2010-03-13

気がつけば82歳

ttp://thoughts.asablo.jp/blog/2010/03/11/4938054

若い時、牛の屠殺場を見学したことがある。

大きな木造の三面しか壁のない ガランとした建物だった。

中は照明も無く薄暗かった。

やがて奥の方から 黒い大きな牛が 鼻面に通された綱を曳かれて現れて、中央まで来た途端に、屈強な男性が歩み寄って、長い柄のついた斧のようなものを振り上げ 牛の眉間を撃った。

その一撃だけで 牛は膝を折り 崩れるように倒れた。

部外者以外に見ていたのは案内してくださった方と私だけ。

映画の一駒のような、現実感のないシーンだった。

その夜、村の方々からすき焼きをご馳走になり、昼間の光景を忘れたように美味しく食べてる自分がいた。

戦争で死と隣り合わせの生活をしてきて鈍感になっていたのかもしれない。

又は、若い時は衝撃的であるはずの事もあまり抵抗なく受け入れてしまうのだろうか。

しかし、60年昔見た光景がずーっと心の奥に潜んでいて時折現れて色んな事を考えるのだ。

人間は 牛や 豚や 鶏や 諸々の魚介類などの命を貰って生きている。

ダーウィンが来た」を見るまでもなく、弱肉強食は世の常、生態系人間も組み込まれているのは解っている。

疎開していたころは、その辺を歩いている鶏を小父さんが捕まえ首を捻って、羽を毟りとり 解体して夜の鶏鍋になったのを見た。

今はスーパーで綺麗にパッケージされてるから食材として抵抗なく買える。

年齢かなあ 

殺生が応える気分になった。 水槽で泳いでいる魚を コレって選ぶの辛いな。

せめて 貰った命は絶対無駄にしたくない。

私の命の一部に再生させてもらうことで納得したい。

人間以外の生物人間的な感情移入する気は更々ないが、諸々の生命体を愛おしく思うようになった。

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