はてなキーワード: ダイジョとは
3週間で新型コロナウイルスの感染者、死者ともに2倍に増えています。感染者、死者ともに約1/3はアメリカだ。
東京都では5月1日に165人の感染者が出た後、減少しているように見えるが、単にGWで連休だったから、病院の外来も休みだし、普通の人は、よほどの重症でない限り、休み明けに見てもらおうと思うものです。マスコミが「感染者が〇○日連続減少」とか報道すると、またまた、危機感が薄れて、街に繰り出す輩がでてくるのでは・・・・。
連休明けも非常事態宣言が解除されなかったけど、通勤電車はGW前より2~3倍の混み具合でした。会社も半分くらいの人が出勤していたよ。あれ、また感染者が増えるんじゃね?ダイジョブカ・・・
感染者が減ってきたから6月は大丈夫じゃない?って言って会社では言われている。
数字って恐ろしいですね。これだけみると収束するように思えてくるよね。
あまーい。甘すぎる。
今の時期ランチ営業している海鮮屋はGW前よりずいぶんとお客がいたよ。
ランチ難民も多いので、ここで営業再開すれば復活できそうだって
思うのも無理はない・・・
感染しないように気を付けながらの生活が何十か月か続くと思うと、
暗澹たる思いがする。
ヘビーリスナーです。
4月30日深夜のオールナイトニッポンで岡村君は
最初の40分間は申し訳ない気持ちで反省、謝罪の言葉を何度も繰り返し
大変落ち込んでいた。ダイジョブカ・・
その後、結婚を機にオールナイトニッポンを辞めていた矢部君が登場、
矢部君はやさしいな。2010年に岡村君の頭がパカーンしてしまったような
2010年にも岡村君がヤバい状態のとき「休め」と言ったのは矢部君
だったと聞いたきがする。
矢部君はまだ子どもも小さいだろうに深夜の1時からの番組に現れ、
ヘビーリスナーにとっては、ラジオ最後の「ワーワー言うております。お時間です。さようなら」
は懐かしい思いがしたであろう。
岡村君も年を取り、いつのまにかお笑い界でも、その発言が大きくとらえられてしまう
岡村君にとって、オールナイトニッポンはとっても重要な場所なのだろう。
高校の同級生の話や正月に実家に帰ったときの話がよく出てくる。
普段であれば気を付けてトークしていたと思うが、コロナの影響で
よく反省してもらいたいが、
ラジオは続けてほしい。
韓国人が日本統治時代に抱く感情について考えてみたのだが、占領期~50年代の米軍の振る舞いについて日本人が抱く感情がそれにかなり近いのではないだろうか。
良く知られていることではあるが、敗戦後の日本には現在の沖縄のように米軍基地があちこちにあり、各地で米軍兵士が軽ふざけで日本人を殺害していた。
そのような時代背景を無視して、アメリカの会社が敗戦直後の日本を美化したゲームを売り出したらムカッとする日本人も出てくるだろう。
いま韓国で怒っている人たちがいるのはそのような理由からだと思う。
1957年(昭和32年)1月30日、薬莢を拾う事を目的に演習地内へ立ち入った日本人主婦(当時46歳)に対して、主婦の背後から第1騎兵師団第8連隊第2大隊のウィリアム・S・ジラード三等特技兵(当時21歳、イリノイ州オタワ出身[1])がM1ガーランド装着のM7グレネードランチャーで空薬莢を発射し、主婦が即死する事件が発生した。目撃者の証言から、ジラードが主婦に「ママサンダイジョウビ タクサン ブラス ステイ」と声をかけて、近寄らせてから銃を向け発砲した可能性があることがわかると、アメリカへの批判の声が高まり社会現象となった。
当時茨城県にあったアメリカ軍水戸対地射爆場(現・ひたちなか地区)から離陸したL-22連絡機が上昇せず、滑走路東端から500mはなれた道路を自転車で走行していた親子に機体が接触し、母親(当時63歳)は胴体を切断され即死、息子(当時24歳)も腹部に重傷を負った。
この異常な離陸についてアメリカ軍側は異常高温による熱気流が原因の不可抗力による事故であるとした。しかし、地元ではアメリカ軍のパイロットがわざと低空飛行を行い通行人を驚かしていたことが度々あったと主張し、今回の事件は同様なイタズラをしようとして不幸な結果を招いたとしていた。
事件は1958年9月7日に起きた。狭山市などにあった米軍ジョンソン基地(78年返還、現在の航空自衛隊入間基地)で、警戒監視の任務に当たっていた3等兵=当時(19)=が基地内を通過する西武池袋線電車に向けて発砲。1両目に乗っていた武蔵野音楽大の男子学生=当時(22)=が被弾し、死亡した。3等兵の名から「ロングプリー事件」と呼ばれている。
💩💝💩ホカホカ 寒くてもダイジョーブダネ