はてなキーワード: はえとは
こんなに頑張ったのになんで!?くやしい!!ひどい!!って告白断った後にめちゃくちゃ文句言われたけど…
毎回会うときの集合時間と大体の場所決めだけはやるけど、あとの駅の何口集合や目的地へのルート出しはこっちだし、しかも毎回微妙に遅刻してくるのって「この人にいいとこ見せたい!」って気が全然感じられなかったんですが…
しかも店はいつも目星すらつけずに行きあたりばったり、決められないからこちらにゆだねる。
会話はこちらの趣味や好きな事の話はしつこく聞きだすのに、自分の事は引き出しがないのか話さない、そしてそれに関して質問しまくってくるから答えるの疲れるし、次の会う時にそれに関して調べたり特にせずに同じ事を繰り返す。
誘うくせに行き先は毎回こっちに「何か面白そうな事ある?」って聞いてきて、いや誘っといてなんもないんかーい!って感じだし、こっちの趣味のイベント行きたいって時も、初心者なんでわかりません!ってこっちに任せるし、こういう準備(お金かからないしちょろっと調べるだけ)しておくとより楽しめますよ~って伝えたのに全くしないんだよなぁ。そんで当日質問攻めされるとなんかさぁ、やる気無さ過ぎて萎えちゃうよ。長い付き合いの友達じゃないんだからさ。
本人は頑張ったつもりかもしれないけど、それはえらいと思うけど、相手にミリも伝わらない程度の頑張りじゃ狙った人を落すのは難しいんじゃないの。誰でもいいなら今のままでもいいかもしれないけど。
「あら、えらい沢山データ積む予定がありはるんでしょうなあ? varchar(200)にuniqueキー貼ってはりますもん」
これはわかった、オーダーN^2の処理を書いている部下に対して暗に「計算量多いんじゃボケ」と言ってる
「NoSQLいうんですか? データベースでないもの使えばネットワークの速度も仰山上がるんゆうことで間違いありませんなあ」
協調性がなく思考が硬直してるのに友達が多いのかも知れないぞ。
冗談はさておき。元増田は人間的に欠陥があると結婚できないし友達もいないと思ってる様だが、実際には逆だと思うんだよな。
丸いだけの当り障りのない人間の方が、人間的な魅力が無いと取られてひとりになりがち。逆にどこかしら尖った人間は、カリスマ性があるとか、実はいい奴とみなされ人が集まってくる。
極端な事を言えば『クズ男に尽くす女』みたいな話になるが、イジメっ子の周りには人が多く、いじめられっ子はひとりぼっち…、みたいな事はえてして起こりやすいのではないかと思う。
そのために、かなりアウトローなやり方に手を染める者もいる。
「なんか最近、砂糖の減りが早い気がする……お前ら、こっそり舐めたりしてないだろうな?」
「さすがに、そこまで意地汚い真似はしないよ」
「クチャクチャ……せやせや、虫に食われてんちゃう?……クチャ」
特にカン先輩のやっていた方法はえげつなかったので、今でも記憶に強く残っている。
「カン先輩、さっきからずっとガム噛んでますね。もう味しないでしょうに」
「いやいや、まだするよ。甘い甘い」
「“甘い”?……カン先輩の噛んでるのって、甘さがそこまでない奴だったんじゃ……」
「あ……いや、ちゃうねん。アレや、『お前の考えが甘い』って意味の“甘い”や」
なんと、学童にある砂糖をガムにまぶして、味の延命を図っていたんだ。
そんな感じで、俺たちは思いの思いのやり方でオヤツを楽しんだ。
「オバチャン、タコせん頂戴」
そのせんべいにソースを塗りたくり、マヨネーズをかけ、最後に揚げ玉をふりかけて提供される。
いま思うと、「タコのせんべい」だからじゃなく「タコ焼きみたいなトッピングのせんべい」だから「タコせん」って呼ばれていたのかもしれない。
「ソースは二度塗り、三度塗りやろ! 串カツちゃうんやぞ。マヨネーズと天かすも、もっとかけーな! ケチくさいなあ」
カン先輩の態度はちょっとアレだが、トッピング増しの要求は学童全員やっていた。
なにせこれ一つで手持ちがなくなるんだから、ちょっと図々しくなっても仕方ない。
「あ~、やっぱ天かす多い方がええな」
「その点は同意ですが、『天かす』じゃなくて『揚げ玉』って呼んだ方がよくないです? “かす”って言葉じゃあ響きが悪い」
「なにがアカンねん。『駄菓子』って言葉にも駄目の“駄”が入ってるやん。上品ぶらんと、ちょっと下品なくらいがちょーどええねん」
“下品なくらいがちょーどいい”
俺たちが食べる、トッピング増し増しのタコせんは見た目も味も下品だった。
本来のせんべいの味なんてしない、上品なんて言葉とは無縁の代物だ。
だが、それに比例して満足感も上がる。
俺たちはそれでよかったし、それがよかったと言ってもいい。
「それに、言葉の響きとか言うたら『揚げ玉』も金玉の“玉”やん」
「えー……、その理屈はともかく、だったら揚げ玉って呼ぶのも良くないですか?」
「なんでや、“天かす”やぞ? “天のかす”やぞ? 『腐っても鯛』と同じってことや」
「違うと思います。それに、先輩の最初の言い分から少しズレていっている気が……」
しかし下品だとしても、俺たちにとってタコせんは贅沢品だった。
飴玉ひとつを勿体ぶって舐めている間に、せんべいはなくなってしまう。
買うには多少の思い切りが必要なんだ。
だから食べる時は自然と口数が多くなり、どうでもいい話をして、コスパだとかいったものから目をそらすようにしていた。
だが、それでも“情念”は頭をもたげてくる。
「あ~あ、“このタコせん”でこの美味さだったら、“あのタコせん”はどれほどなんだろ」
通常のタコせんに更にタコ焼きが加えられている、憧れの存在だ。
「マスダ弟ぉ、その話はすんなって前に言うたやろ」
「でも気になるんだもん」
「それは皆同じなんだよ。でも気にしたってどうしようもないだろ」
挟んで食べるなんて夢のまた夢だった。
結局、俺たちはあの「真・タコせん」を食べないままティーンエイジャーになった。
今だったら、食べようと思えば食べられる。
だが、未だ手つかずだった。
あの時の憧れは嘘じゃないが、なぜか今は食べたいと思えなかったからだ。
小学校とかで「うんどうかいの思い出」「社会見学でわかったこと」みたいな新聞作るやつなかった?あれに「特に何も思いませんでした」という感想しか持てずに毎回思ってもないこと書いてた人間に、人間性なんかあるわけなかったよな。
日記も特に思うことがなくて三日坊主、夏休みの記録は「特になにもしませんでした」の一行、1日の振り返りは適当に思ってもないこと書く。
自分って人間性うっすいなーって最近気づいた。悪口陰口軽い暴力程度の嫌なことなら自分が黙ってればそのうち解決するわと思って耐えれるけど、その分嬉しいことにも鈍くなった気がする。すぐキレる人はキレるって才能があるんだな〜とか思い始めた。
人間性がちゃんとしてる人はえらい。自我ハチャメチャな自分からしたらすごいことです。
人間心理ってやっぱり難しい。自分の心理を理解できない人間が、他人の心を想像なんてできるわけがなかった。
いろんな心理状態を知ってるつもりでいたけど、それは結果誰かの感情の上部を切り貼りしただけにすぎなかった。
わたしの友達が同性の子を好きになったことがある話を聞いて、自分も同性の子いけるな〜と思ってた時期があることを思い出したけど、質量がまったく違った。なんていうか、ちゃんと人間を思えてるなぁって感じ。
異性の恋人がいたことあったけど、その時も恋愛感情っていうのがどういうものなのか分からなかった。自分を犠牲にしてでも相手を思いやる気持ちが恋愛なら、わたしは一生恋愛なんかできないだろうな。
わたしの感情は結果どこまでも独りよがりで自己完結してるなーって。
まとまんねー。寝るか。