今回の安部元首相殺人事件に関して、事件当初は左翼などの政治的に反安部の筋からの犯行じゃないかという見方が強く、そのときは「言論の自由を守るために暴力は許されない」的な意見が多かったが、ふたを開けてみれば家族を統一教会に破壊された被害者の犯行で、みんな黙ってしまっているように見える。言論の自由関係なかった。
全容が解明される前から「暴力で言論を封殺はー」的なことを言っていた人は恥を知るべきだし、その意見をのせた各種メディアは訂正をし、統一教会によって(他家族を含め)どのような被害があったのかを取材、公開するべきだと思う。
山上容疑者については殺人としては最も一般的な怨恨による殺人で、統一教会による被害者も多く、未来の何人かを救った可能性もあるので、できるだけ罪が重くならないことを祈る。
安部氏については、運が悪かったように思うが、首相としてカルト宗教を支持するコメント出していたので、家族を破壊された人から恨まれても仕方がないように思う。
コーヒー豆代に月1マンくらい使ってるの知られると引かれるけど
お前の飲んでるそのビールいっぱい480円のほうが高いぞ、
(追記)
落ち着いた自室に広がる、コーヒーの香りは唯一無二のものだから。
僕にとっては新鮮みがないことだが。
前後関係とか一切理解しようとせず何かあれば日本滅びろとか〜〜滅びろとかオワコンとか言う自己中はどうやって育てられてきたんだろう。親に問題があるんだろうな。親の責任。
救いを与えて、救われたらそのまま放置するのがまっとうな宗教。最も、まっとうな宗教は昔は宗教や神の幻想や宗教権威で政府なんかの助けもあったが、今はない。救われたらおさらばというのが現代だろう。
偽善関係無くそう思うが、投稿する場所的に真逆の、つまり増田が書いてる、何かを極められなかった人々の巣窟なので多くの同意を得るのは難しいかもな、とも思う。そのように考えてるのが俺だけではないと知れただけでも俺はありがたいよ。歯に衣着せずに書いてくれて。
広告塔やってたのも選挙のためやし貧困家庭の支援も政治問題やし警備体制だって政治家が予算やら決めるもんやしあらゆることは政治と無関係ではいられないんやで
自分のフォロワーのせいもあるんだけど、左翼が悔しがる所が見たい(意訳)という改憲賛成派の意見しか目に見えてこない。
仁藤夢乃氏が安倍晋三氏の事件について以下の発言を行い、それがよろず~ニュースに【活動家・仁藤夢乃氏、射殺された安倍晋三氏は”自業自得”と主張 参院選での「女性の権利」軽視にも怒り】というタイトルで取り上げられた、というのが経緯になっています。以下のリンクはkoo-sokzoeshkyさんの投稿からコピペしたものです。
発端ツイート: https://twitter.com/colabo_yumeno/status/1545410438724079618
報道への抗議ツイート: https://twitter.com/colabo_yumeno/status/1545658398632357888
上記のブクマ: https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/colabo_yumeno/status/1545658398632357888
「普通に要約すると自業自得と言っているようなもんだと思うが…」というコメントがあったりしたので、ちょっと自分の意見を整理して伝えることができればと思いここに書くことにしました。端的に言えば、言葉には内容とニュアンスの二つの要素があり、後者はどうでもいいというわけではないし、このようなやり方を正当化してしまうと、社会の分断を深めることになるだけではないか、ということを説明していこうと思います。
言葉には実質的な内容と、それをどう表現するかというニュアンスがあるわけです。例えば
という二つの発言があるとします。どちらもBさんの知性に疑問を投げかけるものですが、そのニュアンスは全く異なるわけです。前者の発言を第三者が”要約”して、後者のように書いたとしたら、それは言葉にあるニュアンスを完全に無視していると言えるでしょう。
昨日今日で見つけた例をあげて説明できればと思います。これは元警視総監が今回の事件を受けて、警察の警備体制にしてコメントしたものです。タイトルは【安倍元首相銃撃 元警視総監「警察の失態とも言える」】となっています。
記事へのリンク: https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220710/k10013710221000.html
中身を読んでいると、米村敏朗元警視総監は最初の段落で文字にすると119字になる発言で「無事に警護を終えられれば100点だが、失敗であれば0点という結果がすべての世界だけに、今回の結果は警察の失態とも言える」と述べています。記事の見出しは最後の言葉を取ったものになっているわけですね。ではここで発言を引用する代わりに”要約”してみましょうか。
などはどうでしょう?これは米村氏の発言の要約として間違っていないと思います。しかしこれは元警視総監のニュアンスとは大きく異なるものです。前者の見出しで記事にしたら、少なくとも彼は警察関係者からは顰蹙を買うでしょうね。彼は立場上、そこまで強い発言はしたくないし、記者はそういうことをくみ取って刺激的ではない言葉を選んできているわけです。このように、仮にそれが内容の要約としてはアリだとしても、それがニュアンスを正しく伝えているか、また見出しとして適切なのかは全く異なるわけです。
少なくとも僕にとっては”自業自得”という言葉のニュアンスは原文とは大きくずれたものであると思います。一般的に”自業自得”だという言葉は非常に断罪的で、攻撃的なニュアンスがあります。仁藤夢乃氏は安倍氏の事件に安倍政治が何らかの役割を果たした、ということは間違いなく主張していますが、それと”自業自得”という言葉には大きく距離があると思います。このようなニュアンスを無視した要約はアクセス数を稼ぐにはいいでしょうが、野党の議員(塩村あやか氏)に「おまえが撃たれればよかったのに。テロリストは撃つ相手を間違えた」というようなメールが届くような現状においては、次なる暴力を招きかねない釣り見出しで、限りなく不適切だと思います。
左右の立場に関わらず、私たちがニュースに求めるのは発言の内容とニュアンスを正しく残した中立的な見出しのはずです。よろず~ニュース側がすぐに記事を消したことからしても、彼らは自身がしたことをわかっていると思います。このような釣り見出しを正当化することは、どの立場においても憎悪を煽り、分断を広げることになります。発言に対して真摯な批判を行うためにも、メディアにおいてなるべく正確な見出しが出てくることを望みます。