全部フィクションだと思って読んで欲しい。
ちなみにこの大学、美大のように絵を志した者ばかりがいるわけではなく、工学やら文学やら、いろいろな学部が存在している総合大学だ。
授業やサークル、学園祭に県人会など、色々な場面で様々な学部の人と付き合えるから、とても満足している。
そんな感じだから、Facebook上でも、デザインを学ぶクラスメートだけでなく、他の学部の友達とも交流がある。
ぼくの友人の何人かは、自分で描いたイラストやデザインしたロゴ、立体物、そういったものをFacebookにアップする。
当然、周りは絵や物を作らない人ばかりだから、みんなたくさん「いいね!」を押してくれる。
ぼくはそういう、自分の作品をアップして褒めてもらおうとする友人たちが、なんとも度し難いと思うのだ。
心から「良い作品だな」と思っていいね!を押してくれる人もいるだろう。
だが内輪のSNSだ、付き合いがあるから、とりあえず押しておこうって奴もいるはずだ。100%混じりっけなし、ピュアな感動から押す人なんて皆無だろう。
どうにも我慢ならないのだ。
賞賛されることを、批判されないことを前提に、こんな狭い世界の身内ばかりの空間で自分の作品を見せびらかして、承認欲求を満たす。
更にぼくが嫌なのは次の一点だ。
自分の創作物をアップロードして承認欲求を満たしているやつらが自分と同じデザインを学ぶ学部生だってこと。
ぼく自身はまったく望んでいないのに、腐ったリンゴで充満した箱の中にぶち込まれているようだ。
腐った奴らの堪え難い臭いがぼくを取り巻くのだ。
ぼくは必死に腐るまいとするのだ。
しかしその木箱を見た農夫はこう言うだろう。「この箱は腐ったリンゴしか入っていないな」
そして箱ごと捨て去られてしまうのだ。
きみも周りを見ろよ!そして抜け出したまえ!
正直言うと、ぼくは抜け出せるかどうか分からないがね。
自信がつくだろうからいいんじゃない?
何をそんなに怒ることがあるのか? 問題は友人じゃなく、自分の内面じゃない?
しかしその木箱を見た農夫はこう言うだろう。「この箱は腐ったリンゴしか入っていないな」 木箱を見てもらえるだけ幸せと考えることはできないだろうか? そこから抜け出した時、...
そういう姿勢が嫌っていうのは何か分かるなぁ。 でも、本人の自信をつけることにも繋がるし、いいんじゃないかな。 知り合いからだけの評価を得ることだけに終始して、「俺が一番...
そういう姿勢が嫌っていうのは何か分かるなぁ。 でも、本人の自信をつけることにも繋がるし、いいんじゃないかな。 知り合いからだけの評価を得ることだけに終始して、「俺が一番...
嫉妬と怨念しか沸いてないような。 いいね!を押してくれる人がたくさんいるってことは、内輪の付き合いの結果相互に押し合いが日常化しているのもあるのかもしれんが、その人が作...
「僕はあいつらとは違う!」っていう気持ちが感じられるけど、 そういうのから抜け出せた時に、いいものが生まれると思うよ。 頑張って試行錯誤してみて!