はてなキーワード: ふんばりとは
先月で二周忌でした。
随分記憶は薄れるものだなーと思っていますが、薄れた記憶は「もういない」という点で、つまりまだ普通に会うつもりでいる自分に気づいて「は、いやいやもう死んじゃってたわ〜うっかり忘れてた」みたいな、そういうぐるぐるが続いている感じです。
どうしようもないのだろうけど、あの日以来、自分の半分が一緒になくなってしまったみたいになっていて、自分でも驚くくらい、頑張れなくなっています。
ふんばりがきかないし、そういう気力が起きません。もう少し、ここぞというときに馬力を出せるタイプだったのに。
できれば、踏ん張りがきいていた頃の自分に戻りたいけれど、毎年確実に歳を重ねていっているわけで、この気力の出ない理由が、失ったからなのか老いなのか、両方なのか、今後は区別がつかなくなっていく気がしています。
以前の自分なら考えられないことなのだけど、これ以上人と関わるのに疲れてしまった、と思った瞬間があって、
フェイスブックをやめて、それによって連絡する友人はほとんどいなくなりました。
感情が我慢しきれなくなったときに、どうしようもなくなったときに、誰かに聞いてほしいと思うこともあるのですが、数少ない連絡を取ろうと思えば取れる友人たちとの普段の話題が、生まれた子どもの話とか、結婚焦ってる、とか、そういう話題なのに、辛気臭い話をしたくはないので、結果、その都度喉元を過ぎるのを待つという方法を取っています。
報せを聞いたとき、一気に世界観が変化していく感覚に襲われて、部屋がやけに静かになってしまって、混乱しつつも、音楽というか歌を探さなきゃと思ったんです。
人を失ったときに聞く歌を、グーグル先生に聞いたり知恵袋を検索したりして、案の定見つからなくて、参ったなーと思いました。普段ほとんど音楽を聞かない自分がこんなに音楽を必要としているのに、普段音楽を聞かないから探している音楽の見当がつかないという…。
でもある日ジブリの「風立ちぬ」を見る機会があって、松任谷由実の「ひこうき雲」が印象的で歌詞を調べたときに、この歌だったんだなと思いました。あの子もまた、あまりにも若すぎました。
どうしようもないときには、風立ちぬで主人公が「君は生きねばならない」と言われるシーンを思い出すようにしてます。
もし本当に私の半分はいなくなってしまったとして、もう戻ってくる類のものではないならば、残った半分でやっていかなくてはならなくて、そのための充電期間と考えたいですが、それにしてもまったく充電できていない。バッテリーの問題かなー。
…ですます調で書いたら、のどかなインタビュー記事みたいになってしまった…すごくうさんくさくなっててちょっと笑える。笑えない。
有名かもしれないけど、あるヒッキーが官僚の親から叱咤のメールをもらった動画がこれ。
https://www.youtube.com/watch?v=yvi4gcKO0_E
この動画内では社会の厳しさを、親が体験してきた目線でその思いを聞くことができる。
「大学」も卒業していない人の仕事は何がある?いくらもらえる?、
「大学」をでていなければそこでおわり、
みんな嫌々「勉強」している、「勉強」しないのは言い訳でしか無い、生きていかなくては「いけない」、などなど。
まっとうに聞こえるし、親としては共感できるものが多いだろう。
でも、この意見はやはり偏っているし、息がつまる。
そもそもこの親の言う「まともな会社」は上位十数パーセントの会社を指しているだろう。
多数派をまともでないという切り捨て方をしている点でも引っかかるが、それを官僚がしているとなると国民としても少々悲しい。
この親の思考は「すべき」という考えにとらわれすぎている。
わかっているけどできない状態はある。
それは前頭葉の発達具合によるものだけではないし、複数の条件の下でそういう行動に至る。
自分の行動に主体性を感じられなければストレスがたまるし、性格によっては無気力になり、自分の人生を生きれていないように感じる。
合理的な説明をして、「あ、そうか。じゃあ自分はそするよ!」と変われる人間も居るだろうが、それはその人がたまたまそういう人間だったという話にすぎない。
この親は今まで何人の人間を見てきたのだろうか、どんな種類の人間を見てきたのだろうか、
その集団に偏りはなかったのだろうか、もしかして自分に近い集団以外を人間としてみていないのでは無いだろうか。
人間の性格の個体差のようなものを無視していて、自分のような人間がスタンダードで、あとは劣等種だなんて思っていないだろうか。
そんな疑問を抱いた。
だが、家族間でもそれを求められると息がつまる。
生きている意味に疑問を抱く。そうすると、自暴自棄になって、いつ死んでもいいやと考え出し、刹那的な行動に走る。
これは個体差があると思う。
しかし、脅迫以外の方法でないと動かない人々は確かに存在する。
そういう個体に生まれた時点で欠陥品として切り捨ててもいいが、果たして、それは豊かな社会なのだろうか。
そんな要請にどうしても答えられなかった人はどうなるだろうか。
ある人はどうでもよくなり、逃げ出し、考える事をやめるだろう。
それに対してふんばり、自らを奮えたたせて立派になる人間もいるかもしれない。
だけど、そこに至るまでのプロセスは人によって、何が適切かは異なる。
そういう多様な可能性を多くの人が理解するようになれば、優しい社会になると思うのだ。
大学出ていなくても楽しそうに生きている人、サラリーマンより稼いでる人、たくさんいるんだけどなあ。
まともだけど儲かる仕事(起業すればだけど)なんてちょこちょこあるし。
youtuberとか配信業者なんてある意味優秀だし、親の見解が狭いと苦しいと思う。
学歴よりも「名前を適切に売る力」の方が生活していく上で大事だと思うよ。
結局この親自体も縛られて生きている社会の被害者なんだと思う。
増田です。
みなさん、ここのところの増田で妙に脱糞が多くなってると思いませんか?
「まあ夏だから冷たいものの食べ過ぎで腹を壊したんだろう」とか
「まあ夏だし朝下剤ダイエットでもやってるんだろう」とか
そう考えていらっしゃるかもしれません。
違います。ここ最近の脱糞記事はほとんどが粉飾脱糞、不正脱糞です。
事のはじまりは今年の五月でした。
部長増田が朝礼で「最近の増田たちは脱糞が足りない! いかん! 私の若いころはだな〜」と自分がいかに山手線で糞を堂々と漏らしていたかという自慢話からはじまり最後に「これからの増田にはチャレンジ精神がひつようだ! そうだ! チャレンジだ! これからはチャレンジおもらしをどんどんしていけ!!」
この、おそらく軽い気持ちであげたであろう部長増田の鶴の一声が、今回の悲劇のひきがねとなったのです。
部長増田は明言したわけではありませんでしたが、社内の空気的には我々に「脱糞ノルマ」を課したも同然だったからです。
「脱糞を増やせといってもそうそう簡単におもらしなんてできないし……」
「それだ」
しかし我々は見知らぬ土地で急な便意を催した時に通りすがったコンビニの設備に賭けるおもいで可能性にすがったのです。
こうして7月までに前月比二・五倍のペースで脱糞記事が量産されていきました。そのほとんどは実糞を伴わないクソ記事でした。
部長増田はわれわれの「チャレンジ」を褒め、金一封を与えてくれました。われわれもなんとなくいい気分になりました。
最初は良心の呵責に苦しんでいましたが、そのうち慣れました。部長増田も脱糞記事が増えて喜ぶ、われわれもボーナスが出て喜ぶ、読者も脱糞記事が読めて喜ぶ。
三糞一両得とはこのことです。
におわない糞を誰が糞だと認めてくれるというのでしょう。
いつのまにか、われわれは糞以下の記事を量産してしまっていたのです。
私が増田の不正を告発しようと思ったのは、娘の一言がきっかけでした。
それはわたしが家族旅行先のディズニーランドで漏らして恥をかいたけれど優しい娘のフォローにより救われたという内容のほっこり系の記事で、タイトルは「プーさんのハニーハントでうんこプーさんしてしまった」でした。
「ほんとうにディズニーランド行けるんだったら、おとうさんがいくら漏らしても気にしないんだけどな……」
そうです、そもそも私たちは家族旅行なんていってなかったのです。
わたしは娘になんということをしてしまったのでしょう。
わたしが犯してしまった糞飾、糞正はもはや取り返しがつきません。
しかし、これからの増田たちには同じあやまちを繰り返してほしくない。
そういう思いで、今回筆をとらせてもいらいました。
増田たちよ!立ち上がれ!糞を漏らしても魂は売るな!!
最近本当に余裕がなくて、もう化粧するのさえ面倒臭いと思いながらで、
ストールとブラウスをくるくる変えるだけで、あまり洋服にも気を配れてない。
資格試験も近いし、業務は滞ってるし、ろくに休みもとれてない。
そしたら後輩が私を見ながらこういっていた。
あの人なんかいつもおばーちゃんみたいだよね。ほら、見てみ?
なんであんなストールの巻き方してんの?ずっと思ってたんだけどさあ。
それを聞いて他の社員が笑う。まあ否定はしないけどねえ…お前笑うな、自重しろって。
自意識過剰かなあとも思ったけど、そこにいた女性は私ともう一人だけだったので、
多分私のことだと思う。ストールまいてたのも私だけだし。
私とお喋りしていたもう一人の女の子はそれを聞いたのか、
テンションを下げていく私を見て、次第に黙った。
毎日頑張れてるならそれでもいいと思ってた。洋服にまで今は気を配れる元気がない。
ヤマ場を乗り越えればいくらでも遊べるし、今がふんばりどころ。
だけど、そんなこと知ってるはずもない年下の人におばあちゃんみたいって笑われて、
私なにしてるんだろうと思ってしまった。
そんなの気にせず頑張れよって思うし、今は女として頑張ってるときじゃないって思うのに、
毎日疲れた顔でいて女としての魅力はないって思われたりして、何してんだろうって空しい…。
ヤマ場が過ぎたら新しい秋物のスカートが欲しい。秋物のメイク道具が欲しい。
だけど鏡を見ると疲れた女が写ってる。もういやだ。
汗ばんだ手で、ひやひやしながら、ディスプレイに文字が再現されていくのを見守る
彼女はわたしに言った、まだ意地を張るのが好きなままなのね、そのままでは受け入れなくてもいい後悔に、免れられる筈の後悔に、いずれ立ち向かわなければならなくなってしまうわよ、あなた、それ、いやなんじゃないの
目前の身体のない彼女が機械を通してわたしに問いかける、さきほどの話では、缶ビールをかたむけて、お箸でスナック菓子をつまんでいるそうだ
わたしはキーボードに添えられた手の水分を幾分か深くして、指をかじかませながら動かした
どうしようもないって、思いたいの
今はなにもかもが自分を追い詰めようとしているんじゃないかとしか思えなくて、こわいの
きみの言葉だって、慎重に扱わないと、悪意が悪意にすりかえてしまう、ないはずのものを捏造してしまう
怒られたくないよ
泣くよ
泣かないように、ちょっとくらいのふんばりをきかせてみなさいな、彼女は素早いレスポンスを打ち返す
びくりと肩を揺らして、ケトルからあわてて沸騰したお湯をマグカップにそそぐ
彼女はわたしが感情的になっていつもはできるはずの真っ当な判断をできなくさせているその生理現象を自分でなだめなさいと教えてくれている
手近に転がっているティッシュ箱を引き寄せて二枚のちり紙を引き抜くつもりが三枚引き抜いてしまったので一枚をティッシュ箱にかぶせた
ねえ、正しすぎることは苦手だって、前言っていたじゃない
そのひともあなたが正しすぎることがかなしかったんじゃないかな
正しさの水準は一定じゃないし、ひとりひとりが把握している正しさの範囲も違うわ
あなたの日常的な正しさはそのひとにとって非日常の正しさだったのかもしれなくてそれにびっくりしてしまったのかもしれない
そういうことって、ないかしら
洗濯バサミにぶらさげられているフェイスタオルを取ってきててのひらを、ぎゅぎゅっ、とぬぐって眼鏡をかけ直した
マグカップからは湯気が立ち上っている
あるかもしれない
でももう、起こってしまったことの原因がわかっても、対処の仕方がわからないよ
そのひとは自分の意見を通すことに躍起で、その意見というのはわたしが配慮が足りないということで、わたしの意見は配慮してほしかったことをどうしてその場で言わずにあとから蒸し返すかってことなんだよ
わたしが黙るしかないんだよ
何を言っても取り合ってくれないことはこれまでの経験で身にしみているもの
無遠慮な広告画面が後ろ側でちらちらと動いている
あなたは黙ることに決めているのね
そうだよ
それは自分の言い分を伝えないで、折り合いを取っていこうと思っている、そういうことなのね
そうしようと思った
思ったけど自分が不当な扱いを受けていて他のひとであればわたしの意見が真っ当と言ってくれるのにそのひとにだけ通じないということがすごく悔しいの
あら、それは大変だわ
すごく、たいへんだよ……
ところでおなかはすいてない、つっけんどんに彼女は文字を打ち込んだ
え……すいてないことはないけど……、眉をしかめながらわたしはマグカップの持ち手を握った
おなかすいているときに考え事とか思いつめることはよしたほうが良いわ、お父さんがいつもそう言っていたの、何か食べるもの買ってくるか作るかしたらどう
はぐらかすの、ちょっぴりいじましい気持ちをちくりと持ちながら、追いすがるような目でわたしは文字を待った
ちがうちがう、ひとやすみ、こっちがおなかすいちゃったのよ、ごめんね
そう、なら、何か持ってくる、惣菜があるはず
うん、あとね、
そのひとの話、毎度毎度きいているけれども、お互いにだめだわって思っちゃうわ、わるいけど
それってね、お互いのひとりひとりがだめということではないの
一緒に二人で対峙しちゃうからだめなのよ、そういうところで阿吽の呼吸を発揮してはいけないでしょう
もっと環境を変えてみた方が良いと思う、今まではその環境でなんとかなっていたのかもしれないけれどそういう時期なんじゃないかな
それで、それをやりやすいのはどっちかって問題だと……、わかるよね
そのひとと知り合いじゃないからあなたにこういうしか方法がないし、わるくないと思うけどどうかな
厳しいことを言うようだけど相手にどうにか寄り添ってもらうというのは見込める様子ではないでしょう
駄々捏ねるの、やめちゃいなよ
やめたいんでしょう、本音では
彼女は知ったふうなくちをきいてわたしを諭す
……しらないもん
わたしはやっとのことで返答のようなものを投げる
許すの上手になりなよ、本音を言っても思っているより誰もこわくないよ
あなたはこわがりすぎだわ、そんなだから食事に人の倍時間がかかるのよ
それ関係ないと思うな
関係ないわよ、こわがりのあなたから派生したことを言っただけだもの
…………すぐにはできないよ
うん、すぐにはできないね、すぐにしなくてもいいじゃない、締め切りがあるわけじゃないわ
でも自分がかわいいならあまりまごついている場合じゃないと思うよ
あせらせないで
焦らせるつもりないわよ、知らないことがあっちゃいけないと思って、伝えているのよ、丁寧に
それでも焦らせてしまったのなら謝るわ、ごめん
きみと話しているとするする流れる気持ちがしてこわくなる
もっとつっかえつっかえするのが本意なのかい
そう、もっとゆっくりがいい
うまくいく、とか、よどみがないかんじって、こわいよ
何か罠が待ちかまえていて、油断するのを待っているみたいだもの
ふふ、と彼女は文字面で笑ってみせた
そういうのは、慣れ、だよ
不慣れなことだからこわいのでしょう
http://anond.hatelabo.jp/20100311132102
恋人とAさんの間でできるだけフェアを貫くため、私は常に本音を言い続けた。どれだけ矛盾していようと、どれだけ醜かろうと、そのときの本当の気持ちを言い続けた。
私の本音と、行く先の不安と、混乱から、逃げた。
「このままだとAさんのところに行くよ」
「幸せにでもなんにでもなれ」
私は恋人に捨てられた。
そりゃそうだろう、つい三日前までラブラブだったのに、急にこんなことが立て続けに起こって……しかも相手は親友。自分を裏切ることも、親友のAさんを裏切ることもできず、結局私を切り捨てた。
私は何のために生まれたのか。私がいなければ恋人とAさんはずっと幸せだったのか?
私は恋人を甘やかすだけ甘やかし、成長を阻害し、二度と立ち直れないボディーブローをかましただけか。
彼は成長する必要があった。ここでふんばり、すべてのことに向き合わなければならなかった。
私はAさんを選ぶ。
けれど恋人が私の元を訪ね、恥も外聞もなく謝罪なり土下座なりしてきたら、きっと恋人の手を取るだろう。
そして私の弱さでもある。弱い自分は、傷だらけの子供を寒空の下に突き放すことができない。
Aさんにも言ってある。「恋人に復縁を迫られたら断れない。だから恋人の元へ行ってしまったら必ず連れ戻してください」
私は何があっても最後にはAさんを選ぶ。
恋人の成長を見届けたら安心してAさんの元に行ける。恋人が強くなったら、もう「弱さを許すだけの存在」である私はいらなくなるから。
恋人が好きな人が現れて、その人は恋人の子供の部分も意固地な部分も向上心のないところも底の浅いところも全部赦して全部愛して、恋人が安心してその腕の中に全体重を預けられるような……
大丈夫、彼なら見つけられる。いや、彼はもう二度と動かないな。だから向こうから絶対来てくれる。見つけてくれるよ。
みんな幸せになれ。みんな報われろ、救われろ。私の体一つでは、幸せにできる人数は限られてしまう。だけれどみんなみんなみんな笑顔になれ! みんな幸せになれ! 私の大好きな人みんな、大嫌いな人も、よく知らない人も、みんな幸せになれ! ならなきゃダメだ!
自分のおこがましさには慣れたよ。
でも、それでも、恋人や、Aさんや、私含めたみんなの幸せを一番に願う。
みんな幸せになれ! みんな大好きだ! 顔の知らない人も、すれ違う誰かも、みんな好きなんだよ! 好きだから幸せにするから悲しまないでよ!
悲しくなったらいつでも頼ってよ。私には何もないけれど、体一つで全力で笑わせる。
あなたの文章読んでてまず思い出したのが「境界例(ボーダー)被害者』脱出記録」の人のブログ。
その市峰って人がボーダーだとかそういうことが言いたいわけではなく、
あなたがそのブログの人のように、腰をすえた治療と、自己の解放の必要な状態にあるのでは、という印象を受けたって意味で。
仕事や日常生活に支障をきたすレベルっていうのは本当に何とかしたほうがいいですよ。
ふんばりながら、とか結果的に無理を重ねたり、早く立ち直らなきゃと焦ると逆に状態が悪化して長引くから、
まずはともかく自分を労わることが大事。
吐き出す、っていう意味で増田に書くのも勿論いいと思う(書いただけでいくらかすっきりするんじゃないかと)
ただ、増田は思わぬ攻撃的を受けることもあるので気をつけて。悪意ある他人に何かを吐きかけられたら避けること。
でも一生に一度なんだしそこがんばればいいのにと。もう一ふんばりさ。
そこまで自覚してるなら、さっさと修了して親不孝を返上すればよろし。
・・・とかえらそうなこといってるが、かくいう自分も8年前はそんな感じだった。
ただ、学生飽きたー!金のない生活はもういやーってことで就職活動はけっこう頑張った。
あとは研究だけってところで本人的には相当頑張ったが、たいした結果は得られなかった。
(今思えば、このときの頑張りなんざ社会人から見たら鼻くそみたいなもんだったが・・・・)
ともかく今手を抜いて就職もできないのに中退したり、万一に博士課程なんかに行ったときには、本当に親不孝になてしまうので、ギリギリのところでふんばりな。