はてなキーワード: すき焼きとは
納豆のタレと日本酒で、気持ち甘さは出ますが、すき焼きのようにはなりませんね。
牛より豚が好きな人は豚肉に替えて作ることも可能。その場合は「ぶたなっとう」になります。
【材料(1人前あたり)】
・長ネギ 1/3本くらい
【作り方】
1.牛肉を幅7~8mmくらいの短冊に切り、酒と醤油を混ぜたものに浸す
肉が入っていたトレイに切った後戻して、醤油:酒=1:1くらいの感じでヒタヒタになる程度に入れます。適当で大丈夫。
2.長ネギはみじんか小口に刻む
必ずしも入れなくていい行程ですが、入れた方が美味しい。ような気がする。
4.フライパンに油を引き、軽く熱した所で納豆と肉を入れ、中火~強火で炒める
肉を浸していた汁も全部一緒に入れます。
5.納豆についていたタレをフライパンに加え、さらに醤油と日本酒で適当に味を調える
ご飯に乗せる量で味の濃さが調節できるので、あまり神経質になる必要はありません。少し塩辛いくらいで丁度良いです。カラシは入れない。
【食べ方】
炊き立てご飯に牛納豆をかけて食べます。ネバネバの汁も一緒にかけましょう。
塩辛く出来た時は少なめに、薄味に出来た時は多めにかけます。
余ったら冷蔵庫で保存可能。チンしてもほとんど味は落ちません。
【良い所】
・美味しい!!
【悪い所】
水にしばらく浸けておくと、いくらか洗いやすいです。
・納豆嫌いの人にはたぶん無理
・ご飯を食べすぎる
日本のキムチは辛みが程よくどちらかといえばたくあんなどの漬物に近い味と食感。
韓国キムチを現地で購入すると1袋白菜一個分で日本円では3000円と破格で日本人旅行者から見るとキムチは高級惣菜という位置付けだ。味も日本の10倍以上の辛さでレモンかグレープフルーツを入れたかのように極めて酸っぱい。
日本では高くても500円未満で買える。特に在日朝鮮人の多い大阪や京都ではより安値で非常に美味しいキムチが購入できるのだ。
最近は嫌韓流の大流行で韓国にアレルギーを持つ人も多くなってるが料理に罪はない。まして韓国キムチのように高くて不味いものではなく日本風に味付けされた日本オリジナルのキムチが安値で買える。
だからこそキムチ料理は敬遠されるよりはむしろ日本独自の味付けで全く別のキムチ料理に変えてしまえばいいのだ。既にプルコギは日本の牛鍋(今のすき焼き)に様相を変化させている(鶴橋で確認)。こうやって他国の料理を日本風に変えてしまえば他国オリジナルの物より美味しければ日本の偉大さが世間に知らしめることが出来るし隣国との関係も改善できるのだ。
それに俺なら敬遠するより韓国人に「ぐぬぬ」させる方がスカッとする。フレンチやイタリアン、中華、インドでも日本の圧勝なんだから今度も絶対イケる。
普通の人は、それがすき焼きでも寄せ鍋でも同じようなもんで、特に気にもとめないだろうが
ネトウヨは「なんでわざわざキムチ鍋?韓国のステマに違いない」とか思って、胸騒ぎを覚えるらしい。
日本人資本で経営されてる韓国料理屋、日本に何軒あると思ってんだよ。
ステマ・ごり押しさえなければKポップ市場もこんなに大きくならないはずと思ってるようだ。
普通の人はブームには仕掛け人がいてもおかしくないと考えるだろう。
かつ、ネトウヨのネガティブキャンペーンがけっこう強力だからKポップ市場がまだこの規模に留まっている、という可能性もありそうだ。
にしても、最近の若者は知ってるのかしらないけど、昔は韓国が日本文化に対して鎖国してたんだよね。
文化みたいに国境を越えるものを必死で食い止めようとする韓国が滑稽に見えてたもんだが、
いまは逆に日本人の一部が韓国文化の日本での流行を必死で食い止めようとしてる。
何のため?と思っちゃうんだな、俺は。
「ホンダはどうした」「ホンダらしくない」という批難の声が、社内外のあちこちから聞こえてきた時があった。現場で車を作っている身としては、針の筵に座らされているような日々を送っていた。そんな時に本田さんが言った。
「君たちは、腹がへって死にそうな人に、『すき焼きの肉を買いに行きます』なんて言うのか!」
それは、どんな人たちの声よりも鋭くわたしの胸に突き刺さった。
[中略]
上級車思考が進んでいた時のことだ。わたしたちも、従来のものよりずっと性能のいい上級の車を投入したり、アメリカ向けに開発した大型車を急遽、日本市場に投入したりしていた。が、いずれもお客様の動向を的確に捉えているとは言えなかった。
お客様のニーズを最優先するという仕事の基本原則を忘れてしまっていたのだ。その結果、頭でっかちになり、地に足の着いていないことを考え、お客様にそっぽを向かれてしまったのである。
以来、わたしは、仕事では「お母さんのおにぎり」をお手本にしようと考えるようになった。
材料は決して特別なものを使うわけではない。しかし、なんと言っても母親は子どもの好みを知り尽くしている。「好み」とは、好き嫌いや味だけではない。どれだけ食べるか、どんな大きさなら食べやすいか、食べやすい形は何か、栄養的にどうか、暑い時期ならいたまない工夫も考える……。
さらに、そのおにぎりが日々のお弁当なのか、遠足なのか、いつどこで食べるのか、体調はどうか……までを考えて、作り方を変える。そして、こう作ろうと決めたら、子どもが喜ぶ顔を思い浮かべながら、やわらかすぎず硬すぎず、心を込めて握るのだ。
それは、どんなに仕事に慣れても、いや、仕事に慣れた時こそ、忘れてはならない仕事の基本だと思う。
おなかをすかしている子どもに、先々のすき焼きの話をしたって喜びはしない。
スーパーで初売りされたマツタケを見て、学生時代のことを思い出した。
福島市近郊出身の友達が、すきやきパーティーをしようと持ちかけてきた。
彼の実家からなんとダンボール箱いっぱいのマツタケが送られてきたのだった。
いつものだべり場だったもう一人の友人の家に集まり、もう一人呼んで、4人でマツタケすきやきパーティが開催された。
いとこんと肉は近づけてはいけないとか、美味しんぼの富井副部長の失敗から学んだ数少ないすき焼き知識を駆使して、マツタケとそのほかの具の比率が1:1のとてつもないすき焼きパーティーが始まった。
マツタケの素焼きとか土瓶蒸しもやってみた。
マツタケを持ち込んだ友人以外、本物のマツタケを知らなかった。永谷園のお吸い物がかろうじて、マツタケ体験だった。
マツタケの香りはとても強くて、好みが分かれるものかもしれない。
ほぼ縁がないと思っていたマツタケを存分に楽しんだ。
一生分のマツタケが一晩にして消費されたはずだ。もうしばらくマツタケは食べなくてもいいといえるくらいにマツタケを堪能した。
マツタケがどこで取れたのかという話題になった。マツタケが送られてきた友人も、実家の親からは一切教えてもらえないと話していた。
その親が墓場までそのありかを持っていってしまうのかもしれない。
ふと、マツタケの思い出のことを文章にはきだしてみた。
仮にこの友人の親が存命だとしても、マツタケの秘密の山がまだ存在していたとしても、マツタケも福島ももう思い出の中にしかないのかもしれない。
うちのコロッケは美味しい。
肉やたまねぎ、しいたけやにんじんなどを炒めた具を、ジャガイモと同量くらい入れる。
味はしっかりつけるので、俵型に丸めるの手伝いながら具だけをつまみ食いしたりした。
だから、コロッケは、あまり魅力のない食べ物だと言われて、母との思い出を否定されたような感じがして、とても悲しくなった。
コロッケも、ほうれんそうのごまあえも、すき焼きも、かぼちゃを炊いたやつも、白菜と春雨のスープも、いまでは母と同じ味をつくれる。
残された時間を有意義に過ごすために、もう薬での治療はやめた。
母はがんばっている。
先週末はやばくて、遠くに住んでいる兄と僕は呼び出された。
母の手を握りながら、がんばろうねって何度も言った。
なんとか持ち直してきている。
この肺炎を乗り越えたら、ちょっとは楽になるはずだ。なるに違いない。
そうしたら、もう一度外泊で家に帰って、一緒にご飯が食べたい。
もうどこに出しても恥ずかしくない、母の味の僕の料理を一緒に食べたい。
アレンジで免疫力の高まる食材なんかを入れたりして、そうしたらひょっとしたら良くなるかもしれない。
コロッケたべたいと言うだけですべてが嘘になるんなら、どんなに嬉しいだろうなあ。
もう一度母さんとコロッケたべたい。
言う事を聞きつつ、正論を言ったら干されるのでぐっと堪え、
取引先のタヌキにも頭を下げつつも、さらに新人に陰口をたたかれ、
でも妻に奉仕しなきゃまた喧嘩になったり発言小町に書かれるから
安い発泡酒で我慢して、それで寝る。
起きたらまたギュウギュウの電車に揺られ、
今朝の電車で触れた女子高生の匂いを反芻する。牛のごとく何度も。
そんなこんなで稼いだ金がどこに消えるかと言うと、
ケツにぶちこんでやろうかと思ったりするんだけど、
そんな勇気はもちろんの事、クビになっても転職して成功するスキルなどがないので、
昼休みにモニタの前で、「たまごや」の弁当のおかずのすき焼きを味わい、
わずかな幸せをかみしめる。そんな日々。
「きみは資本主義奴隷だね」と言われたとしても、「はい」としか
答えることが出来ないわけで。
未来人は続けて、
「歴史の教科書で読んだんだけどさ、20世紀後半から21世紀半ばにかけて、
画期的だったんだってね。いや、むしろサラリーマンが勝ち組とか
ギュウギュウの乗り物に押し込められても文句を言わせない
と言ったとしても、私はハイとしか答える事ができないわけであって。
朝の電車で女子高生と合法的に密着できることです!と真面目な顔をして
主張したいんだけど、主張しても捕まりそうなので、言えない。
あとはオフィスグリコで「パキッツ」をゲットしたときだったり、
気がつけば82歳
ttp://thoughts.asablo.jp/blog/2010/03/11/4938054
大きな木造の三面しか壁のない ガランとした建物だった。
中は照明も無く薄暗かった。
やがて奥の方から 黒い大きな牛が 鼻面に通された綱を曳かれて現れて、中央まで来た途端に、屈強な男性が歩み寄って、長い柄のついた斧のようなものを振り上げ 牛の眉間を撃った。
その一撃だけで 牛は膝を折り 崩れるように倒れた。
部外者以外に見ていたのは案内してくださった方と私だけ。
その夜、村の方々からすき焼きをご馳走になり、昼間の光景を忘れたように美味しく食べてる自分がいた。
戦争で死と隣り合わせの生活をしてきて鈍感になっていたのかもしれない。
又は、若い時は衝撃的であるはずの事もあまり抵抗なく受け入れてしまうのだろうか。
しかし、60年昔見た光景がずーっと心の奥に潜んでいて時折現れて色んな事を考えるのだ。
人間は 牛や 豚や 鶏や 諸々の魚介類などの命を貰って生きている。
「ダーウィンが来た」を見るまでもなく、弱肉強食は世の常、生態系に人間も組み込まれているのは解っている。
疎開していたころは、その辺を歩いている鶏を小父さんが捕まえ首を捻って、羽を毟りとり 解体して夜の鶏鍋になったのを見た。
今はスーパーで綺麗にパッケージされてるから食材として抵抗なく買える。
年齢かなあ
殺生が応える気分になった。 水槽で泳いでいる魚を コレって選ぶの辛いな。
せめて 貰った命は絶対無駄にしたくない。
私の命の一部に再生させてもらうことで納得したい。
糸こんにゃくってすき焼きの具としては一般的だけど、なんでいれるんだろうね?
肉が硬くなる危険を犯してまで入れたいとは、個人的には思わないんだけど。