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『結城友奈は勇者である -鷲尾須美の章- 第2章 たましい』を観てきました。
鷲尾須美の章は、結城友奈は勇者であるの登場人物の1人である東郷美森の前日譚(プリシーケル)で、
秋から始まるアニメの中間的な位置づけらしい。『結城友奈は勇者である』は『魔法少女まどかマギカ』
フォロワーとして臆面もなく登場して、最終回に賛否両論があったものの、そこそこ人気を得て物語は
終了したと認識している。
東郷さんはかなり不安定な性格でしたが、前作はキャラ数が多く真面目さあいまって暗黒面というような
感じだったはず。しかし鷲尾須美では神樹様へのおつとめへの従順を、事あるごとにセリフで表現してる
のです。今作では空母瑞鶴を褒め称えるシーンだったり、下級生に対して国防体操というのを教えたりす
るのですが、森友学園の幼稚園児に洗脳するがごとく、実際歌として聴くとマジ既知で戦慄した。
そして極め付けは登場人物がSNSを利用してメッセージをやりとりするのですが、鷲尾須美の使用してい
るアイコンが他の二人と違って日の丸アイコンなのです。
一応結城友奈シリーズとしては無批判ではなくカリカチュアとして表現しているのだけれど、ツイッター
の日の丸アイコンを使用している人たちを想像してみて下さい。美少女で見た目は愛すべきキャラなのに、
昨今のリアルであまりに醜悪なケースを知りすぎているせいで、風刺具合が中途半端というか居心地の
悪さが上回ってしまっている。
ガルパンは旧軍を扱うと言っても誰がみてもエンタメだし、岸総監督の過去作アルペジオは旧軍の艦船の
モチーフでも、反乱という形でストーリーは対話をコンセプトにしていた。同じく旧軍を扱う艦これ
は今作と同じ異形と戦うという意味で同じはずなのに、全体的にクレイジー過ぎる設定で国防エンタメと
しては、たまにツッコミが入るくらいだったはず。個人的にはアニメ作品だと『GATE(ゲート)彼の地
で斯く戦えり』の方が圧倒的に愛国設定だと思うが、気持ち悪さはゲートを上回ったと思う。
なんだろうな分かりにくい例えで言うと、天然気味で愛すべき声優さんがイベントで北朝鮮のミサイルネタ
を話して微笑ましい笑いに包まれたのに、ガチな声優さんがいきなりブログでクリント・イーストウッド
作品をdisり始めてマジで引いたみたいな。(どちらも実話)
一応フォローしておくと物語のほとんどは日常的コメディが丹念に描かれて、やがて訪れるカタストロフ
に快感を覚えるほどなので念のため。
(追記)
まあ国防体操でなく防衛部体操とかならそういうイメージない気がした。あと同じ瀬戸内作品の『この世界の
片隅に』のよう隙の無さに比べるとね。例えばごごくちほーだとそんなシリアスにならないと思うんだけれど。
こういう感想を読むと、改めて、シン・ゴジラはゴジラ映画として正統派なんだと思う。
311以前までは、「初代ゴジラ」が少し不思議だった。敗戦から10年も経ってていない時代に公開された映画。
多くの都市を焼き尽くした空襲の記憶も人々に生々しい上、伊勢湾台風などの巨大災害の犠牲者も多かった。
それなのに人々はなぜ、娯楽としての破壊神を必要としたのか? 現実で十分だった筈なのに。
だからこそだったのだと、今は実感として思う。
戦争や災害で為す術もなく破壊された日常を現実を一観客として俯瞰することを多くの人が必要としたんだと。
ハッピーエンドとまではいかぬにせよ、カタストロフに抵抗し勝利した物語で記憶を上書きし、受け入れがたい現実をやり過ごそうと、今の我々のように藻掻いていたんだろうかと。
だから、シンゴジラのヒットがすこし恐い。あまりに今の日本の願望が描かれすぎていて。
村上龍最良の後継者であり震災後文学の最高傑作としての『シン・ゴジラ』(飯田一史) - 個人 - Yahoo!ニュース
『シン・ゴジラ』矢口は福一の吉田所長がモデル(巨災対は福一の現場がモデル)だと思うし原発事故のあと福一の現場と自衛隊以外は(東電幹部とか総理大臣とか)ぐだぐだだったり責任取りたくなくて腰引けてたりしてたとか、現場と自衛隊がふんばったので東京壊滅なんとか防げたの踏襲してると思う
巨災対や自衛隊気にいらんとかゴジラ進化して破壊し尽くすべきと言う人は福一もっと大爆発して関東圏3000万人避難生活(震災当時菅直人が「想定してた」とあとから言ったもの)になったほうがよかったと思っているんだろう。想像の上では。自分にそういうカタストロフ願望がないとは言わないが……
これを言っちゃうとアウトだよな。
女性にとって最悪なのは、「フルタイム労働の上に家事も育児も押し付けられる」状況で、
そんな結婚生活に夢を見られないというのはよくわかるよ。
だから昔だって「農家の嫁」なんかまさにこれで、おまけに周りは古臭い田舎で他に味方もいないから、
真っ先になり手がいなくなったんだもんね。
だからテレビでやってた外科医のイクメンみたいな、ありもしない夢に逃げたくもなる。わかるよ。
だったら男にとってのカタストロフとは、「他の男の子を托卵され、金だけ搾り取られる状況」
に他ならないのだから、女性の皆様にもこれを避けるためにぜひとも協力をお願いしたい。
ついては業界の皆様方にも、「デキる女は進んでDNA鑑定に協力!」とでも宣伝して頂きたいものである。
できるはずないけどな。
相関と因果は一致しない 女性平均寿命 NHKの放送受信契約数
多数論証
科学者による多数決ベースの気候変動レポート 気候変動覚え書き/ウェブリブログ
犯罪者の98%はパンを食べている。
パンを日常的に食べて育った子供の約半数は、テストが平均点以下である。
暴力的犯罪の90%は、パンを食べてから24時間以内に起きている。
パンは中毒症状を引き起こす。被験者に最初はパンと水を与え、後に水だけを与える実験をすると、2日もしないうちにパンを異常にほしがる。
六〇〇〇年前には、現在より二~三メートル高い位置まで海が広がり、複雑な海岸線をもつ入江には多種多様の貝が生息し、台地上には多くの貝塚がつくられた。
しかしそんなやってないも同然なものでもそれがいやな人から見ればやりすぎに見えるのだろう。これまでもこれからも、、、。
はっきり言えば我々は戦争ですらも「やってない」。あんな陸軍海軍の足の引っ張り合いは戦争しようとしてそれに踏み切れなかったどっちつかずのグズグズ行為でしかなく、意志のある国家としての行為ではないのだ。問題は結果ではなくしたか、しなかったかなのだ。
「やる」というのは意志の問題であり状態の問題ではない。
そしてその歴史はカタストロフ後のゾンビ社会でも連綿と続き、そしてこれからもつづくのだ。
やらない理由ばかり探して。
アメリカでまた銃乱射事件あり、8人死んだというニュースを見た。
ところで、あらゆる犯罪を社会への「メッセージ」として考えてみると、犯罪のためのあらゆる選択肢は、そのための「手段」として残されているべきではないだろうか。つまり、私が何を言いたいかというと、銃を規制することにより、本来「銃によって行われるべき」犯罪のメッセージ性が隠蔽されてしまうのではないか、という事である。
我々は健全な社会を志向する以上、何か問題が噴出したときに、それが衆目に晒される機会を、常に我々に与えておかなければならない。でなければ、問題に気付くことができないからだ。しかし、銃規制はその機会を奪ってしまっている。
そして、もし気付かないまま、「本来、行われるべき犯罪」を抑圧し続けていたなら、確かに一時的に治安は良くなるかもしれないが、しかし、隠蔽された歪みが最大に達するとき、我々の社会はカタストロフを迎えずにはおらないであろう。