はてなキーワード: イラスト集とは
生成AIは推進すべきだと思ってるけど、その上でAI絵師の半分ぐらいはカスだ。
その絵はどういうシチュエーションで、どんな経緯でそうなって、そこからどんな話が展開されるのか?
そいつは誰のことを見てて、どんな話をしていて、どんなことを内心考えているのか?
そういうことを全く考えず適当にイラストを生成して大量投稿して越に浸っている奴らは、マジで生産性の欠片もないゴミカスだ。
勿論中にはCG集(DLsite分類準拠)のように、台詞を付けたり連続性のあるイラストを並べたりしてストーリーを作ってる奴もいる。生成AIイラストを使ってゲームを作ってる奴もいる。本当に偉い。天才。素晴らしい。
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同様に、ただポーズを取っているだけの一枚絵しか描かない絵師も概ねしょーもない奴らである。
会話をつけろ。モノローグでもいい。ストーリーを付与しろ。何が「この子の言動トレースするの難しい〜☆」だ。逃げるな。甘えるな。お前の愛はその程度か?
とはいえ、表情差分を用意して素材として配布している方には本当に感謝している。ありがとう。あなたがたのおかげで世に生まれた物語が数多くあります。
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お察しの通り、私は物語至上主義者である。絵でも音楽でも小説でも、ストーリーを見出だせるものが一番偉いと考えている類の人間だ。そこいらの美麗なだけの一枚絵よりモーション借用山積みのMMD紙芝居の方が高尚だとすら考えている。
無論、これは物語に対して地雷がないという話ではない。解釈違いには普通にキレ散らかすし、作品と出会って5秒でブラバしたことも数知れない。
それはそれとして、新たなシナリオを世に生み出すことの難しさと素晴らしさを知っているというだけである。
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以前いた界隈のいわゆる「同担」にあたる絵師どもの多くは、まるで物語というものを作ろうとしなかった。彼らは単なる立ち絵だとか100番煎じの原作の人気なワンシーンだとかのオリジナリティの欠片もない一枚絵ばかり投げていて、私は心底辟易した。
即売会に出て、漫画を出している絵師の方は何人かいた。常に漫画やストーリーを持つイラストを書き続けている修羅の者もいた。彼らには心の底から敬意を払っていたが、年々少しづつ彼らはその数を減らしていた。
それと同じぐらいいたのが、「イラスト集」を出す絵師たちだった。説明もキャプションも台詞も何もなく、ただただイラストを1ページに1枚貼り付けて、それを新刊だと嘯く奴ら。そういうやつらに限って新刊情報をギリギリまで秘匿するので、マッピングのときは本当に面倒だった。
「このイラストのテーマはこうで、このキャラクターのこの側面をこのように解釈して、これこれこのような技法を使って……」と解説を載せてイラスト集を作っていた人物は、一人だけだった。一枚絵を描く絵師たちの中で、最も美麗で、最も細緻で、最も文脈の籠もった絵を描く人物だった。彼のイラスト集だけは全巻揃えていた。
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公式の真似事ばかりしているオリジナリティの欠片もない絵師どものことが嫌いだった。
いや、嫌いとまで言うのは言い過ぎか。邪魔だったというか、鬱陶しかったというか、そういった感情の方がより近い。
お前らは四コマの一つも描けんのか?会話劇ツイートの一つもできんのか?何が「この子の思考回路分かんな〜い」だ分からないなら分からないなりに挑戦して考察して語ってみせろ描いてみせろお前の解釈を見せてみろそんなんだからいつまでも「分かんな〜い」止まりなんだよクソどもが。
そんなことを考えながら界隈の端で短編小説を書き殴っていたのが、当時の私だった。
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これから先、生成AIの隆盛によって「仕掛けや文脈を持たない単なる立ち絵の一枚絵」の価値は暴落するだろう。そしてこれからより多くの人が生成AIを使うようになれば、「シチュエーションもシナリオも考えずただ適当に生成したAIイラスト」の価値も暴落するはずだ。
つまり今後は、きっとシナリオで戦う時代になる。漫画は細部の書き込みと伏線で、AIイラストの紙芝居は生産力と敷居の低さで、文化的シェアを奪い合いながら物語を生み出し続けることになるだろう。
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正確には一瞬だけ触れたことはあったのだが、「左手が液化し宙に浮かぶ様子」「切り落とされた右足とそこからまびろでる羽毛の山」「折り砕かれた額の角」などが上手く出力できなかった時点で諦めた。私の呪文練度が低かったのか生成AIが未だそこまでの域に達していないのかは判断つかないが、いつかはこれらを出力できるようになることを祈るばかりである。
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……絵師の特権階級が云々って話で吹き上がってる人たちに色々言おうとして書き始めたはずなんだが、なんか全然別の話になったな?
電子版だが。
イラスト集を買うなんて何年ぶりだろう?
完結したダンジョン飯があんまりにも素晴らし過ぎて感動のあまりポチってしまった。
自分はオタクっけが少ないのかわからないがイラスト集のようなアイテムをうまく消費することが出来ない。
ただ若き頃はバリバリにオタクだと自分のことを自認していた時期もあった。
だから当時は、万円超えのオタクコレクター向けの画集なども購入することもあった。
でもコレクターズアイテムって、いざ手に入れるとこれをいったいどうしたらいいのだろう?
と途方に暮れてしまう。
パラパラっと本をめくっても、ああうまいイラストだなあ、と思うだけだ。
そんな私が宣伝に乗せられてバカ高い初回限定生産の画集なんて買ってどうするんだ?
ということに気づいてからめっきりとファンアイテムに手は出さなくなった。
デジタルの目録とはいえ自分がうまく消化できない項目があるのはなぜか居心地が悪く感じるからだ。
だから真逆の方向の話だが、デジタルのセールで100円とかで投げ売りされるようなものでも買うのがすごく嫌だ。
なにか部屋が余計なもので満たされてしまうような感覚を電子の空間でも感じてしまうのだ。
とこんなふうに感じている自分がひさしぶりにイラスト集を買う。
発売日が楽しみだ。
文豪をキャラ化した作品の同人誌即売会に、元ネタとなった文豪の書いた小説や詩歌をそのまま同人誌にして頒布やDL販売しているサークルが複数ある。
イベント主催企業のFAQには「ある作品の聖地巡礼写真集(notコスプレ)はどのジャンルを選べばいいですか?」「メインとなるパロ元の作品ジャンルでお申し込みいただけます。」とあるので原作キャラとは関係のない元ネタを扱った同人誌を作品ジャンルで頒布するのは問題ない。著作権は切れているので誰かの権利を侵害しているわけでもない。
でもそれって同人誌としてどうなの?
文豪の随筆を元にキャラの漫画や小説を書いて、出典として一部引用するならわかる。詩歌を読んで得たインスピレーションを元にイラスト集を作るのもわかる。
文豪の記念館・文学館やゆかりの地を巡って旅行記にするのもいいし、文豪の作品を読んで感想文を書いたり執筆背景を調べて本にするのもいいと思うよ評論はコミケの老舗ジャンルだし。
文豪の作品をコミカライズしたり朗読CDにしたり、古語や外国語で書かれた本を翻訳したり別の作品の形に翻案するのもクリエイティブだと思う。
でも文豪の作品をそのまま同人誌にするのはうーん…二次創作とはいえ何らかのオリジナリティを発揮するのが同人イベントの趣旨じゃないのか?
自CPはニコイチコンビで、公式でも供給が多くて、二次創作も活発でオンリーも度々開かれてる最高のCP。
新刊カード集めてでのオンリー開催もあと3回は確定していてマジで最高だな〜!!!
て思ってられるならまだよかった。
6月までは。
他に人間がいないマイナーの民からしたら贅沢言うなって話だからもう読まないで欲しい。
同人なんて作りたいのなら作れば良いって話だからとやかく言うなって話なんだけど、CP要素がミリも無いような単キャラアクキーやら缶バッジやらの安価グッズを作る為にわざわざCPオンリー申込む必要ある?
バリバリの左右固定で逆マジで嫌いだから、自CPの参加サークル数が70近くあって、逆より何件か多いの最高でやったーーー!て喜んでたら、6割がグッズとか…CPオンリー申込む必要ある?
母体ジャンルのオンリーだって3ヶ月毎に開催されてるんだから、そっちいけばいいじゃん。CPオンリーに申込む必要ある?
しかもグッズ出してるやつの多くはCPの左右どっちも見るタイプだし。本当にCPオンリー申込む必要ある?
6月に自CPオンリーの島歩いて見渡せばグッズ、グッズ、とにかくグッズ。
壁サーだってイラスト集。しかもCP要素がミリ程度だし。合体だからって雑魚文字書きが壁サーなの鼻で笑ったわ。これは妬みだわ、ごめん。
壁サーの大手はグッズしか作らない奴らと毎週のようにオフ会開くわ、「CP左右固定です!」て名乗る割にはリバカスや逆の大手をフォローしてるわで、行動と言動が伴ってなさすぎる。最悪。
ミネラルウォーターだと思ってたら汚水混ぜられてたものを飲まされた気分。
自CPの本が欲しくてオンリー開催してもらいたいのに、期待したら出てくるのは要素ミリも無いグッズばっかり。コピー本じゃなくて、グッズ作る金で本を作れよ、マジで。
挨拶のついでに新刊カード渡して、それで次回のオンリーの開催決まった。渡さなきゃよかったって後悔してる。
だったら他界隈や、サブで好きなCPのオンリー開催の一助になった方が断然良かった。
グッズ作る為にオンリー参加する人らの方が新刊カードの集まりも早いでしょ。
面倒臭い系腐女子何だけど、未だに20年前の薄い本読んだりするので、食べ物の『消費』のように消えたという認識がない。
消費って言いはしても、こういう『記録して配る』という形式のものは記録された時点で書籍類相当の扱いじゃない? 見たり使ったりしたら消えるものでもなければ、同じものを何回も見たらいけないものでもない。
それに比べたらミステリーのトリックやお笑いのネタの方が余程『消費』の感覚が強い。一度使ったら(他の誰かが使ってたら)但し書きなしに同じものを使ってはいけないし、そのトリックだけで何作も作れない。
あと卒論のネタ。卒論書いたことないから知らないけど、あれも他の人と同じネタ使ったらいけないと聞くので『消費』の感覚が強い。ただ人間が知らないことはまだ膨大にあるイメージなので、枯渇は遠いのかなとも思う。
それに比べて二次元エロの使い回しの多さよ。何が消費か。「どっかで見た」が「だから何」だ。BLの設定どんだけテンプレなのか知ってるか。男性向けに至っては同じものでまとめができるほど絵師違いの同じ絵と差分が大量にある。いくらでも再生産して良い。
だからバニ絵ポスター見て『性的消費』って言ってるのが分からん。性的扱いは分かる。抜き絵を公示すんなも分かる。需要があるから供給されるのも分かる。良し悪しは一旦置いとくとして、でも『性的消費するのが悪い』というのが分からない。次から次へ生産消費せず、出たもの全て保管するならいいのか。でも基本、次から次へと作った全てを企業側で保管してあるよね。後でグッズ作ったりイラスト集にして販売したりするだろうし。それでなくとも著作の保護はしてるだろう。
そら購入者はおしなべて消費者という括りだけど、二次元エロコンテンツは消費してなくないか? だって消えなくない? どっかの誰かのハードディスクに、部屋に、倉庫に残ってるよ。
「このエロ絵はもう見たからいいです」と言うのだってマジで個人差あると思う、バニ絵ポスターも刺さる人は写メ撮って保存して何度もお世話になってるだろうし。
二次元エロでの『消費』ってどういうことなんだろ。「性的消費すんな」って「消費じゃない行動ってどういうことか」を誰か教えて欲しい。
知っているだろうか?百家争鳴のお絵描きAI業界に燦然と現れたVTuberだ
心理的、倫理的AIにクリーンなお絵描きAIを目指す非常に意識の高いVTuberだ
→…え?何言ってんの…?
→(無言)
と、これまでのお絵描きAI炎上案件を一つづつ丁寧に再現していっている
オタク君チョロいからアニメ絵のガワ被せればチンポ騎士団になってくれると言わんばかりの非常にインテリジェンス溢れるムーヴを面白いと感じるのは果たして下衆の勘繰りなのだろうか?
あとこれ本当にクリーンにやったとして、マトモな学習データ無いとクソみたいな結果しか得られないってお絵描きAIの宿業を証明しかねないんだけど大丈夫なんか
昨日ぐらいに、mimicっていう萌え絵学習AIが出たんだよね。stable diffusionとかを触ってた俺は「こういうのが出るのはもう時間の問題だし、こいつのおかげでイラストのレベルが上がったりするかもな〜」ってワクワクしてたら、イラストレーターたちがこぞって「AI学習禁止です!!当たり前でしょ!!」って言っててがっかりした。
俺は好きなイラストレーターの画集とか買ったり、コミケに行ってイラスト集を買い漁るくらいにはイラストを鑑賞するのが好きだし、イラストレーターの人たちも尊敬しているだけにがっかりだった。今回のツールはともかくとして、AIの学習データに人の著作物を使うのは法律で認められているはずなのに。
前々からAIの学習データと著作権に関する問題は議論されてて、法整備もしたのに、自分たちが不利益を被りそうになったら声をあげるのは非常にカッコ悪いし卑怯だ。
昨日ぐらいに、mimicっていう萌え絵学習AIが出たんだよね。stable diffusionとかを触ってた俺は「こういうのが出るのはもう時間の問題だし、こいつのおかげでイラストのレベルが上がったりするかもな〜」ってワクワクしてたら、イラストレーターたちがこぞって「AI学習禁止です!!当たり前でしょ!!」って言っててがっかりした。
俺は好きなイラストレーターの画集とか買ったり、コミケに行ってイラスト集を買い漁るくらいにはイラストを鑑賞するのが好きだし、イラストレーターの人たちも尊敬しているだけにがっかりだった。今回のツールはともかくとして、AIの学習データに人の著作物を使うのは法律で認められているはずなのに。
前々からAIの学習データと著作権に関する問題は議論されてて、法整備もしたのに、自分たちが不利益を被りそうになったら声をあげるのは非常にカッコ悪いし卑怯だ。