絵を描いてみようと思ってペンタブを買ったのは大学2年の夏だった。
あれから10年経った。そこには2ヶ月前に絵をやめた、三十路手前の自分がいる。
10年使った自分の絵の実力は描いていない人からは上手いと言われ、ある程度描ける人からは下手と思われる程度。
pixivで言えば閲覧数4桁いけば上々、ブクマはいつも10以下、評価点も150点が平均。
TwitterでいえばRTとお気に入りどちらとも2桁を越えればいい方。というレベルだ。しかも絵はほぼ人気版権物である。
絵の才能のなさに嘆いてやめた、という訳ではない。
絵を描けることを武器に人との交流をしているやつらが羨ましくて
仕方なかったからだ。
自分の主なSNSは4年前に始めたTwitterだった。そこにはプロの漫画家かイラストレーターが
描くような絵ではないが人の関心を惹くような絵を描ける人間が大勢いた。
そして彼らは フォロワーの人数>フォローの人数 のアカウントであり
絵を通じて人間関係を作っていたのだ。愚かな事にそれを羨ましがった。
Twitterを始めてからは誰かに相手をしてもらうために絵を描くようになった。
自分好きなものから人気のある、ある程度需要がある作品のキャラを描くようになった。
そのキャラを好きになろうと必死だった。もしくは自身の好きなものですら
交流のための餌にすら思えてきた。
ある程度の絵を描ける人間をフォローしまくった。その人と仲良くなりたいというより
こういう人達と繋がっていると感じていたいために。
しかし多くはフォロバされなかった。とうとうフォロバ率の高い、絵を描いていない
人間を探してフォローするようになった。ようやく絵を描いて相手にされる時がきた。
しかし突然、前触れもなく気づいてしまった。絵を描くことを楽しむ自分はいないことに。
さらには相互フォローになっている人はいても、RTとお気に入りをくれる人がいても
会話をするような、交流をしている人間は一人もいなかったことにも。
もはや絵に対して表示される数値だけが絵を描く原動力となっていた。
今自分の手元にはペンタブはない。PCにも絵を描くツールは入っていない。
pixivもTwitterもアカウントは存在しない。すべてを捨てた。
だが今は充実している。絵を描くことが自分のすべてだと思っていた頃よりも
ずっと余裕も時間もできた。好きな作品に触れるのも苦じゃなく楽しい。
もし今から絵を描いてみたいと思っている人がいるならば、自分のために描いてほしい。
もし「○○○さんのような絵を描けるようになりたい」という場合、それはその人のような
立場になりたいと思っている可能性があるだろう。そういう人は考え直そう。
俺も子供のころから絵を描いて、描いたことない人からはギリギリ上手いと言ってもらえる程度の人間です。 社会人になってからは時間や気力が無いのもあって、描いても落書きばっか...
違うよ。お前はPixivの150点でお前の10年が評価されてしまった事を自己の問題として片付けただけで、外面的な社会評価は据え置きのままだ。 結局駄目な奴は駄目、ということから逃げ出...