先ずは、ご愁傷様です
父を亡くしました。発見時には手術・放射線はできない状態まで進行していました。何も手の施さない場合の生存期間を医師から告げられましたが、抗がん剤を使うことで、初期の生存期間を越え、家族で本当に有意義な時間を過ごすことができて、最後は彼のそばで彼を看取ることができました。
親しい人の死を後悔に代えてはいけません。故人もそれを望んではいません。故人との良い思い出だけといっしょに生きてください。
健康診断は受けましょう。面倒だから、ましてはガンが見つかると怖いからなどは受けない理由にはなりません。ガンは適切な治療をすれば、完治もしくは延命できる病気です。
これからはこのOculus riftで主観体験型AVの時代がくるーッ!
ボディラインを過度に強調した服、素肌を露出した服を着たがるのは、「女同士の競争」としてなぜそういった行為がなされるのか、に注目する必要がある。
http://anond.hatelabo.jp/20141024205027
野蛮なクルマ社会 哲学研究室 -帯広畜産大学- http://www.obihiro.ac.jp/~philosophy/gyouseki/car4.html
自動車とドラッグのどちらが有害か http://firefly1384.web.fc2.com/dokusyo/d030.html
自動車の害と自動車依存脱却の必要性に関する資料 http://www.toinaosu.org/library/car.html
クルマ社会を問い直す会 http://www.toinaosu.org/
命と安全を守る、歩車分離信号普及全国連絡会 http://bunri.org/
http://anond.hatelabo.jp/20141024205027
http://firefly1384.web.fc2.com/dokusyo/d030.html
事故が起こったのはやや見通しの悪いY字路で、トラックとぶつかってほとんど即死だったらしい。
随分前のことで誰も事故の話に触れたがらず、結局事故の原因が何なのか私は知らないが、子どもの頃 そのY字路を通る度になにか不思議な感じがした。
母はドライブが好きで、幼かった私を乗せて名古屋から神戸あたりまで飛ばしたこともあった。
夜中にぐずつく私を寝つかせるために、車に乗せて走っていたこともあったらしい。
彼女にとってクルマは必需品だったし、私にとっても自動車のおかげで助かったことがあった。
大学生になって友人が免許を取りに行くとかいう話を聞いたとき、少し考えた。
車に乗らないことで不便になるとしたら、その不便を我慢することが自分にできることだ。
……そう考えて免許を持たないことにした。
でも「反原発」の立場で相手を論破する知識も知能も無いらしくて
打ち合わせで「リーダーに」質問っていうか再確認をしてるわけで
俺と同じ情報量しか持ってないお前が出しゃばって解説()とかなんなの?
再確認の意味でリーダーに質問してるだけなんだから一から十まで説明すんなウザい
わかってるつーの
今回の打ち合わせはお前が余計なことした所だけ見事にクライアントからクレーム来たから修正しましょう
あと、立つ時に毎回机の引き出しに足打ちつけてガタガタうるせーんだよ
うちは肝臓だったよ。レーザー治療と化学療法をやったけど、副作用が辛そうで見ているだけで切なくなった。どちらの方法が良かったのかは、神のみぞ知る領域だと思うよ。
うちは、医師から、せん妄や強い痛みが起こる可能性が高いと言われていたので、最期の山場が一晩で済んだのは、本人にとっても家族にとっても、唯一の良いことだったように思う。
入院してから亡くなるまでは1か月弱あって、毎日顔を見に行くとうっとうしがられるぐらい元気だったのに、ある日ふと「今日、病室に泊まろうか?」と聞いたら頷いたんだ。
その晩、一晩だけひどく苦しんで、そのまま明け方亡くなった。ひとりきりで行かせずにすんだ。
末期がん患者の家族は、だんだん心がすり減っていく。戦っても戦っても「改善」されることが無いから。
患者本人が、少しずつ見た目が衰えていくのは、一緒に暮らしていたり間近にいたりすると分からないんだよ。
そのことでお母さんを責めるような態度を取ることだけは、どうかやめてあげてほしい。
低脳なんてことばここ5年くらい見なかったんだけど、つい最近はてな人力でもみた。
「低脳」脳がはてな村に遊びにきたのか。おちょくられて自分の低脳を実感するだけだから2ch右翼板にでも帰ったほうがいいよ。
うちの家族も膵がん(ステージ4)で、放射線治療は出来ない、転移してて手術も無理、抗癌剤も正直効くかどうか分からないし、体力は打ったほうがなくなるスピードが早いとのことで、所謂先進医療なしで発覚から4ヶ月ちょっとで亡くなった。
でも、亡くなる2週間くらい前まで通院しつつも普通に家族みんなで一緒に暮らせたし、一緒に旅行も行けたし、食事制限もほぼなかったからご飯も食べに行ったり出来た。
本人も悩みながらも好きなことして過ごしてたし、結果抗癌剤打たなくて良かったと思うよ。亡くなる時も苦しまないで旅立っていったし、家族としては、実りのある4ヶ月だったな。
勿論、見つかる場所によっては先進医療が有効な場合はあるから、癌になった時、近い物同士でどれだけ実りのある話し合いをするかとか、そうなった時に向けてどういう指針で動くかっていう意思確認は家族同士でしておくとかしておいた方がいいだろうね。
HTML5がやっと勧告とか良く分からない言葉になったが、ちゃんと現状を認識しておこう。
そもそも、HTML5の目的は、新しいHTMLなんかじゃない。
正確には、新しいHTMLなるための道標だったのだ。(過去形)
君たちは、window.alertという関数を知っているだろうか。
え?と思うかもしれない。でも、これこそがHTML5の役割だった。
ドキュメントにalertなんて在るはるがないのだ。
そうやってHTMLは分断されていた。
HTMLというドキュメントを操作するAPIとしてDOM。そして、それ以外のAPIは黙殺。
XHTML1.xでも、それは繰り返された。
XHTML2.0が失敗したのは当然ともいえる。分断されたままアプリケーションに拡張しようとしたのだ。
現状を省みずに、ただ夢を追った。
既にHTMLはドキュメントではなくアプリケーションであると。
アプリケーションとして見たHTMLには、windowというオブジェクトが存在している。
次に進むのに必要なのは新しい夢などではなく、現状の再認識だ。
そう、それがW3Cに採用され、君たちの知っているHTML5になった。
「HTMLからバージョンを消すことです。バージョニングなんて考えは古い。HTMLは常に更新されるものです。」
彼らはそう語っていた。
window.alertがクロスブラウザで使える。それがHTML5だった。
君たちは、気付いてるだろうか。
以前よりもクロスブラウザで悩まされることが減ったことに。
だが、それでも道を踏み外した。
また夢を盛り込もうとした。アプリケーションならアプリケーションなら。
新しいアプリケーションプラットフォームという肥料でまるまると太った豚になった。
豚は、そのままでは動かなかった。
「HTML5.1です。」
HTML5は、終わった。
ちょっと前に彼氏から他の男とセックスして欲しいけど迷ってるみたいな増田があったでしょ。
我慢強く、受け流したり気にしないふりしたり、全体の利益になるような努力をたんたんとし続けた結果、受け入れられたんだけど。
非常にむなしい。
やられたことはハッキリいって忘れてない。
いまさら誤解だったね、過去のことは忘れてっていうのはキツイ。
きついんだけど、客観的には楽になってるんだから、それでいいじゃんっていう気持ちもアル。
そう、人生はこういう感情とは別に目の前の利益を得ないといけない場面がたくさんある。
でも、すんげーキツイ。相手が人間だと思えなくなってくる。でも逆に、相手も人間だからっていう気持ちもある。
そう思うから、人間不信になって、哲学だの文学だのを心の慰めにしてるし。トイレに頻繁にこもって心を落ち着ける。
会社にいる時間をできるだけ簡素なものにするために、予定をたてて、体だけ会社において、心は終業後にやることをいろいろと計画してる。心をフラットに保つためにランニングを毎日やってゼロにしている。
俺にとっては、生きるために会社にはいかなきゃだけど、会社の時間はアフターファイブのための計画と妄想、読んだ本の脳内復習でできるだけ無視して生きている。
当たり前の人付き合い、当たり前の会社の労働はこなすんだけど。そこに心は砕かない。
友達付き合いってのも、できるだけ瑕疵の無い言葉を使うし、聞きに回って、たまにユーモアを言うが。
なんだか、ゲームの選択肢を選んでるだけの無感動なものになっている。
抵抗の無い平面ではボールがずーっと転がり続けるように、ほとんど記憶に残らない時間が会社の時間になっている。
もし、同僚が人間的な付き合いをしてくれたらなあとは思うんだけど。そういう人間じゃないし。そういう人間相手の職場にしか所属できない自分もその程度だし。
だれかもらってやれよ