2013-06-27

イケダハヤトvskyoumoe問題を冷静に見る

イケハヤニ殺サレタ→http://d.hatena.ne.jp/kyoumoe/comment?date=20130627&section=1372308842

「1回言ったくらいで死ぬような奴は他に原因があるに決まってんだろアホか」

これは確かに正論なんですが、「最後の一押し」になる可能性は十分あります

ネット不特定多数に届きうるものから、その確率ネット以外のものよりもだいぶ高いかもしれない。

もちろんそれがなくたって、何か他の「最後の一押し」があった可能性も同様にありますけども。

悪い例えを使うと、今まさに崖から落ちそうになって両手でへりをつかんでる人がいるとする。

体力的にほっときゃ間違いなく落ちる。そのときうっかり景色に気を取られて、気づかずその人の手を踏んでしまってその人落っこちて死んじゃったと。

確かにその人の死因の割合としては、踏んでしまったことは微々たるものかもしれないし、落下死の運命も決まっていたかもしれないけど、

そこで踏んでしまった人が「いやあいつ俺が踏んでも踏まなくてもどうせ落ちたでしょ? 俺別に悪くないと思うんだけど」というのは、やはりおかしいのではないかと思うわけです。

kyoumoe氏の「会ったこともない知らない人間に1回死ねと言われたくらいで死ぬような奴に配慮してたら何も書けんわ」は実に正論、それで責任を取らされるのであれば口をつぐむほかない。

ただしイケダハヤト氏の「『死ね』という言葉は攻撃性が高すぎます。今のやり取りがまさにそうであるように、ある程度誤解されることは前提です。あなたがそのつもりはなくても、受け手はその言葉に傷つくことは十分ありえます」というのも同程度正論と言って差し支えないはず。

そもそも最初の問題は、kyoumoe氏が「ネットイナゴ呼ばわり」と「死ね」をクソミソに語ったところから始まってはいなかったか。(http://d.hatena.ne.jp/kyoumoe/20130625/1372176480

以下私見ですが、「ネットイナゴ」と「死ね」の影響力を同程度と考えるのはまずもってかなり無理があるかと。

理由は簡単で、「ネットイナゴ」はスラング、「死ね」は一般動詞命令形からスラングと一般動詞では、与える力以前に意味を理解できる人間の数が違いすぎます

それを天秤に乗せて「お前は俺に『死ね』って言うなっていうけど、じゃあお前の『ネットイナゴ』で人が死んだら責任取れんの?」というkyoumoe氏の発言は、

「1回言ったくらいで死ぬような奴は他に原因があるに決まってんだろアホか」「会ったこともない知らない人間に1回死ねと言われたくらいで死ぬような奴に配慮してたら何も書けんわ」という自身の発言と矛盾をきたしているのでは?

はいイケダハヤト氏もイケダハヤト氏で、この記事(http://d.hatena.ne.jp/kyoumoe/20130627)でkyoumoe氏が言及しているように、

巧みに被害者加害者の構図を誘導して、kyoumoe氏をやりこめてしまったわけですが。

もちろんこれは文章上のテクニックなので、批難できるようなものではありませんけどね。

ただひとつ解せないのは、「『死ね』も『ネットイナゴ』も、発言していいんですよ。発言者覚悟の問題です。覚悟があるのなら、どんな発言も自由です」

というkyoumoe氏のブログコメント欄に書き込まれたこの文言

これはひと目で明らかに間違っているのがすぐに分かるはず。発言の影響力は発言者覚悟を持っているか責任を取れるかという問題ではないので。

そもそも人の死に対して他人が責任とるという行為自体不可能じゃないですか。僕らはザオリクアレイズも使えないんだから

イケダハヤト氏は裁判の話を持ちだしてるけども、裁判で白黒つけること=責任を取ることではない。

裁判はあくまで法律上罪人となるかそうでないかを判断することでしかないので、人の死に対してはむしろまり関係のないことだとすら言えるかもしれない。

結論を言うと「『死ね』はやめといたほうがいいんじゃないの。『死ね』使わないでも伝えられるでしょ」というのが第三者からみた正直な感想です。

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