はてなキーワード: 円光とは
売春や水商売を悪い事だと説明する為に、色んな説明がなされてきた訳だけど
全部しっくり来ないんだよ。性病になるとか、利用されてるだけとか、本人のプライドを売っていて心が荒むだとか、若い時だけしか役に立たないだとか。
普通の労働でも、鬱になるし、病気になるし、言ってしまえば労働力として利用されてるだけ。
プライドも尊厳も売りまくりで、心も荒むし、上手くやりくりしなきゃ歳とったら稼げない。
本質的にはどちらも変わらない訳だよ。
今までの批判は「本人が損をするから」って切り口で叩いてきたわけだよな。円光もそう。でもそれには無理がある。
仕事は契約だ。契約と言うものは本来は両者が損をしなきゃ成立しない。損をするのは当たり前なのだ。
本人の損得に善悪を求めても意味が無い。しかし良くある批判の中でも、理解できるものがある。
「楽に稼げる」これに尽きる。
こう言うと、「お水や売春は辛い」と言う人が居るが、それなら普通に働いて稼げばいい。明らかにそこには優位性が存在する。
結局「社会の考える善悪」と言うものはその名の通り「社会が考える」のだ。
売春やお水がダメなのは、単純にセコくて、そして好きでもない大多数の男にベタベタしていて気持ち悪いから。
売春やお水、例えばJKの円光を咎めたいなら、「自分を傷付けるから」なんて言っても意味が無いし、偽善だ。
よく語られる男らしさ・女らしさって
男だと、「女を軽く扱う、暴力的、粗野」で
女だと、「男を立てる、謙虚」だよね。
でもこれは嘘だと思う。
これってどちらも「男、女の弱者がやる行動」でらしさではないよね。
映画や創作の「男らしい」って、「女の為に粗野でラフマッチョな男が一生懸命動いて守る」事が男らしさで、むしろすぐナンパしたり女を軽く扱う奴は女々しくダサい行為として描かれるわけじゃん。
男特有だが、男らしくはない行為。例えば電車男はラフでマッチョではないけど、「女を軽く扱う男から女を救って『男らしさ』を見せ、恋心を持たれる」ってのがプロット。
映画で描かれる「女らしさ」ってのは「感情的だが頭のいい女が、色香を使って男を手玉にとって、自分を守らせる」で、男に媚びるような行為は女特有だが、ダサい行為として描かれる。円光とか。
少女漫画に出てくるような、「自分を虐めるキラキラ系女子が男に媚びるが、媚びる女は嫌いと言ってした自分の方に恋心が向く」ってのがよくあるプロットでしょ。
「男女特有ではあるが本能的にやってしまう欠点」ナンパや円光なんてのは押し付けられたものでも、役割でもないし、自発的に「やってしまう」ものだから価値観を変えようがなくならないものだろう。
「男女特有ではあるが本能的にやってしまう欠点」がらしさとして扱われていて、
本来の社会から押し付けられ重圧になっている「男は女を守らなきゃいけない」「女は男から守らせなきゃいけない」というらしさは手つかずになってる。
性役割から解放したいなら、「男は女を守る必要無いんだよ」「女は自分で自分の身を守らなきゃいけないんだよ」となるはずだけど、なぜか
「男は女性が性被害に遭わないように、声を上げて守るべき」「女は社会に守られなきゃいけない、積極的差別是正措置が必要」ってなってる
つまり何が言いたいかというと「男女特有の本能的にやってしまう欠点を抑止する部分こそが性役割」なのだという事。
性役割から解放された結果として「ナンパをしたり女性を軽く扱うようになる」し、「男に媚びて売春をするようになり、自分の価値を下げる」事になる。
電車で痴漢から女を助ける男も、痴漢はダメだと声を上げる男もいなくなり、女は守られず、男に好きなようにもてあそばれる社会になる。主体性の無い人間は生き残れない社会になるわけだよ。
流行りのフェミニズムと性役割の解放という言葉は共存できない。フェミニズムの本質は「女性としての価値の向上」であって、「女性からの解放」ではない。
体を売りにしている人(円光)とかも含んだら意外と同じくらいになりそう
たとえば家出娘、円光娘、激安風俗嬢、施設育ち、手取り13万フリーター等、金に困った女性をネットで見つけ、コンビニでおにぎりとお茶を買ってあげる
次に会うときは甘いものや、今流行りのタピオカ等インスタ映えの食べ物、ファミレスで食事を与える
性的要求に応えることも、仕事もせずに食事にありつける彼女らは、きらっきらの目で食事を喜び、お礼を言う
どうもそれがかわいいらしい。
女性の平均から比べると年収もかなり高い。特に成金感もなく、普通の人。
彼らは食事や旅費も、完全折半でもう5年も付き合っていて、そろそろ結婚するとか。
彼曰く、本命の恋人は仕事もしっかりしていて、自立してる人がいい。