はてなキーワード: 入間基地とは
茨城空港、都心からの距離だけ的にはまあ海外によくあるセカンダリー空港としては別にいいんじゃないのって思うんだけど
それよりも成田からの距離が問題だと思うんだよな。新しく成田方面への道路整備とかも進んだ上、成田自体セカンダリー的立ち位置にもなりつつあって。
西側の人間からすると、地図で見るとなぜ「東側」にだけ2つも空港があるのって気分になるし、
それこそ入間基地とかに「第三空港」作るわけに行かなかったんだろうか。まあ土地とかいろいろ無理なんだろうとは思うけど。
本気で便利な第三空港を整備するのならいっそのこと基地関係なく小規模空港を一から作れなかったのかってなるし
そこまでは無理で自衛隊との兼用だから可能になったのだとしても、基地自体を新設移転を兼ねるぐらいまでならあってもいいと思うんだけどなあと。
今回の件を批判するとすぐに自衛隊嫌いでアベ嫌いな左翼だと認定されてしまうのですが、それは違うとまず言っておきます
むしろ自衛隊は好きで毎年11月には入間基地の航空祭に行ってグッズを買ったり写真とったりするくらい好きです
ただ今回の件ではブルーインパルスが政権の支持率回復のための道具に使われたような気がしてならないのでやはり嫌なのです
ブルーインパルスは曲芸飛行専門で戦闘するわけではないのでたしかに道具ではあるのですが、
あくまで使われ方は「自衛隊の活動への理解を深めてもらう」ために使われるべきだと思うのです
今回こんな形で飛行させてしまったことで悪しき前例が出来てしまったのではないかと思うのです
「国民を元気づけるために今回飛行させた」というのであれば、今後大地震とか自然災害が起きたらその都度被害にあった人たちを元気づけるために上空にブルーインパルスを飛ばすのでしょうか
韓国人が日本統治時代に抱く感情について考えてみたのだが、占領期~50年代の米軍の振る舞いについて日本人が抱く感情がそれにかなり近いのではないだろうか。
良く知られていることではあるが、敗戦後の日本には現在の沖縄のように米軍基地があちこちにあり、各地で米軍兵士が軽ふざけで日本人を殺害していた。
そのような時代背景を無視して、アメリカの会社が敗戦直後の日本を美化したゲームを売り出したらムカッとする日本人も出てくるだろう。
いま韓国で怒っている人たちがいるのはそのような理由からだと思う。
1957年(昭和32年)1月30日、薬莢を拾う事を目的に演習地内へ立ち入った日本人主婦(当時46歳)に対して、主婦の背後から第1騎兵師団第8連隊第2大隊のウィリアム・S・ジラード三等特技兵(当時21歳、イリノイ州オタワ出身[1])がM1ガーランド装着のM7グレネードランチャーで空薬莢を発射し、主婦が即死する事件が発生した。目撃者の証言から、ジラードが主婦に「ママサンダイジョウビ タクサン ブラス ステイ」と声をかけて、近寄らせてから銃を向け発砲した可能性があることがわかると、アメリカへの批判の声が高まり社会現象となった。
当時茨城県にあったアメリカ軍水戸対地射爆場(現・ひたちなか地区)から離陸したL-22連絡機が上昇せず、滑走路東端から500mはなれた道路を自転車で走行していた親子に機体が接触し、母親(当時63歳)は胴体を切断され即死、息子(当時24歳)も腹部に重傷を負った。
この異常な離陸についてアメリカ軍側は異常高温による熱気流が原因の不可抗力による事故であるとした。しかし、地元ではアメリカ軍のパイロットがわざと低空飛行を行い通行人を驚かしていたことが度々あったと主張し、今回の事件は同様なイタズラをしようとして不幸な結果を招いたとしていた。
事件は1958年9月7日に起きた。狭山市などにあった米軍ジョンソン基地(78年返還、現在の航空自衛隊入間基地)で、警戒監視の任務に当たっていた3等兵=当時(19)=が基地内を通過する西武池袋線電車に向けて発砲。1両目に乗っていた武蔵野音楽大の男子学生=当時(22)=が被弾し、死亡した。3等兵の名から「ロングプリー事件」と呼ばれている。