はてなキーワード: ナウシカとは
見てないのに批判すんなと言われたのでフラクタル見た。
1話の設定だけ見たらディスコミュニケーションというか偽りの現実を取り戻すみたいなゼーガペインみたいなのを、ループ使わず、仮想空間も使わず
テクノロジと認識の問題として取り上げるのかと思ってた。というか登場するキャラも全員厨二くさく、特に主人公はテクノロジ社会に適応できずアナログで手触りあるものに憧れるヒキオタ。こりゃどうみてもこっちの方向だろ、と正直オラワクワクしてた。
そういう意味で1話見たときはメッチャ面白いと思ったんだが、3話あたりからわけわからなくなって最後までわけわからんかった。
どう見てもキャラも設定もジブリと全く正反対にあるのに(漫画版ナウシカだけは少しつながりあるけど)、どうしてこれでジブリができると思ったのか全く理解出来ない。
コリン・ウィルソンは「アウトサイダー」の中で、アウトサイダーの意義について書いたが、そのなかで例としてあげられているアウトサイダーたちが、
すべてD・H・ロレンスとか、ニーチェとか、十九世紀的な「精神の巨人」時代の人間か、あるいは疎外の始まった頃の疎外への反抗者であったというのは、
すでにそういうかたちの疎外の消化の仕方が、現代には意味を持たないものになっていることを示している。
自己疎外が自己を拡大するための契機として意味を持ち得たのは、個人の存在というものにまだ何らかの意味があった時代においてだけである。
現代においては、すでに個人のものが存在しなくなりかけているのだ。
個人が存在するのならば、阻害されても疎外された個人として生きられるだろう。しかし、現代にあっては、疎外されたまま生きて行くことは不可能である。
かつてコリン・ウィルソンが「アウトサイダー」をあらわしたとき、まだ社会にはアウトサイダーの生きる場所がそれなりにあった。
いかにアウトサイダーであろうともその事自体が意味を持ちうるくらいにさえ社会には余地があったしパラダイムはまだ決定的ではなかったのだ。
犯罪者であること自体にコリン・ウィルソンがひとつの事故表現としての意味合いを見出すほどに社会のそのものが発展の可能性をまだ持っていた。
だがいまや犯罪者も精神病者もまた社会のアウトサイドでアウトサイダーとして自己表現する余地はない。膨張していく東京がしだいに周辺の村を合併し
埋立地をベイアエリアとし、そしてどこからが東京でどこからが地方であるのか次第に分からなくなってきつつある現状そのままに、
「インサイド」と「アウトサイド」という対立は存在しなくなり、そのかわりに
コミュニケーション不全症候群 p307 コミュニケーション不全症候群のための処方箋
なんらかの公認されない私的な共同幻想(個幻想ではない。共有されない個幻想は単なる狂気で終わってしまう)に拠ることで
社会全体に対してのあアンチの役割を務める人間は、実際に自分がそのアウトサイダーのグループに参加したり、そういう役割を務めることは出来ないけれども、
一見一応は<まとも>に社会に適応している範囲内に居ながらその内側に何らかの欠落を抱いているタイプの個人たちの小規模な共同幻想の作り手となる。
もちろん「それらしきもの」はわかるけど「それ」だけだったとは思いたくないし。
まさか最終話のアレがやりたかったわけじゃないんだよね。
結局最後まで、あのキャラクターになじめなかった。老ヲタの限界を見たというか。
昔のアニメなら、ナウシカとラピュタの台詞を全部暗唱できる程度には、自分にはアニヲタだった既往があって、昔はビデオがなかったものだから、中学生のヲタなら誰でも、テレビの音を録音して、絵コンテ片手に画面を回想する訓練を積んでいたものだった。
プアなメディアは老ヲタを鍛えて、旧ガンダムはもちろん映画館で見て、ゼータちょっと見て、ずいぶん離れてGガンダムをなぜか見て、そのへんまでは、アニメはきちんと楽しめた。
で、そのあとずいぶん長い中断があって、ローゼンメイデンのアニメをネットで見て、これは楽しめて、ハルヒはほとんど見ていないんだけれど、それでも部分部分を youtube で見る機会があって、見ると決めたら、本編はちゃんと楽しめた。
で、らきすた のアニメは良くできていて、あれは近所の本屋さんが環境ビデオ代わりにずっと流していて、チラ見して面白そうで、あとからニコ動であれを見て、十分に楽しめた。最終回はたしか、ネット越しに誰かと感想を喋ってた記憶が。
で、最近の「けいおん」と、「ストライクウィッチーズ」とは、あれは両方とも面白かったし、老ヲタでも楽しめた。「けいおん」のゆるい流れは、ぼーっと見ている分には全然苦にならなかったし、ストパンの裏側には呆れるほどの情報が詰め込まれていて、ああいうのこそ、古参のミリヲタは解説に燃えたのだろうし。
そんなこんなでこの1年ぐらい、ヲタ系のアニメにはつかず離れずのつき合いがあって、その流れで評判になっていた2本を見て、全くついて行けなかった。
「俺の妹」は、こう、好き嫌いとかじゃなくて、始まってものの5分ぐらいで、もう駄目だった。
主人公の動きかただとか、会話がどうしてそういうつながり方をするのか、自分には全く理解できなくて、見るのが苦痛になった。原作はちゃんと読んでるし、ラノベの絵だって万人向けの、ある意味ありふれた萌え絵であったし、アニメにはきちんとお金と手とがかかっているのに、あれはどうしてだか、自分には全く受け付けなかった。
元ネタのエロゲの話題とか、プレイこそしたことないけれど、その界隈の話題ぐらいは全部分かる程度には、自分はヲタであったはずなのに、どうして見るのがこうも辛いのか、不思議だった。
「イカ娘」も、ネットでは評判がよかったのに、駄目だった。同じくゆるい時間が流れるアニメにしても、らきすたの緩さには同調できて、イカの緩さはなぜかそれが苦痛になってしまって、楽しめなかった。
同じように「駄目だこりゃ」になってしまったのが「とらドラ」のアニメであって、あれは原作を全部読んで、十分にそれが楽しめたのに、アニメで動くと、原作での、キャラクターの痛い振るまいが、笑うべき場所がもういたたまれないぐらいに痛々しく見えて、見るのが辛くて、無理だった。
芋とイカにあって、ストパンとけいおんにはない何か、若い人たちはそれを楽しめて、「ピーキーすぎてお前にゃ無理だよ」なんて、老ヲタを絶望させる、濃さだとか、緩さだとか、あるいは作画の品質だとか、そういうものとはまた違う何かが断絶を作り出していて、自分には、それが何なのかすらよく分からない。
年をとるってこういうことなのかもしれない。
例の「デキビジ」でのひろゆきと勝間和代の対談、とそれによってネットで起こった勝間批判を受け、ホリエモンが仲を取り持って鼎談(ていだん)するという態の本。昼休みに本屋に行ったら平積みされていて、他にも何冊か買う本があったのでついでに買ってしまったのだけど面白かった。内容は、「デキビジ」であんなにギスギスしたのはなんだったのかと思うほど三人で仲良くお喋りしているという感じなんだけど俺は特に今まで知らなかった勝間和代の意外な一面に心打たれたので「萌え勝間」な箇所を以下に引用する。
・「結局女はキレイが勝ち」が叩かれた件
西村 勝間さんはギャグをやるタイプだとは思われていない。そこが問題だったんですね。
勝間 (首をかしげて)あれは大真面目に出した本なんですよ。タイトルも大真面目につけましたし。
西村 えっと。勝間さん、自分で自分のこと美人だと思いますか?
勝間 あれは読んでいただければわかるんですけど、”当社比”と書いてあるんですよ。つまり、当人比でキレイになりましょうと。
西村 ああ、なるほど。読んだ人はわかるんだ。でも、タイトルだけを見た人が「キレイが勝ち」という部分から、「勝間さんは自分のことをキレイだと思っているんじゃないか?」と思ってしまう可能性を、なんで感じなかったのかが不思議なんですよ。
勝間 まあ、多少は炎上するだろうとは思っていましたけど、その多少の見込みが多少違ったと(笑)
――勝間は天然だったということが判明(俺の中で)。
西村 勝間さんは、自由のために使うお金はあって、手元にも結構なお金があるわけじゃないですか。そうしたら、もう働かなくても自由は手に入っているわけじゃないですか。
西村 勝間さん、何かのテレビ番組でコスプレしてましたけど、コスプレをする仕事も働きたい仕事だったんですか?(笑)
勝間 いやコスプレがしたかったのではなくて、番組ではデフレの話をしたくて、その部分を見てほしかったんですよ。でも「コスプレをすると視聴率が上がって、デフレの話も聞いてくれるよ」ち言われたので、そうかなやってみようかなって……。
勝間 そうなんです。やってみたら、みんなからデフレのデの字も出なくて、コスプレの話しかしなかったんです(笑)
――なんか上京した女優志望の田舎娘が騙されてAVに出るみたいな話である。
2.モーニングを「ホワッツマイケル」の頃から20年以上読んでいる。(そういや「エンゼルバンク」のおまけコラムを連載してましたね)
3.よしながふみの「大奥」が好き。「のだめ」、「デスノ」は全巻所持。「ベルセルク」も普通に読む。その他少女漫画は割と読んでいるようだ。
4.コンビニに行くと漫画雑誌を2時間くらい立ち読みしてしまうタイプだが、最近は紐で縛ってあるので買って読んでいる(邪魔だから1回読んだら捨てる)。
5.学生時代、隠れオタクだったが漫画研究会の人と漫画の貸し借りを行っていた。
6.大学ではシミュレーションゲーム部で「ダンジョンズアンドドラゴンズ」をやったりしていた。
――2時間立ち読みしちゃうのは良くない! けど俺も学生時代金がなくてよくやってたので共感できる。そしてマンガはともかくTRPGとかやっちゃう系の人だったとは知らなかったぜ。でも絶対隠れられてなかったと思うけど。
前書きでホリエモンが言っている通り「いじられキャラとしての勝間和代」がよく表現されていて面白かった。誰かが言ってたけどひろゆきと勝間和代が結婚したら案外いい夫婦になるんじゃないかとすら思った。ただしゃべってるだけの内容で1500円なんで本にお金を掛けたくないという人にはあれだけど、まあおすすめですよ。
偶然としてもテレビ見ないくせにラピュタ知っててナウシカ知らない、で驚かれたんじゃないの?
別にアニメ映画なんて、周りがヲタクだらけでもない限り、まともには見てない人が大半だと思うんだけどな…。
確率的に見てない(目にしないまますごした)は、ビックリだろうけど、だからどうした、という気がする。
その感覚が絶対じゃないのは確かだ。
該当作無し かなぁ。
つ http://www.comic.ne.jp/html/a2000.htm
ざっとながめると。
攻殻は95年封切だから除外
ただ、たとえば、攻殻やエヴァのように他の作品に影響を与えたり、海外で注目されたりという要素まで含めると00年代は
ぶっちゃけ、萌え系中心で、短期回収中心の作品多くて、作品単体としてみたときに、他に影響を与えたものってねーよなぁと。
あえて言うなら、狼と香辛料のようなスタイルは、キャラ物の中でも新しいけど、アニメとして描けたかと言うというとイマイチ感はある。
ハルヒはなぁ・・・ナウシカや千と千尋のように、広い層にまでリーチしたかというとそうでもないし。結局ちょっとコアなんだよね。
結局、映画版エヴァが流行っちゃうのも、コレといった、売れ線が無かったからで。
あえて言うなら、鋼なんだろうけど、コレも10年を背負える代表かというと、1年を代表するぐらいがせいぜいかなぁと。
ネットで公開されていたので「トップをねらえ!」(1988年制作)というアニメを視聴した。
ガイナックスと庵野監督ということでよく聞くけど、見たことなかったので。
内容書いちゃうから注意。序盤はスポコンものとロボットものとがごっちゃになったような変な感じで、ロボットで校庭を50週ランニングとか意味わからん、ロボットに人工筋肉でも付いていて鍛えているのかななどと思った。
話が進むにつれてのスケールアップがすごいとか聞いていたけど、確かにそうだった。ロボットも武器も戦場の規模もスケールアップしていく。
スケールアップといえばグレンラガンも宇宙規模まで拡大してすごかったし、まあエヴァンゲリオンも少年の話から地球規模・(精神)世界規模にスケールアップするし、ガイナックスの伝統なのかなあ。
終盤になるにつれて強調されるテーマは、宇宙での高速航法による時差の話だった。つまり宇宙で戦ってた主人公たちの何百倍何千倍以上も地球で時がたっているということだけど想像力を刺激された。
戦いから帰還して1万2千年たってたなんて、どんな気分だろうか。だって、縄文時代から現代くらいの時が流れたっていうことだよ。人間の外見も違ってくるだろう。科学技術も桁違いの発達を見せているだろう。ひょっとして一度文明崩壊してやり直していたりして。しかしまあ、そんなに経っているのに地上の人々が主人公たちのことを語り継いでいるとは!
そういや、正義であり善であると思い込んでいた我らこそ宇宙の悪玉菌見たいな発想は、このころからあるんだなあ。ナウシカのポスターが主人公の部屋にはってあったけど・・・Wikipediaによるとナウシカはアニメージュ誌上で1982年に連載が開始されたそうだから、それもそうか。
ナウシカが好きだったから、ナウシカっぽい自然を愛する人がかっこいいと思ってた。
高校に入ったときに自然が好きってキャラ作ってたらどんどん発展して、植物や地球と会話できる人になってしまった。
土砂降りの雨の日の昼休みとかに校庭に出て両手を広げてくるくる回りながら
「ははっははははははははは」って大きな声で笑いながら、踊ってた。
「大地が喜んでるよ。みんなもどう?」って聞いたり
自宅の庭にあるツタみたいな植物をカバンに巻きつけて登校したり
それを自分の机や教室の窓にも貼り付けてた。
先生に「この子たちが如何しても授業を聞きたいっていうんです」って言いながら
俺ってかっこいいでしょと思ってたが、その日から俺の仇名は「甲子園球場」になってしまった。
絵はナウシカですごく本物っぽいよくできた複製セル画だと思って買いました。実際複製セル画と売ってあった気がします。
・・・・でももしかして、と今更ながら思うのですが・・・・・
あれは本物だったんでしょうか?
おそらく複製で間違いないと思う。理由は以下の通り。
よって、本物ではないだろう。
ちなみにセル画は非常にもろいので、飾っておいたりするとすぐに劣化して酷いことになる。基本的に長く使うものではないし。なので色あせてぼろぼろになった謎の物体として捨てられた可能性もあるのでは。まぁ無責任な予想だけど。
ちなみに、スタジオジブリは、もののけ姫の途中以降はデジタル制作になっているので、本編使用セル画などない事に注意が必要。千と千尋の神隠しに使用されたセル画と名乗るものがあったが騙されてはいけない。また、近年のハイビジョン制作のアニメーションはまず間違いなくデジタル制作である。
とはいえ、デジタル制作のアニメーションは絶対にセル画がないかというとそうではない。本編使用などではなく、ごく希に、雑誌やポスターなど用に版権イラストと言って、優秀な原画家やキャラクターデザイン、作画監督、時には監督自ら描くイラストというものがある。これをデジタル制作が本格化するまえは、本編がデジタル制作なのに、セルで書く人がいるらしい。これが出回る事がある。また、チャリティーオークションなどのために、特別に書き下ろしたりすることもままあるようだ。
これらは当然一品もので、しかも静止画として美しくなるよう、普通の動画用セルに比べて段違いの精度がある。また製法も異なるらしい。たとえばトレスマシン(セルに線画を移す装置)を使うと、カーボンがわりと早く劣化してしまうので、長期保存が必要と言うことで手でトレスしていたりとかするようだ。
ただし、これら普通の本編使用のセル画より出回りにくい上に、出回ったとしても恐ろしい額になる事が多いらしい。
と、別に収集家でもないしちょっと昔聞きかじった程度の知識を披露してみる。
詳しい人による補足突っ込み等あればよろしく。
ずーっとずーーっと昔。一人きりでひなびたアニメなどのグッズショップに行ったことがありました。
そこで某ジブリ作品のセル画があって、買ったことがありました。
絵はナウシカですごく本物っぽいよくできた複製セル画だと思って買いました。実際複製セル画と売ってあった気がします。
・・・・でももしかして、と今更ながら思うのですが・・・・・
あれは本物だったんでしょうか?
その後盗難にでもあったみたいでなくなっています、他のものもいっしょに・・・・
しばらくうちを離れていたので、なくなっていてどうなったのか、定かではありません。
でもまさか本物を売ってるなんて、思いませんよね?
むちゃくちゃ いやだと思っていても叫んでも聞いてくれないし、抵抗できません 自白強要のような
朦朧としてます・・・・・・・
これを書きに行こうと思ったら、やめてくれました・・・・・・
タイムスリップが発生するならなんでも起こりうる。
いつファンタジー世界に迷い込むとも知れないので剣術を学ぶべきだし、
未来に行く可能性があるので、科学技術を学んでおくべきかもしれない。
未来が北斗の拳のような世界だったら、まずは生き残る方法を学ぶ必要がある。
ナウシカみたいなところにいったときのために世界に溢れているであろう毒素に慣らしておくべきかも。
それよりも数千倍から数万倍(無限倍?)発生する確率の高い事象に備えたほうがよい。
交通事故への備えは万全か。
もっと発生確率の高いものとして離婚や離職への対策は取られているのか。
発生する確率の高いものについて、まずはできることを行ったほうがよい。
元増田。
おぉぉぉ〓〓!!。ナウシカは映画とアニメでストーリーも長さも全然違うからねー。漫画版は高校生の時に、何回も読んだなぁ。正直、もう、宮崎駿は、ナウシカ漫画版をリメイクして、全編アニメ化してほしい。
漫画版は、科学と人間がどうかかわるべきかについてちゃんと意見を述べているから、SFと言えると思うけど、アニメ版は確かに微妙だなぁ。広義にはどっちもSFなのかもしれないけど。それと、今思ったんだが、Science Fictionっていう言い方はあるのに、Science Fantasyっていう言い方はないなぁ。ナウシカはScience Fantasyって言った方が正確な気がする。