はてなキーワード: 混浴とは
呼び名を変える逃げ道はありかも知れない
今あるやつだと、混浴とか男女それぞれのトイレの外にある障害者用トイレかな
あれ、もうどうにかなってない?
今のままでよくね?
結局のところ属性で分けること自体が差別を含むので、認められるべきではないのだろう。
属性別の風呂がある時点で、そこにはまりきらない人には強烈な疎外感を与える。
L用G用B用T用と分けるにしても、性差も性自認もグラデーションなのだから、必ず中間領域が出てくるはず。
混浴、個人用、同意のあるグループ用に分けるしかないのだろう。
着衣か裸かは差別的な要素ではないので施設のポリシーでよいだろう。
風呂場の中だけに注目すればそういう意見になるのも理解できるんですが、風呂場の外で女性として生活している未オペのトランス女性に風呂場だけ男性側使えっていうのも理不尽だよなって思います。仮に女性の友達に対してカミングアウトしていて、一緒にお風呂に入れる仲だとして、未オペってだけで「はいじゃあ友達と別れて男性側行ってください」ってのはあまりに酷でしょう。
うーん、けどそれはそもそも男湯と女湯が別れているという理不尽というか権利制限自体が認められてる以上仕方ないやろ。
家族恋人が一緒に入りたいと思っても、小さい子供とかの例外を除けば、多分障害者とかがいても別れて入らなアカンわけで、本人の希望以外にも何らかの客観的基準は要るわ。
その時の線引きでフェミの要求に従って女性の安心感だけが十全に保護されるべきとは全く思わんけど、実際にはある程度配慮せんとイカンやろ。そのために男女を分けてるってのは多分事実なんやろうし。トランス女性の要求だけは十全に認められるべきかというと、そうではないやろ。
個室・混浴・家族風呂などの代替案はあるものの、男湯女湯そのものの解体を主張しないのであれば、全てのトランス女性が女湯に入れるわけではない、というのは仕方がないと思うわ。もちろんなるべく多くのトランスジェンダーが自らの望む方に入れる方が良いと思うけどな。
https://anond.hatelabo.jp/20190112150155
とても良い意見だと思う。
お気持ちにしてもおおよその男女双方の意見が合致すればそれは社会的意思となるわけだが、今回はそれが合致せず、一部女性がトランス女性を排除する意思を表明しているためにこじれている。
・力の強い存在と裸で同居するのが根源的恐怖(「小学生男子でも嫌」「吉田沙保里は構わない」という意見があるので本質ではなさそう)
答えは簡単で、彼らは既に「自分を性的対象としている」「男性器を持つ」ゲイ男性と入浴を共にし続けているし、それに対する抵抗感など示したことが一度もないからである。
全人口のおよそ10%程度が同性愛者であるということが広く知られているが、これによると大衆浴場に入ればかなりの確率でゲイ男性と共に入浴することになる。これは避けることができない。
男性と言っても力の強弱は当然あるわけで、ガタイのいいゲイ男性なら弱い(若い・幼い)ヘテロ男性をレイプすることは「理論的には」可能であろう。
しかし銭湯・温泉は公衆の場である。大衆の門前で性暴力、レイプが始まるか?と言われるとそれは限りなくNOであろう。(そんなことがあれば周りの人間が黙っていないわけで、即現行犯逮捕となる)
ヘテロ男性はこのことをよく知っている。そしてゲイ男性も、当然ヘテロ男性をレイプしない。性的指向がどうであるかと性犯罪に走ることは関係がないからだ。ゲイ男性=犯罪者ではない。
この前提を個々人が踏まえているかどうかはともかく、歴然とした事実としてヘテロ男性はそもそもゲイ男性を排除したことが一度もない。当然のこととして受け入れているのである。
恐怖どころか普段特別に意識したことすらないであろう。それこそが本当の意味で「受け入れている」ということになる。
そりゃゲイ男性視点からすれば性的に興味がある対象の裸が並ぶわけだから、性的関心を向けられる、性的興奮をされる、「視姦」されるくらいはあるかもしれないが、その程度好きにさせてやれという心持ちなのである。実害があるわけではないからだ。
つまり防犯の意味で男女を分けているということではなく、結局「お気持ち」なのである。
ことシス男性については公的な施設からマイノリティを排除しようという性的差別心はほとんどない。
ここでの最終的な論点は、シス(ヘテロ)女性が差別心を手放し、マイノリティを受け入れるかどうか、これ一点に尽きる。
例えば先進国ドイツのサウナは男女混浴であるが、それによる問題は特に起こっていない。
※2019/1/13追記
『「女湯におけるトランス女性」という性自認の問題に対し、「男湯におけるゲイ男性」という性的指向の問題を配置するのは非対称では?』というブコメがあった。
実際にトランス男性(未工事で身体は女性)が男湯に入って良いというルール、社会的寛容が醸成されトランス男性が入ってくるようになったとして、嫌がる男性客がどれだけいるだろうか?
現実問題、実在する混浴温泉にいるのは男性ばっかなんだからどっちが寛容かなんて説明しなくても気づくことだと思い、省略していた。
TGの人に対する心証は「ジェンダーロール強化してんじゃねーよ!」というものが強い。
だけど個人的には混浴ばっち来いだし職場のトイレも男女共用で何も困ってない。性別で空間を区切るのって非効率だと思う。
前提条件として同じ空間に性的対象がいたら無条件で発情する人は野生動物と同レベルなので自制できるようになってから外に出てきてね、と思ってるけど。
LGBTの中でもトランスジェンダーの人の公衆トイレや浴場の利用についてどう折り合いを付けていけばいいのか、というのは今の日本ではまだ難しい話で、しかし当人に個室だけを使えと我慢を強いるのも違うし、やはり今からでも議論をしなければならないのだろうけど、議論自体がタブーとなってしまうと結局当事者は温泉にも入れないという状態がこのまま続いてしまうだろう。支援団体も別に議論自体は否定しないと思うのだけど、「言い方に気をつけろ」というやり方にも多少は気を遣い、歩み寄りを見せないと当事者こそが不幸になってしまわないだろうか。
個人的にはフィンランドのサウナみたいに混浴を「普通」にしてしまってもう区別を無くしちゃえばいいんじゃないの、と思う。一世代分の時間が過ぎれば誰も違和を感じなくなるだろう。