暑い。エアコンがんがんにかけても暑い。布団のさらに下の床から熱気が立ち上ってくるようだ。
戸数の少ない小さなアパートは日中に建物自体が熱せられ、この時間になってもまだ昼間の熱が残る。
就活が上手くいかない。
どんなに挨拶や所作を丁寧にやっても、どれだけ練った回答をしても、どれだけ反省して次に活かそうとしても、
一次面接より先に行けた試しがない。顔はブサイクじゃない。不快を与える顔でもない。大手病でもない。
呪われてるのか、おまえはこんな道に歩むべきではないって言われてるのか、そう思わなくちゃやってられないくらい上手くいかない。
つらくて、泣いて、それでも立ち直って、またがんばろうって受けてもまた落ちる。もうなんでなのかわからない。
こんなこと言うと、「甘えるな」「おまえがアホなだけ」とかいう人がいるけど、どうせあなたはすぐに上手くいったからでしょう、と言いたくなる。
卑屈でごめんなさい。でもそう思ってしまわなくちゃいけないくらいつらいんです。
増田は道中のナビを鯖に任せてみた。
鯖「右側の道を行きましょう!きっと安全です。」
増田「何故そう思う?」
そして鯖と増田は先へと進んだ。
鯖「ここは左の道にしましょう!」
増田「ほう。今度はなんだ?」
鯖「何か自分の死のイメージが見えた気がして…とにかく左の道を進みましょう」
増田「お、おう。」
なんだかんだで旅は続いた。
道中、鯖は事あるごとにスターをねだる。
なんかもう、思考がかわいそう。
「うん」
って返信しか返しようがないやつ
例)
38歳:禿げた
「私の方が苦労してるんやで」
って案に言ってくるやつ
私:めずらしく高熱で病院行ったw点滴打ったら即下がった医学しゅごい
38歳:それはお大事に〜私も先週から風邪を引いてて病院に行ったんですけど治らなくてセカンドオピニオンどーたらこーたら
私:38歳さんの方が重病じゃないですか!ご自愛ください;;(○んでどうぞ)
デジタルネイティブにリプを貰った事ないけど、これが通常か異常か聞いてみたいわ。
お前は本当にくさそう
今までずっとララァ・スゥだと思い込んできた。
何故だか分からないけれども。
たまたまWikipediaでララァ・スンの項目にだどり着いて知った。
処女を失って数年。セックスするときは避妊するのがあたり前だと思っていたし、今でも割とそう思っている。ただ。ただその日はなんだか、避妊という現実的すぎることがもう、嫌になってしまって、そのまま入れてしまったのだった。
就職を期に上京して親と離れて暮らすようになってから、どうにも生きている現実感がない。でも、避妊をしないセックスをすれば、生きてるって実感できるかも知れない。そんな気持ちがどこかにあったのだと思う。
行為の翌日仕事のあと、アフターピルをもらいに病院に行った。一人で調べて一人で行った。病院に向かう電車にゆられながら、恐怖心も後悔も何もないことに気づいた。相手に対する憤りや申し訳無さみたいな感情もない。ただそこには、私がついに大人になったのだ!という高揚感があった。
親が聞いたら泣いて悲しむだろう、友達に言ったら相手の男を怒るだろう。でも彼らには今回のことは関係ない。責任をとるべきは自分だ。自分が自分の体を明け渡したのだから。私は、私の体を、私が思うように、扱っている。そんな実感が自分の心を満たしていくのがわかった。これってすごい、大人じゃん、と。胸がドキドキしたのだった。
産婦人科の病院で受付を済ませて、問診票に記入をする。こういう病院の問診票には必ず「性交経験の有無」や「妊娠経験の有無」を記入する欄がある。
該当する項目に丸をつけながら、自分がただの女であることを実感させられる。私は今、○○部○○課の私でも、両親の娘でも、あなたの恋人でも、あの子達の友達でもない、ただの女だという実感。「年の割に○○だね」「女性なんだからもう少し○○しなよ」「結婚しないの?」そういう、周囲との関係性の中での「女」ではなく、私がただ女として女であるという感覚。
順番になり診察室に入る。2粒の錠剤は、二言三言の用法の説明だけであっさりと手に入った。1万数千円を支払い病院を出る。駅までの道を歩きながら、あぁこんな、たったこれだけのお金で、あのセックスがなかったことになるんだ、と笑ってしまった。
帰宅してから薬を飲んだ。心配していた副作用も特に無く、その後も普通に出勤できている。なにもかもが全然大丈夫だし、何故か達成感すらある。仕事も嫌いだし死にたいなとか思ってたけど、なぜだか生きる勇気をもらってしまった気さえする。
初めてセックスした時よりも、成人式の時よりも、はじめて選挙で投票に行った時よりも、一人暮らしを始めた時よりも、全然大人になったと感じた出来事だった。なので記念に書いてみた。
知人(東京生まれ・友達がだいたい悪いHIP-HOP育ち)が、自分の言動を妙にリズミカルな表現をするのが気になる。
私は男だが、非常に素材の良い女性が、ラーメンばかり食べてたり、余り清潔でなかったりするのを聞くと
大便器と言えばさ、お前らなんで和式使わないの?
・力みやすい
・皆使わないから空いてる
・水が飛びはねない
・煙草吸う奴がいない
俺も子供のころから絵を描いて、描いたことない人からはギリギリ上手いと言ってもらえる程度の人間です。
社会人になってからは時間や気力が無いのもあって、描いても全部下書きどまりになり、俺の場合はPCで絵を描く潮流にもうまく乗れなくて、
称賛ももらえなくなりしんどくなって、ここ5年くらいはろくに描いてなかった。
けど、昨日、仕事の合間にちょっと暇ができたときに、誰にも見られない場所でこっそり落書きしたら楽しかった。
自分の一番上手かったときよりも多分下手だし、ネットにあふれる絵師とは比べ物にもならないけど、また絵を描くのが楽しいと思えたのが嬉しかった。
某社の商品開発部はある程度のポストからは辞めるときに誓約書にサインを求められるんだけど
その内容が、いわゆる見分けるポイントにも言及されてるから難しい
いろいろ突っ込まれてるけど、それは素人考えなだけでそれぞれの薬品の相互干渉や
皮膚への影響については知らないと思う
なぜなら開発途中で少しヤバいんじゃないかって話が持ち上がったくらいだから
携わってないと知らない部分がいくつもあるんだよ
絵を描いてみようと思ってペンタブを買ったのは大学2年の夏だった。
あれから10年経った。そこには2ヶ月前に絵をやめた、三十路手前の自分がいる。
10年使った自分の絵の実力は描いていない人からは上手いと言われ、ある程度描ける人からは下手と思われる程度。
pixivで言えば閲覧数4桁いけば上々、ブクマはいつも10以下、評価点も150点が平均。
TwitterでいえばRTとお気に入りどちらとも2桁を越えればいい方。というレベルだ。しかも絵はほぼ人気版権物である。
絵の才能のなさに嘆いてやめた、という訳ではない。
絵を描けることを武器に人との交流をしているやつらが羨ましくて
仕方なかったからだ。
自分の主なSNSは4年前に始めたTwitterだった。そこにはプロの漫画家かイラストレーターが
描くような絵ではないが人の関心を惹くような絵を描ける人間が大勢いた。
そして彼らは フォロワーの人数>フォローの人数 のアカウントであり
絵を通じて人間関係を作っていたのだ。愚かな事にそれを羨ましがった。
Twitterを始めてからは誰かに相手をしてもらうために絵を描くようになった。
自分好きなものから人気のある、ある程度需要がある作品のキャラを描くようになった。
そのキャラを好きになろうと必死だった。もしくは自身の好きなものですら
交流のための餌にすら思えてきた。
ある程度の絵を描ける人間をフォローしまくった。その人と仲良くなりたいというより
こういう人達と繋がっていると感じていたいために。
しかし多くはフォロバされなかった。とうとうフォロバ率の高い、絵を描いていない
人間を探してフォローするようになった。ようやく絵を描いて相手にされる時がきた。
しかし突然、前触れもなく気づいてしまった。絵を描くことを楽しむ自分はいないことに。
さらには相互フォローになっている人はいても、RTとお気に入りをくれる人がいても
会話をするような、交流をしている人間は一人もいなかったことにも。
もはや絵に対して表示される数値だけが絵を描く原動力となっていた。
今自分の手元にはペンタブはない。PCにも絵を描くツールは入っていない。
pixivもTwitterもアカウントは存在しない。すべてを捨てた。
だが今は充実している。絵を描くことが自分のすべてだと思っていた頃よりも
ずっと余裕も時間もできた。好きな作品に触れるのも苦じゃなく楽しい。
もし今から絵を描いてみたいと思っている人がいるならば、自分のために描いてほしい。
もし「○○○さんのような絵を描けるようになりたい」という場合、それはその人のような
立場になりたいと思っている可能性があるだろう。そういう人は考え直そう。
http://anond.hatelabo.jp/20130925025344
http://anond.hatelabo.jp/20130925032813
http://anond.hatelabo.jp/20130925033122
ところでどこから産むんでしょうか
m9(^Д^)プギャー鏡の法則つって、リア充とつるんでるときはキョロ充化して