2006-10-21

[]煩悩是道場 ウエブログの「価値」とは何で決まるのか

私は何もアルファブロガーを賞賛したいわけではない。任意の記事に対する個人の評価は相対的であろう。ひとえに「アルファ」と言っても、あらゆる人間に対してアルファであるものと、少数の志を同じくする人間に対してアルファであるものとがあろう。その一方で、多くの人間に注目される記事を継続的に書くブロガーがいて、そういう人々を、ある人はアルファブロガーと呼ぶだけのことである。

  • エントリが妄念であるかどうかという具体的な根拠が提示されていないように感じます。(煩悩是道場)

これは、「私にとって」ということである。私と似たような嗜好を持っている人が複数いるとすれば、「私たちにとって」と言えるかもしれない。そして、ある種の「隙のある」記事の内容に関して言えば、多くのブログ閲覧者が妄念を感じるかもしれない。

  • そもそも「妄念で書かれた」とあなたが思ったエントリを書いているブロガーが「情報を持ち合わせていない」という裏付けはどのようにしてなされているのですか?(煩悩是道場)

「妄念」の判断基準として以下を考えている。

ある読者がある記事を読んだときに、

  1. 自分が持っている経験的知識や専門知識や一般常識と照らし合わせて、その記事が明らかに誤っているか限りなく誤解曲解に近い情報を公開していると判断される場合。
  2. 何かを論ずるにあたってそのための知識量が乏しかったり、論旨が不明瞭で何を目的とした主張なのかが読み取れない場合。
  • はてブ衆愚論」の時にも感じましたけれど、結局は「自分が気に入らないものを排除したい」という思いがあるだけなのではないか(煩悩是道場)

だから私は、RSSリーダーで(私が私にとっての)アルファブロガーと認めたブロガーの記事を購読している。さらに、セレンディピティ(思いがけないものを偶然に発見すること)を期待してはてなブックマークトップページを利用するし、はてなブックマークの特定のタグから生成されるフィードRSSリーダーに登録している。はてなブックマークトップページ閲覧以外にも柔軟な活用が期待される。「はてなブックマークなど」と言っては、はてなブックマークがかわいそうである。

そのような信仰が流布しているのは、あなたの信念の世界においてだけではないのだろうか。ソーシャルブックマークを通じて、目立つブログ(もしくはブログの記事)と目立たないブログがある。ただし、それらの間にヒエラルキーがあるか否かは、私には判断できない。しかし、彼らが特定の情報流通におけるハブにはなっていると思う。

記事への反応(ブックマークコメント)

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