とか思ってる子が今凄く多そう!
真のはてなーなら、
いや待てよ……ネットの発達によりむしろそういう勘違いは減ったのでは?
まで考えるはず。
そして本当のはてなーなら
といえるはず。
俺には無理。
俺は偽物でいい。
野党の一議員が不倫したのと、与党の閣僚級が不倫したのと、育休を推進する議員が不倫したのとでは、それぞれ状況が異なるし追求の仕方も変わってくるというのを分かってないで、ブーメランブーメラン言ってる奴いるよね。まあみんな辞任してるんだから筋が通ってるじゃんとしか言いようがないと思うけど。
日本の三大RPGは何てことが言われだしたのが90年前後くらいの話。
それ以前はDQ一強だったところにFFが割り込んできて、じゃあ三大RPGなら何だろうみたいなことがよく話題になるようになった。
ブコメでも女神転生を挙げる人が多いし当時も多かったんだけど知名度も売り上げもDQFFには遙かに及んでなかった。
ありていに言えばメジャーどころのDQFFを嫌ってちょっとマイナー気味のゲームを推す人に人気だったってくらい。
そうこうしてるうちに90年代半ばにポケモンが登場する。機種はゲームボーイ。
当時の「ゲーマー」にはゲームボーイを微妙に見下す風潮があった。
ファミコンの登場から10年以上経ち、小学生時代にファミコンと出会いゲームと共に成長した世代は高校生とか大学生。
現在と比べると公衆の場でゲームをすることの抵抗感が大きかったというのもあって
ゲームボーイは子ども向けで自分たちの守備範囲外だと思う高校生や大学生は多かった。
大学生になってジャンプやマガジンを読んでる人は多くてもコロコロやボンボンを読んでたらちょっと恥ずかしいみたいな感じ。
ところがまあポケモンが大ヒットするわけだ。しかも日本のみならず世界中で。
ちょうどインターネットが普及しだして海外の情報が入って来やすくなってポケモンの人気がヤベえらしいと伝わってくる。
世界的な知名度でいえばポケモンがDQFFを一気にブチ抜いてしまった。
結果としてそれまでDQFFを不動の前提として語ってた三大RPGには何だかポケモンを入れづらい雰囲気になって
残りのひとつは何となくあやふやなままポケモンは別枠みたいな扱いになった。
以上が俺の記憶をもとにした印象論。
日本時間9月8日午前8時50分ごろ、太陽の表面で起きた「太陽フレア」とよばれる爆発現象で生じたとコロナガスが、地球に到達した。
太陽では複数回の爆発が起きているが、今回のものは9月6日に起きた通常の1000倍規模の爆発によって生じた可能性が高い。
当初の予想よりも6時間以上も早かったことになる。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/09/08/solar-flare_a_23201145/
今までが日本の足を地につけて完全に俗物と化した状態だとしたら、今は四本の足を地につけたケダモノだ。
それも、素人だから許してねの看板を掲げてモラルなんて全く無い好き放題な物を他人のキャラで作った上でのエッチなゲームが同人ゲーでしょ
ふーん。
私には、
ピアノとお菓子作りと観劇が趣味の設計士の母と、海外で起業してその国の偉いひとと仕事してる父と、いま4年生で某有名広告代理店に就職決まってる美大生の姉がいて、自分も3歳からピアノ、4歳からバレエを始めてどっちも賞取ったりしたし、県内トップクラスの高校行って生徒会やったりもしてて、休日には家族や友人と出かけたり、あとはよく図書館行ったり美術館巡りしたりなんかして、
経歴だけ見たらこーんなに綺麗なのに、どうして私は朝が来るたび死にたくなってしまうんだろう。
はてな村には色んな人がいるが、何故だかその内の半分くらいは何らかの理由でしんどい状況にいて、その事について愚痴っている。「死にたい」という言葉を見かけることも少なくないし、実際そんな言葉を残していった増田たちの中には、今はもういない人も結構いるんだろう。
私もたまにここを覗いて彼らのエントリを読むと、辛い境遇に置かれている人間には普通に同情するし、そりゃ死にたくもなるよなと思う。だって彼らは客観的に見て「不幸」だし「恵まれない」人たちだから。
でも私はそうじゃない。たぶん私は世間一般的にはかなり「幸せ」で「恵まれた」境遇にある人間だ。だから死ぬことは許されない。
死んだら周りの人が悲しむよ、と誰かが言った。それでいいのだ。私は私の死をもって、誰かの心に深く深く私を刻み付けたい。「自殺したって何も美しくない年齢になってしまったなとぼんやりおもう。」なんて言葉をツイッターで見たけど、私はきっとまだギリギリ美しく死ねる年齢だと思う。美しくて、影響力があって、多感で繊細な時期の友人が多い今のうちに、何とか行動したいと思う。
私はいつも"特別"になれない人間だった。部屋の隅に並んだ数多の賞状にトロフィー、それらのどこにも優勝の二文字はない。本を読んだり絵を見たりは好きだけど、姉のようにオンリーワンの表現者になることは出来ない。やること成すこと全部それなりで、周りの人は多才だと褒めてくれたけど、どれかに自分の全てを捧げる程の才能がないだけだ。私はいつでも"特別"になりたいだけの人間だった。
それなりの人生、それなりの幸福。喉から手が出るほどそれらを切望する人がいるのは知っている。でも私にはそれじゃ駄目だった。それだけの話だと思う。
タイムリミットが迫っている。今なら、いま死んだなら、もしかしたら少しは特別になれるような気がするのだ。JKで居られなくなったら、もう私にチャンスはない。決断しなければ。
その前に、こんな所にいったい何人存在しているのか分からないけど、いま幸せな人教えてください。
④
たとえば土日ぶっ通しでネトゲをやって気づいたら金土日の合計睡眠時間8時間で月曜日の0時になったりしたら、それまでの楽しさが一瞬で吹き飛ぶほどの絶望感に襲われるじゃん。
合うか合わないかなんて主観的な問題でキチガイ認定にまですっとぶような極端な例の話は別でしょ
ある人にはとても合うと思われてる服装が違う人にはとてもじゃないが見てられないと思われてるとか
より安心した家庭生活を築ける社会こそが、何よりの少子化対策であると考えられています。
不倫がまかり通りような社会では、いつ離婚する羽目になるか分からないことから、
実際昔のクイズブームの頃は、増田では京都のゴミ大学でおなじみの立命館が強かったしな