はてなキーワード: 積算とは
想定外に親切にされたり、奢られたり、迷惑をかけたり、それを大目に見てもらったり。
そういう借りは全部自分の中で蓄積されて、押し潰されそうな気持になる。借金のような感じ。
いつか取り立てに来られた時には、自分では到底返しきれない額になってるから怖い。
返せなかったら恐ろしい目に遭いそうだし、どんな目に遭おうとも借金返せない自分が悪いので、誰も助けてくれないに違いないと感じる。
だから頼んでない親切とか本当に怖い。断っても不義理で借りになるし、受け入れたら当然借りだし、呪いにしか思えない。
でも生きてたらどうしたって親切や迷惑かけるのは避けられなくて、生きれば生きるほど借金が莫大になって行く。
生まれた時からの借りの積算はもう途方も無くて、考えただけで恐ろしい。
駄目人間だからまともに他人の役に立って借りを返せる当てもないし。
本気で返そうと思ったら、この先の人生を全ての関係者に対して24時間365日ささげる勢いじゃないと無理っぽい。
っていうかそれしても多分無理。いつそれを要求されるのか怖いし、要求されても結局できなくてさらに借金を増やすであろう自分が怖い。
生きるのが怖い。
当方デザイナーですが、ご友人の言うことは半分は正解、半分は間違いと思います。
これはそうですよ。どんなに立派な構造計算や、どんなに辻褄が合った予算があっても、それはそこに住んでいる人の生活にはまったく関係ない。住んでいる人にとっては、内外装や使い勝手こそが生活の一部だし、そこに直接関われるのは設計者だけ。
>人が書いた図面を見てるだけでいいのか
でも、設計者は構造設計や予算の人がいないとまったく役に立たない。だから「だけでいいのか」という発言を本気でしているなら、そいつの認識がおかしいと思う。でも、旧友だから発破をかけてるだけかもね?
建築に関わる人を母数として、設計以外に携わる人の方が圧倒的に多いからコメ欄は「積算も大事」に染まるけど、「建築家・デザイナーとして人々の生活に影響を与え、改善する」のが大きな目標なら、そんなヌルい奴ら相手にするな。上記の挑発に反射的に「腹が立った」と言っている増田は、薄々自分の目標に気づいていて、でも今持っている「お金と余裕」を失いたくないから自分にウソをついている、ということとのジレンマの中で、旧友に対してでなく自分に対して腹を立てているんでしょう、という風に見えます。
小学生の頃から格好いい建物を眺めているのが好きだった。いつしかそんな建物を自分も建てたいと思うようになっていた。気がつけば美大の建築科を卒業し、アトリエ系と俗に言う有名建築家の事務所の門を叩いていた。この時はまだ、漠然と、自分ができる限りの努力を続けていれば夢は自然と叶うものだと信じていたのだ。
同期はすごい奴らばっかりだった。某有名建築家の息子として将来をメディアにも期待されている芸大出の奴。東大の建築科を出た、1を聞いて100を知るような奴。また、何も建築家はこの事務所だけから出ている訳じゃない。同世代の建築家志望の奴がコンペで賞を総ナメにしているらしいだとか、海外の有名アトリエで活躍しているようだなんて話は聞き飽きるほど耳に入ってきた。
俺はこの先、そんなチートとしか思えないような奴らと勝負していかないといけないのかと思うと、目眩がした。
だからこそ、どんなに低賃金でも、どんなにコンペ前に徹夜が続いたとしても、そいつらに追いつこうと働き続けた。俺が今まで積み重ねてきた努力、俺が今まで抱き続けてきた夢を簡単に見限るようなことはしたくなかったからだ。
先日、街でバッタリ大学の同級生に会った。奴は一端のサラリーマンみたいなカッコで、着実に社会人に成長したようだった。切り詰めた生活費で買った俺の服を見て、お前は昔のままだなと笑われた。立ち話も何なので、カフェに入り、近況をお互い話した。どうやら最近は一般企業である設計事務所で積算をやっているらしい。本当は建築家になりたかったのだけど、世の中夢ばっかりじゃないからさ、なんて知ったふうな事を語っていた。
奴は、やっぱり安定した収入と、ある程度のやりたい仕事を両立してこそ社会人だという。クリエイティブを追い求めるだけが本質じゃないと。君はずっと夢を追って、いつまでも大学生の頃のような格好をしていていいのかとハッキリ言われた。ものすごく腹が立った。俺がどんな覚悟で、いつか一流の建築家として図面を引く日を夢見て努力しているか知っているのか。ついつい、口をついて、夢を諦めた奴の嫌味になるような言葉が出てしまった。
帰り道、俺はなんだか虚しい気持ちで帰路についた。この道はどこまでも険しい。そんなことは言われなくても、自分が一番よくわかっている。
つまるところ俺は、夢を諦めきれないのだ。諦められないから、存在するかすら分からない栄光の未来のためにこうして身を粉にして働いているのだ。奴の言うことは限りなく正しいと思う。世の中すべてリスクアンドテイクだ。そして、今の生き方はあまりにリスクにまみれすぎている。
だけど、俺は今すぐに夢を諦めて一般企業勤めの安定した生活をとるかといえば、答えはNOである。たとえどれほど険しかろうと、道はまだ閉ざされていない。本当に無理だとわかる時、そのときまで全力を尽くし続ける。
いつか自分が早々に夢を諦めたことを後悔させてやる、見てろよ、と俺は去っていく同級生の背中に誓った。可能性がそこにある限り、まだまだ頑張れる。
計画(殆ど所長だが)・実施設計・積算・申請・監理まで一連の仕事を手伝っているが、どの段階でも難しさはある。
予算によっては設計費を押えて少量の図面だけで済まさなければならないこともあるし
小さな改修などの場合によっては図面無しで業者に頼むこともある。
あと、監理になれば図面どおりの施工をしない会社と喧嘩をしたり、
そんな中でも事務所らしい意匠を表現したり・・・話がそれるのでやめておく。
図面というのは業者に作ってもらいたい要望を分りやすくした形であって、それは文章で代用できたりもする。
俺は積算一本で20年弱の経験者だけど、増田はいい経験させてもらってると思うよ。バブル期ならいざ知らず、予算が足りないのがデフォになってる昨今の建設業界だと大きな規模のプロジェクトまとめる設計者だったら、コストの事理解出来る能力ないと無理だもんな。ゼネコンにVE出させるだけじゃなくて、設計段階でスペック絞らんととても収まらないし。
ただ、会社が増田を今後も積算業務専任として使うのか、最終的には意匠設計部門に戻すつもりなのかはちゃんと確認しといた方がいいと思う。最終的に自分がどっちの進路に行きたいかと一致してないならお互い不幸になるだけだよ。
元増田の人が強く育ってくれることを祈ってるよ。
そして新国立競技場の問題のひとつであるコストコントロールがうまく出来るような人材が日本に一人でも多く生まれることを願ってる。
小さな住宅だったから街場の工務店のおっちゃんのところまで行ってすごい色々質問したよ。
というか、見積書をつくるには、設計時には気が付かなかった足場のかけ方から、職人の出入りの順番まで(人工手間に関わってくるからね)
などなど抑えてないと作れない。それらがやっと分かった。
つまり何が言いたいかって早く建築の全体を学べるのは積算の術を知った人からだってことだ。
彼の友人は院を経て彼より遅く社会に出て、
今はその事務所の名前で保護されて、先輩たちの下で、美しい線を引くことに没頭しているのだと思うよ。
彼の友人のその経験も、彼の積算の経験も、どちらもうまく活かせば将来貴重な糧になるとおもう。
でも、彼の友人が美しい線を引くことだけに本質を見出しているのなら、それは間違いだと断言できる。
なんせ、美しい納まりを知っていても、お金と折り合いをつけることが必要だし、構造や設備や現場とも一緒に仕事していく必要がある。そうでなくては建築は建たない。
意匠担当者は自分を結節点にして、積算・構造・設備・現場とやりとりするから、なんとなく偉いような気がしてしまう。
(事実現場とかからは無駄に先生とか呼ばれるw僕は名前で呼ぶようにお願いするけど)
だから残念な奴が多い気もするよ・・・。(自分のことを棚に上げて)
元増田のひとにアドバイスがあるとすれば、積算の場でコストダウンのみを考えるのではなくてバリュー・エンジニアリングを考えてほしい。
図面を読み解いて、キモとなる部分を守りぬき、不必要に高スペックなところを下げること。
たとえば、同じ材料を縦張りにしたときと横張りにしたときで、どのくらいお金がちがって、それはなにが理由でそうなるのか。
また、その時なにが可能で何が難度がたかくなるのか。
そして、自分が関わった建物を見に行くといいよ。コストを絞りすぎてしまったのか、全然不要なところにかけちゃったのか。
とにもかくにも、将来を楽しみにしてますよ。なにか機会があったら一緒に仕事ができるといいね。
#夜中の長文でたぶん乱文になりまくってるけど気にしない。しごとにもどる。
逆にすごくいい経験をしてるのではないか?しかも自分にある程度折り合いをつけているし。
ここ数年で何か勝負を付ける必要もないだろう。30歳で定年というなら、焦らなきゃいけないかもだけど。
会社は定年退職があると思うけど、建築士という資格は定年もないでしょう。
積算って、みんな嫌がる部分でしょう。だからこそ、いつかクリエイティブな方面に行った時でも強みになるのではないかなぁ。
きれいごとかもしれんが、きっと本当のことだと思うよ。
建築方面はネット上に自分の個人作品(図面になるのかな?)を公開するような場所はないものですか?そういう場所でアウトプットしていくわけにはいかないものかな。
僕は美大の建築科を卒業して、設計事務所に就職した。美大の建築というと、皆アトリエ系という俗に言う有名建築家の事務所へ行き、弟子になるのが一般的なのだが、僕は奨学金もあったし、普通に社会人になったらお金も欲しかったので、一般企業である設計事務所へ。
同期は工学部ばかりだったので、美大卒の自分は意匠科に回してもらえるとばかり思っていたのだが、実際に配属されたのは積算科というお金の部署。毎日毎日人が書いた図面を見て、幾らになるか電卓を叩く日々。初めの頃は絶望しかなかった。上司に意匠に何とか入れないかとは相談したけど、聞き入れては貰えなかった。
だけど、僕の今の部署でも、お金の観点から設計に意見することは多々ある。予算がなければ建築は建たないのだ。これだって立派な設計の一部だと、最近では思う。
社会人になって、僕はお金と余裕を得た。美味しいお酒やご飯もいっぱい覚えた。広めの部屋に住み、好きなインテリアをそろえ、美味しいコーヒーを嗜んだりする。いわゆる”大人”のイメージに、少しずつ近づきつつある。僕は今の自分の暮らしに満足して居る、はずだった。
先日、街でバッタリ大学の同級生に会った。彼は大学生みたいなカッコで、あの頃となんら変わっていなかった。スーツ姿の僕を見て、お前は老けたなと笑われた。立ち話も何なので、カフェに入り、近況をお互い話した。彼は院を卒業後、有名アトリエ系事務所で、身を粉にして働いている。大変だけど充実してるよ、とキラキラした目で語っていた。
彼は、やっぱり図面を引いてこそ建築だという。本質はそこにあると。お前はずっとそこで、人が書いた図面を見てるだけでいいのかとハッキリ言われた。ものすごく腹が立った。僕がどんな思いで、今の部署で折り合いをつけたのか知ってるのか。でも、根性なしの僕は言えなかった。
帰り道、僕はなんだか虚しい気持ちで帰路についた。僕は図面を意匠の人たちの何倍も見ているし、お金を出すためには技術と知識がいるので自信もある。自分の部署があることで、より適正な建築が生まれるとも思っている。
つまるところ僕は、図面を引くことだけが建築ではないと思っている。彼の言っていることは、とても狭い意見だとは思う。だけど彼に強く反抗し意見できなかったのは、自分の仕事に満足出来てないのか。クリエイティブな事をやれてない自分への言い訳に過ぎないのか。そんな考えも、よぎってしまった。
だけど、僕は今からすぐさま設計をしたいのかといえば、答えはNOである。今の仕事もそれはそれで奥が深く、今のままではまだ表面を撫でているだけにすぎない。僕はもう少しこの部署で仕事をし、お金の観点から建築をつくるプロになる。
設計だけがクリエイティブで頂点だと思ったら大間違いだぞ、見てろよ、と僕は去って行く同級生の背中に誓った。残業だらけで辛いが、もう少し頑張る。
◼︎追記
決意のつもりでめちゃくちゃに書きなぐったので、コメントをたくさん頂けたことに、ただただ驚いています。一つ一つ大事に読んでいるうちに思わずホロリとしてしまいました。笑 厳しいご意見も受け止めます。
こんなにカッコ悪くあがいても建築から離れられないのは、僕はやっぱり建築が好きで、虜なんだと思います。世の中に、適正な価格の素敵な建築が一つでも増えるよう、精進いたします。
◼︎追記2
完全に蛇足だけど、もう一つだけ。
僕がなぜ積算の部署に回されたのかは不明だけど、設計の勉強をしていたので設計者の意図が痛いほどわかるときがある。工法や収まり、予算上無理だけど、こういう形にしたくて、それはこの材料を使うからこそそうしたいんだよね、と分かってあげられる瞬間は多々ある。出来るだけ設計者の意図を汲みつつ、お金を納めるようやりくり出来るのは、難しい半面結構楽しい。作り手の気持ちのわかる人になりたいな、と思うよ。それにはお互いの尊敬が必要だから、僕も人間的にもっと成長しなくては。