はてなキーワード: うるう年とは
会社の先輩が仕事が出来ない上にプライドがめちゃめちゃ高くて本当にツラい
それなりの規模の会社のシステム部門でDB系の担当をしているんだけど、信じられない数のトラブルに襲われている
・そいつから俺へ引き継ぎする事となるが「僕の作った資料は会社の物では無いので、渡せません」と言い放つ
・それでもなんとか引き継ぎをお願いし続けると「このシステムを納品した会社があるんだからそこが全て知ってるだろ」
と本気でキレて、その後会話拒否
※そいつが改造しすぎたせいでシステム会社からはサポート拒否されている
・仕方なく引き継ぎを断念するが、翌月早々にシステムトラブル発生「システムが使えず困る」とそいつ自身からクレーム
トラブルの原因はそいつが作っていた「毎月YYYYMMを変更しないと落ちるバッチ」のエラー
・うるう年用の処理とそれ以外の処理を用意しそれを「手動でファイル差し替え」で対応していた
・本番サーバーに「YYYYMMテスト」「○○作業用」「本番」「YYYYMM本番」等を乱立させる(○○はそいつの名前)
「○○作業用」に現在毎日稼働し続けているバッチが存在していた
どうしても分からず聞きに行くと「そういう物。分からなければ開発会社へ聞けよ」をの回答
システム会社に「解析からの再構築を改めて依頼」する事となる。
その他のトラブル
・20歳位年上の同僚と毎日打ち合わせとの名目で追い詰める会をしていたが、後にカウンセリング案件へ
・「派遣の癖に生意気」とベテランに言い放つ(関連のシステム会社に頼んで来てもらっている人)
・偶然を装い20代女性の派遣社員を連日待ち伏せ。相談から発覚しセクハラとして懲戒処理
まだまだあるけどこの辺で
2月が終わる。今年はうるう年でもないので、例年通り28日までだ。
思い出すといまだにもやもやとする、今年のバレンタインの話だ。
***
先輩の女性社員と、私だけだ。
私は入社したあと、初めてのバレンタインが近づいてきたときに先輩に確認した。
会社によって、チョコに関する色々な習慣があるのをわかっていたからだ。
先輩は社則で決められているわけではないが、全社員の暗黙の了解で義理チョコはないと教えてくれた。
ただし、仲の良い女性社員同士は、こっそり友チョコ交換しているよ、と。
私はそれを聞いて、チョコの用意をすることなくバレンタインを迎えた。
先輩に教えてもらった通り、誰も男性社員に義理チョコを配っていない。上司も例外なく、だ。
昼食を共にするような仲のいい女性社員たちは交換しているのを見かけたりしたが、それ以外は本当に誰も配っていなかった。
そうして、何年もすぎた。
相変わらず私の会社は義理チョコ禁止だったし、自部署も他部署も、誰も公にはチョコを配らなかった。
今年のバレンタインも近づくけば、女性社員はチョコの話題をそこここでしていた。
もちろん私と先輩も、友人の会社で義理チョコがあって大変らしいという話題をしてみたり、自分たちの会社は義理チョコがなくてよかったと笑いながら話していた。
そして、バレンタイン当日。
今年は平日がバレンタインだったので、いつも通り仕事をしていた。
ふいに、先輩が席を立った。
けれど、給湯室に向かって行く姿を見て、おや?と疑問が生じる。
給湯室に姿を消してすぐ、先輩は何か箱を手にして出てきた。
かわいらしいピンクの箱と、そのあとに続いた先輩の言葉で、初めて事態を察した。
チョコだ。
先輩は自部署の人間に「今日はバレンタインなので、よかったら、チョコどうぞ」と、言葉を添えて、配り始めた。
個包装になっている、明らかにばらまき用とわかるチョコだった。
それでも、男性社員はそれだけでワントーン明るい声を出して、先輩からチョコを受け取っていた。
先輩がチョコを配りながら自部署を練り歩くその姿を見て、足元がぐらつくような心地がした。
チョコを買いに行ったと話したときも、そのあとに会社で配らなくてよかったねと話した時も、今年に限って配るだなどと一言も聞いていなかった。
やられた、と、その一言が頭の中を渦巻いていた。
そんな私のところに最後に来た先輩は、私にもチョコどうぞ、とすすめてくれた。
私は、はい、と小さく答えて、引きつった笑顔で受け取る以外に道はなかった。
退社するまでのそのあとの時間は、針の筵に座らされているような心地だった。
男性社員たちから、気遣いのできない嫌な女だと、感謝と配慮の足りない女だと、そう見られているような感じがした。
もちろん、私の被害妄想だと思う。
けれど、確かにそう思われているような気がしたのだ。
男性社員たちは表に出さないけれど、心の片隅でなんで私はくれないのだろうと思ったことだろう。
もともともらえなかったところで、急にもらえるようになったら、比較してしかるべきだろう。
退社して、電車に乗って夜に沈む街並みを見ながら、私はぼんやりと裏切られたと感じていた。
チョコを配らなくて楽だと、あれほど話したのに、どうして急に配ったのか。
チョコの話題はそれこそ何度も出たのに、どうして一言教えてくれなかったのか。
一言教えてくれさえしたら、私だって安かろうが配る用のものを用意したのに。
そんな気持ちでいっぱいだった。
感謝の気持ちがないから、チョコを配ることもしない、気遣いの足りない女なのだというレッテルを貼られたのだろうと。
前々から、人間としてどうかと思うところがある先輩ではあった。
仕事に対する態度も社会人としてどうなのだろうと疑問に思う点があったり、仕事をよく押し付けてくるのでずるい人なのだなと思うところが多々あった。
けれど、わざとらしい今回の件は、さすがにひどくはないだろうか。
こんな小さなことでうだうだいまだに悩んでいる自分もばからしいとは思うけれど、どうしても毎日先輩の顔を見るたびに思い出してしまうのだ。
不意打ちの、苦い気持ちにしかならないバレンタインの出来事を。
そうすると、どんどん嫌な点ばかりが目について、先輩のことが余計に嫌になってくる。
人を嫌ったりするのは仕事という公には不要な点だと思うから、たとえ苦手だろうと平等に接する努力はしていたのだ。
だけど、どうしても、この先輩だけは人間として尊敬できないし、いまだに唖然としてしまうことをしているのだ。今回のこと然り。
私生活で交流があったら、軽蔑して速やかに人間関係を整理するような相手だと、私は思う。
けれど、私にも一言言ってくれていても、いいのではないだろうか?
そんな気持ちが、消えない。
気遣いのできるいい子だとアピールしたのだろうが、私から見ると、抜け駆けしたごますり女だ。
やられた人がどう思うか考えられない、そんな想像力もない人間が、気遣いなんてできると思えない。
端的に言えば、この先輩に対して呆れて、そして失望している。
たったそれだけ。
それだけのために、こんなに時間と文字を消費して、心を沈ませていた私はバカみたいだ。
こんなこと、ずっともやもやとさせていたなんて。
毎日、何かしら、この先輩が呆れることをしてくる。
そのたびに、もやもやするのだ。
私の気にしすぎだということはわかっている。
けれど、一度染みついてしまった苦手意識は消えないし、嫌な気持ちは増えるばかりだ。
どうしたらいいのだろう。
2008年11月24日 : オホーツク海 - Mj 6.5、深さ492km、Mw 7.3、深さ491km
2010年11月30日 : 日本 小笠原諸島西方沖 - Mj 7.1、深さ494km
↓
2011年3月11日: 日本 三陸沖 - Mj 8.4、深さ24km
2013年5月24日 :オホーツク海 - Mj 8.3、深さ598km
2015年5月30日:日本 小笠原諸島西方沖 - Mj 8.1、深さ682km
↓
2015.9.11 ?
ちなみにうるう年を考慮に入れたマヤの予言の日は2015年9月3日
暦が変わることになんの意味があるのだ。
それらの誤差(人が勝手に誤差と呼んでいるだけで、天体にはそんなこと言われる筋合いはない)をうるう年、うるう秒でごまかしている。
ちなみに現在西暦と呼ばれているものはグレゴリウス暦で、太陽暦はほかにもある。多くの国と地域でグレゴリウス暦が使われているのは、単に都合が良いからだ。
代わって日本。
百五十年前まで太陰暦(これも種類があって時々朝廷が変えていた)を使っていたではないか。維新後も皇暦、和暦、西暦を併用していて、田舎だと普通に太陰暦を使っていた。もう滅茶苦茶である。
そんな混沌と暦が入り乱れてきた歴史を持つ日本で、いきなり西暦の節目を『祝え』というのは無理がある。
おせちも謎だ。
あの重箱には『昔ごちそうだったもの』がこれでもかと詰まっている。
かまぼこや田作りのどこかごちそうなのだ。寿司・ピザ・ジャンクフードの方がよっぽどうまい。
今でも地方に行くと『死ぬほど甘い料理を作るババア』がいる。人間国宝にすべきだろう。
初詣も謎だ。
お前は氏子なのか。この神社にどんな神様祀られてるか知ってるのか。絵馬に『にこまき』の百合絵を描く……のは許す。
落とし玉も謎だ。
老人が孫に年玉をやる姿は一見微笑ましいが、あれほど偽善的な光景はない。
社会保障の世代間格差は一億円程度。試算によって前後するが、とても年玉で埋められる額ではない。任侠映画でしか見たことのないような札束を孫に渡すべきである。
最初の要件定義にうるう年について書かれていなければ、うるうどしが来たらうるう年対応でお金をもらえばいいじゃない。
というより、綺麗に書かないほうが、そして、つくりこまないほうが稼げる。
だってさベンダーの要求はステップ数とテスト項目数だし、見積もりもそれに応じてたから、スマートなコードは営業上よくない。
超人が500行で1時間で書いたスマートなプログラムよりも、凡人が10000行、1カ月かけてつくったプログラムのほうがお金にはなるんだ。品質よりもブランドや看板、そしてパッケージのほうが重要視されるのは街中で儲かっているところを見ればわかるじゃない。
うんこだけどね。
以下の記事を読んだ私は違和感を覚えた。
今時のソフトウェア技術者というものは未だにこんな判定処理を書いているというのか。やはり遅れているとしか言いようが無い。
闇プログラマー界隈ではその一歩後ろ右斜め奥をいっている。
うるう年の判定とはこうやるのだ。
def leap_year?(y) /^(?:[13579](?:[13579](?:[13579][26]|[26][048]?|[48][048]|0[48])|[48](?:[13579][26]|[48][048]?|[26][048]|0[48]?)|0(?:[13579][26]|[48][048]?|[26][048]|0[48])|[26](?:[048][048]?|[13579][26]|[26][048])?)|[26](?:[13579](?:[13579][26]|[26][048]?|[48][048]|0[48])|[26](?:[13579][26]|[48][048]?|[26][048]|0[48]?)|[48](?:[048][048]?|[13579][26]|[26][048])?|0(?:[13579][26]|[026][048]|[48][048]?)?)|[48](?:[13579](?:[13579][26]|[26][048]?|[48][048]|0[48])|[26](?:[13579][26]|[48][048]?|[26][048]|0[48]?)|[048](?:[048][048]?|[13579][26]|[26][048])?)?)$/ =~ y end
9999年までうるう年の判定ができる。
この程度で一端のソフトウェア技術者を名乗るなど、業界そのものが甘く見られたものだ。
曜日を{0: 日, 1: 月, 2: 火, 3: 水, 4: 木, 5: 金, 6: 土}曜日と、数字でおく。
以下、7を法にして考える。(出てくる数字が7を超えたら、7で割ったときの余りを使う)
月 | うるう年 | うるわない年 |
---|---|---|
1 | m | m |
2 | m+3 | m+3 |
3 | m+4 | m+3 |
4 | m | m+6 |
5 | m+2 | m+1 |
6 | m+5 | m+4 |
7 | m | m+6 |
8 | m+3 | m+2 |
9 | m+6 | m+5 |
10 | m+1 | m |
11 | m+4 | m+3 |
12 | m+6 | m+5 |
以下から、次のことが分かる。
気が向いたら、続きも考える。