はてなキーワード: 義務とは
黒くて太い毛がもじゃもじゃの剛毛はさすがに引くけど、うっすらと見ると産毛が生えてるくらいはエッチだよねって思う。
ジャップオスにとっては女性のムダ毛ですら性的消費の対象なので、やはり性欲減退剤の服用を義務付けて違反者は死刑にした方が良いと思います!ワイが先陣きって死刑に処されるで!天皇陛下万歳ー!
ここしばらくはてなでこの話題が続いてて反対派の意見として当初はDVに関するものが多かったけど最近は下火で
今は子どもの養育に関する決定を離婚した元夫婦が協議して行うことができない・難しいって意見をよく目にするんだけど
平たく言ってしまうと(元)夫婦での教育に対する意見の相違ってことでしかないと思っていて
確かに単独親権では起こらないことだとは思うんだけどそれって子の養育に関する権利を片親が独占してるだけで
それが望ましくないとされるから共同親権が導入されるんだからそこに文句行っても仕方無くない?
医療とか教育で緊急を要する場合は同意無しでの手続きも認められているし
そもそもの大前提は親権ってのは子供の幸福を最大化するための養育のために親に限定的に与えられている義務であり権利ってだけで
親が主体として子供のことを勝手に決めるための権利じゃないのにどうも意見を見てると
分かれた相手との対立の話ばっかりで親主体で子供のことを私物化しようとしてない?って思ってしまうような物が多いんだよね(性別のどちらを問わずにね)
本来ならば男性というのは女性のために粉骨砕身して尽くしたいと思うはずなのに、そのような義務を果たさずに女性が嫌がる萌えコンテンツや性犯罪をエンタメ化したコンテンツを公共の場所に出すことを必死で擁護し、女性が殴られる描写に喝采するのは精神に異常をきたしているに違いないから強制的な治療を受けさせるべき
そういうこと。車椅子であればスロープを設置して補うのは、社会の役目でしょ。
だからケア能力障害者たる男性たちを救済する責任が、女性を含む社会全体にあるはず。
だけどフェミニズムの考えは違う。女性には性的自由があって理解のある彼くんにだけケア能力を使うのを選択する自由意志がある。それを尊重しないのは女性差別社会だ。
ママチャリの人の話だけじゃなくて。
もはや右折時のインカット、直交する道の反対車線側にはみ出すのは日常茶飯事だし。
つい最近も、自宅前の駐車場に入るのにわざわざ数十メートル逆走してる人を見た。
朝とか昼時の混雑時はどうにか左側通行が守られているけど、それを外れた時間帯で、ひとり階段を上り下りしてるような人はたいてい左側通行守ってない。
階段室入口なんかも左側通行したままなら入ってきた人とぶつかりそうになることも無いのに、わざわざ右側歩いて、入って来た人とぶつかりそうになってる。
ねえ、なんでそんなに左側通行嫌いなの。
守ってるだけで事故の過半は防げるんだよ。
ねえ、なんで?
日本の女性が極端にセックスに受け身で配偶者にすらセックスさせていないのは各種調査から明らか
https://honkawa2.sakura.ne.jp/2318.html
第4回【ジェクス】ジャパン・セックス・サーベイ 2020(調査結果の概要)
https://www.jfpa.or.jp/pdf/sexservey2020/summary.pdf
夫婦の68.2%がセックスレス傾向!──過去最大4,000人アンケートからみえた夫婦間レスの実態|「夫婦のセックスレスに関する実態調査」の第1報(2023年調査)
https://healmate.jp/survey/pdf/survey_sexless_1report.pdf
だから日本の男性は欲求不満を拗らせて痴漢や盗撮をするし、セクハラも蔓延するし、あちこちエロコンテンツで溢れかえっているし、ロリコンなどの変質者も出てくるし、ハニートラップにかかって国の機密情報漏らしたりするのだ
男性に家事育児を求めることは当然だが、それと同じようにパートナーを性的に満足させることが女性の義務というのも広まるべきではないか?
受け身ではなく積極的にパートナーを性的に満足させにいくのが当たり前という風潮を作り出すべきだろう
ここはひとつ、「イクメン」みたいな浸透しやすいフレーズを考えて、パートナーの性欲ををいかに満足させられるかを競い合うような社会にしていこう
中古物件の場合はこの建物が新耐震基準かどうか言わないといけない。販売側は調べないといけない。
客ってそんなに説明見ても聞いてもないし、うっすらとしか分かってない。
こっちが聞いてほしくても早く終わらないかなーって顔をしてる。
新耐震基準って1981年6月1日以降に作られたってだけなんだよ。
それ以降に地震が起きていない都道府県ってあるのかな。一度地震が来てたら家は脆くなってるはず。
もちろん説明も81年6月以降に建ってるよとは言うんだけど…聞いてないよね。まじで。
自分は営業じゃないからこの家が売れようが売れまいが報酬にならないし親切で教えてるんでぜひ聞いてほしいですね(重要事項説明書を読むのは親切じゃない営業職のほうが多いよ)
まずそもそも養育義務から解放(開放じゃないぞ)されるわけじゃなくて、養育費の支払い義務は主に男性側にあるわけ。男は養育費を支払う側なのに多くの場合親権が認められないで実質的に連れ去りのような状況が続いているのを是正するための法改正なんだよね。
なぜあなたが大多数の男性にとって「不利」だと思うのか、その理由を聞きたい。共同親権って離婚しても夫婦で一緒に同居して子供を育てるという意味だと勘違いしてんじゃないの? そうとしか読めない。
たいていの男は離婚したら養育義務から開放されて自由の身を謳歌してるのに、共同親権になって元嫁の子のために金とか時間とか搾取されるのがそんなに嬉しいのかと思う
ガチイクメンと、子供に執着して暴力というなのしつけで支配したいとか、子供を利用して元嫁に嫌がらせしたい男以外にとっては不利だと思うんだけど、非モテが喜んでんのが不思議。
糞コメを大量にもらって気づいたけど、糞なコメント、非生産的で一方的な欲求を満たすだけのオナニーコメントに共通するのって、「相手を採点しようとする」行為なんだよな。
コミュニケーションは当たり前だけど採点じゃない。採点し終わった時点でそれは相手を見切った、興味がないということ。
これを自覚的にやってても嫌なやつだけど、たぶん大半の糞コメは自分が糞失礼でバカなことをやってるという自覚もなしにやってる。
採点バカに共通してるのは、コミュニケーションの不完全性と双方向性を理解してないこと。
まず、人が何かを延べるときにそこに誤りや曖昧さが含まれることは当たり前であって、それだけで発信者の瑕疵には絶対にならないということ。
次に、その誤りや曖昧さから生まれる情報の空白は、聞き手が埋めるかどうかを判断する義務と責任を有すること。
この二つが当たり前のこととして頭に入ってない上に、これをやらずに未完成に終わったコミュニケーションが非生産的で自分の価値を下げるものだという自覚がない。
まあ一言で言えば日本の教育システムの悪い影響なんだろうけど、結構な数の日本人の頭の中には、評価する方が偉い、評価する側に立てば自分の有能さを証明できるという思い込みがあるように思える。
これはもちろん完全な間違いで、評価するということを職務として与えられてない奴が、勝手に他人を自分基準で裁いても痛いだけだし何の生産性もない。
社会に役立つ有能さとは、まずコミュニケーションを双方向で成立させる努力をすること。そして、それがある程度の成果を得たら、あるいはこれ以上成果が得られないと判断したら、穏便に打ちきり、不必要に一方的な価値を押し付けないことだ。
まかり間違っても、生産的な会話に、どちらかが優位に立ち、評価し、感想を述べるなんてプロセスはない。
「この増田は○○がわかってないな」「○○について書いてない、やり直し」なんてブクマは全く賢いもののやることではない。のだけど、まあ、これだけ言ったところで、もうそういうロールプレイで遊んでる子供みたいなものでしかないのが、糞コメバカの実態な気もするので、栓ないなあ。
「フェミニストは騎士道にタダ乗りし保護権益そのままに権利だけ要求する。私は男女平等の為に扶養義務を廃したり、危険作業につこうとした女性を見た事がないし、そうした男性の地獄を拡張させようとしてる」
現代のフェミニズム批判でしょうか?いいえ、1910年の批判です
https://www.marxists.org/archive/bax/1910/05/feminism-suffrage.htm
https://twitter.com/Shanice79540635/status/1781512550263451706
土曜日に1時間の練習走行を一回したあと、決勝レースのスタートする順番を決めるための予選を行います。
熱心なファンは練習走行からチェックするでしょうが大抵のファンは予選と決勝しか配信を見ません。
サーキットに足を運んで観戦するファンも練習走行、予選、決勝と進むにつれて増えます。
そこで頭のいい人が考えました。
日曜日だけじゃなくて土曜日にもレースをすればサーキットの観客は増える(収入が増える)し、
こういった考えのもとF1では年に何回か土曜日にもレースが行われます。
金曜日に練習走行を1回、土曜日のレースのスタート順番を決めるための予選を実施し、
土曜日に土曜日レース(日曜日のレースより周回数が少ないミニレース)と日曜日のレースの予選。
こうすると視聴者や観客が少ない練習走行を2回減らして、人気がある予選とレースを1回ずつ増やすことが出来ます。
で、それがいいことなのか?
というのがこの文章の本題です。
私はF1を見ますが練習走行まで目を皿にして見るほどの熱心さはありません。
しかし、一方で私の娯楽に使える時間は限りがあり、今週末の土曜日はつまらない用事にふりまわされてF1を見る時間がありませんでした。
通常であれば、予選とレースを消化するために3時間ほど使えばいいだけのところを
予選×2、ミニレース、レースと合わせて5時間ほどかかることになります。
娯楽というのは負担に感じる、消化しないといけないという義務感を感じると途端に嫌になってきます。
またリアルタイムで視聴していないとうっかりと情報が目に入って結果を知ってしまいます。
私はまだ金曜日の予選も土曜日のミニレースも土曜日の予選も見ていませんが結果を知っています。
だから予選×2、ミニレース×1を見るモチベーションがそれほど高くはありません。
しかし、これを消化しておかないと日曜日までの流れを掴むことが出来ずに決勝レースの面白さが半減します。
見ないわけにはいきません。
これが通常であれば予選の1時間を見れば決勝レースに追いつけますが今回は3時間必要になります。
こういったことはF1だけではなく、あらゆるジャンルで蔓延しています。
いかにして時間を専有するか?時間の陣取り合戦がエンターテイメント業界では熾烈に争われています。
ただ我々はそういった義務的なエンターテイメント消化に疲れ切っています。
そしてこれは皮肉なことにその反動としてあらゆる予習を必要とせず、止めたいときにすぐやめれる(ような気がする)、
TikTokのような短編動画配信へと時間を使うようになります。
TikTokには消化しておくべき事前情報というものがありません。