はてなキーワード: セレンディピティとは
トイレでワシも考えた。
ネタに困ったら試してみてね。僕はやってないけど。
○一次蒐集篇
a)小説を読む
b)新聞を読む
d)折り込みチラシをくまなく読み込む
f)辞(事)典類の適当なページを開いてみる
i)本屋の寄ったことのないコーナーで、ディスプレイを眺めてみる
q)Wikipediaのリンクを辿ったり、ランダム表示を利用してみる
s)イタコ式発想術:頭の中に浮かんできた言葉を一心不乱にノート(エディタ)に書き続ける
何も思いつかないなら「何も思いつかない」と書く
それすら書けなくなったら「ああああああああいいいいいいえええええええうんこうんこうんこ…」のような無意味な文字列を書き続ける
t)無限の猿定理法:キーボードをめっちゃくちゃにぶっ叩き、意味のある文字列の出現を待つ
u)ワードサラダ法:google日本語入力のサジェスト機能だけで文章を作ってみる
○お助けソーシャル篇
w)はてなブックマークを読む
x)google検索やtwitterのトレンドキーワードを追う
z)twitterのフォロワーのフォロワーのフォロワーの……よく知らない誰かのタイムラインを追ってみる
○ディフォメーション篇
a)~x)までで得られたキーワードを元にさらなる変形を加えていく。
α)しりとり
β)連想法ちゃん
δ)属性列挙・マンダラート・SCAMPER・オズボーンのチェックリスト……
ε)逆・裏・対偶
η)タロットカード
――――以上を繰り返すと、否が応でも「自分なりの考え」というモノが産まれてくるので、それを人に話したり、文章化してみたりすればよい。
シコるために100冊なんか買うやついねーと思うけど、オトコとして解説すると、別に1冊1シコじゃねーからな。
盛り上げるために使える場面と、射精したい場面は別物。
いきなり絶頂シーンみてもなんともならないから、気分を盛り上げるために複数のムーディな本を選ぶ。
1冊イキたい本があったら、サブが4冊ぐらいだ。いわば4冊は噛ませ犬だ。
もちろん、この冊数は数量によって左右されるが、絶頂を迎えたいシーンってそんなにない。セレンディピティだよ。体調や性癖にもよる。
新しい性癖に目覚めたらそこからは覚醒だね。もう、この新しく素晴らしい性癖があったのかと、1時間3シコぐらいの勢い。
そこまでいけば冊数とか関係ない。その1冊、いや、その1話でガンガンシコる。
それが終わったら1週間ぐらい栄養素としてのエロが必要なくなるんだけど、その間に10冊くらい消化するかな。シコなしで。いわゆる賢者タイム。
そのときにちょこっとチンピクしたら、あとで絶頂候補としておいておく。
こんなかんじかな。
今、小生はいわゆるデータマイニングなるものの研究をしているが、レコメンデーションなるクソみたいな分野が本当にクソすぎてクソ。
アマゾンの「これを買った人は〜」みたいなものを思い浮かべてくれればいい。何がクソって、評価手法がクソ。
「他の手法より私たちの手法はこんなに優れているよ」というのを何かしらの方法で示すのが評価なわけだが、その方法の主流は
ある購入者の過去の購入履歴を見て、ある商品を買った人が次に買った商品をあてて、その精度を競うというもの。
つまり、
「購入者の特性から、ある商品Aを買ったら次は商品Bを買いそうだな。よし、実際に商品Bを買ったという履歴があるので精度100%!」
みたいなことをやるわけだ。
はぁぁぁあぁぁぁぁぁぁっぁぅぅぅうぅぅううっっっ!????????それお前の推薦がなくても買ったってことちゃうんかい!!!!!?????お前の手法超いらねえええええええxじゃあああああああん!????!!!11
こんなことを大真面目にやるのが推薦というクソみたいな分野の世界です。最近ではセレンディピティーとか言ってるらしいけど、そんなのマジでランダムに商品表示したほうがいいんじゃねえの?
つまり何が言いたいかっていうと、機械ごときにオススメなんぞ決められたくないってことです。
# EDIT
どうでもいいけどぅおぉぉぉぉなんでこのクソ日記がはてブで「暮らし」のカテゴリにはいるのぉぉぉおおおおおお????
どおおおぉおいう重み付けされちゃってるんですかねえええええええひいひひひいいんん
いえ私の文面が稚拙なだけで私が言いたいのは志を持つ事で正解ですよ。
実はこっちでした、じゃなくて元々そうです。
あと、30歳までに1000万貯めるのは目標に設定してますけど、30歳までに再婚したいとは思ってないですよ。
あの文面は
「私の今のスペックは此れです。自分的に頑張ってると思ってたんです。褒めてくれますか。
この状態で人生やり直せますか、幸せになれますか。無理みたいに言われたんです、無理な場合はどうすればいいですか、勉強ってやっぱ的外れですか、でもやったら何か見えてくるかなと思うんですけど。挫折ばっかりの人生だったし。どう思いますか」
みたいな事を聞いてるんです。
「あの文面はどう見ても~」と仰っていますが、私の稚拙な文章さえ読解する能力のある方は私が聞きたかったアドバイスをして下さっているので、多分貴方が私のような稚拙な人と普段会話していないのではないでしょうか。
小町やvipみたいな温い回答が欲しかったんじゃないので、貴方のような堅い頭の人からの回答が欲しかったので、何度もレスしてくれて、嬉しかったですよ。
むしろ結婚に有利なのは料理とかやりくり等の女磨き(?)だと思って、其れをしてきたんですけど、
それが「お前何も出来てない」みたいに元彼に言われたので、ああ教養も必要なんですね、私何もわかってなかったです、的外れでした、貴方にだけ就職しろしろ言ってごめんなさいね。私何もしてないのにね。と思ったんです。
で、教養をどうやって身に付けよう、周りの尊敬する人を見てみよう、ああみんな高学歴や、勉強したら何であの人達輝いてるんか(志持ってるんか)わかるかも、と思って模索してるんです。
ブックマークでどなたかが「セレンディピティあれ」と書いて下さっていますが、まさに其れ狙いって感じです。
また解り難かったら済みません。本いっぱい読みます。読むだけじゃなくて吸収したいです。世界広げたいですね。
勉強は好きじゃないです。でも知識が増えるのは楽しいです。私は馬鹿すぎるので毎日が気付きなのは楽しいですよ。30前やけど、子供みたいにメキメキ吸収してますよ。
「72の法則」から72/365≒0.2とあたりをつけたことは書いてない、ってことで解釈よろしいでしょうか?
セレンディピティと相容れない発想についていけません…
大学院生の人に聞いてみたい。大学院に入ると、周りに優秀な人が多くて、皆、自分がいかに凡人であるか自覚すると思う。科学の発展のために優秀な人材を集めることも重要だけど、「天才のクローンを作った方が手っ取り早い」と内心思う人は、どれぐらいいるのだろう?
だって、才能が開くかどうかわからない何千何万の原石(大学院生)の中から宝石(ScienceやNatureに論文を通せる人)を捜すより、既に見つかっている宝石を大量生産するほうが、コスト的に安上がりで効率がいいのは、誰の目にも明らかじゃないですか。ぶっちゃけ、後、数十年すれば、大学院の運営コストよりも、天才のクローンを作るコストの方が低くなると思う。そうなったら、どう対応するの?企業は、絶対、比較するよ?原石で花開くかどうかわかっていない大学院生と、既に天才であることが分かっているクローンと、どちらが適切な投資対象か。どっちを雇ったら、儲けが出そうか。
今の大学院生が生きている間に、きっと、そういう時代が来る気がする。日本やアメリカは倫理問題でもめてやらないだろうけど、シンガポールなら、天才のクローンを作りそうだ。
追記:
「後何十年も先の話をするなら、AIその他に賭けたほうがいい。」
という意見がありましたが・・・すみません、僕の専門はAIの一分野です。結論から言えば、数十年後には、下記の科学者ロボットのような方法で、セレンディピティ(偶然による発見)を効率的に行うようなロボットは可能だと思います。ただ、論文や設計など、何かを生み出す行為については、結局、人間の専門家の介在が必要になると思います。それは、機械が劣っているから、ということではなくて、論文や設計は、「人間の役に立つかどうか」が最終的な評価基準になるからです。「人間の役に立つもの」は人間にしか評価できないので、それを作り出すのも結局のところ人間だと思います。
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-37315620090403
また、「クローンの天才が同じ能力を発揮するとは限らない」といった意見をもらいました。結論から言えば、この辺は、「実際に天才のクローンを作って実験してみないと分からない」ですよね?おそらく、クローンの専門家にとっても、そうだと思います。それに、生まれてきた後の教育方法の方が、クローン技術より、成功に大きく関わると思います。天才のクローンを作ることは、確かに倫理的に残酷ですが、凡人の世界では才能の不足によりそれより倫理的に残酷なことが日常的に行われているのですから、それに比べれば、特に問題はないのではないでしょうか。学業で失敗して自殺したり、学資が滞って学業をあきらめたりすることに比べれば、天才のクローンとして生まれる方が、よっぽど倫理的に残酷でないと思いますけどね。
「天才の定義が明らかでない」という問題は、多数決で決めればよいのですから、そんなに問題ではないと思います。「天才を一人推薦してください」では語弊があると思いますが、「クローンを作るのに値する人物を推薦してください」と素直に聞けばよいでしょう。既に世の中は、そうやって投票や推薦で決まる賞であふれているわけです。「自分のクローンを作る権利」が賞品としてもらえる賞を一個新設した、と思えばいいでしょう。自分がイメージしているのは、数学的な天才です。テレンス・タオとかたくさん増えたら、数学が発展しそうじゃないですか。
追記2:
やはり、数学優位の分野じゃないと、否定的な意見が多いのですね。一応言っておくと、僕は東大の院生です。自分の分野では、本人にいくらやる気があっても生まれ持った数学的な才能がないと、真に革新的で素晴らしいと言える業績は挙げられない、と思っています。「やる気はあるんだけど、数学がなぁ・・・」という人を、何人も見てきました。一応、自分程度の才能でもそこそこの業績は上げられそうな気がしているので、大学院にいますが。
自分も、科学全般について天才のクローンを作ることにそこまで意味があるとは思っていません。分野によって、天才のクローンを作ることに意味がある分野とない分野があると思います。極端な話、DNA発見者で、優生学的な発言をしているワトソン博士のクローンを作っても、意味はないでしょう。彼がいなくても、別の人がいずれDNAの構造を発見し、今に至っていると思います。その意味で、アインシュタインの業績も、彼がいなくても他の人が同様の発見をしたと思います。当時最先端だったテンソルなどを持ち込んだのは、アインシュタインの大学時代の同級生で数学教授だったマルセルでしたしね。
ただ、数学・数理科学に関しては別です。数学は才能に頼る部分がとても大きいので、天才のクローンを作ることに意味があると思います。最初にこの記事を書いたとき、数学に限定しなかった僕が悪いのですが。「天才のクローンを作ろう」といっておきながら、「後の教育に依存する部分が大きい」というのが矛盾だという意見がありましたが、別に矛盾していないと思います。
という、至極当然のことを言っているだけです。実際に、このように考えて、教育すべき(自分が時間を割いてあげるべき)学生を選んでいる(大学)教員の方は多いのではないでしょうか?
端的に言って、自分の意見は、「数学に関しては、天才のクローンを作れば、いい業績を上げてくれると思う」というものです。もちろん、倫理的な問題はありますし、心理的な抵抗もあります。ただ、心理的な抵抗があるからといって避けていては、本当のところは分かりません。倫理的な問題・心理的な問題は置いておいて、「数学に関しては、天才のクローンを作れば、いい業績を上げてくれると思う」ということが正しいかどうかのみを問うているわけです。
自分は、IQの高い人やノーベル賞学者の精子を集めた精子バンクには、あまり意味がないと思っています。それは、「子供にどれだけ親の知能が引き継がれるのか」というところに大きな疑問が残りますし、仮に、その点がデータで示せたとしても、子供の知能の分散が大きくなれば、結局、「クローンを作らずに普通に学生を集める」という選択肢と比較したときに採算が合わなくなります。「クローンというのは単なる年の離れた一卵性双生児だ」という意見がありますが、であるならば、一卵性双生児の間の知能の相関などの値から概算して採算があえば、この案を採用してもよいということになってしまいますよ。
追記3:
"取り敢えず、攻殻機動隊を見た方が良いんじゃないか。"という意見がありましたが、僕はアニメ版は攻殻機動隊は、ほぼ全て見ています。SAC、2ndGIG、SSSと、映画のGHOST IN THE SHELLとイノセンスを見ています。
個人的には、だいたいにおいて「勉強が出来る=頭がいい」だと思ってます
でも、どこかで「勉強が出来る≠頭がいい」だとも思う時があります
何でだろうって思ったけど、上手く説明できない・・
だけど、ちょっと端っこだけ言わせてもらうと
その名も"はてな"っていうんですけど
このサイトを作った近藤さんは京都大学卒業で、まさにお手本のような"勉強ができる人"
なんですけど、正直頭が良いとは思えないんです。
シリコンバレーに行ったあたりで、この人はなにを目指してるんだという感じでした。
なんでシリコンバレー?で、結局京都かよ!みたいな所が特に・・・。
で、京都に帰ってみたら、任天堂という会社があることに気づいたと。
そのたまたまは、頭の良さじゃないよなぁって思ったんですよ。
いやセレンディピティは良い事ですけどね。
でも、もし頭のいい人なら、シリコンバレーの前に京都だったんじゃないの?みたいな事を思うわけです
いや、シリコンバレーを選択していても、頭のいい人ならそこで成功するということもあるのか・・・
近藤さんの悪口になってしまいましたが
ぼくは近藤さんを応援してますし、はてなも好きです。じっさい使ってるわけですし
http://anond.hatelabo.jp/20070415225859
「まるでてめえが発明したみたいに書くなよ」っていう意思表示かもしれないし、「うーん、こいついまいち舌足らず」と言外に指摘しているのかもしれないし、「これだけ短時間に同意見が現れるほどありふれた意見だよ」ということの体現かもしれないし、「いまこの人うまいこと言った」といいたかったのかもしれないし、はたまたなんの考えもないセレンディピティかもしれない。ディテイルは色々だろう。だが、仮にあなたの言及の「誰が聞いてもそうするべき」度が高ければ高いほど、そこにプライオリティを主張する格好悪さは増大してゆく。たまたま先に口を開いたからといって、それがなんなのだ?ということ。
孤高を気取るならありふれた意見なんか吐くべきではないだろうし、「オレ常識=社会の常識」を解きたいのなら同意見をむしろ大歓迎すべきだろう。
私は何もアルファブロガーを賞賛したいわけではない。任意の記事に対する個人の評価は相対的であろう。ひとえに「アルファ」と言っても、あらゆる人間に対してアルファであるものと、少数の志を同じくする人間に対してアルファであるものとがあろう。その一方で、多くの人間に注目される記事を継続的に書くブロガーがいて、そういう人々を、ある人はアルファブロガーと呼ぶだけのことである。
これは、「私にとって」ということである。私と似たような嗜好を持っている人が複数いるとすれば、「私たちにとって」と言えるかもしれない。そして、ある種の「隙のある」記事の内容に関して言えば、多くのブログ閲覧者が妄念を感じるかもしれない。
「妄念」の判断基準として以下を考えている。
ある読者がある記事を読んだときに、
だから私は、RSSリーダーで(私が私にとっての)アルファブロガーと認めたブロガーの記事を購読している。さらに、セレンディピティ(思いがけないものを偶然に発見すること)を期待してはてなブックマークのトップページを利用するし、はてなブックマークの特定のタグから生成されるフィードをRSSリーダーに登録している。はてなブックマークはトップページ閲覧以外にも柔軟な活用が期待される。「はてなブックマークなど」と言っては、はてなブックマークがかわいそうである。
そのような信仰が流布しているのは、あなたの信念の世界においてだけではないのだろうか。ソーシャルブックマークを通じて、目立つブログ(もしくはブログの記事)と目立たないブログがある。ただし、それらの間にヒエラルキーがあるか否かは、私には判断できない。しかし、彼らが特定の情報流通におけるハブにはなっていると思う。