はてなキーワード: お前は俺かとは
ちょっと違うけど俺が書いたかと思うくらい似てる。時系列としては女友達から告白→振る→周りの勧めで彼女と付き合う、の順番。
自分語りだか、俺も30過ぎてから始めて彼女ができた。周りから勧められて付き合った。向こうが俺のこと好きだったってのが大きい。甘え上手で可愛かったし、好きだった。大切にしてたよ。
けど、お互いいい歳だったが俺は結婚とかは全く考えていなかった。元々結婚願望がなかった。いつか別れるだろうな、と思いながら付き合ってた。
そして唯一の女友達がいるところも、告白された事があるのも一緒。
女友達はいい意味で気を遣わないですむし、すごく気楽だった。告白を断ってからも一緒によく遊んでたし、手も繋いだりした。なんなら仲良くなり始めた最初の頃に一回身体の関係もある。
けど、いかにもデートスポットみたいなところへ行くのは違うかな?と思っていた。映画や飯はよく行ったけど、2人で水族館に行きたいと誘われた時は断った。女友達というより男友達の感覚に近かったんだろうな。ちなみに彼女とは全く違和感を感じず水族館やいろんなところで2人で行ったし、誰かと行くのが嫌というわけではなかった。
友達でいれば終わりがこないと思ってた。
俺に彼女ができたと知って、そこから女友達とは疎遠になった。2人でもまるっきり会わなくなった。
それから半年くらい経って、久しぶりに女友達と会うことがあったんだが、しばらく見ないうちにめちゃくちゃ綺麗になってた、びっくりした。
好きな人か彼氏でもできたか?と思ったけど、色々聞けないまま、そこからまた女友達と遊ぶようになった。ただ女友達が彼女に気を遣ってか、2人では誘ってこなかったんだよな。その距離感にほっとしたけどモヤモヤもした。自分勝手だな。
しばらくたってから彼女から話があると。彼女は結婚したかったみたいで、元々俺の気分屋でめんどくさがりなとこにもモヤモヤしていたんだろう、結婚する気はないと伝えたら愛想尽かされたわ。
結構ショックだったけど、彼女が好きだったのに、ていうショックより「振られた」ってことにショックだった。やっぱそこまで本気で好きではなかったんだろうな。
ある日「付き合ったら別れるし、やっぱり女友達とは付き合わなくて良かった」とふと思ったよ。でもそう思うと同時に、「俺は女友達とはずっと一緒にいたいんだな」とも気付いた。
今ならわかるけど、女友達のことは大切すぎて、けど自分に自信がなくて、誰かの人生に自分が責任を持つ事が怖かったんだろうな。女友達はこんな俺にずっと愛想つかさず一緒にいてくれようとしてたのに。
女友達は責任とってほしいなんて言ってないのに、勝手に背負い過ぎてた。親友みたいに気楽な相手である女友達が、自分にとって人生で大事な相手だって気付くのにかなり時間がかかった。
俺の場合は、ありがたいことに女友達がこんな俺のことをずっと好きでいてくれたようで、その後も色々あったが付き合ってもうすぐ結婚もする。
元増田も頑張ってほしい。
"好き'は人それぞれだ。
これ書いた覚えないんだけどお前は俺か
はてな民の絶賛ぶりが怖い
聡明で明晰
車のエピソードからさまざまにいかに毒親と自分が感じているかを第三者的に表現して
1対1の家庭内だけでの関係性について親が狂っているかを自慢されているが全部自己解釈
回答するべき自分の感想・感覚を親をネタに自分で導き出してそれは正解に至るに決まっている
一方からだけではわからないので両者の意見を待つといういつもあるべきブコメも見えず、ここではお前は俺かとばかり散見される
車の運転への口出しを注意したのが偉い
練習なので何かと関わりたい自分も助力になりたいという意志だけで実質なにも効果として寄与できず
ただのうるさい外野になりさがっている無力な母親の自己表現をうるさいと一蹴するのは
身内だから殴ってもいいだろうくらいの感覚ではないのかと思わせる
子供がおもちゃがほしいと働いてもおらずおもちゃがゴミになるだけ機能も価値もないものを
その無知さから欲しがるという選択肢でしか行動を知らない無知で無力な子供に対して
「うるさいだまれ」で対処をする毒親そのものの素質をしっかり受け継いでしかもそんな親でもなさそうなので
さらに毒親要素をこじらせ濃縮しているのではないかと思わせるのに絶賛とはこれいかに
本を読んだ
読んだらどうなったのかまったく不明でしかも他人をまず愛することがと書いてあることを理解(書いてあることを記憶)したと
宿題の絵日記のように書き記しただけでどういう行動をとろうと自分は思ったとか多角的に情報を得たことで
これまでの行動指針が変化したということはなく結婚相談所に登録したとは毒親要素を受け継ぎ濃縮した毒親候補を
結婚目的で出会う場にデビューさせたというだけなのがうすら怖い
言葉のかどをとってネットで発言するとすぐ女性とまちがわれるんだが、という話はよい大人では常識かと思うが
そこは無視して女性ではないか、そしてフィクションでフェイクと言っているので言葉の表現上なにも真実はないということを
何回転かひねって、男性はフェイクだが高学歴は本当なのかとどうしてそこだけ都合よく抽出してくるのかという
理解の利己性についてまったく理解できなさが深淵をのぞき込むような不安を覚える
話きいてたよね?と問いたくなるが発言した単語や表現をリピートするので「聞いていた」のではあろうが
都合のよいところを都合のよい方向にだけつなぎ合わせ全然違う話にもっていくところに人間としての誠実さが
疑われるのではないかとおもうが皆その基準で自分語り大喜利の上では普通だという様子がおかしい
後部座席でうるさいのが母親だろうが子供だろうが、それはその当人が何かしら行動したい欲求があって
ほかに方策をしらないため最善と当人が思う行動をとっているだけのはず
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