はてなキーワード: めっちゃとは
友達と近況について話してたとき、仕事のストレスでめっちゃ白髪出るんだよね〜って言ったら
俺は頭皮にくるわ〜と返されて
あっ
ってなった
以前よりも大分トップがスカスカしてるのを見て咄嗟に話題を変えた
俺はまだ恵まれてるほうなのかもしれない
変な空気にしてすまんかった
また飯食いに行こうぜ
かったるい基礎練とかせず、ゲームそのものを楽しむと同時に自然と上達の喜びも感じている。
ゲームデザインの誘導を受けつつ、何度か死んだりしながら敵の倒し方が見えてくる。
曲に合わせてボタンを叩けば良い感じに気持ち良くなれるし、対応出来るパターンが自然と増えてる。
学校の勉強なんかは内容もさることながら、そうやって受け身でいられないのがしんどい。自分で理解すべき相手を呼び寄せて、自分から確認作業を行わないといけない。終始能動的な姿勢を求められるのがかったるい。
まあ言うたって楽器なんかも最初は誰だってメキメキ上達するから楽しいんだけど。
音の出し方覚えて基礎的な奏法を身に着けつつ楽譜見て曲を演奏する、というレベルの事をやってる内は楽器も音ゲーも本質的にさほど変わらない気がする。
楽器にせよ絵にせよ、そこから先に行って磨いた技術を通じて自分がやりたいと思った頭の中のイメージを取り出せるようになったら違ってくるんだろうけど。
まあプロを目指すでもなくそこまでの域に達する人は果たしてどれほどいるのかって話なんだけど。
その点ゲームは与えられた課題を完璧にこなす以上の目的がない。まあ縛りプレイとかRTAとかもまああるけど。そういう自分なりの楽しみ方的なものの幅が大分狭い。というか曲芸に走るしかなくなる。
ただこれはCPU相手のゲームについての理屈であって、対人ゲームならまた違うのかもしれない。
cpu相手なら、セオリーが確立してしまえば攻略法はほぼワンパターンに収束する。
でも人間相手であれば、勝つためのセオリーが確立すればそれに対するメタが生まれて、更にそれに対するメタが……と無限に攻略が編み出され続ける。
相手に勝つという目的は変わらずとも、勝つための技術とそれを実践するテクニックが追求され続ける。
まさにスポーツのやっている事だ。
あとCPU相手でも、フロムソフトウェア作品やビートマニアよろしく難易度が高すぎれば楽しんでるだけでは進めなくなる。頭打ちになって、その度に研究と練習とフィードバックを重ねる学習サイクルが求められる。
ゲームを受け身で楽しんでる内は浅瀬も浅瀬。スマブラやっててガチャ押しで勝ったって楽しくない。ゲームの醍醐味はそういう努力じゃん。
それって別にゲームじゃなくても得られる喜びだし、だったら別にゲームである必要はないじゃんって思う。ゲーム以外を選ぶ必然性もないんだけど。
そういう修練を積むくらいなら、もっと別な趣味を持ちたいよねって思う。スポーツなり絵なり音楽なり。
そこはまあゲームを下に見てるんだと思う。
下に見てると言うか、人生においてより大きな喜びや感動をもたらしてくれる事について、ゲームにはあまり期待していないんだろうなって思う。息抜き以上のものにはならんよねっていう。まあストーリーがめっちゃ良かったりとかすれば、そこに感動はあるかもしれないけど。
別にゲームにせよスポーツにせよ音楽にせよ、そういう題材なんか些末な問題でしかない。壁にぶち当たった時の克己心こそが人生の喜びなんだってタイプもいるんだろうな。「成長」大好き人間。相容れないな。
題材は何でも良いけれど、学習と克服とはまたちょっと違ってソシャゲやクッキークリッカーよろしく拡大再生産的な事に喜びを感じてるタイプもいるのかもしれない。資本主義の精神。
おれはそういうんじゃなくて、やっぱ遊び(食って寝るための営み以外の全て)の内容そのものに感動を覚えたいよね。「成長」のダシにするんじゃなくて。
20代で結婚してセックスレスになった後は彼女作ってとりあえずなんだかんだ常に相手がいる人生送ってるから恋愛について偉そうなこと言ってるけど
実は妻と知り合う前はめっちゃ非モテキモオタだし、なんなら今もキモオタだし
なんかごめんな
幸運を祈る
それだけだ
何を言ってるか分からんと思うから説明すると、うちの実家、隣接する細い道の土地も持ってるらしいんだわ(でも、家と細い道の間にあるめっちゃ細い水路は国のもんだとか…)。
ともかく、細い道を持ってるらしくて、その細い道を通らないと奥にある5世帯くらいは出る手段がないんだと。
図で説明すると、
家家家家家家
家家家家家家
ーーーー道ー
こんな感じになってるから、家に囲まれてるところは、図の道を通らないと出れなくなるらしい。
通行料とりてぇ〜w
うお、めっちゃ食いつくやんw