はてなキーワード: 竜ちゃんとは
諫山と町山の件って笑い話として消費されてるけど
諫山が無茶振りしてニチャってたのが発覚してそれが広まったのって映画公開から数年後とかじゃなかったっけ
もしあの映画が金カム実写みたいに評判がよかったら、コケるにしても最初から責任の所在は諫山にあると分かっていたら
三浦春馬は死ななかったかもしれないしそうすれば芸能人の中に自殺するという選択肢が入り込むことなく芦名星さんや竜ちゃんも死ななかったんじゃないかと思うとあんまり笑えないんだよな
というか生身の人間を笑い者にするのはいじめを助長するから駄目なんじゃなかったの?
笑われることで何かの得がある(弄られることによって給料がもらえる)わけでもないのにコラ画像まで作って諫山が町山を笑い者にしてそれをオタクが笑い者にすることをよしとするってよー分からんわ
景井ひなってどういう子か知らんけどさ、竜ちゃんが亡くなった事に泣くのは罪なのか?
本人と関わったことが無いのに泣くのはおかしいって言うなら、ファンが泣くのもおかしいよな?
本人と関わってないじゃん。
なんで泣いてんの?って話になるよな。
他にもそう。
五輪選手がメダルを取りましたって話で感動して泣くのも変だよね?本人と関わってないんだし。
芸能人が他の誰かと交際して結婚したとしても泣くのはおかしいよな?本人と無関係のやつが泣く必要ないだろ?
泣くに対してじゃなくてもそう。
まったくの無関係者が他人が起こした関わりのない不祥事に怒りを表すのもおかしいだろ?無関係なのに、何怒ってんの?
関係がないから泣くのはおかしいとか言ってる奴らは、いかに自分が恥ずかしいイチャモンつけてるか気づいたほうが良いと思うんだよね。
謹んでお悔やみ申し上げる。
私は上島さんをよくテレビでお見掛けするだけの名もなき視聴者の1人である。
上島さんが織りなす芸や喋りを見るのが好きで、特に有吉弘行さんとの掛け合いは抱腹絶倒であった。
しかし、お2人の掛け合いを見ていると有吉さんの側からやや踏み込んだ発言ではないかと思うことがあった。
有吉弘行の “イジり” にダチョウ上島激高「志村さんが呼んでんじゃない?」「寂しいよって」
https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/3903842/
私が引っかかったのは、有吉さんの「もう呼んでんじゃないですか? 志村さん、寂しくて。『竜ちゃん寂しいよ』っておっしゃってるんじゃないですかね、天国で」である。言葉では表現できないほど大切な関係を築いた人の死を揶揄されるのは、たとえ“お笑い”であったとしても心地よくないと感じるだろう。そういえば、彼は以前児嶋さんともご自身の発言で諍いを生じさせていた。
ただ、私はここで有吉さんを批判・誹謗中傷したいわけではない。それよりも、彼の“信者”に対する怒りを吐き出したいのである。
上記の発言について、有吉さんのファンを語るネットの声を見ると、「お2人の信頼関係があるからこのような発言ができる」とか「有吉さんの愛が溢れている」といった意見を見かける。また、「お2人の関係性をよく知らないのに発言を批難するのはおかしい」との発言も見られた。
言語道断である。ファンは支持対象を無批判に受容する狂信者を意味するのだろうか。いや、違う。ファンは支持対象を尊敬しつつも、時にはその振る舞いを諫めるべきである。
先ほどの上島さんに対する発言を自分事として捉えてみよう。大事な友人が亡くなって憔悴している自分に対して、「きっとそいつもはやくこっちに来いよなんて言ってるよ」と仲の良い第三者に言われたらどうだろうか。その場では笑って済ませるかもしれないが、内面は穏やかにならないはずである。
いやいや、一般人と芸能人では立場が異なるし、ましてやラジオの掛け合いごときに目くじら立ててどうすんのよ。そう言いたい者も多いはずである。
しかし、たとえラジオであろうと、リアリティを演出している以上その表象が現実世界の価値観に影響を与える可能性はあるだろう。まさにウェルテル効果なんてその極致だろう。
心を傷つけるような発言を「愛」とか「信頼関係」といった耳触りのよい言葉でその暴力性を覆い隠そうとする態度は、ファンとして誠実と言えるだろうか。
むしろファンであるなら「いや、それは言い過ぎじゃないですか」ぐらい言わないと駄目である。好きと妄信は違う。また、個別の不作為が必ずしも全体の否定につながるわけでもない。しかも、それは支持対象を世間の批判・誹謗中傷から守る砦になるかもしれない。
繰り返すが、私は有吉さんを批判・誹謗中傷したいわけではない。また、人を傷つける笑いをなくしたいわけでもない。ただ、あまりに問題がある内容なら、世間は批判という手段を使って解決を図る。その急先鋒でなければならないファンが問題を無条件に肯定し、あまつさえその暴力性を美辞麗句で覆い隠そうとしている現状は悲惨としか言いようがない。
人間は間違える。それは仕方がない。面白いや良いと思って講じた行動が裏目にでることもよくある。世間の批難が誤っていれば、ファンがそれを糺すべきかもしれない。しかし、あまりに暴力的であれば、ファンが諫めなければならない。それを怠れば、ただの“信者”、いや“狂信者”である。
あの人のこと嫌いな人っていうのも世の中にはいたのかな?
まあそりゃいくらでもいたんだろうけれど、
でも大抵の人は好きだっなんじゃないかな。
なんだろ?
人から愛される人だったと思うんだけど、
それだけでは生き続ける理由にならないのかな。
それとも芸能人としては愛されていたけど、
30歳を越えても童貞をやっていると、恋愛とセックスが結びついているということを示されるだけで「おお!なるほど!!」と新鮮な発見がある今日この頃。だって、恋愛として付き合う付き合わないくらいはイメージできるとしても、セックスなんてしたことないんだもん。あーそうだ、検索ワードは→非モテ非モテ。
そんな中で、このあいだウェブで見た記事は結構ショックだった。
http://ddnavi.com/serial/58379/
さて、壊滅的な容姿をしているわけでもなくって、最低限のコミュニケーション能力もあるのにいい歳して童貞だという男性は、これまでセックスする機会がなかったわけじゃありません。女性からのアプローチを空前絶後のスルー力で無視してきた結果なのです。
てことは、女性からの(おセックス的な)アプローチを受けたことのない男性は「壊滅的な容姿」あるいは「最低限のコミュニケーション能力もない」ということになりはしないだろうか。認めなくはなかったけど、俺は女性からのアプローチを受けたことがないので、つまりは「壊滅的な容姿」ということに…!?(最低限のコミュ能力くらいはあります><)
女性から「ごはんを食べにいきませんか?」「ハシビロコウを見にいきませんか?」と誘われたことがあるのが俺の数少ない自慢だったのだけど、どうやらそれだけでは壊滅的容姿疑惑を払拭するに足るものではないらしい。女性は、「大人のお約束」にもとづくサインのようなものでセックス的なアプローチをかけてくるというのだ。うん、そんなの見たことない。
「なんか暑くなってきちゃった」と上着を脱げば
とか、
「終電、でちゃったね……」と潤んだ瞳で見つめれば
とかいう「大人のお約束」あるいは「恋のかけひき」は誰もが知ってて当たり前のように描かれているけれども、そんなに一般的なの?
「じゃあ俺も」「どうぞどうぞ」くらいに常識になってるの?みんな竜ちゃんなの?
かわいくて天然なあの子も、いざ鎌倉となれば積極的打算的に言っちゃうの・・・?
まともな恋愛経験もなくセックスしたことがないことも負い目には感じていなかったけど、恋愛の場からそんなに遠ざけられていたのかと思い、また、本人には自覚のない壊滅的容姿から永久に遠ざけられ続けるのかと思うと、あまりの疎外感に急にさびしくなってきた。
本格的な調査でもなく、一般化できる話かどうかもわからないコラム記事に右往左往してしまうのもなんだが、そういう年頃なのかもしれない。周囲の(同年代の)恋愛とセックスの関係は以前は不可視だったが、今では結婚やら出産やらで、なんとなくわかってしまうところがあるので、ね。