はてなキーワード: 教養とは
「上級国民」というワードがいいかどうかは別として、普通に日本は階級社会ですよ(天皇を見れば小学生でもわかるように)。
「私は陰謀論に乗せられない賢い人間だ」みたいな態度でマウント取った気になってる人がいるわけです。
こういった態度はとても愚かだと思います。
分断を煽って問題があるというのは、本来上流階級と戦うべき下流同士が分断してしまうことについて言うんですよ。
上流と下流の分断を煽って問題があるというのは意味がわからないし、そもそも問題なのは「上流と下流で分断などない」とか信じてる人の方なんですよ。
「上級国民」という存在を陰謀論と信じてるような人たちこそ世間知らずで教養がなさすぎるんです。
むしろ、上流と下流に分断があって明確な階級社会だということを日本国民が認識してそれについて考える必要があるのです。
それなのに「上級国民」の存在を陰謀論だとして、この階級社会を批判するわけでもなく自ら進んで承認してしまうというのはどうなのでしょう。
そういう人たちこそ上流と下流の間に存在する分断をより強固なものにしようとしているんですよ。
いやまあ、大して実害はないからいいんだけどさ
お前らがいつもやってる作業って、複雑なものを上手く隠蔽して使いやすくする作業じゃないのか?
レイヤーにレイヤーを重ねて、上手いこと基礎知識が不要な具合にしていってるんだよ
俺だって20代前半くらいまでは基礎知識を付けなきゃ仕事ができないと思ってた
それが蓋を開けてみたら、まるで基礎知識を使わない
「◯◯について知ってないとエンジニアとしては二流だよね(キリッ)」と思ってたのに、マジで使わないもんだから「あ、これ知らなくてもいけるわ」と気づいたよ
3年くらいで気づいたよ、受け入れるのに1年掛かったよ
それはなぜかと言えば、上手く隠蔽して俺みたいな低レベルな人間でも使いやすくしてくれる世界レベルのスーパーエンジニア達のお陰だよ
しかもそれは日進月歩で、3年前は基礎知識だったものが、もう知らなくても良い(知らないほうが良い)知識になってたりする
ありがたいよ
もちろん、彼らは低レイヤーの基礎知識についてガチで知ってなきゃいけないから、超一流のエンジニアは知らなきゃいけないと言えるけど
でもイキり信者(ブログに書いてるやつとか、はてなに居るやつとか、そこらで登壇してる奴らとか)は別に超一流じゃないだろ?
もし例えそういう仕事してたとして、「皆が低レイヤーについて知ってるべきだ」なんて言うか?
「そこは僕に任せて」って言うだろ、周りは上のレイヤーの仕事してるんだから
もちろん、隠蔽化・抽象化の作業は完璧じゃないから、未だに基礎知識が重要なポジションにあるジャンルも多々ある
知ってたほうが捗ることもある。例えば一個低レイヤーの実装を見ることができれば理解がたいへん進む
でも信者が持て囃してバズる記事って大体低レイヤー中の底レイヤーじゃん?
ラジオのスイッチ入れれば聞けるのに、ラジオ分解して悦に入ってるだけだから
別に否定はしないけど、それお前の仕事ではないよね、趣味や教養の類だよね
あと下手に中身を知ってるやつが居ると厄介なシーンもあるんだ
知ってたら低レイヤーをいじりたくなるだろ? あるいは、低レイヤーを知ってる前提の代物を作り始める
「これは知ってるべきだ。こういう書き方しても知らないやつが悪い」みたいな代物を作る
せっかくスーパーエンジニア様がきれいに作ったものをグチャグチャにして僕の考える最強のなんちゃらを作り始める
本当に迷惑
周りや後任者は趣味に付き合わなきゃならない、しかも大体理解が甘い
そんで悦に入ってからまた登壇して記事書いてそれがバズっていたいけな若者が騙されるんだよ
やめてくれよ
それを誰がメンテするんだ、メンテしてる奴らが毎日「死ね死ね死ね」と念じながら仕事してるのがわからないのか
どうか目を覚ましてくれ
やりたいならスーパーエンジニアのレイヤーの仕事をする会社に転職してくれ
もしくは趣味でやれ、趣味でやってる人は好きだ、だいたい面白いことしてる
さて仕事に戻るか
____
醜男ほど女尊男卑と言う傾向にあると思う。だから彼らの言う俺たちは女に虐められてきたんだ、という主張は自分の魅力の無さを棚に置いて、自分の評価を上げろと騒ぐ荒唐無稽なものと思ってきた。
でも最近ちょっと、何が彼らにとって虐めだったのかわかってきたかもしれない。
私は大学生で、工学部ではないけれど、少しだけ工学部の授業も履修している。当然工学部には知り合いもいない。だから授業にはギリギリに行って、空いている席に適当に座る。あまり先生の正面の席は嫌だが、黒板が見えないのは困る、狭いのは嫌だから隣の席は空席がいい、そんな事を考えながら、男子学生で埋まった席の中から、居心地が良さそうな席を探す。
今日は丁度良い席が見つからず、男同士のグループとグループの隙間の一席に座る事になった。講義終了後、講義室から出た先の廊下で、隣座ったグループが「お前の隣絶対女子こないじゃん」「どーていwwwww」「俺今日隣女だったからw」というような事を話していたのを耳にした。(ので追い越すに追い越せなかった)
こんなやり取りを聞いたのは、初めてではない。教養の頃も、うっかり講義資料を素っ気なく後ろに回してしまったときに、後ろの席の男は、お前女子から避けられてんじゃんwというような弄りを受けていた。
席を選ぶときに、隣の男が魅力的かどうかなど気にしたことはない。でも、彼らにとっては、隣に座られること=異性から認められる事であり、隣に座られない事は避けられているという事になる、そんな価値観がなんとなくあるのだろうと思う。異性と関わりの少ない彼らにとっては、挨拶されるか、話しかけられるか、笑顔でお礼を言われるか、そんな些細な対応全てが異性からの評価を測るファクターなのかもしれない。彼らがそのような価値観の中で生きているとするならば、異性と接することは常に異性からの不躾な評価に晒されることであり、異性が意識していないような些細な「低評価」も心に引っかき傷を作るのかもしれない。(逆に、ほとんど話した事もないのに突然2人飲みに誘うようなタイプは些細な「高評価」を盲信してしまっているからああなのかもしれない。)
電車通学だった高校時代、1席空いた複数の2人がけシートの中から自分の席を見つけるとき、真っ先に選んだのは女性の隣だった。そして、次に普通のサラリーマン、普通高校の男子、初老の男性、金髪の作業服の人、変なジャージのおじさん。大学と違って、似たような人達の集団ではないから、そんな何となしの優先順位を、勝手につけて隣の席の人を「選んで」きた。それは、高校の頃にクラスの男子が陰で作っていた事が女子にバレて非難轟々だった、可愛さランキングのようなものかもしれない。勝手に評価されるのは腹立たしいし、低評価がつけば悲しい。
肌の色、国籍、性的指向、たったそれだけからその人を判断してしまうことが差別だ。だから、たった一目見て隣席の人を選ぶのも広義には差別的行動かもしれない。
私1人の隣に座らない、という些細な低評価も、沢山の女性から降り積もって「女性は誰も自分の隣に座らない」とき彼らは、彼らの言う通り虐められているのかもしれない。きっと、傷つく事だけは確かだ。