はてなキーワード: オリンピックとは
「密で感染拡大するし、ボランティア医療従事者で医療資源もコミケに割くことになる。やはり止めよう」となるのか、「感染対策を十分に行っているから問題ない」となるのか。
オリンピックは開催、県外移動や帰省の自粛呼びかけはおかしい?
同じわけないじゃん、オリンピックと個人の帰省じゃ全然違うよ。
オリンピックを中止にするのと、国民一人が実家に帰らないことの影響度、どれだけ違うと思ってるの?
そういうところまで頭が回らないで、単に非難してる人たちはもう少し大局的な見方をしたほうがいい。
国が物事の優先度を踏まえた柔軟な調整をするのは当然。
これでキレて県外に出ようとする連中がいたら、それが一番の愚か者だからね。
これが一番の正解。
特にクラブチームが派遣拒否とかで有名選手が招集外or出場辞退みたいなのが多い気がする
でもサッカースペイン代表は結構来てくれたしブラジルもリシャルリソン居たから幸せだわ
文字通りオリンピックは見ないけど、スポーツは嫌いじゃないというより割と好き。
オリンピック反対派(?)=体育会系(陽キャ?)が嫌って感じだけど。
オリンピックはレベルの低い大会だから見ないけど、プレミアリーグやMLBとかのよりコンペティティブなプロスポーツを見たりするのは面白いよ。
都民だけどマジで好き勝手やってるバカ共が申し訳なくてたまんねぇわ。
コンビニ前でゴミ投げ捨てながら遊んでる連中とかブン殴りたいわ。
つーかメンタルがガキ。
政治家が~オリンピックが~で、じゃあ俺も好き勝手やる!!!って。
納得いかないのはわかるが、そこで好き勝手して感染爆発して、「はい政治が悪い!!」ってバカかと。
いう事聞かないで好き勝手やってるヤツが悪いんだよ。
エレベーターの件に関して言うなら
1.設置費用が高すぎたり利用者が少ないことが予想されるので反対
のどちらの意味で反対していたかによって、取られる反応が違うのは必然では。
前者なら「金額的に釣り合ってないとは思うけどつけたからには利用すべき」って理論は当然成り立つ。
後者なら「危険だからつけてほしくなかったけどあるなら使う」にはどうしたって違和感が付きまとう。
元増田は五輪反対派は「五輪反対派も選手が活躍することによるメリットは肯定しているに違いない」と
解釈しているが、「人殺しの顔をしろ」を筆頭に発生した選手叩きを見れば、
このタイミングでオリンピックを開催するべきじゃないと発言していた人が、オリンピックで素晴らしいパフォーマンスを発揮したアスリートたちに賛辞を送ると途端に飛んでくる「手のひら返し」の揶揄。
Twitterでは #手のひら返し がトレンド入りしていたし、オリンピックを今開催すべきじゃないと言っていた蓮舫議員やモーニングショーの玉川徹氏、ミヤネ屋の宮根誠司氏に対しては個人のみならずWEBメディアさえもが手のひら返し叩きをしていた。
この、オリンピック開催に反対していた人にはオリンピックを楽しんだり、金メダリストにおめでとうという資格がないという根拠はどこから来るのか。
それは、手のひら返し叩きをしている人たちが、オリンピック反対派はどうしてオリンピックを今開催することに反対していたか?という文脈を一切無視していることが原因だろう。
オリンピック賛成派と反対派の利害は一見すると真正面から対立しているように見えて、実はお互いの利する部分と害する部分は一致していた。
つまり、オリンピックの開催によってもたらされる「選手に活躍の場を与え、応援し感動する」というメリットと、「コロナの感染拡大リスク」というデメリットは、賛成派・反対派 両者が共に抱えているメリット・デメリットであった。(コロナは存在しないから五輪を開催すべきとか、商業主義の五輪はそもそも開催すべきじゃないとか、そういった意見の人もいるとは思うが今回の趣旨に反するので今ここでは論じない)
オリンピック賛成派は、「選手に活躍の場を与え、応援し感動する」というメリットが、「コロナの感染拡大リスク」というデメリットよりも上回ると考える。
オリンピック反対派は、「選手に活躍の場を与え、応援し感動する」というメリットより、「コロナの感染拡大リスク」というデメリットが上回ると考える。
ここで重要なのは、オリンピック反対派も、オリンピックを開催することによって得られる「選手に活躍の場を与え、応援し感動する」というメリット自体は否定していない、それどころか肯定している、ということだ。
手のひら返し叩きをする人たちは、この「選手に活躍の場を与え、応援し感動する」というメリットを否定した人間が選手を応援するなというロジックで手のひら返し叩きをしてくるが、そもそも反対派は「選手に活躍の場を与え、応援し感動する」というメリットを否定してはいない。肯定している。プラスの要素として捉えている。この部分は賛成派も反対派も変わらない。
じゃあ何が違うのか。それはただ単に、オリンピック開催によってもたらされるプラスの要素とマイナスの要素を比較した場合、どっちが大きいか?という問いに対する考えの違いでしかない。
上記の思考の過程をきちんと認識しないで手のひら返し叩きをすると、賛成派・反対派にもたらされるメリット・デメリットに非対称性が生じてくる。
現在、オリンピック反対派の意見は聞き入れられず、オリンピックは開催された。そして、アスリートは素晴らしいパフォーマンスを発揮し、一方で五輪関係者から感染者が相次いだ。
「選手に活躍の場を与え、応援し感動する」というメリットと「コロナの感染拡大リスク」というデメリット、どちらが上回っていると考えるかは人それぞれ違ってくるとは思うが、このプラスの要素とマイナスの要素が日本国民にもたらされた。
ここで考えてほしい。オリンピック賛成派は、「選手に活躍の場を与え、応援し感動する」というメリットと「コロナの感染拡大リスク」というデメリット、この2つを受け入れることができている。
対してオリンピック反対派はどうか。もしも、手のひら返しの主張にのっとり、オリンピック反対派は五輪を楽しむ資格がないとしたら。
オリンピック反対派は、「コロナの感染拡大リスク」というデメリットを背負わされているにも関わらず、「選手に活躍の場を与え、応援し感動する」というメリットは受け取れない。
オリンピック賛成派は開催によって発生するメリット・デメリットどちらも受け入れる事ができるのに対して、オリンピック反対派は開催によって発生するデメリットだけを受け入れメリットは受け取れない、という非対称性が生じているのだ。
オリンピック反対派は、五輪開催前から「選手に活躍の場を与え、応援し感動する」ことをプラスに評価し、「コロナの感染拡大リスク」をマイナスに評価した。オリンピック開催前も開催中も思いは一貫して変わっていない。五輪開催前から、「選手に活躍の場を与え、応援し感動する」ことをプラスに評価していた人間がいま選手を応援するのはごく自然なことだし、応援しているからといって、感染が拡大する今このタイミングで開催する事に賛同しているわけではない。何の手も返していない。
本来なら賛成派・反対派 両者がマイナスの要素・プラスの要素どちらも受け取れるはずだが、手のひら返し叩きによって反対派はコストを払っているのにも関わらず、リターンが一切得られなくなる。
この理不尽な非対称性は税金で考えるともっとわかりやすい。 週刊ポストは、東京五輪の都民1人あたりの負担額は「10万3929円」と報じた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e89dbd2770e4a83754c843ad60520b39f95aa1ac
オリンピックは税金の無駄遣いだからやめたほうがいいと開催に反対する人も数多くいたが、彼らはオリンピックの「選手に活躍の場を与え、応援し感動する」というプラスの要素を否定したのではなく、「一人あたり10万円の税負担」というマイナスの要素が大きすぎることに対して不満を表明していただけだ。
しかし、手のひら返しの論理を当てはめると、税金の無駄遣いという理由でオリンピック開催を反対していた人たちも、オリンピックを楽しむ資格はないのだろう。一人10万円という金額を負担させられ、その人達のお金を利用することで開催が可能になったオリンピックに対して、「金メダルおめでとう」と言ったら手のひら返しと批判されるのは、あまりに理不尽ではないだろうか。
例えばこれがマンションの積立金の話だったらどうか。今までに入居者全員が毎月支払っていた積立金を使ってエレベーター設置するという話が出た場合、賛成派と反対派に意見が別れ、最終的に賛成派の意見が通ったとしよう。
仮にあなたが反対派だったとして考えてみてほしい。エレベーターは積立金を使用して設置するので、反対派の人たちが払ったお金も費やされている。そうして出来上がったエレベーターに、反対派のあなたが乗り込んだところ、賛成派の人に「設置に反対していたのだからエレベータを使う資格はない!今さら手のひらを返すな!」と言われたら。
反対を選択した人は、エレベーター設置反対の要望をはねのけられ、自分たちが払っていた積立金を使用され、結果できたエレベーターを使用することもできない。
オリンピックを招致して、中止にするわけでもなく、非都民にも税負担をお願いする。
コロナを蔓延させ、挙句の果ては「中止の考えはない。強い警戒感を持って帰省に臨む」とか言って笑ってる。