はてなキーワード: 白内障とは
きっかけは母の知人が飼う犬が仔犬を産んで、譲り先を探していたことだった
その知人が住むのは我が家からは飛行機か船でしか行けない遠方だったし当時の我が家には年老いた先住犬がいたので、その話を聞いた私は当初「おめでたいことだけど我が家が関わる事柄ではないだろう」と考えていた
もっと正直なことを言うと、自分が受験を間近に控えた学生だったこともあり、そういうゴタゴタはやめてほしいとも思っていた
だが母は違っていた
「遠く離れた地域に産まれた知人の仔犬を是非とも我が家に!」と父や兄弟や私に承諾を得ることなく、勝手に仔犬を一匹迎えることを決めてしまったのだ
飛行機か船でしか行き来できないので、仔犬は飛行機の貨物として積まれてくることになるだろうと言う
母によるこの一方的な決定を知った私は「今の我が家の環境でやることなのか?」「そもそも仔犬をそんなところに載せてまで我が家で迎える必要はあるのか?」と制止の気持ちを込めつつ問い質したが、母は聞く耳を持たなかった
結局ズルズルと仔犬を迎えることになり、最寄りの空港に届けられる日がきた
母と私は空港に迎えに行ったのだが、引取場所は旅行などで旅客が利用する建物から離れた、貨物を取り扱うスペースに建つ小さな事務所のような場所だった
どんな手続をしていたかは今ではあまり思い出せないが、小さなゲージの中からキャンキャンと鳴く声を聞いた
今だから書けることだけど、空港に着くまでの私は内心で「引き取ってゲージ開けたら死んでる可能性もありそう……」と思っていたし(流石に母にはそんなこと言えなかった)、そもそも仔犬を飼うこと自体に反対していたのだけど、小さくて甲高い鳴き声にホッとしたのは覚えている
ペットを飼うというエゴにわざわざ飛行機に載せてまで迎え入れるというエゴの塗り重ねで我が家に迎えられた仔犬は今年の誕生日で15歳になる
加齢で目こそ白内障になっているが、幸いここまで大きな怪我や病気はずに生きてくれているし、ご飯は毎食しっかり食べてくれるし、台所で葉物野菜を切る音と鶏肉を調理する匂いはいち早く察知して駆けつけてくる
これを書いている今はソファの定位置でプウプウと寝息を立てて眠っている
元気でいてくれて嬉しいけれど、外を通る車や工事で大きな音がすると怖がるのを見ると仔犬の時の経験のせいなのかもなと申し訳なくなることもある
帰宅途中で、空がピカっと光った
一瞬だったから気のせいかと思ってしばらく歩いてたらまた光った
家族に緑内障や白内障がたくさんいるから、ついに自分も目に支障が出たのか…と家の鍵を開けながらショックを受けた
洗面所で手を洗いながら、もしかしたら火球とか流れ星とかの自然現象かも?と現実逃避が始まった
シャワーを浴びながら、もしかして宇宙人とか超常現象だったりして?現代人が宇宙人見つけたら絶対スマホで写真撮るよなぁ…宇宙人的には何をしてると思われるんだろう…地球に来た宇宙人って地球より文明的に発達してそうだけどスマホ概念はあるのかな…地球人に見つかってヤベっ!て思うかんじの宇宙人だったらスマホ壊されちゃうのかな?もし攫われそうになったら写真撮ったスマホをその辺の草むらとかにぶん投げて宇宙人に攫われた可能性を示唆できないかな…?もしかしてあの光はMIB的な組織の記憶消去マシーンの可能性が…?
風呂上がりにTwitterで「空 光った」で検索して、あぁ…ゲリラ豪雨ね…何もかもが杞憂…と思いながら飲むビール美味しい〜
https://twitter.com/show86305417/status/1449035030236332033
ハローはてぶ。とある反ワクチンです。mRNAワクチンについて、その歴史から今問題とされてる部分まで分かりやすく説明されてるTwitterのスレッドを見つけたので貼っとくよ。超長いので読む人は覚悟して。
ところで最近は国内死亡数が急増してコロナ感染死の4倍になったんだってね。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA021SU0S2A600C2000000/
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この記事のはてぶのコメ欄みたら、老衰だとか寿命だとか、そんなコメが沸いてて普通に驚いてるよ。君達ってまだ、mRNAワクチンの絶対安全神話を信じてるの?従来の不活化のインフルエンザワクチンと仕組みが全く違ってるのにも関わらず単純に比べちゃって、まだ安全だとか思ってるの?
https://anond.hatelabo.jp/20220518081747
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前にも書いたけどmRNAはシュードウリジンによる免疫抑制がされる。mRNAはそのまま体内に入れると異物認定されて自然免疫反応による炎症反応を誘発するからね。これがカリコ理論。mRNAは自然免疫反応を抑えつつ抗体を誘導するっていう、実は難しいワクチンなんだよ。
https://www.youtube.com/watch?v=9kGoXpLpjGY
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詳しくはこれを見て。東京農工大学感染症未来疫学研究センターの水谷先生が一般人でも分かるように説明してくれてる。今のmRNAワクチンの問題点は抗体(Sタンパクのみ)はできるけど他の様々な病気には弱くなるってこと。免疫が抑制されてるから反ワクの私達からしたら死者が増えるのは当たり前の話なんだよね。2021年にイギリスでも同じような統計データあったね。今度見つけた貼っとくけど、暇な人は探してみてほしい。他の国でも同じようなデータは出てる。
https://www.epe.es/es/sucesos/20220524/presidente-pharmamar-lista-falsos-vacunados-covid-13698623
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あとこれスペイン製薬会社PharmaMarの社長JoseMariaFernandez Sousa-Faroがワクチンの接種証明書を偽造で逮捕だってよ。他2200人がこれと同じ偽造証明書を購入していたと。日本の場合は明確な証拠は無いけど、「mRNAワクチンを打ってはいけない」ってメモが政治家の間で出回ってるって話も沸いてるね。
さっきも言ったけど、そろそろ怪しまないとダメなフェーズじゃね?
コロナ関係のはてぶのコメ欄を見てると、コロナ渦に入ってから2年以上経ってるわけだけど、自分で調べてる人が本当に少ないって感じる。
https://www.gohongi-clinic.com/k_blog/44431/
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医学の歴史を紐解けば、パロチン問題があげられる。パロチン(唾液腺ホルモン)はクル病や白内障の特攻薬として日本で大量に使われてたけど、実は後々になって「タダの水」だったことが判明して販売中止になったお薬。
これ医者はみんな「タダの水」だって知ってたけど発見したのが東大名誉教授の緒方知三郎博士で東大医学部の大ボスだったから、誰も批判できずにずっと使われ続けてたんだよね。日本以外の国でパロチンのことなんて全く載ってなくても、お構いなし使われてた。結局パロチンが消えたのは緒方博士の死後10年後の平成2年だよ。白い巨塔だよ。白い巨塔。
日本の医学界なんて歴史を紐解けば、まず疑ってかかるのがファーストチョイスでしょ。なんで、こんなに医学界の犬が多いの?君たちが普段崇めてるあの先生だって、思いっきり製薬会社の広告塔じゃないか。君達って仮にも、はてぶの中では頭の良い人って設定で活動してるんだから、そこは知的に疑ってかかるのが正しい態度なんじゃないの?
まぁ、とりあえずさ、悪いことは言わないから、反ワクだの陰謀論だの、レッテル貼りをやめて思考停止をやめて、フラットな目線でコロナ関係の情報を調べてみなよ。mRNAのワクチン接種、今まで何も無かった人でも3回目や4回目に体が耐えられるかは不明だよ。どれだけ細胞壊すか分かったもんじゃない。
ノババックスの組み換えタンパクに切り替えても、それほど抗体誘導は期待できないしアジュバントによるキツイ副反応で体調悪くするだけな可能性高いぜ。てかノババックスの厚生労働省のデータ見ると100人単位の治験だからね(笑)薦めてる奴の精神、かなりヤバイぞ。ほぼ人体実験。
とりあえず今回は以上です。では、また。
【追記】
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米FDA、ノババックス製コロナワクチンの心筋炎リスクを懸念だって。日本政府は接種率の低い若い世代にノババックスを打たせたいフシがあるようだけど、こっちも様子見対象だね。
矢島 楫子(やじま かじこ、1833年6月11日〈天保4年4月24日〉 - 1925年〈大正14年〉6月16日)は、日本の女子教育者、社会事業家。
肥後国上益城郡津森村杉堂(現・熊本県上益城郡益城町)の惣庄屋矢島忠左衛門直明・母鶴の1男7女の6女(末子)に生まれ、かつと命名された。極端な男性社会にあって度重なる女児の誕生は歓迎されず、名付け親は10歳違いの姉である三女・順子であった。順子(竹崎順子)は、横井小楠の高弟である竹崎茶堂と結婚し、熊本女学校校長となった教育者である。また、順子のすぐ下の姉・久子(徳富久子)も同じく横井小楠の高弟である徳富一敬と結婚し、湯浅初子・徳富蘇峰・徳冨蘆花の兄弟を生んでいる。蘇峰は明治、大正、昭和にかけての大論客、蘆花は明治、大正の文豪である。また、かつのすぐ上の姉つせ子(横井つせ子)は横井小楠の後妻となった。この姉妹4人は「肥後の猛婦」、「四賢婦人」と呼ばれた。
かつは学校などない当時、一通りの教育を母から厳しく身につけさせられるが、もとより勝気で秘めたる情熱の持ち主だったかつは、やがて母亡きあとは母に替わって兄・直方のために尽くす。その兄も妹のために良縁を求め、かつ25歳の時、初婚にはもはや遅いとして既に2男1女を儲けていた富豪林七郎(1828年生) を家柄・人物ともに相応と認め、後妻として嫁がせる。林は武家出身で、横井小楠の弟子であった。後年楫子自身の口からも「この人は気品の高い、竹を割ったような人でした」と語らせるが、家族への乱暴など夫の酒乱の悪癖にかつは極度の疲労と衰弱で半盲状態に陥り、かつ自身も三人の子まで儲けながら、このうえは身の破滅と思い、末子達子を連れ家出する。迎えに来た使いの者に見事に結い上げていた黒髪を根元からプッツリ切って紙に包み、無言の離縁を言い渡したのである。明治元年(1868年)、これを転機に新しい一歩を踏み出す「新生元年」ともなった。
妹たちの間を転々とする間、兄・直方が病に倒れ、達子を置いて上京を決意する。長崎発東京行き蒸気船に乗り込み、船上にて自ら「楫子」と改名する。兄は大参事(副知事)兼務の左院議員で、神田の800坪の屋敷に書生、手伝いらはもとより千円という借金を抱えていた。楫子はその放漫財政を正し、3年で借金を片付けると、生来の向学心から教員伝習所に通うこととなる。明治6年学制が施行され全国に小学校が設置、訓導試験に合格した楫子は芝の桜川小学校(現・港区立御成門小学校)に採用される。当時教員初任給3円のところ、楫子は5円という破格の待遇であった。
このころ長姉・藤島もと子が息子二人と、直方の妻・糸子も子供をつれて上京、兄宅は一気に賑やかになった。しかしそうした喧騒の中、楫子は妻子持ちの書生との間に女児を宿す。堕胎や父親に渡すべきだと諭す姉の言を受け入れず、楫子は妙子(鵜飼猛の妻、湯浅清子の母)と名付け、練馬の農家に預けて独り下宿生活に戻る。そんな折届いた兄からの手紙で、熊本に残してきた長子・治定がキリスト教徒になったのを知り愕然とする。熊本洋学校生徒35名による花岡山キリスト教奉教同盟事件である。治定だけでなく甥の横井時雄、徳富蘇峰、徳冨蘆花も参加している。やがて熊本洋学校は廃校になり、彼らの一部は、新島襄の同志社に入学し、熊本バンドと呼ばれることとなるが、この熊本バンドは札幌バンド、横浜バンドと並び日本におけるキリスト教の三大源流と言われている。教え子の居宅で父親の酒害を目撃し、寂しさでタバコを覚えた楫子だったが、悩める楫子にとってもキリスト教はわが子の信じる宗教であり、遠い異国の宗教ではなくなった。
明治11年(1878年)、楫子は後半生に多大な影響を受ける米国の宣教師で教育者のマリア・ツルー夫人と運命的に出会う。明治7年(1874年)にB六番女学校として設立された築地居留地にある新栄女学校の教師に請われ、住み慣れた下宿を引き払い、同女学校寄宿舎舎監室に移る。
自ら吸いかけのタバコによるぼや騒ぎを起こして禁煙を決意、翌12年(1879年)築地新栄教会でディビッド・タムソンから洗礼を受ける。ほぼ同時期に、三人の姉である徳富久子、横井つせ子、竹崎順子も洗礼を受けている。当時17歳のキリスト教徒であった甥の徳富蘇峰は、純粋がゆえに楫子の洗礼に際して、「過去の過ち(1.幼いわが子を置いて家を出たこと 2.妻子ある人の子を産んだこと)」を告白すべきでないかとの手紙を送っている。しかし、楫子は幼い妙子のことを考え、死ぬまで「過去の過ち」を公表することはなかった。
明治14年(1881年)夏、櫻井女学校の校主(現在の校長と理事長を兼ねた職)代理に就任。楫子は校則を作らず、「あなたがたは聖書を持っています。だから自分で自分を治めなさい」と生徒たちを諭したという。
明治23年(1890年)、櫻井女学校と新栄女学校は合併して女子学院となり、初代院長に推される。
明治29年(1896年)、恩師のツルー夫人が55歳で客死。楫子64歳であった。
一方、恵まれなかった結婚生活や小学校教師時代に抱いた心の疑問から、楫子は「一夫一婦制の建白」、「海外醜業婦取締に関する建白」を政府に提出、国会開設と共に二大請願運動として継続する。
楫子の情熱は日本に止まらず日本国外にも向かい、明治39年(1906年)、74歳にして渡米、ルーズベルト大統領と会見。激務のため白内障を患う。大正9年(1920年)には欧米の旅に出掛け、翌10年(1921年)には満州に、同年から11年(1922年)にかけては三度渡米、このとき楫子89歳であった。教職は大正3年(1914年)、女子学院院長を後裔に譲り、齢81で名誉院長として退いた。その後は禁酒運動、公娼制度廃止運動等に尽力するも、大正もその幕切れを迎えんとする大正14年(1925年)6月半ば、楫子は眠るように大往生を遂げた。明治、大正といういまだ婦人が一個の人間として尊重されることのなかった時代に、楫子は婦人福祉のためにその一生を捧げたのであった。