16. ソーゾー君
日朝国交正常化をしたら即解決する。
中露朝と日本の通商が強固になったら韓国は経済面も外交面も孤立する。
日本が在日米軍に「もう必要ねーから自国の国防に専念してねw今までありがとねーw」と言えば止めになる。
尖閣を日本の領土と今認めたら海底資源開発再開の主導権は日本政府に奪われる・・
日本政府=行政府=司法に主導権を奪われたら海底資源開発は100%御破算になり
中日のエネルギーは欧米エネルギーメジャー依存まっしぐらになる。
国際司法でやり合ったら韓国も中国も勝ち目はないしメリットもない。
北方領土は普通に交渉したら返還出来る・・それは鈴木宗夫が証明している。
まー要するに「日本政府=行政府=司法が妨害してるってこった・・」
http://blog.livedoor.jp/z400kai/archives/18824700.html
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1341436809/l50
このテの話題で毎回思うのは、そもそもの大元とちがう言語体系で表現(文字・発音)してる時点でもうズレてるんだから、
それはもう「日本語」として扱っていいんじゃないのかな。って。和製英語。
「シミュレーション」と「シュミレーション」みたいなのもあるよね。
たとえば日本語でトイレのことを英語では通用しないしさ。bath room とか rest roomとかWater closetじゃん?
それがイヤだったら、ちゃんとそれぞれの言語をネイティブで正確に扱わなければならないよね。日本語が達者な外国人のコメンテーターがしゃべる中に出てくる英語部分だけやたら流暢で早すぎてよく聞こえないような、ルー大柴のような、そんな事態になるけど。
「それがhateだったら、ちゃんとeachのlanguageをnativeで正確にhandlingしなければならないよね」みたいに。
communicationに近いのはコミュニケーションだが、日本語にミュという音が少ないためか、音韻転倒してコミニュケーションと言われることが少なくない。だがNHKのアナウンサーには、意識してきちんと(規範的に)コミュニケーションと言ってほしい。言葉の問題を扱う特集となれば尚更だ。
10月20日(土)放送 週刊ニュース深読み 知ってトクする!知らないとコワ~い!?ことばの話 http://www.nhk.or.jp/fukayomi/backnumber/121020.html で、導入部の番組オープニングVTRを見ることができる。徳永圭一アナウンサーが 「実はこの調査、ネット社会で日本人のコミニュケーションまで変わってきたと言うんです。」「今の言葉とコミニュケーション、本当にこれでいいのかなあ。」と言っている。気をつけてほしいなあ。
編集権は所有者に帰属するというのは新聞社自身の主張だから、子会社の編集物である週刊朝日の件で朝日新聞社が責められた点は橋下側が正しい。
編集権は朝日新聞社にはないから、といった朝日新聞の記者の言い訳は通用しない。
でも、週刊朝日の記事内容を朝日新聞社がチェックしたりなど出来ない、というのももっともな話である。
これは、日本新聞協会が公表している編集権の概念が、泥縄で作られたせいで現実とうまくマッチしていないという問題であるのだから、そこをまず直すべき。
そうすれば、
「朝日新聞社は朝日新聞出版の刊行物の内容までは干渉できない、なのでそれを理由に取材拒否をされる言われはない。ただし、朝日新聞出版が問題のある記事を書きそれが元で週刊朝日が廃刊されたような時には、経済的な不利益は所有者として当然受け入れる」
と堂々と言うことが出来るようになる。
ほんとそれだけのことなのにねw
木箱を見てもらえるだけ幸せと考えることはできないだろうか?
書いてあるのが読めないor理解できないだけじゃね?
全部フィクションだと思って読んで欲しい。
ちなみにこの大学、美大のように絵を志した者ばかりがいるわけではなく、工学やら文学やら、いろいろな学部が存在している総合大学だ。
授業やサークル、学園祭に県人会など、色々な場面で様々な学部の人と付き合えるから、とても満足している。
そんな感じだから、Facebook上でも、デザインを学ぶクラスメートだけでなく、他の学部の友達とも交流がある。
ぼくの友人の何人かは、自分で描いたイラストやデザインしたロゴ、立体物、そういったものをFacebookにアップする。
当然、周りは絵や物を作らない人ばかりだから、みんなたくさん「いいね!」を押してくれる。
ぼくはそういう、自分の作品をアップして褒めてもらおうとする友人たちが、なんとも度し難いと思うのだ。
心から「良い作品だな」と思っていいね!を押してくれる人もいるだろう。
だが内輪のSNSだ、付き合いがあるから、とりあえず押しておこうって奴もいるはずだ。100%混じりっけなし、ピュアな感動から押す人なんて皆無だろう。
どうにも我慢ならないのだ。
賞賛されることを、批判されないことを前提に、こんな狭い世界の身内ばかりの空間で自分の作品を見せびらかして、承認欲求を満たす。
更にぼくが嫌なのは次の一点だ。
自分の創作物をアップロードして承認欲求を満たしているやつらが自分と同じデザインを学ぶ学部生だってこと。
ぼく自身はまったく望んでいないのに、腐ったリンゴで充満した箱の中にぶち込まれているようだ。
腐った奴らの堪え難い臭いがぼくを取り巻くのだ。
ぼくは必死に腐るまいとするのだ。
しかしその木箱を見た農夫はこう言うだろう。「この箱は腐ったリンゴしか入っていないな」
そして箱ごと捨て去られてしまうのだ。
きみも周りを見ろよ!そして抜け出したまえ!
正直言うと、ぼくは抜け出せるかどうか分からないがね。
10月21日(日) ハロウィンデモンストレーション in くにたち (東京都国立市)
http://nonukes-kunitachi.blogspot.jp/
10月21日(日) 原発いらない 亀有 集会&パレード (東京都葛飾区)
http://katusika-action.jimdo.com/
10月21日(日) 反原発派からの被災者支援要求デモVol.,2 (東京都中央区)
http://ameblo.jp/kouteisha/entry-11377452681.html
http://ameblo.jp/tachikawaasuka/entry-11363713046.html
10月27日(土) 原子力政策ー原発ゼロ、核燃料サイクルの撤退を 集会とデモ (日比谷)
http://www.peace-forum.com/gensuikin/katsudou/121027yotei.html
10月28日(日) 原発再稼働反対デモ in 富津 (千葉県富津市)
http://seisakukenkyukai.blog.so-net.ne.jp/2012-09-30
10月28日(日) 右から考える脱原発集会&デモin海老名 (神奈川県海老名市)
https://twitter.com/harada_hirofumi/statuses/253852956431110144
警察は誤認冤罪おかまいなしによりどりみどり逮捕、誤認冤罪が明るみになっても警察にはペナルティなし。テキトーにイチャモンつければ誰でも逮捕できるように法整備されている。誰だって叩けばホコリが出る理論。
裁判は裁判官が個人的に気に入るかどうかで判決が変わる。裁判中の態度とか。弁護士は裁判官をプロファイリングし、心証をよくする演技指導のお仕事になった。
政治家は自分の議席しか考えていない。議席のためなら悪魔にだって魂を売る。
バカ殿様。
いや、変化がどうこう以前に、そもそも権力って横暴なものなのか。弱い側が「権利」を主張してその横暴を低減してるが、完全ではない。
「権利」を誤用・乱用して「おかしな権力」を持ってしまう人もいる。
よくわからない
すると、今まで気にしていなかった親子連れの姿がよく目に入るようになりました。
なんかね、こどもがかわいい。
パパとおでかけするのがうれしすぎて歩いてるのかジャンプしてるのかわからない女の子がいたりする。いっぱいおしゃべりしてるけど思いつきでしゃべっていて会話がまったく意味不明なのもよい。
家の外が怖いのかママのふとももにはりついて動かない男の子とかもかわいい。2~3歩あるいてみて重くて閉口してるママがもっとかわいい。
パパが何故か手をつながないのでバッグの肩ひもをがっちりつかんで自走式のバッグと化している女の子もたいそうかわいい。ちょっと暗い眼をしているのがよい。
邪険にされてママのあとをぐずりながらとぼとぼついていく男の子もけなげでかわいい。
そういうかわいいこどもを凝視する癖がついてしまっていて、私が危ない。私は不審者になりつつある。いつか誤解されて職質をうけかねない。
「死がふたりを分かつまで」って言ったんなら、別れたら死んで償えよ。
うんうん。独占は良くないね。
仮にその名称が「一定以上の能力を保証し担保する」ものであっても、自分でその能力を保証し担保できると信じるなら名乗って良い。でもって、消費者は純粋にその能力だけをみて仕事を頼めばいいんだよね。
たとえば、一定以上の品質や耐久性について自信があるなら、ブランドバックの名称とかも独占すべきではないよね。ヴィトンでもグッチでもみんなが勝手に使用できるようにしたらいいよね!
自分で書いたことくらい守ればいいのに。
それはもうぶぶづけ食べなはれ状態なのでは。
先日、生まれて初めてやった弓道で、弦がメガネに引っかかり、左右両方のつがいが豪快に死んだ。
デザインもなかなか、掛け心地もとても気に入っていたので、たかがメガネと思わずに修理したいなと思った。
zoffとかalockみたいな全国チェーンではなく、街のメガネ屋で買ったメガネ。
かなり変わったメガネが多かったけれども、黒のセルフレーム、いわゆる黒縁メガネだ。
そのメガネ屋の話も語りたいことはたくさんあるのだが、それはさておき修理の話を進める。
Googleでブランド名を調べると、取り扱い店舗を知ることが出来た。
軽く1時間はかかるが、迷ったが駅に向かった。
ギリギリだったが、まあなんとか、営業時間内に間に合うだろう。
そしてまた、駅から遠い。
家を出た時のテンションも平常に戻りかけたころ、店に着く。
存在感を隠しきれない言葉に出来ないメガネをかけた店主がいた。
なんていうか、スタンド使いっぽい感じ。
そういえば、買ったお店の店主もそんなんだったななんて思い出す。
そこからだ
「うちでも取り次げますけれども、どうせなら製作者のお店がここからちょっと遠いですが、小一時間ほどのところにありますので行ってみてはどうでしょうか?」
なんかすげぇ、ジョジョっぽいなと思いつつ、「いえ、いまもう19時ですから、着く頃にはあちらも閉店時間になるでしょうし。」
と電話を取る店主。
えぇっ?!と思うも、なりゆきに任せる俺。
「19時閉店だそうですけどッ、来店まで待ってるとのことだそうですッ!どうしますかッ?」
もう行くしかないような気がして、勧めに従うこととした。
「この道を真っ直ぐですッ!そうすれば駅につきますッ!」
そんなこんなで、それから小一時間ほどかけて、小さなメガネ屋にたどり着いて、その店で修理に出すことが出来た。
僕の人生で、店舗で買った品物から、その製作者にたどりつくような経験というのは、はじめてなんじゃないだろうか。
なんとなく掛け心地がいいなくらいにしか思わなかったけれど、きっと、目に見えないたくさんの工夫と、溢れる情熱で出来た眼鏡なんだろう。
ちょっとした感動だった。