという内容に否定的なコメントが多数寄せられているが、この部分について否定的なコメントが男性から寄せられるという事実そのものが、鶉氏が嘆いている「救えない若い男性たち」の内情を示しているように思う。
まず私は彼女いない歴=年齢期間を長々と過ごしていた「若い男性たち」の一人なので、この内容に否定的なコメントを残したい男性の気持は良く分かる(ただし、単純な女性蔑視でコメントを残している荒らしの心理はこの記事では扱わない)。
今の若い男性の多くは、自分の中の男性性が暴力性を伴っていることに対して敏感である(少なくともまったく無反省ということはない)。
岡田斗司夫の事件は極端だけれど、様々なシーンで男性性欲の暴力性が女性を傷つけていて、世の中の女性がそういうことに憤っていることをよく知っている。
ここで問題になってくるのが、男性性欲の暴力性について男性自身が否定的になると、定期的にオナニーして射精することを義務付けられ、親しくない女性に対しても十分に性衝動を感じ得る自分の性も、同様に暴力的で良くないんじゃないか、ということになってきてしまうことだ。
男性性欲の暴力性に否定的になることは自分の中の男性性欲の存在そのものに否定的になることに直結する。
そうなった結果現れるのがいわゆる「草食系男子」というものだ。
彼らについて性欲が少ないとか無いとか平然と言ってしまう人は認識を改めたほうが良い。
早い段階で男性性欲の暴力性を認識し、自分の中の男性性欲を表に出ないように徹底的に抑圧しているのが草食系男子である。
この抑圧の過程の多くは男性本人にとっても無意識下に行われるのが厄介だ。
ここでやっと冒頭に戻るが、そういう男性からしてみると、日々自分の性を抑圧して苦しんでいるところに「救えない責任がある」などと言われてしまうと、いやいやあなたたちが怒るから必死に女性を傷つけないように頑張ってるのに責任があるとかおかしいでしょ。ましてやメンヘラとか自己責任だし。自分で自分を救えよ。という風に感じてしまうのは無理からぬことなのだ。
だが、こういう反応そのものが鶉氏の言う「若い男性たち」(その実この問題は「若い男性」のみではなくあらゆる世代の男性にあてはまるのだが)の問題点を示している。
それはどういうことかというと、彼らは「救う」、「責任」という言葉を字義通りに解釈して反発しているのであって、鶉まどか氏という一個人が本当は何を言いたいのかという点には目を向けていない。
鶉氏の言いたいことは、その後のツイートに端的に書かれている。
鶉まどか @uzuramadoka
わたしは男性に「女の子をお姫様扱いして大事にしろ!」なんて言うつもりは毛頭ない。責任は、目の前にいる異性をちゃんと等身大の存在として認めないことにある。女だって苦しんだり悩んだりするし、そして当然男だって同様だ。それをお互い理解しようよ。お互い理想ぶつけあってどうすんだよ。
「目の前にいる異性をちゃんと等身大の存在として認め」よう、つまり「他ではない私を見て」ということなのだが、そもそも自分自身の男性性がまったく受容できていない男性にはただ一人の他者も受け容れる余裕がない。
女性からしてみれば、周囲の男性の多くが自分のありのままの存在を受け容れてくれず、男性性の葛藤からの逃避過程で生まれたファンタジックな女性像に夢中になっているのは、やはり「救われない」状況なのではないだろうか。
少なくとも岡田氏の愛人のような女性に実際に関わって救う義務が全ての若い男性にあるというような議論が展開されているわけではないことは明らかだろう。
ただ、男性性が抑圧下にある男性には目の前の女性の個性を受け容れる余裕がない。
私が提言したいのは、男性性の抑圧の過程が男性自身によって明確に言語化され客観視されるべき、ということだ。
意識さえされれば、男性性を適切に解放するための物の考え方(具体的に言えば女性とのコミュニケーションの取り方)は現状の知見でも十分過ぎるものが揃っている。
追記:
ただ、私は森岡氏が『草食系男子の恋愛学』で定義するように「草食系男子」に「異性と肩を並べて優しく草を食べることを願う」というような属性を付与できるとは考えていません。
その人がバカとかどうとかではなくて、
「可能性を試すために、A大もB大も受けたほうがいい」みたいな感じで
それが普通って感じで生徒とか親に話すわけね。
頭いい子であればあるだけ、上の大学たくさん受けるように言われる。
ShogiAssociationチャンネルは日本将棋連盟のYouTubeチャンネル。
https://www.youtube.com/user/ShogiAssociation
ここに毎週UPされている「目指せ!初段」シリーズは、アマチュアの棋譜をプロが解説し、アドバイスするというもの。
ルールは覚えて、何となく囲いや戦法も覚えたくらいの人には最適だろう。
級位者同士の将棋は、どうせ定跡通りには進まないのだ。
1局につき30~40分程度、現在100本くらいの動画がUPされている。
全部見るのは無理だろうけど、戦型ごとに整理されているので好きな戦型だけ見ることもできる。
そして、解説の西尾六段と野月七段が丁寧で素晴らしい。級位者の棋譜を山ほど見ることで、級位者がどのように間違えやすいかをよく捉えているようだ。
ちょっとだけ見てみたい人は総集編の2本だけでも見てみるとよいだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=u_riv62mQJY
https://www.youtube.com/watch?v=oRKh2sn_fIk
総集編#2の28分あたりでは、「角の効きに気を付けましょう」というクッソ当たり前のアドバイスをしてるんだけど、つまりそれだけ初心者は角の効きをうっかりしやすいということなのだろう。
その後の「適当に歩を3枚置いて角で両取りをかける」という練習が面白い。
将棋連盟はこの二人のために照明機材を買ってあげるべきだと思う。