はてなキーワード: オープンとは
「正しいこと」をし続けなければ、そこに直接係る行為の正当性を失うのよ。むしろ「正しいこと」をするのは自分のため。
今回でいうとなりすましの被害者に対する管理者としての謝罪およびなりすましがありうる署名に対する全面的な確認を行わなければ、オープンレターの署名は発起人以外は「なりすまされた可能性がある署名」として見做されてしまう。完全に正当性を失うよね(ひいてはそれを理由の一つして行われた日文研の処分に飛び火する)。
和解後に蒸し返すってのは確かに望ましくないけど、弁護士のレター程度なら対抗言説も可能なわけで、感情的にこじれた案件の結末としては、社会人として、まあ許容範囲かなと思う。これが再びオープンレターで社会的立場を繰り返し破壊しようとしたりしたら過剰防衛だと思う。
たぶんはてなではかなりの少数派ですが。
私は、オープンレターを出す際の正しいやり方なんて知らんし、私が彼女の立場に立った時、ゆるくつながった誰かがオープンレターを準備するって言ってくれたら、そこまで細かいことを言わずに任せちゃうと思います。一人一人に確実に確認を取っているかとか、頭をかすめる可能性はありますが、聞けません。
そもそもの話ですが、だれが仕事を辞めようが、さえぼうさんは利益を受けているわけではないです。偽造の署名に関しても、いたずらの被害者です。そりゃたしかに脇は甘いとはいえるけど、2ch的な悪意に対して、みんなそんなに全部正解の手を打てるわけ?国際信州学院大学のツイッターとか、運動を貶めようという意図しかないよね。それとも、完璧にすべて正解の手を打たない限り、ネットの第三者から「この点はだめだったよねー」って数百人、数千人から言われても当然だって?ダルビッシュが出してるイナゴの写真見たことない?批判の量に関するけんすうのNoteはどう?
被害を訴えたいなら、完璧に正しくあれ。そうでないなら数百人、数千人から正しい「批判」を受けるのを覚悟しろ、というのは良い社会ではないと思います。まあはてながよい社会であったことなんて今までに一度もないし、これからもないでしょうが。
「”それ”下さい」。 もしくは「フライドチキン下さい。」「ファミチキですか?」「それで。」
ただそれを食いたいだけなのに企業が付けた固有名詞を言わされる自分がバカっぽく思えてくる感覚というかなんというか。
チョコオールドファッションとかチーズバーガーとか各社がオープンに使ってる名詞とか一般名詞化した単語なら問題ないけどポンデリングとかサムライマックとか絶対に言いたくない。
でもレストランのメニューとかで店主が自己満足な名前付けてるやつ(「森からの贈り物」みたいな)を絶対に言いたくない人とか多いんじゃない?
その系統だと思う。
(追記)
ニッチなこだわりに対して思いのほかトラバ&ブクマ集まったな。みんなサンキューな。
サイズの指定についてのコメントあったけどS・M・Lはまったく抵抗ないけどコンビニコーヒーのレギュラーは普通サイズでって言っちゃうな。まぁバカっぽいとまでは思わんけど。
「この作者、よく知らないけどオープンレターに署名したりしてないだろうな?」
「このハードボイルド男性主人公が唐突に男女平等について語り出したりしないよな?」
こんな世の中に誰がした。
ただの王様の耳はロバの耳的なお気持ちメモなので反応は求めてません。
https://togetter.com/li/1832580
https://togetter.com/li/1832482
上手く言葉にできないのだがこの件でキャッキャウフフしてる人間どもが醜すぎて吐きそう。
「不正の疑惑があったから質問してるだけですけどー」って表面の裏側にゲスな人間の表情が透けて見えてまじで気持ち悪い。
しょっちゅういろんな人とケンカして、暴力的な言葉遣いが多く、フェミニストの印象を悪くさせて
本人だけは良い気分なんだろうけれど、あなたのせいでフェミニスト息苦しいんだよくらいに思ってた。
でも、今回のニチャア・・・って感じの擬音が聞こえるような陰湿な包囲の仕方を見てて
ああ、普段から北村さんはアカデミズムの世界でこういう嫌な気持ちを味わい続けてきたんだろうなって。
世の中を良くしたいとかフェミニズムとかどうでもよくて、とにかく自分の周りの世界を全部爆破したくて仕方ないんだろうなって。
今でも私は彼女のやり方は間違っていると思っているしすきにはなれないけど、少し同情の気持ちにはなった。
そのくらい今回の件で彼女を包囲してNDK!NDK!って嬉しそうに取り囲んで騒いでる人たちが気持ち悪い。
本来なら加勢するべきかもしれないけど、今後はこの件は見てるだけで気分が悪くなるので
次の動きとして「私は署名に応募した覚えはない」って人が次から次に出てくるというのを考えてたけど今の所そういうのがない。
署名の水増しがあった という展開になってややこしくなった。
「呉座氏のキャリアをキャンセルしたのでは?」という話題はそれほど大きくならなかったけど、今回の署名偽装騒ぎは結構大きい。
署名には名前と職業が載せられてて一番目につくのは出版関係と大学教員。
本人は知らないけど周りが知って「〇〇さんの名前ありますけど大丈夫ですか?」くらいに知らせてる可能性あると思うんだけど
さっぱり反応が無いのがよくわからない。
今回の件、発起者サイドの運営責任(なりすましが疑われる署名が入ったことでなりすまされた人に迷惑をかけたこと、全ての署名自体の正当性に疑義が出たこと)が問われており、北村氏含む発起者の側に説明や対応の責任は当然にあるとは思うけど、署名者は被害者の側(そんな怪しいオープンレターとは思わず名前を貸してしまった)と思うんだけど。
呉座氏の北村氏へのTwitterで馬鹿にしてた事件があって、それについて謝罪と日文研から呉座氏へ処分があって終わったはずなんだけど
オープンレターが出されたら日文研が呉座氏の無期雇用の待遇を撤回したから「同一の事で一度は終わった話に関して二回も処分するのおかしくない?」って今裁判になってる。
https://font-da.hatenablog.jp/entry/2022/01/18/223359 より引用
直接のきっかけは、例の「オープンレター」です。はてなもやはり、その話題で持ちきりのようですし、見るたびに精神状態が悪くなるので距離を置こうと思いました。また、今も私が書いた記事に反応がありますし、揶揄的なコメントがつけられたりすることもありました。誰を責めたいわけでもなく、コップに注がれていった溜まりに溜まって水が溢れてしまったように、「やめよう」と思ったに至ります。これまで何度も炎上してきた私が、なぜ、この件に関してだけひどく落ち込むのかは、大学外の方にはわかりにくいと思います。とにかく、私にとってはこの件は受け止めきれない出来事でした。女性が研究者として日本のアカデミアで生きていくことの困難を突きつけられたからです。
また、これまで個人的に関わったセクハラの問題でも、同じようなことを目にしてきたことがあります。みな、最初は被害者に同情的ですが、だんだんと被害者の行動を咎め始め、そのうち「加害者こそが〈本当の被害者〉なのだ」と言う人が現れます。最初は両手をあげて被害者を支持すると言っていた人たちが、次々と沈む船から逃げるネズミのごとく離脱していきます。「被害者に寄り添う」というのは美しい言葉ですが、最後までそれを完遂する人はほとんどいません。いつも同じことが起きます。みんな、「声をあげてほしい」と被害者に言うのに、いざ、自分に火の粉がかかるとわかれば手のひらを返すのです。わかっていても、それを目にするのはしんどいことです。
いったいどこの誰が火の粉が降りかかるとわかれば手のひらを返したのか。
沈む船を沈めたのは誰のどういった行いだったか、本当に理解できているのか。
セクシャルハラスメントの被害者であればいついかなる時も無謬を永久保証されるのか。
自分の思い通りにいかなかったから、自分の間違いを指摘されたからといってすべてをセクシャルハラスメントに結びつけるのはおかしい。
呉座勇一氏のセクシャルハラスメントはそれ相応の非難をされてしかるべきだが、北村紗衣氏やid:font-da のオープンレター無断名義使用問題に対する態度も非常に度し難い。
呉座氏関連のオープンレターの話、正直、事の経緯とか誰が悪いかとか俺は全然把握してないんだけど、はてなで見るともなく目に入ってくる断片的な情報だけでもう「やっぱりオープンレターって"厄介な界隈"の"アレな人達"の"痛い文化"なんだな~」って気持ちが湧いてくる。
『オープンレター』で検索するとサジェストも香ばしい感じなのが多いし。
まあそもそも、抗議やら何やらがしたいだけなら普通に文章送りつけるだけで良いのにわざわざオープンにしてる時点で、周囲に対する「こいつは叩かれる側ですよ」っていうアピールが入っているわけで、正当な主張であれ的外れな文句であれ攻撃性の高い文化なわけだから良い印象になるハズもないんだけど。
あと付け加えるなら、オープンにすることである程度『公』の要素を匂わせつつ、手紙という微妙に『私』に逃げている感じの名前自体も気持ち悪い。
批判や抗議をしておきながら世間の反応を受けて旗色が悪くなってくると「いやいや、あの発言は私は嫌いだな~と言っただけですよ」みたいに逃げる社会活動家の態度がたびたび批判の的になっているけど、『オープンレター』って言葉自体もなんかそういうのと同じ卑劣な公私の使い分けの匂いを感じるんだよな。